第20話

 昼休憩が終わる直前、屋上から教室に戻る最中に浅野さんが腕を掴んで引き止めてきた。


「広臣君。ちょっといいかな?」


 こくりと頷くと、先を行っていた生駒さん達が冷やかしながらも教室に戻っていく。


 周囲に人がいない事を確認して浅野さんが口を開いた。


「あ、あのね! さっきのやつ……その……勢いで……」


「いっ、勢いっても本当のこと言えばいいだけだろ? 隠すこともないんだし」


「そ、それはほら! あれだよ! そのぉ……ほらほら! あれあれ! あのぉ……ね! これから広臣君は女子になりきらないといけないじゃんか。毎日私達とご飯を食べたり、話をする場に自然と入ってこられるポジションが必要だった訳!」


 浅野さんは無理矢理ロジックを組み立てて説明してくる。無茶苦茶な論理ではあるものの、見方によっては身を削り嘘をついてまで、トヨトミP女性匂わせ計画の成功に貢献しようとしているのだから、頭ごなしに否定もできない。


「まぁ……そういうことなら……」


「でしょでしょ!? 広臣君、キミは恋愛してる暇はないんだよ。ガンガン作曲してもらわないとだからね。私が彼女だと思われておくと、悪い虫もつかないわけ!」


「そんなことしなくても何もないけどな……」


「ま、それはどうだろうねぇ」


 浅野さんはニヤニヤ顔で俺から離れ、教室へ向かい始める。


「そういえば曲出来たぞ」


「えっ!?」


 声が耳に届いた瞬間、浅野さんはぐるりと回れ右をする。勢いが良すぎて腰の周りで気流が起こり、チラッと白い下着が見える。本来はすぐに駆け寄りたかったのだろうけど、慌ててスカートを抑えながら上目遣いで俺を見てくる。


「み……見てないぞ」


「その反応は見えた人がするものなんだよね……」


 無言で浅野さんの追求から顔をそらし肯定の態度を取る。浅野さんはまた思い出したように「あっ!」と声を出す。


「そんなことより曲だよ! 曲!」


 浅野さんに手を引かれるまま、さっき下ったばかりの屋上に繋がる階段に戻ってそこに座る。浅野さんは隣に座ってソワソワしながら俺が携帯を準備するのを待っている。


「俺のイヤホン、教室だぞ」


「あちゃあ……仕方ないから私のを貸してあげよう」


 そう言うと浅野さんは胸ポケットからグシャグシャに絡まったイヤホンを取り出した。


 丁寧に解くと俺の方にかなり近寄る形で前のめりになり、俺の携帯にイヤホンを突き刺す。


「はい、どうぞ」


 イヤホンの片割れを俺に渡してくる。


「お……おう」


「ささ! 早く早くぅ!」


 肩をパシパシと叩かれるので慌てて携帯を開く。


 昨日の夜は軽く作詞をして仮歌を入れた。後は浅野さんが覚えて歌えるようになればいつでも収録できる。


 少し驚かせたい気持ちもあり、浅野さんにはそのことを伝えずに曲を流した。俺の携帯から流れる電気信号がプラプラと揺れるイヤホンを伝い、二股に分岐して俺と浅野さんの耳に音を伝える。


 イントロの間は廊下を行き交う人を見ながらノリノリで聞いていた浅野さんだが、歌が始まると驚いた顔をして俺の方を向いてきた。


 口をパクパクさせながら、何かを言いたそうにしている。


「ん? どうしたんだ?」


「こ……これ……もう作詞したの? 完成してるじゃん」


「まぁな」


 こっぱずかしいので、冗談でどや顔をする。


「すごいすごい! ありがとう! これ私の曲なの!?」


 俺の冗談めかした照れ隠しのドヤ顔はきれいにスルーされる。


 そして、一拍おいてイヤホンを外すとハグをしてきた。


 柔らかい感触とか、髪の毛が当たってくすぐったいとかいい匂いがするとか、五感で浅野さんと密着していることを感じる。


 慌てて離れるも、廊下を行き交う人の何人かはしっかりと見ていたようで、ザワザワしながら去っていく様子が見えた。


 浅野さんはそんなことを気にせずにイヤホンに視線を落とし、その端を愛おしそうに握りしめる。


「本当に……ありがとう。広臣君」


「い……いいんだよ。そんな喜ぶことかよ。この曲を作ったら次は菊乃さん。その次にサクラちゃんだからな。早くサクラちゃんの曲を書きたいんだ」


「ふぅん……本当にサクラの事が好きなんだねぇ」


「いっ、いいだろ!」


「いいけどさぁ……ここは『お前のために徹夜したんだ』くらい言ってくれてもいいじゃんか。減る訳じゃないんだし、サクラにも言わないよぉ」


 俺の声まねではないが中性的な声でそう言う。浅野さんの声のバリエーションは本当に広い。地声とアイリスの声に加え、撫子や菊乃の声まねも出来るのだから器用なものだと思う。


「友達に嘘はダメらしいからな」


 浅野さんの言葉を引用すると、当の本人は階段ホールに響くほどの音量で笑う。


「こりゃ一本取られたなぁ……じゃあ、私も本音で言うね」


 そう言うと浅野さんは勢いよく両手を伸ばして俺の背後にある壁に手をつく。


 右も左も浅野さんの腕、前は浅野さんの身体、後ろは壁で逃げ場がない。


「こっ、これは……?」


 言葉では何も答えずに浅野さんは真っ直ぐに俺を見据える。


 チャイムが鳴っても動じず、ひたすらに瞬きだけを繰り返している。


 何分がそのまま過ぎたのか、結構な時間が経ったところで、そろそろ教室に戻らないとマズそうだと思い、腕の下をくぐって逃げようとすると浅野さんが口を開いた。


「付き合ってよ」


「は、はい!?」


「付き合って欲しいな、広臣君」


「そっ、それは嘘だろ!? 友達向けの」


 浅野さんは押し黙る。やけに俺に絡んでくるのはそういうことだったのだろうか。さすがに意識せざるを得ない状況で、心臓の鼓動が一段、また一段と早まっていく。 


 そんな簡単に「はい」と答えていいのだろうかと自問自答しながら瞬きを返す。


 すると、浅野さんは根負けしたようにフッと笑って拘束を解くと、一人だけ階段を一気に降りる。降りた先から俺を見上げながら「アッヒャッハ」といつもの癖の強い笑い方をしてみせた。


「練習だよ練習。歌の練習に付き合って欲しいって意味だからね! パンツとサクラのことが好きすぎることへの仕返し!」


 そう言ってあっかんべーをすると、一人で教室に走っていった。


「そりゃそうか……」


 残念がる自分と、当然だと慰める自分が両脇に出現して一斉に何かを言い始めた気分だ。


 浅野さんみたいな陽キャと俺みたいなオタクは本来なじまない水と油。たまたま裏の顔であるvTuberと俺の作曲活動がハマったから向こうから近づいてきただけ。


 いつまでこの関係が続くのかはわからないが、作曲が一段落したら話すことも少なくなるのだろう。


 やっぱり俺にはサクラちゃんしかいないのだと再確認して、人気のない廊下を歩き教室へ戻る――


「わっ!」


 物陰から出てきたのは先に戻ったはずの浅野さん。


 悪い意味で心臓がビクンと反応する。


「なっ、なんなんだよ……」


「アハハ……もう遅刻だし、どうせ怒られるなら二人の方がいいからね。それかジャンケンで負けたほうが後に戻る?」


「もう何でも一緒だろうよ」


「でしょでしょ!? だからここで隠れてたわけだよ。うん」


「じゃ、二人で戻るか」


「うん!」


 俺を置いて先に戻れば、俺だけが遅く戻ったことになるので放っておけばいいのにと思いながらも、待っていてくれた事への嬉しさでさっきの水と油だと一人でウジウジ考えていた事もどこかへ吹き飛んでしまった。


「広臣君、そういえば言い訳ってどうする?」


「別々にトイレに行ってたでいいんじゃないか?」


「女子にそんなこと言わせるのはダメだよ! もっとこう……いっそクラス中に付き合ってるって嘘ついちゃう?」


「ってことは、あのクラスには誰も友達がいないんだな」


「そうなの! 広臣君だけが友達なんだよぉ」


「お前ら……こんな時間まで楽しそうだな」


 冗談を言い合いながら歩いていると、後ろから大人の声が聞こえる。


「あ……せ、先生?」


 浅野さんと同時に振り返ると、次の授業を担当する先生が立っていた。ため息をつくと、俺に七割くらいの視線を注ぎながら告げる。


「お前ら……付き合いたてだからって人前でイチャつくのは程々にしとけよ。隠すなら遅くするんじゃなくてバラバラに教室に帰るもんだぞ。俺はちょっと腹が痛いから遅れるわ。教室にバラバラに戻ったら自習しとけって言っといてくれ」


 そう言って先生は教室とは反対の方向に向かっていく。


 浅野さんと目を見合わせ、助かった、という安堵の気持ちに包まれる。


「バラバラかぁ……どうする?」


「任せるぞ」


「じゃ、一緒に戻ろっか」


 浅野さんの提案で一緒に教室に戻る。


 浅野さんの友人たちは付き合っていることは言わなかったようで、自習を伝える浅野さんと共にクラス中の人から不思議な目を向けられるのだった。

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