第17話
家に入り、廊下の一番手前にある部屋に通される。
部屋の中は配信用のパソコンなんかの機材が所狭しと並べられている部分と、ベッドにローテーブルと普通の部屋のような部分がくっきりと別れている。
「すげぇな……」
「一人っ子だからね、こんなもんだよ」
クッションとベッドを背もたれにして座ると浅野さんはお茶を取りに行った。
無理矢理息を止めるくらいの勢いで我慢していたのだが、ここで鼻呼吸を再開する。
女子の部屋なんて入ったことがないので、異世界とほぼ同じ。なぜだが花のような匂いがするのでクラクラしてくるほどだ。
浅野さんはすぐにお茶を持って戻ってくる。
テーブルにお茶を置くと、身体が触れるか触れないかくらいの距離感でベッドを背もたれにして座ってきた。
少し離れるとまた少し近づいてくる。
「だからそれ逆だろ。なんで浅野さんががっつく側なんだよ」
「彩芽だよ。名前で呼んでくれるまで近づくやめないからね」
「いや……まぁ俺はなんの損もないからこのままでいいけどよ」
浅野さんは笑いながら後頭部をかく。
「アハハ……バレてたか。それよりさ、デモ音源聞かせてよ。授業中だけじゃ足りなかったんだよね」
「いいぞ、ほら」
携帯と接続したイヤホンを渡すと浅野さんは唇を噛みしめながらデモ音源を聞き始めた。
「いやぁ……ここ良いんだよねぇ……」
俺はイヤホンをしていないのでどの部分なのかはわからないのだが、浅野さんはしみじみと首を縦に振る。
「ちょちょ! 今のとこ! 戻したい!」
浅野さんは俺から携帯をひったくり、スクロールバーを操作して自分のお気に入りのパートを何度も再生している。
「うはぁ……ここたまんないねぇ」
何度も同じところをループさせ、フレーズを聞いては身体を飛び跳ねさせている。キャッキャとしていて可愛いのだけど、飛び跳ねるたびに胸がぷるんと揺れるのが目に毒だ。
あまり直視するのも良くないので部屋の中を見渡すことにした。
配信スペースの機材はよくよく見るとどれも一級品だ。プロの録音現場で使われているものばかりで、さすがだと思わされる。
「え……ひ、広臣君!? これ……」
俺の携帯をいじっていた浅野さんが驚いた声を出して俺に画面を向けてきた。
そこに表示されていたのはホーム画面。撫子に言われるがままに良く分からないアプリを入れたのだが、浅野さんはそれを指さしている。
「そっか……広臣君、彼女いたんだ……」
今にも泣き出しそうなくらいに落ち込んだ様子で浅野さんが声を絞り出す。
「なっ、なんでそういうことになるんだ?」
「そりゃ……こんなの入れてるんだからさ。広臣君が女の子の可能性と彼女がいる可能性なら後者のほうが高いよ……そうだったんだ……」
前者の可能性が頭をよぎるだけでも撫子の戦略が的外れでは無かったことが証明されてしまった。
「ち、違うぞ! 彼女はいない! 大体、教室でほとんど人と話をしないし友達もいない俺に彼女なんて居るわけ無いだろ」
「うーん……それもそっか」
浅野さんはすぐに納得する。自分を下げまくって擁護しているので身を削っているのは否めない。
「あ! でも今のはちょっとだけ違うかな」
パン、と両手を合わせると俺の方をしっかりとした目で見てくる。
「友達、いるじゃん。私がさ」
糸のように目を細くして笑いながらそう言われると、照れて何も言えなくなる。あまりの浅野さんの笑顔の神々しさに後光が差しているように見える。
「あっ……いや……そっ、そうだよな」
「そうそう! マブだよ、マブ。お昼ごはんも一緒に食べて、放課後にファミレスで遊んで、夜まで一緒で、家にも来てるんだしさ!」
浅野さんの言うところのマブと恋人の線引が分からないが、ホイホイとマブを増やせるような密度でもないだろうし少し安心する。なぜ安心するのかはわからないけど。
「あれ? でもそうなると広臣君があのアプリを入れてたのは彼女がいるからじゃないんだよね? つまり……広臣君って女の子だったの!?」
明後日の方向に広がり続ける浅野ワールド。すぐに否定してもいいのだが、少しだけ乗っかってみることにした。
「そうなんだ。実はな、俺は女なんだよ」
「そ、そうだったんだ……男の子のふりをしているのって何か理由があるの?」
「いやまぁ……色々とな」
適当に濁すと浅野さんは気まずい空気にならないように気を使ったのか「フン!」と変な掛け声とともに立ち上がる。
そして、おもむろに制服のワイシャツのボタンを外し始めた。胸元が少しはだけてピンク色の下着が見えてしまい、床を這いながら浅野さんから離れる。
「どうしたの? 広臣君、女の子同士だからいいじゃん。これ暑くてさぁ」
浅野さんも俺と目線を合わせるように四つん這いになり、雌豹のように一歩ずつにじりよってくる。腕を内向きにして寄せた谷間を見せつけてくるので思わず見惚れそうになるが、無理矢理理性で首を曲げる。
「あっ……あっちで着替えてこいよ! そっ、それにほら! お、俺は男が恋愛対象なんだよ。な? ここまでにしとこうぜ」
壁際まで追い詰められ、逃げ場がなくなる。
浅野さんはそれでもグイグイと俺の方に迫ってくるので、すぐ目の前に顔がきて、そこでやっと停止した。
「どう? もっと見たい?」
浅野さんがワイシャツのボタンに指を引っ掛けて左右に揺らす。そこを開ければ全開で全部見えそうな勢いだ。
生唾を飲み込むと、理性は本能に負けてしまい、首は縦に動く。
「フフ。素直だね。可愛いけど、お預けかな」
「え……」
「だってガッツリエロい目で見てたじゃん。友達に嘘は無しだよ。広臣君」
浅野さんは頬を膨らませると、俺の額にチョップを入れて離れていく。
「な……実は女って嘘、バレてたのかよ」
「当たり前じゃんか。今回は私が一枚上手だったね」
ニシシと笑い、相変わらず床にへたり込んでいる俺に手を差し伸べてくる。
戸惑いながらもその手を取ると、しっかりと俺が立てるくらいには力を込めて引っ張り上げてくれた。
「ここまでするかよ……そんな見せていいもんじゃないだろ……」
「誰にでも見せるわけじゃないよ。それはそうだね。うん」
つまり俺は見せてもいい人。見せたい人とは違うのだろうけど、菊乃といい、浅野さんといい、俺のことを何だと思っているのだろう。
「ほんと……そのうち浅野さんまで俺をASMRの練習台にしそうだよな」
浅野さんの顔から穏やかな笑みが消える。
「ん? 浅野さん『まで』? 誰かとそんなことしてたの? もしかしてエッチなやつ!? 菊乃だ! 絶対そうだ! くぅ……今日の用事ってそれだったのかぁ……やられたぁ……」
浅野さんは一人で合点がいった様子で悔しがる。菊乃に俺を呼び出すように頼まれていたのは浅野さんだったのでそこと繋がったのだろう。
「たっ、大したことはしてないぞ」
「嘘はナシだよ。広臣君!」
キラキラとした目で俺を見てくるので誤魔化しもきかないだろう。
「え……えぇと……結構エロかった……」
浅野さんは喉の奥から超音波のような悲鳴を上げる。
流れからして怒るのかと思ったが浅野さんは俺の両手を力強く掴み、目をさらに輝かせる。
「ぜっ、是非詳しい体験談を聞かせて欲しいな!」
「え?」
「セントレアのエッチいASMRってことでしょ!? いつ配信でやるの!? 待てないんだけど! 話だけでも聞かせてよぉ!」
浅野さんの興味は七尺セントレアのASMR配信に移ったらしい。この反応からして、菊乃はこれを見抜いていたから敢えて浅野さんを対象にしなかったのだろう。
そこから根掘り葉掘り聞かれるままに何をしたか答える度、浅野さんは身体を仰け反らせながら俺の話を聞いていたのだった。
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