第15話
菊乃とのASMR配信練習を終えてトイレで一息。
菊乃は先にリビングへ戻ると言っていたのでトイレを出てリビングへ向かう。
リビングに入ると大きなテレビでは音楽特番が流れていた。聞き覚えのある曲だと思っていたら、俺の作った曲だった。
菊乃はソファにだらしなく座り、頬杖をついてそれを眺めている。
「『上り坂42』ですか?」
菊乃からは「そ」とだけ返事が返ってくる。『上り坂42』は国民的な大人気アイドルグループ。
普段はA面の曲しか披露しないのだが、持ち時間が長いらしく普段はカップリングとして収録されている俺の曲も披露してくれているみたいだ。
「この曲、俺が作ったんですよ」
菊乃はいつもの引き笑いではなく、「ハン」と鼻で笑う。小馬鹿にしたというよりは、ヤケになった感じだ。
「知ってるよ。私もメンバーだったからな」
「冗談やめてくださいよ」
「おぉ!? やんのか!?」
ガバッとソファから起き上がると、菊乃らしい調子でヘッドロックをかけてくる。
「ちょ……違いますよ。美人系だから、こういうアイドルグループにいるタイプじゃないなって……浮いちゃいそうだなって思っただけですから!」
俺の言葉を受けて菊乃の攻撃が弱まる。
「ま……そうだよな。私、クビになったんだわ。『上り坂』」
「え……あ……そ、そうだったんですね。じゃあ本当にメンバーだったんですか?」
「そう言ったろ。ま、今みたく有名になる前にクビになったから表にはほとんど出てないけどな」
菊乃はまたテレビに向き直り、なんとも形容しがたい表情になる。ソファに腰掛け、菊乃の隣に座ると若干避けてくれた。
「背が高すぎるって言われたんだ」
菊乃が虚空に向かってポツリと漏らす。
「知ってますよ」
「そうだよな」
菊乃はニカッと笑ってこちらを見る。
「ま、私みたいなノッポがグループにいると浮いちゃうってのはその通りだよな。vはその点気楽でいいわ。ある程度調節がきくからな」
菊乃はそう言うと存分に長い脚をローテーブルに投げ出し、後頭部で手を組むと天井を眺めだした。
「あらあら。気楽でいいですね。私は銀行の融資を取り付けるのにヘロヘロなんですよ」
帰ってきた撫子が菊乃を上から覗き込むように音もなく現れた。
「うわっ! び、びっくりさせんなよ!」
「アハハ。ただいま戻りました」
撫子がビシッと敬礼をして肩から鞄を降ろす。
外出していたからか、昨日見た姿とはまるで違う。眼鏡をつけているのは同じだが、化粧と真っ直ぐな髪の毛とスーツというだけで社会人という感じがする。
「それで、どうだったんだよ?」
「バッチリでしたよ。満額でOKです」
「おお、完璧だな! さすが外コン!」
菊乃と撫子が二人で盛り上がるそばでポカンとしていると、二人が俺の様子に気づく。
「満額……外コン?」
「えぇ。活動の資金にするために銀行からの融資を受けられるようになったんですよ!」
撫子はその場でピョンピョンと飛び跳ねながら喜ぶ。
「撫子は元々外資系の会社でコンサルタントをしてたんだよ。すげぇよなぁ」
「は……はぁ」
「なんだよ。もっと驚けよなぁ。こう見えてすげえエリートなんだぞ。これだからガキはよぉ」
菊乃が撫子の元勤務先であろう名前と「年収」の単語で検索をかけた画面を見せてくる。
「平均年収……三千万円ですか?」
「あはは……まぁそんなもんでしたね」
撫子は得意げな顔を隠すように頬をかく。
「これって……どのくらいなんですか? 印税でこのくらい入ってくるので感覚が分からなくて……」
「カーッ! 可愛くねぇガキだわほんと!」
本当にわからないので聞いているのだが、菊乃は俺に塩を投げる身振りを見せてくる。
「あはは……まぁ……一応サラリーマンとしては超高収入な部類ですかね。でも、高校生でそこまでだと後が怖いですね」
撫子が苦笑いをしながらフォローをしてくれる。
どうせサクラちゃんに投げ銭するくらいしか使い道はないのだけど、どうも俺は結構な額を稼いでいるらしい。曲を人気にして印税を稼いでくれるアイドル様様だ。
「あ! 豊田さん! 一つお願いがあるんでした」
撫子は思い出したようにパンと手を叩く。
「お願い? なんですか?」
「あのですねぇ……トヨトミPが女性であることを匂わせてほしいんです」
「え……えぇと……つまり……どういうことでしょうか?」
「バ美肉すんだよ。晴れてお前も仲間入りだな」
「なっ……それはさすがに勇気が出ないというか……」
「菊乃、適当なことを言わないでください」
撫子が菊乃をたしなめる。バ美肉というのは俺が美少女のガワを使ってvTuberとなること。そんなことをするつもりはなかったので、そうでなくてよかった。
「豊田さんはなぜvHolicがお好きなんですか?」
「なぜ……なぜと言われると難しいですね」
「実はですね私達はある程度戦略的にやっていることがあります。それは大きく二つ。一つは徹底的な男性との絡みの排除。もう一つがアバターと中の人のリンクです」
「はぁ……」
生返事をしてしまったが、言われてみればvHolicのメンバーが男性配信者と絡んでいるところは見たことがない。
それに、各アバターに設定があるにも関わらず配信中によく現実世界のメタな話もするし、中の人の存在を認識させようとしている雰囲気もある。
「男を匂わせない。それがメンバー間のてぇてぇの演出に繋がりますし、ファンの方を杞憂させなくて済む。そして中の人の存在を匂わせることでガチ恋勢を増やす。そんな算段です」
裏側というのはこんなものなのだろう。ブラウザ越しだけに見ていたほうが幸せだったと思えてくるくらいに内情をぶっちゃけてくれた。
「つまり……トヨトミPが男だとあらぬ疑いを持たれてしまうので、極力その可能性を減らしたいってことですか?」
「さすが豊田さんです! そのとおりです。五条アイリスのトヨトミPプロデュース一曲目、その情報解禁は二週間後。それまでに正体不明の作曲家トヨトミPは女性であると世の中の皆をミスリードさせつづけてください」
「ミスリードさせるって……何をしたらいいんですか? 可愛い絵文字つきで投稿とか?」
「まずはこのアプリを入れてください」
撫子は待ってましたとばかりに携帯を見せてくる。
「ルナ……これなんですか?」
「女性には必須のアプリなんですよ。反面男性はほとんど使わない。これがホーム画面にあったら、穿った見方をしない限り女性であると思うはずです。適当にゲームのアイコンを見せるためのスクショにこのアプリのアイコンも映るようにしておいてください」
「はぁ……」
半信半疑になりながらもインストールを済ます。
「後は……そうですね。彩芽に聞いてみてください」
「はぁ……いや……なんで俺がそこまで……」
トヨトミPとしてのキャラ付けがこんな理由で行われるのか、と少しだけ肩を落とす。
その時、菊乃と撫子が俺の両肩を掴んできた。
「サクラのためだぞ」
「サクラのためですよ」
その名前を出されるとノーとは言えない。
渋々頷いたその時、携帯に通知が一つ出てきた。
浅野さんからだ。
『まだスタジオにいる? 解散して暇なんだよね』
「お? なんだよ? 彩芽からか?」
二人がニヤニヤと俺の画面を覗こうとしてくる。
「なっ、何でもいいじゃないですか! 暇だからここにくるってだけですから!」
「へぇ……暇、ですか。彩芽が暇……へぇ……ふぅん……」
撫子も意味深な笑みを浮かべる。
「そっ……外で待ってます!」
浅野さんがここに到着するまでの時間、二人のいじりに耐えられそうにないので、逃げるようにスタジオから出ていくのだった。
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