第16話
菊乃や撫子と話していると意外と時間が経っていたようで、既に日が傾きかけていた。繁華街の賑わいもここに来たときよりも増してきている。
浅野さんはすぐに駆け足でやってきた。
少し乱れた前髪を手櫛で直すと目の前にいるのに手を振ってくる。
「やぁ! お待たせしたね」
「あ……いや、大丈夫」
ふと、カップルの待ち合わせみたいだと思ってしまい、照れて一瞬だけ目をそらす。浅野さんはそんなことは気にせずグイグイと俺との物理的な距離を詰めてくる。
「良かった良かった。どこ行こっか?」
「用事があるわけじゃないのか?」
「無いよ。暇なだけだからね」
なら家に帰ればいいのにと言いたくなるがぐっと言葉を飲み込む。
「俺はどこでもいいぞ」
「こういう時は何か提案してほしいんだなぁ。どう? ゲーセン行く? それともカラオケ? ラウワンで全マシ? さぁどうする!?」
寝不足気味かつ、ASMRで若干リラックスもしたのでカラオケ帰りでハイテンションな浅野さんにはまだついていけない。
どうしたものかと悩んでいると、浅野さんはニッコリと笑って俺の手を取る。
「じゃ、ラウワンだね。行こっか」
「あ……おう」
方向も分からないまま浅野さんの歩くペースに合わせる振りをして道案内をしてもらうことにした。
じんわりと手に汗をかいてきたのだが、浅野さんは一向に離してくれない。これだから陽キャは怖い。
◆
ラウワンに向かう途中、道路に面したゲームセンターの中を見ていた浅野さんが立ち止まる。
「どうしたんだ?」
「ねぇ、あれあれ!」
浅野さんはピョンピョンと飛び跳ねかねない勢いでUFOキャッチャーの筐体へ向かう。
プライズとして置かれていたのはvHolicの四人、九十九サクラ、五条アイリス、七尺セントレア、二島クラベルのぬいぐるみだ。
飾る以外の用途は無いのだろうけど、一つ一つが大きめの枕くらいあるので、一人に対して一つで箱はパンパンだ。
「こんなのあったんだな」
「おやおや、推しの事なのに知らないのかい?」
浅野さんがニヤニヤしながら俺の方を見てくる。
「何でも知ってるわけじゃないからな」
「そりゃそうだね。じゃあ……もっと知りたい? サクラのこと」
筐体の中に寝そべっているデフォルメされたサクラちゃんを見ながら浅野さんが尋ねてくる。
「そっ、そりゃ……でも、き、今日も話せるしな」
「その気持ち、私も味わってみたいよ。毎日推しとこっそり通話なんてさ。ねぇ広臣君。これ、取ってよ」
「サクラちゃんか?」
「違うよぉ! わ、た、し! アイリスを取って欲しいんだって」
浅野さんは自分とアイリスの人形を交互に指さしながらそう言う。
「いや俺……こういうの苦手なんだよなぁ……」
「大丈夫だよ」
浅野さんは俺を少し屈ませると、耳に手を添えてくる。
「後ろに店員さんがいるでしょ? 高校生カップルの彼氏が彼女のためにいいとこ見せようとしてる風にすればいいんだって。千円くらい入れれば取りやすいところに移動してくれるよ」
セントレアのウィスパーボイスも良かったのだが、浅野さんの声質で囁かれると何でも従ってしまいそうになる。
「それ……出来レースじゃねぇかよ」
俺が渋っていると、浅野さんは筐体の横に回り込む。
「はうぅ……狭いよぉ。広臣君助けてぇ……」
筐体の陰からアイリスの声で浅野さんが助けを求めてきた。少し恥ずかしいので浅野さんの腕を引っ張って筐体の前に戻す。
「やっ、やめとけって。どこで身バレするか分かんないだろ」
「それならそれで本望だよ。どーんとこいだね」
そこまでしてUFOキャッチャーをやらせたいのかと不思議に思いながらも交通ICカードを取り出して筐体に取り付けられた読み取り機にかざす。
残高は五千円ほど。使い切らずに取れるだろう。
◆
「だぁぁぁ! 取れねぇ……」
残機がなくなったのでまたICカードをかざす。残高は五百円まで減っていた。
アイリスの人形はゴール手前でピクリとも動かない。
「これ、難しいんですよ。少し調整しましょうか?」
横から店員が入ってきた。浅野さんは千円くらいと言っていたが、その四倍は使わされた気がする。
「お、お願いします」
店員が手慣れた手付きでガラスの壁を開けて、アイリスの人形をセットし直す。
「この人形は足が太いのでそこが狙い目ですよ」
「なるほど……」
横目に浅野さんを見ると、自分の足が太いと言われたのと同じくらいに頬を膨らませている。店員が去ると「私は太くないもん」とボソッと呟いた。
「キャラはキャラだろ」
「そうだけどさ、やっぱり私はアイリスで、アイリスは私なんだよ」
浅野さんはガラスの壁に手を当て、その向こうにいるアイリスがまるで生き別れた兄弟かのように切なそうに見つめている。
「とりあえず足を狙えばいいんだよな。やってみるか」
アドバイス通りに足を掴むようにアームを降ろす。デフォルメされたアイリスの太い足をグッとホールドすると、そのまま逆立ちするように持ち上げて一回転。見事に一発で穴に落とした。
「よっしゃぁ!」
かなり苦労したので達成感もひとしおだ。
「おぉ! すごいすごい!」
浅野さんはさっと屈んで取り出し口からアイリスを救出する。
立ち上がると、俺の方に顔を向け愛おしそうに胸のところで抱きしめている。
「広臣君、助けてくれてありがと」
またアイリスの声でアテレコを始める。
「だからアイリスの声を出すのはやめとけって」
「分かってる。でも、すっごく嬉しいんだ!」
太陽のように笑う浅野さんを見ていると、色々と理不尽な注文だとかこの筐体にいくら金を吸われたかなんてどうでも良くなってくる。
思わず照れて顔をそらしてしまった。
「お……おう」
「照れない照れない。じゃあ次は私の番だね」
「もう取ったろ。別のとこ行こうぜ」
「いやいや! 私は箱推しだから全員を救出しないと気が収まらないよ!」
「マジかよ……」
「マジですマジです」
浅野さんはニシシと笑うと自分のICカードを読み取り機にかざしてプレイを始めた。
◆
「これ……どうすんだよ」
ゲーセンの出入り口。目の前には大きなビニール袋が四つ置かれている。
アイリスの人形を取った後に残りの三人も「救出」したのだが、店にある最大サイズの袋に一枚に一つしか入らず、この有様だ。
つまり、俺と浅野さんの両手でやっと運べるほどの戦果。投資はそれなりにかかったが達成感は凄まじい。
「どうしよっかなぁ……スタジオに持ってくと怒られちゃうんだよね。『ここは仕事場ですよ。物を増やさないでください』ってさ」
浅野さんが撫子の声真似をする。本人かと思うほどにクオリティが高いので驚く。声質も似ている方だとは思うが、器用なものだと舌を巻く。
「に、似てるな……」
「まぁねぇ」
浅野さんはドヤ顔を披露すると袋を二つ持ち上げ、俺に手渡してきた。それから自分も両手で二つの袋を持つ。
「うーん……他に置き場もないし……うちに運ぶしかないかなぁ……ここから徒歩で十分くらいだけど広臣君なら運んでくれるかなぁ……」
わざとらしい演技の言い方でチラチラと俺を見てくる。
「仕方ないから手伝ってやるよ」
「いやぁ……悪いねぇ。私が欲深いばっかりに。こっちだよ!」
浅野さんのスタミナは無尽蔵なのだろう。袋をヒョイッと持ち上げると、大股で自宅の方へ向かっていく。
昨日ほどは時間が遅くないので、繁華街をそのまま通り抜ける。繁華街を通り抜けたら昨日お別れをした大通り。そこを少し進んで大通りを跨ぐ。
大通りを跨いだ先には大きなタワーマンションがあり、浅野さんは躊躇わずにそこに入っていった。
入り口にはカウンターがあり、何やら受付担当のような人が座っている。
天井からはシャンデリアのような形をした、ギラギラと煌めく装飾品が吊るされていて、高いのだろうということは分かるが、何とも未知な世界だ。
「すげぇとこだな……」
「まぁね。こっちだよ」
浅野さんに促されるまま高層階用のエレベーターに乗り込み、二十五階で降りる。
エレベーターを降りてすぐのところにある部屋の前で立ち止まると、浅野さんは鍵を開けて中へ入っていった。
「これ、ここに置いとくぞ。じゃあな」
玄関前に袋を置いて帰ろうとすると慌てて浅野さんが引き返してきた。
「ちょちょ! ちょ! えぇ!? 同級生の女子の家だよ? 上がってかないの? 今日は親いないよ? ベッドに腰掛けて急にてんやわんやして押し倒したりとかもしないから! ……ゲホッゲホッ……急に熱が……看病してほしいな……」
「い、いや……用事もないし、親いないとかは聞いてないし……さっきまで元気だったろ」
「うーん……あ! あれ聞きたいな! デモ音源!」
「あぁ。後で送るよ」
「今! 今ここで聞きたいの! だから、ほら、上がって? ね?」
なぜか浅野さんに必死に家に連れ込もうとされているのだが理由が分からず少し警戒してしまう。
「何もしないから! 本当に! お触りもなし! ね? ちょっと休むだけだから!」
「普通逆だろそれ……」
「アハハ……広臣君が誘ってくれないから張り切ってみました。ま、上がってよ。お礼にお茶くらい出したいからさ」
冗談で盛り上がった後に穏やかな声をかけられるとつい頷いてしまう。
「まぁ……分かったよ」
「やったぁ! さ、どうぞどうぞ!」
一人ではしゃぐ浅野さんに迎えられ、浅野家にお邪魔することになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます