第14話
「さて……次はどうしましょうか。そういえば広臣さん、貴方の推しはどなたですの?」
肩に手を置き、セントレアがやや責めるような口調で尋ねてくる。
「さっ……サクラちゃんです」
「あら。そうでしたのね。では……今日で推しを変えてみせますわね」
そう囁いて耳たぶを甘噛みしてくる。配信でやったとしてこの感覚はマイク越しには伝わらないのだが、ずっと耳に吐息がかかって力が抜けているのでされるがままで突っ込めない。
「ふぅ……喉が渇きましたわね」
隣でペットボトルを開けると、耳元でゴクゴクと水を飲む音をたてる。
「ぷはぁ……さて、お次はどうしましょう? 心音でもお聞きになりますか?」
セントレアは台本に乗っかっているようで、俺の返事も待たずにゴソゴソと隣で動いている。
すぐにフニフニと柔らかい感覚が耳を包む。心音を聞かせようとしているのだから、胸を押し当てているのは明らかだ。
「あっ……いや……こっ、これはさすがに!」
胸から逃げるように頭を動かすと、椅子に連れ去ったときのようにガッチリと腕で俺の頭をホールドしてきた。声はセントレアだが、身体は菊乃そのものだ。
「私は構いませんわよ」
「お、俺が構いますから!」
「まぁ……このくらい大したことはございませんわ……ふっ!」
セントレアは首を折りかねない勢いで俺の頭を自分の体に押し当てる。かすかに耳元で鼓動は感じるものの、ドクンドクンという音までは分からない。
「うーん……意外と聞こえないものですね」
「そうですのね。しばしお待ちを」
セントレアは俺を解放するとヘッドホンを頭につけてくれた。
セントレア自身はマイクの方に向かって歩いているようで、ヘッドホンからは足音の近づいてくる様子がわかる。
「後ろから抱きしめてあげますわね」
マイクの性能が良いのか、現実よりも現実味を帯びた音質でセントレアが耳元で囁いているように聞こえる。
マイクと布の擦れる音がしたかと思うと、ドクンドクンと脈打つ重低音が流れ始めた。
人の心音は平常時は精々一分間に八十回とかそのくらいだろう。だが、セントレアの心音のペースはかなり早く、一秒にドクンドクンと二回は脈打っている。一分間なら百回を超えるペースだ。
「早いですね」
「よっ、良いではありませんか! 私だって緊張しているのです!」
俺の指摘でまたペースが一段と早くなる。
「また早くなりましたね」
「や、やめてくださいまし……」
一向にペースが落ちる気配がないのでこのくらいでいじるのをやめておくことにした。
そのままゆっくりと心音がスローダウンしていく。
しばらくの間心音を聞かせたセントレアはマイクから離れたみたいで心音は聞こえなくなった。
「少しこのマイクにも慣れてまいりましたわ。ここ、いじるとどうなるのでしょうか」
セントレアはマイクを何かでツンツンとしているのだろう。ガサガサと音がするのだがそれもなぜだか気持ち良い。
「どうです? 少しは癒やされておりますの?」
「はっ、はい!」
「フフ、良かったです」
音量を控えるためか、控えめに笑うのでいつもの引き笑いは出ていない。意外とセントレア、もとい菊乃は笑い方を操れるくらいに演技力が高いことに驚く。普段のキャラとのギャップなのだろう。
「では……お耳をいただきますわね」
台本を確認したのか、一瞬だけガサッと紙のよれる音がした。
そして、左耳の中でネチョネチョとかき回されているような水音が立つ。実際に耳を舐められている訳ではないのだが、鼓膜まで満遍なくセントレアの舌が這っているくらいの感覚に陥る。
セントレアが口を離してしまったのか音が止まってしまうと「あっ」と不意に声が漏れた。
「これ、お好きですの?」
「は……い……はい」
菊乃に後でいじられそうなので素直に答えたものかかなり悩んだ末に自分の欲求に負けて肯定する。
「では、反対側も同様に」
左耳に名残惜しそうに別れを告げたセントレアは右耳を前触れもなく責め立ててきた。ヌチョヌチョとわざと音を立ててくるので、左耳のときとはまた違った感覚だ。
ひとしきり右耳を舐めたセントレアは「ふぅ」と吐息を耳に吹きかけ、少し距離を取る。
「好きですよ。誰よりも……大好きですわ」
人生で言われたことのないセリフを透き通った声で耳元で囁かれる。
「おっ、俺もです!」
脊髄反射でそう答える。
「アホ。台本だよ。サクラが泣くぞ」
急に声が一段低くなり、セントレアから菊乃に切り替わる。
驚いてアイマスクとヘッドホンを外し、菊乃を恨めしい目で睨む。
「おぉ、怖え怖え。そんな目で睨むなって。『おっ、俺もです!』だってよ!」
ヒッヒッヒと腹を抱えて引き笑いに勤しむ菊乃を見ていると腹が立ってきた。
「やっ、やめてくださいよ! 菊乃さんだって心臓めっちゃ早かったじゃないですか!」
「あっ、あれは仕方ねぇだろ。初めて……こんなの人に聞かせたんだからよ……」
セントレアのときもこんな風に照れて赤面していたのだろうとありありと分かる様子で菊乃が俯く。
「でっ、でもすごい上手でしたね。配信でも披露できると思いますよ」
「おぉ!? 本当か!? 自信がつくなぁ。サンキュサンキュ!」
菊乃は椅子に座りっぱなしの俺の元へ寄ってきて後ろから肩を組んでくる。まだセントレアのASMRの興奮も冷めやらない耳元でまた囁いてきた。
「推し変したくなったらいつでも言えよ。たっぷりファンサービスしてやるからな」
vHolicの中でもコアなファンを集めるファンサービスの鬼、七尺セントレア。沼にハマるのは多分そう遠くないだろうと思ってしまうのだった。
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