第21話

 歌の練習のため、いつものようにvHolicのスタジオへ連行された。


 とりあえずリビングへ行くと、菊乃がソファにだらしない格好で横になっていた。


「菊乃、ただいま」


「おう! 彩芽ぇ! 広臣もおかえり」


 反対向きに首をダランと垂らしてこちらを見ながら挨拶してきた。


「別にここが家じゃないですから……」


「ヒッヒ! 素直じゃねぇなあ」


 菊乃は長い脚を揃えて振り子のように上から振り下ろし、ソファから立ち上がる。


 分かってはいたが、相変わらず見上げる程の背の高さだ。


「菊乃! 聞いてよ! 広臣君ね、もう曲を完成させてくれたんだよ!」


 一瞬だけ驚いた顔をする菊乃だが、すぐに「ははーん」と言ってニヤニヤしだす。


「私を二人して騙そうって訳か。高校生なんかの浅知恵に天才の私が騙されるわけないんだよなぁ」


「ほっ、本当だって! 作詞もしてくれてるんだよ」


「あーはいはい。嘘乙。二日だか三日だかでそんな作れるわけねぇだろ」


 浅野さんは頬をプクぅと膨らませると、自分のイヤホンを取り出す。


 菊乃に近寄ると、背伸びをしてそのイヤホンを菊乃の耳に差し込んだ。


「広臣君、やっておしまいなさい! 最大音量だよ!」


「任せろ」


 息のあったコンビネーションで携帯にイヤホンを差し込み仮歌付きのデモ音源を流す。


 最初は冗談に付き合ってやっているという体でニヤニヤしていた菊乃だが、イントロが終わったくらいで顔つきが変わる。


「お……おま……これ、マジもんか?」


 今度は俺がニヤニヤ顔で返す番。


 豆鉄砲を食らったような顔でイヤホンを外すと俺を見下ろしてくる。


「こっ、これ、私の曲だよな?」


「残念でした。アイリス用だよ」


 隣からひょこっと浅野さんが割って入る。


「うわぁ……マジかよ。仕方ないけど、これ歌えんのか?」


「がっ、頑張るもん! そのために今日は広臣君を呼んだんだし」


 二人で盛り上がっているのを横目に見ていると、菊乃がニヤニヤしながら俺を見てきた。


「そういえば広臣は彩芽の歌聞いたことあんのか?」


「いや……ないですけど……アイリスって歌枠は全くしないですよね」


 カラオケに行くくらいだし歌うのは好きなのだろうけど、なんだか嫌な予感のする流れだ。


「ま、そうだよなぁ。じゃ、スタジオに行ってみっか」


 ◆


 連れてこられたのは菊乃の配信部屋。七尺セントレアは歌も上手でよく歌ばかり歌う配信をやっているので、機材の充実ぶりも納得の状況だった。


 プロが収録に使いそうなガラス張りのミキサー部屋から菊乃がマイク越しに指示を出す。


「ほら、歌ってみ」


 菊乃にけしかけられた浅野さんガラスの向こうでヘッドホンをつけ、菊乃用にえらく高いところにセッティングされたマイクを自分の口元まで降ろす。


 浅野さんヘッドホンをつけた横顔がとても綺麗なことに不意に気づく。本題を忘れて何故か魅入ってしまった。


「おーい。広臣がエロい目で見てんぞ」


「み、見てないですって!」


 菊乃のマイクが拾うように慌てて大声で制する。


 浅野さんはこっちを向いてニッコリと笑うとサムズアップで答えてくれた。


「じゃ、流すぞー」


 菊乃の合図で俺の曲が流れ始める。


 浅野さんも目を瞑り、自分の入るタイミングを見計らう。


 イントロが終わり、浅野さんの歌が入ると途端に目眩で頭を抱えそうになった。


 しっかりと張った声での不協和音。自信なさげに歌ってくれたほうがまだ可愛げがある程に音痴だ。


 菊乃は腹を抱えて笑いながら、自分のマイクをミュートにする。


 浅野さんは目の前のマイクに集中しているので菊乃が笑い、俺が頭を抱えていることには気づかない。


「ヒッヒッヒ! すげぇだろ?」


 菊乃が笑い涙を拭いながら俺を見てくる。


「いや……想像してませんでしたよ……サクラちゃんもセントレア……菊乃さんも歌が上手いので、そこと落差が出ないように結構難しめに作ったんですよね」


「ま、そういうことだ。でも可愛いよなぁ。必死に歌ってるんだぞ」


 菊乃はお姉さんみたいな目で浅野さんを見ている。俺はクラスメイトの女子として、今更ながら浅野さんの可愛さに気づいてしまったようで、声を張るたびに見える前歯にすらときめいてしまう。


「まぁ……可愛いですね」


「おぉ!? ちょちょ! お前まじかよ!」


「なっ、何がですか?」


「今の声、完全に恋する男子だったぞ」


「い……いやいやいや! そっ、そんなわけないじゃないですか!」


「あぁ……こりゃサクラが泣いちゃうなぁ……」


「だから違いますって!」


 浅野さんの歌、もとい、呪詛の言葉をそっちのけで二人で話していると、曲が終わっていた。


「ど……どうだったかな?」


 浅野さんは「やりきった」と言わんばかりの上気した顔でガラス越しにこちらを見てくる。


「良かったぞ。こっちに戻ってこいよ」


 菊乃が呼び込むと、重たい扉を開けて浅野さんがヒョコヒョコと戻ってきた。


 その緩んだ顔はまるで拍手喝采、スタンディングオベーションで迎えられることを前提とした顔に見える。


「良かったぞ。さすが彩芽だな」


 菊乃はヒッヒと笑いながら褒める。ここまで酷いと事実を伝えたところでどうしようもない気はする。


 だが、友達に嘘はなしだ。


「浅野さん……カラオケとか、普段って周りはどんな反応なんだ?」


「え? 普通だよ。別にうまいとは言われたことはないけど」


 目をパチクリとさせて答える浅野さんを見ていると心が痛まないでもない。だが、この曲の生みの親として、友人として、五条アイリスのリスナーとして、このまま収録に突き進む事を止めるべきだと思った。


「浅野さん……あのさ……ちょ……ちょっと音程がズレてた……かな?」


 ビシッと「君は音痴だ」だなんて言うこともできず、モゴモゴとそう言うと浅野さんは「えぇ!?」と悲鳴を上げる。


「おっ……音痴ってこと!? 私が!?」


 露ほども思っていなかった言葉なのだろう。純度百パーセントの驚きが顔ににじみ出ている。


「いやぁ……とうとう気づいてしまったか、彩芽よ」


 さっきまで笑っていた菊乃が真面目なトーンで俺の肩に腕を載せて入ってくる。


「彩芽、私と勝負しないか? 広臣をかけてな」


「ん? 俺? 何でですか?」


 隣にいる菊乃を見上げる。


「彩芽、ちょっと内緒話するから向こう行っててくれ」


 ニヤリと笑って手を振り浅野さんをまたガラス張りの部屋に行かせる。ドアが閉まった途端に菊乃が口を開いた。


「彩芽のこと好きなんだろ? 協力してやるよ」


「なっ……ち、違いますよ!」


「いーや。私の直感は当たるんだよ。間違いないな」


「その本人が否定してるんだから外れは確定なんですけどね」


「さっきのお前の声、もうガチ恋のそれだったけどな。とにかく私に任せとけって。大人だぞ? 高校生なんて私の言うとおりにやればイチコロだよ」


「高校生に向かって『大人だぞ』なんてマウントダサすぎますよ……」


「いちいち細けえこと気にすんなって。それに、私も欲しいんだよ」


 菊乃が目を細めて俺を見てくる。まさか、そんなことがあるのだろうか。


「いっ……いやいや! 俺はサクラちゃん一筋ですし……そっ、それに年の差も……」


 ドギマギしながら距離を取ると長い腕が伸びてきて頭を叩かれる。


「アホ。曲のことだよ。あれ、私にくれないか?」


「そっ……それは……」


 七尺セントレアで出したほうが確実に伸びる。それはもうこの時点でわかりきっている。


「歌の勝負にするから、今から彩芽と二人っきり、密室でたくさんレッスンつけてやってくれよな。私が勝てば歌は無駄にならないし、彩芽が勝てばあいつの広臣への気持ちはグイグイ上がるだろ? ウィンウィンだよ」


「二人共! 私を置いてけぼりにしないでほしいな。勝負って何をするの?」


 菊乃の与太話に付き合っているとジト目で歌用のマイクから浅野さんが声をかけてきた。菊乃が浅野さんの方へ向かうのでついていく。


「悪ぃな。彩芽、歌で勝負しようぜ。今から一時間後に歌ってみて、広臣にどっちが相応しいか判定してもらう。私が勝ったら広臣は私のものな。だから、あの曲も私のもの」


「かっ、勝てるわけ無いじゃん! 菊乃のほうが上手いのなんてわかりきってるんだし!」


「上手い下手じゃなくて、相応しいかどうかを選んでもらうから大丈夫だよ。それにこいつの仮歌も中々だったろ? 今から教えてもらえよ。じゃ、また後でな」


 ジャイアンのような理論を押し通した菊乃は圧倒的な強者感を出して去っていった。


 当の浅野さんを見ると、意外にも闘志を燃やしていた。


「ぜ……絶対に負けないから! 広臣君は渡さないからね! 練習、付き合ってくれるよね!?」


 並々ならぬやる気を見せる浅野さんの前で「もっと歌いやすい別の曲を作るよ」だなんて言えるわけがなかった。

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