第18話

 七尺セントレアのASMR配信について浅野さんから根掘り葉掘り聞かれたのだが、最低限マイクに見立てて実際に耳たぶを甘噛されたりしたことは黙っておいた。さすがにあれは菊乃の名誉のためにも黙っておくべきだろう。


 そんな訳でSNSでトヨトミPの中の人を女と思わせる方法については話す間もなく五条アイリスの配信時間となってしまった。


 さすがに邪魔はできないので慌てて準備をする浅野さんを置いて、一人でエレベータで天空の城と見紛うであろうタワマンを降っていく。


 エントランスから外に出て携帯を見ると、弾き語りのアカウントにDMが来ていた。サクラちゃんからだ。


『今日は夜の配信のあとにお話しませんか? 遅くなってごめんなさい!』


 サクラちゃんは俺との通話を楽しんでいるのだろうかと、ふと頭をよぎる。そもそもこの通話企画自体、浅野さんが勝手に決めたことだからだ。


 だけど、それは浅野さん、もといvHolicの四人で決めたことなのだから俺が口出しできる事でもない。


『分かりました! 眠くなかったらにしましょう!』


 そんな訳で無難に返事を返すに留める。


 アイリス向けの曲も仕上げないといけないし、レコード会社から作曲依頼のメールも来ていた。色々と溜まっていそうなので処理するのにちょうど良さそうだ。


 ◆


 家に帰るなり、サクラちゃんの配信を作業用BGMとして流しながら、別のモニターで作業を始めた。


 既に本編のゲーム配信は山場を超えたようで、ゆるゆるとコメントを拾いながら雑談半分の配信へ移行したようだ。


「えっ……ASMR!? レアがやってたの? 私、出来るかなぁ……照れて笑っちゃいそうなんだけどぉ」


 サクラちゃんの言葉に反応して手が止まる。レアというのは七尺セントレアのことだろう。


 菊乃は早速練習の成果を配信で披露したらしい。同じ箱だからなのか、サクラちゃんもやらないのか、とコメントで聞かれているみたいだ。


『サクラちゃんのASMR配信全裸待機!』


『百万円まで払うぞ』


『メンバーシップ入りました』


 次々とサクラちゃんのASMR配信を後押しするコメントが流れていく。


「うーん……いきなり一人は不安だからレアとコラボにしようかな? どうだろ? 需要あるかな」


 サッと配信サイトの方へマウスを動かし、カタカタとコメントを入力する。もちろんマックス上限の投げ銭付きだ。


『需要しかない』


「あ……フフッ。じゃ、練習してみようかな。皆、楽しみにしててね」


 こうなったら作業どころではない。サクラちゃんのASMR配信の日まで眠れるかも分からなくなってきた。


 シチュエーションだとかセリフだとかの妄想が止まらなくなり、この日の作業はここで打ち止めとなってしまった。


 ◆


 サクラちゃんの配信終了後、三十分くらいするといつものようにDMが飛んできた。


『お疲れさまです! お暇だったら少しお話しましょう!』


 すぐに『ぜひ!』と返信すると、サクラちゃんから通話がかかってきた。


「ひ、広臣さぁん……ASMR配信、断りきれなかったです……酷いですよぉ、赤スパで煽るなんて……」


 開口一番、サクラちゃんは配信の時の話を持ち出す。


 俺が投げ銭で目立たせるメッセージを送ったのが決め手になったと言いたいらしいが、コメントの流れ、リスナーの総意はサクラちゃんのASMRを待ち望んでいたことに間違いはない。


「まぁまぁ、でもみんな楽しみにしてますよ」


「うぅ……プレッシャーがすごいです……」


 顔を手で覆っているのかサクラちゃんの声がくぐもる。


「あ……ごめんなさい。嫌でしたか?」


「え! 全然そういうわけじゃないですよ! うん。そうです。練習あるのみですね」


 前向きな声が聞こえたので一安心する。ただ、練習という言葉で少し邪な気持ちがよぎった。菊乃と練習したように、サクラちゃんと二人っきりになれないだろうか、と。


「れっ、練習ですか。そういえば今日、菊乃の練習に付き合ったんですよ。スタジオで」


「ほっ、本当ですか!?」


「はい。良かったら俺が付き合いますよ」


「是非お願いします! 全然やったことなくて、普段から配信を見てくれてる広臣さんなら安心ですね」


 ちょくちょく俺がコメントをしているのはバレているみたいだ。さっきのASMR配信を後押しするコメントもすぐに俺だとわかったみたいだし。


「ハハ……まぁ頑張りましょう」


「とりあえずレアの配信を見てみましょうか」


 ブラウザを操作しているのか、カチカチとマイク越しにクリック音がする。


 モニターにはサクラちゃんのデスクトップ、そして七尺セントレアの配信画面が映り、サクラちゃんが適当に動画のシークバーをずらした。


 過激なところに飛んだようで、何やらヌチョヌチョと音がしている。


『どうですか? 気持ち良いですの?』


 俺との練習のときよりも気合の入ったセントレアの吐息多めのウィスパーボイスが流れた。 


「こっ……これ……うわうわうわ。これは……恥ずかしいですよぉ……」


 サクラちゃんは蚊の鳴くような声で感想を述べる。


「菊乃も最初照れて笑っちゃってましたよ。俺をマイクに見立てて練習したら慣れたみたいで、ここまでやれるようになってますけどね」


「まっ、マイクに見立てる!? そんなの聞いてなっ……そんなことしたんですか!?」


 サクラちゃんが悲鳴とも歓声ともとれる甲高い声を出す。配信中にも聞いたことがないタイプの声だ。


 聞いてないと驚いているが、裏で菊乃か浅野さんからでも聞いたのだろう。


「いっ、いや、ほんの少しですよ。本当にちょっとですから」


「ぐっ、具体的にはどんなことを? どうすればこんなエッチいやつを照れずにできるようになるんですか? 広臣さん、教えて下さい!」


「あっ……えぇと……その……」


「教えて下さい!!! さっき練習に付き合ってくれって言ってたじゃないですか」


「わ、分かりました……」


「やった! ありがとうございます! 機材の準備をするのでまた今度一緒にしましょうね!」


 サクラちゃんがかなり声を張っても一切音割れしないし、声質もクリア。さすがの機材と配信者スキルだと感動できたのも束の間。


 普通のASMRならまだしも、菊乃のように台本を用意してやるのだろうし色々と妄想は膨らむものの、いざサクラちゃんと一対一のエッチいASMRをやるとなったら耐えられるのか不安になりながら、通話を続けるのだった。

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