第26話
パンケーキを食べて、デートは終了。母さんを待たせているので俺の家へ向かうことになった。
デートの後に家に招くなんてそれなりにドキドキするシチュエーションのはずなのだが、隣にいる浅野さんの緊張は俺の比ではないらしく、ずっと「うぅ」とか「あぁ」とか声を漏らしている。
「やめとくか? 次の路地を曲がったらもう着くぞ」
「うぅ……行くよぉ。だ、大丈夫かな? 広臣君のお母さん、厳しかったりする?」
「まぁ……話した通りだよ。デリカシーはないから物言いはキツイかもな」
「そうだよねぇ……広臣君そっくりだよ」
「俺は優しいだろ。それに逆だよ。俺が母さんに似てるんだ」
「似てるのは認めるんだね。では意外と優しい広臣君、お願いをしてもいいかな?」
妙に演技がかった態度で浅野さんが言う。
「なんだ?」
浅野さんは顔を赤くして俯く。
「えぇとだねぇ……そのぉ……緊張してるから、手……繋いでほしいな」
「もう家はそこだぞ……近所の人に見られたらどうすんだよ……」
「大丈夫だよぉ! そこまで! そこまででいいからさぁ!」
近所の人に見られたら色々と面倒くさそうだ。
だが、浅野さんが駄々をこねると声が通るのでその方が面倒が多そうにも思えた。
幸いにも無意識に何度も繋いだりしているので抵抗は少ない。無言で手を差し出すと、浅野さんはギュッと手を握りしめてきた。
改めて宣言した上で手を繋ぐとやけに手のひらの柔らかさや肌のすべすべ加減に意識が向く。それと、やけにぬるぬるというか、水っぽい。
俺が驚いて浅野さんを見ると、目を合わせてきた浅野さんはニシシと笑う。
「すごいでしょ? 手汗」
手汗から逃さないとばかりに浅野さんは手をギュッと握ってくる。
「そっ、そんなに握るなよ」
「広臣君の手を私の汗でヌルヌルにしてやろう」
「なんだよそれ……」
適当に浅野さんをいなしながら手を繋きっぱなしで歩く。
もう目前まで来ていたのですぐに家の前に到着した。
「ふぅ……こっ、これが家!? お城じゃん!」
地面を見ていた浅野さんはレンガ造りの我が家を見て驚く。うちは音楽一家で父さんも著名な音楽家。だから家もそれなりの広さだ。防音室や仕事部屋が大半だけど。
「これ……メイドさんとかいそうだよね」
「いや……まぁ、いるっちゃいるかな。メイド服は着てないしただの掃除のおばちゃんだぞ」
「それは夢が崩れるなぁ。ねぇ、レッスン終わったら部屋に遊びに行ってもいいかな?」
「お……おう」
予想通りの質問だった。サクラちゃんグッズはお手伝いさんと二人で片付ければ間に合うだろう。
「やったぁ! 待っててね! 緊張するけど、これでレッスン頑張れるよ」
俺の部屋に入るだけでそんなにモチベーションに繋がるのかと驚く。もしかすると既に痛部屋なことがバレていて、それを見に行く前提なのかもしれない。
機嫌が一際良くなった浅野さんを連れて家に入る。リビングに向かうと、母さんは優雅に紅茶を飲みながら待っていた。
「彩芽ちゃん、いらっしゃい。マザコンもおかえり。早かったのね。ホテルで休憩とかしてないの?」
「それ、絶対に高校生に聞くことじゃないからな」
「知ってるわよ。それに、仮に高校生じゃなくても息子とその友達にかける言葉ではないわね」
「分かってるなら尚更聞くなって!」
母さんは常識がないのではなく、常識を持った上でそれを飛び越えているのでたちが悪い。
さすがに浅野さんも引いているだろうと思い横目に見る。浅野さんも俺の方を見てきていたので、不意に目があう。浅野さんはニィと口を横に引いて笑いかけてきた。
「ホテルかぁ……広臣君、懐かしいね」
母さんを超える浅野さんの爆弾発言に空気が凍る。
「なっ……何のことだ!?」
「ひっ、広臣! ちゃんと避妊はしてるのよね!? 今の高校生ってそんなに乱れてるわけ!?」
「あ……あれだよぉ。前にスタジ……遊びに行って帰る時に間違えて変な通りに入っちゃったことあったじゃんかぁ」
「うん? あぁ! あったな! うん、あったあった」
本当に記憶の片隅から引っ張り出してきて合点がいっただけなのに、スタジオとか言いかけて止めるので変な誤魔化し方をしている風になり、母さんの疑いの目がより強くなる。
「いやまぁ……あんま変なことしないでよ。広臣、アンタが率先して守るのよ。その場の空気に流されないようにね」
母さんは明らかに俺と浅野さんがセフレか何かいかがわしい関係だと勘違いしている目で俺たちを見てくる。
「ほっ、本当に違うからな! 浅野さんとはそういうのじゃ……な!」
事の発端は浅野さんなのになぜか俺のほうが誤解を解くのに必死だ。母さんはまっすぐに浅野さんの隣に来て背中に手を添える。
「さ、彩芽ちゃん、レッスンに行きましょうか。広臣の話も聞かせて頂戴ね」
「あ……はっ、はい! お願いします!」
レッスンはほとんど脇役で、単に密室での聞き取り調査が始まるだけな気もしなくもない。
そんなわけで母さんの先導で浅野さんはレッスン部屋へ連行されていった。
◆
部屋の片付けを済ませ、リビングでソファに寝そべりくつろいでいると、母さんが戻ってきた。家に戻ってきてから三時間くらいだ。かなりみっちりとレッスンをしたようだ。
「ん? 浅野さんは?」
「帰ったわよ」
コップに水を注ぎながら母さんが答える。
「な……そうなのか」
「さっきの話、冗談だったみたいね。びっくりしたわ。でも可愛い性格してるわね。結局ただのクラスメイトじゃないの? やけに残念そうじゃない?」
浅野さんはきちんと説明をしたようで、母さんの誤解は解けたらしい。
「そうだけど……一応約束してたからな」
「多分私が力を使い果たさせちゃったのね。広臣の話は大して面白くないし、ほとんどレッスンだったから。ヘロヘロになりながら帰っていったわよ」
母さんの厳しいレッスンでフラフラになりながら家路につく浅野さんを思うと可愛そうで仕方がない。それも本人のためではあるのだけど。
「それで続くのか? 嫌になって来なくなったらどうするんだよ」
「続けるって言ってたわよ。教え甲斐があるし無料で見てあげるって言ったら目を輝かせてたし」
「無料って……サービスいいんだな」
「息子の彼女候補だしねぇ。これから週に二回も家に来るのよ? チャンス作ってあげたんだから上手いことやりなさいよ」
「だからそういうのじゃねぇよ……」
「向こうはそういうのかもしれないけどね。これは女の勘だけど」
「なっ……そうなのか?」
「自分で聞いてみればいいじゃない。『俺のこと好きなのか?』って」
「どうせ騙そうとしてるんだろ」
母さんは何も答えずにそこでやり取りを打ち切るとリビングから出ていく。
浅野さんが俺のことが好き。そんな事あるわけがない。単なるオタクとスクールカースト上位の陽キャなのだから。
「ま、そんなことないよなぁ……」
やることもなくなり、携帯を見ると五条アイリスのアカウントからDMが来ていた。
『レッスン激しすぎてヘロヘロで帰ります……また今度お部屋見せてね! 絶対だよ!』
よっぽど母さんにしごかれたのだろう。
『おつかれ。来るときは事前に教えてくれよ』
返事をするとすぐに浅野さんからの返事が来る。
『大丈夫大丈夫! エロいもの探したりとかしないし』
エロいものはないけれど、サクラちゃん一色の部屋なので探す手間はゼロで色々と見つかるだろう。
ニシシと笑いながら冗談を言う浅野さんを思い浮かべると、今日のデートは意外と楽しかった、なんて思い出してしまうのだった。
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