第30話

 夏休みが近づいてきたこの頃、ついにvHolicとトヨトミPのコラボの情報解禁の日がやってきた。


 今日は七尺セントレアのMV公開と今後の予定としてトヨトミPが他メンバーの曲も作曲することを発表するらしい。


 撫子から送られてきた宣伝用の文言を予約投稿に入れて、その時をソワソワしながら待つ。


「広臣君、随分余裕そうだね」


 目の前に座っている浅野さんが恨めしそうな目で見てくる。


「ま、補修回避程度のラインなら余裕だよ」


「うわぁ……私はまだまだ遠いよぉ……」


 浅野さんが背もたれに体を投げ出す。


 夏休み目前ではあるが、その前に立ち塞がる高い壁である期末テストが控えている。最近は毎日のように図書館で勉強だ。


 うちの高校は期末テスト一発勝負の上、そこで赤点を取ると夏休みの半分は補修で潰れるというルール。だからみんな必死になって自由のために戦うらしい。


 俺は昼間も真面目に授業を聞いていたので余裕なのだが、浅野さんはほとんど寝ていたようで、今更になって詰め込みを初めている。


 昼間は陽キャ高校生で友達と遊び、夕方から夜にかけてはvTuberとして遅くまで配信をしている生活。


 最近は五条アイリスの配信頻度も下がっているが、ボイトレが入ってきたから尚更時間を取りづらくなっているのだろう。


「彩芽、そろそろノート写し終わった? 図書館閉まっちゃうよ」


 浅野さんの勉強を手伝っていた友人集団も既に荷物を片付けて携帯をいじっている。


「もう大丈夫! 残りは広臣君に見せてもらうから!」


「はいはい。てか最初から彼氏に助けて貰えっての」


「広臣君のノートかぁ……古文書を解読してるみたいなんだよねぇ……」


 俺の字が汚いと言いたいらしい。自分が読めればそれでいいのだから綺麗に書いてはいなかった。まさかこんな風に自分のノートが使われるようになるとは思っていなかったのだ。


「じゃ、俺のは見なくていいよ。自分で頑張ってくれ」


 浅野さんの目の前から俺のノートを引き上げると


「あぁ! 冗談だよぉ……やっぱり、こう、解読に苦労する方が頭に入って来るっていうかさ、うん、そうだよ。そうに違いないね」


「全くフォローになってないけどな……」


「アハハ……とにかく、このノートは私の物だよ! 写し終わるまで返さないから!」


 俺の手からノートを奪い取ると、大事そうに胸のところで抱きしめている。


「俺が勉強できないだろ……」


「その時は一緒に補修だね。仲間が増えて嬉しいなぁ」


「あんたらほんと仲良しだね……じゃ、私達は帰るから。二人でイチャイチャしててね」


 生駒さん、中村さん、堀尾さんの三人は俺と浅野さんが付き合っていると思っている。浅野さんが嘘をついているから仕方ないのだけれど、こうやって最後には気を使って二人っきりにさせられるのが最近の定番だ。


 今日も三人は笑顔で手を振り去っていく。


「いいのか? 皆と最近一緒に帰ってないだろ」


 三人を見送る浅野さんに尋ねる。


「仕方ないよ。広臣君はそのぉ……かっ……彼氏だと思われてる訳だしさ。気を使ってもらってるんだから一緒にいないとだよね!」


 顔を赤らめてそう言うのでこちらも変に意識してしまう。ずっと皆と一緒にいるお陰でネタも仕入れられて世の中的にはトヨトミPは女性だと思われているようなので無駄ではなかったとは思いつつも、ここまでやる必要があったのかと疑問に思う。


「あっ……浅野さん! ここ、教えてくれないかな?」


 人が減ったタイミングを見計らっていたのか、誰か知らないが男子が浅野さんに話しかけてきた。広いテーブルを二人で使っているものの、俺の事は眼中にないらしい。


「あ……ごめんね。私、馬鹿だから教えられないんだ」


 浅野さんは本当に申し訳無さそうに対応する。連絡先を聞くために行列をなして一人ずつ神対応をしたという噂は本当らしい。


 やはり浅野さんが一人になるタイミングを狙っていたようで、次々と男が浅野さんに群がるようになってきた。一様に俺の事は無視。面識のない陰キャがただ相席しているだけのような扱いだ。


「浅野さん! 一緒に勉強しない?」


「うーん……嬉しいんだけど、もう図書館閉まっちゃうから……ごめんね!」


 また一人の男子が轟沈。


「浅野さん、勉強教えてあげようか?」


「あはは……集中したいからさ……また今度ね」


 またまた一人の男子が門前払い。


 友人集団が帰ってから、浅野さんのノートは一ページも進んでいない。まさにひっきりなしだ。


「浅野さん! この後一緒に帰らない?」


「あ……あははは……ど、どうしようかなぁ……」


 俺は完全にただの無関係な人だと思われているようなので、それならばと無視して読書を決め込んでいたのだが、何人目かのところで浅野さんがテーブルの下で俺の足を蹴ってきた。


 仕方がないので咳払いを何度かすると、やっと俺を認識した。


「ん……なんだ?」


 轟沈直前の男子は煩わしそうに俺の存在に触れてくる。


「友達だよ。先約があるからさ、ごめんね」


 浅野さんは丁寧に断りを入れる。


「こ、こいつと!?」


 絶対に無関係なモブキャラだと認識していた奴がまさか連れだとは思わなかったようで、あからさまに驚いた反応を示す。


「そうだけど……何かな?」


「いっ、いや。何でもないよ。勉強の邪魔して悪かったね。それじゃ」


 ボイトレの効果なのか、ややドスの利いた声で浅野さんが尋ねると男子はすごすごと引き下がっていった。


「ふぅ……広臣君、場所変えよっか。ここだと集中できないね」


「あぁ、そうだな。近いとこだと……どこかカフェでもいくか?」


「うーん……店だと時間にもうるさそうだし、スタジオにしよっか」


 時計を見ると夜の八時目前。カフェだとさっさと家に帰れと言われて面倒な時間になってきていた。


「はいよ。じゃ、行くか」


「話が早くて助かるよぉ。それに、こうやって遅くまで付き合ってくれる人は貴重だね」


 ニシシと笑って鞄に雑に荷物を放り込み始めた。俺のノートもその一部になっていて、折れ曲がったりしないか心配になる。


「ただ人質になってるノートを返してほしいだけなんだけどな。ぐちゃぐちゃになる前に」


「ん? 何のことかな? さ、いこういこう!」


 俺の心配もよそにぐちゃぐちゃになっているであろう鞄を背負うと浅野さんは俺の手を引いて図書館を脱出する。


 背中に撃沈された男子達の視線を受けながらの退室はなんとも言えない気まずさがあるのだった。

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