第27話

 浅野さんとのデートから数日後、五条アイリス向けの曲を携えてスタジオにやってきた。


 撫子は相変わらず外回りで忙しいらしく、浅野さんと菊乃と三人で菊乃の配信部屋兼録音部屋に集まる。


「広臣君! 早く聞かせてよぉ!」


「まぁ待てって」


 まだかまだかと焦る浅野さんを焦らすように、ゆっくりと準備を進める。今回はいつも以上の力作なので、もったいぶって浅野さんにも学校では聞かせていない。


「広臣ぃ、早くしないとムラムラしすぎた彩芽に襲われちまうぞ」


 椅子に座り、短パンからむき出しになった長い脚をテーブルに投げ出している菊乃が酒を飲みながら茶化してくる。


「菊乃さん……夕方から酒って、ダメな大人の典型みたいなことしてますね」


「いいだろぉ? 今日はオフだからな。後で晩酌配信なんだわ」


「配信するのにオフなんですか?」


「ゲームと違って酒飲みながらくっちゃべるだけだしな。ま、仕事って割り切って配信してるときつい時もあるからな。生活の一部にしとくのが気楽なんだわ」


「深いような浅いような話ですね……」


「うるへぇ! 早く聞かせろよ!」


 菊乃もムラムラし始めたらしいので、おしゃべりもそこそこにアイリス向けの曲を流す。


 ボイトレは母さんも「才能を感じる」と言ってはいたが数日で効果が出るほど甘いものでもない。だから、音痴とリズム感を最大限に活かす形でラップを中心に組み立てた。


「なんか……ぶりっ子みたいな歌い方だね。これ広臣君?」


 仮歌は俺の声だが、浅野さんがアイリスとして歌うことを想定しているので聞かせるのが若干恥ずかしい感じの可愛いぶりっ子な歌い方になっている。


 浅野さんの感想がツボに入ったのか、ほろ酔いの菊乃がゲラゲラと笑う。


「あっ……アイリスに合わせてるだけだぞ! あったほうがイメージ伝わるだろ」


「ま、まぁ、そうだよね。あははは……」


 浅野さんはぶりっ子の声の主が俺だと思うと色んな感情が立ち込めるのか、俺を直視せずに苦笑いに終止している。


「これ、歌詞な」


 歌詞を印刷した紙を浅野さんに渡すと、ペンを持って真剣な眼差しでアクセントをメモし始めた。ふざけてる時が多い浅野さんの貴重な真面目な瞬間。ぼーっとその横顔を見ていると、なんだか安心感を覚えるようになってきた。


 一回通して聞き終わると、浅野さんはヘッドホンをつけてインプットを始める。音源にノッているのか、小刻みに前後に体が揺れだした。


 俺と菊乃は暇なのでヘッドホンをつけた浅野さんの後ろ姿を眺める。


「あぁ……彩芽タソぉ……可愛いよぉ……かすかに揺れているあの細い髪の毛はいい匂いなんだろうなぁ。意外と背中は華奢なんだなぁ。はぁはぁ……む! ブラ紐が透けているじゃないか! 水色ですかな!?」


 隣で菊乃が野太い声で気味の悪いことを言い始める。


「なんなんですか……」


「お前の心の声を代弁してやったんだよ」


「そんな話し方しないじゃないですか……」


 菊乃はヒヒヒと引き笑いをして顔を近づけてくる。既にかなり酒臭いのだが、これで晩酌配信なんて出来るのかと心配になる程だ。


「さっき彩芽の横顔ガン見してたろ? どうなんだよ。あんな可愛い女子と毎日一緒にいたら好きになるだろぉ? な?」


「なっ……ならないですよ!」


「なんでだよ……まっ、まさか広臣。お前……年上好きなのか? 彩芽はガキっぽいところがいいんだろうが。分かってねぇなぁ」


「勝手に人を熟女好きに仕立てないでください」


「熟女なんて言ってねぇだろ。ちなみに私はどうなんだよ? 今年で二十四だぞ? 大人の魅力、出てるだろ?」


 菊乃は脚を何度も組み替えながら艶めかしさをアピールしてくる。面倒くさいタイプの酔っぱらいらしい。母さんの絡み酒のほうが何倍もマシと思えてくる。


「はいはい。そうですね」


「広臣ぃ。そんな冷たくあしらうなってぇ。ほれほれ、触ってみろよ」


 菊乃が足を伸ばして、椅子に座っている俺のももの上に乗せてくる。自信満々に触れと言うだけあって、光を反射して輝く肌は確かに熟女呼ばわりは失礼だったと思わされる。


「今ならバレねぇぞ。彩芽、集中してっからな」


 菊乃がさっさと触れという感じで足をももにすりつけてくる。浅野さんは尚もヘッドホンをつけてインプットに集中している。音漏れの様子からして俺達の声はかけらも聞こえていないだろう。生唾を飲み込み、グッと衝動を抑え込む。


 とはいえ、浅野さんにバレたところで何も後ろめたいことはなかった。菊乃も良いと言っているのだし、触っても何も問題ないはずだ。


 手を伸ばし、脛のあたりをさする。ドヤ顔で勧めてくるだけのことはあり、手で幸せを感じる程に滑らかな肌感だ。


「すごいですね……」


「だろぉ?」


 綺麗に塗られた爪の方向とは逆、膝の方へ手が滑っていく。菊乃の顔を見ると、酔っているのか赤面している。


 それでも止めては来ないので、徐々に肉のついた腿の方へ手が進む。指がめり込むようになってきて、感触もこっちのほうが好みだ。


「あっ……ちょ……」


 菊乃から妙に艶めかしい声がしたので我に返る。


「あ……すみません。つい……」


「いやまぁ……ひっ――」


 菊乃が小さく悲鳴を上げ、足を引き上げていく。


「もう少しいいじゃないですか。なんでそんな――」


「広臣君」


 背後からこれまでに聞いたことがないほどに低い声がする。あまりの恐怖で振り返ることができない。


「あ……浅野さん? 曲のインプットはもう終わったのか? 早かったな」


「うん、もう完璧。歌詞が素敵。だけど受け入れられない、君の性癖」


「きゅっ……急に韻を踏み出してどうしたんだよ」


「いやぁ……広臣君がまさか菊乃に手を出してるなんて思わなかったからさ。文字通り手が出てたよね。バッチリ見たよ、うん」


「あ……わ、私はそろそろ配信の準備があるから行くな。そ、それじゃ……」


 菊乃は大人気なく俺を見捨ててさっさと部屋から逃げていく。


 静寂の中、壁だけを見つめてやりすごそうとしたが、背後にいる浅野さんも一向に動く気配がない。


 意を決して振り返ると、浅野さんはいつもと同じ表情で立っていた。いっそ怒っている方がやりやすいくらいだ。


「いや……まぁ、でもあれだろ。おっ、俺が菊乃の足を触ってたからって、なにか迷惑かけたか?」


「かけたよ。迷惑」


 浅野さんは少しだけ笑う。


「何だよ」


「何ていうのかな。心がざわついたんだよね」


 心臓がドクンと跳ねる。それはつまり、嫉妬したということだ。なぜ俺が菊乃と仲良くしていると嫉妬するのか。それを聞くのは憚られる。


「そっ……それは大変だな」


「うん、大変なんだ」


 浅野さんはそう言うと顔を赤くして俯く。


「だから……その……えぇと……わっ、私の足でどうかな?」


 そう言って少しだけスカートの裾をたくしあげる。菊乃よりは太いが健康的な形の腿が顕になった。さすがに直視できず顔を逸らす。


「ちょ……いや……これはダメだろ……」


「ダメじゃないよ。ダメな理由がないからね」


 本人の承諾はある。密室だし誰に見られるわけでもない。誰かを裏切るわけでもない。確かに触らない理由がない。


「じゃ……じゃあ、触るぞ。本当にいいのか?」


「いっ……いいけど……他の人は嫌……かも……」


 他の人に触られるのが嫌なのか、俺が他の人を触るのが嫌なのか。どちらとも取れるが話の流れ的には後者だろう。


 一度深呼吸をして、浅野さんの足に手をのばす。


 あと少しで触れられそう、というところでスタジオの扉が開き、菊乃が入ってきた。


「広臣ぃ、そういえばサクラが前に顔出したときにお前に渡せって……何やってんだ? エロい事なら混ぜろよなぁ」


 酔っぱらいの菊乃が最悪なタイミングで乱入してきた。


「わっ……私、帰るね!」


 気まずそうな顔をして浅野さんは荷物を持って部屋から出ていく。


「あっ……」


「おぉ……もしかして私最悪なタイミングで戻って来たか?」


「いや……どうでしょう……むしろナイスセーブというか……」


 菊乃は普段からこんな感じなので少しのことでは後腐れがない。ただ、あのまま流されて浅野さんの足を触っていたらどうなっていたのだろう。なんとなく気まずさが残っていたかもしれない。


「若いねぇ……いやぁ、お前らが羨ましいよ。ずっと女子校だった私にゃ男なんて縁遠い話だったからなぁ」


「何の話ですか……」


「おぉ。そうだそうだ。これ、サクラからな。ちゃんと持って帰れよ」


 そこそこ大きな紙袋を渡される。ずっしりと重たい。


 箱に入っている何かのようだが、厳重に梱包されているので中身は推し量れない。箱と並んで一枚のメモ用紙が入っていた。丸っこい、可愛らしい字だ。


『約束してたデート用の機材です。楽しみましょうね』


 デートに機材なんてものが必要だとは聞いたことがない。


 とはいえ受け取らないわけにもいかないので、重たい機材を引っさげて家に向かう。


 道すがら、サクラちゃんにメッセージを送る。


『スタジオで機材受け取りました。これ、何に使うんですか?』


 返事はすぐに来た。


『秘密です。ただ、今日は少し体調が悪くて……また良くなったらそれでデートしましょうね』


『大丈夫ですか? 風邪?』


 体調の悪そうなスタンプが送られてくる。あまり長いことやりとりするのも悪いので、『お大事に』とだけ送って、家に向かうのだった。

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