第7話
「あ……あれ? 二人共、驚かないの?」
撫子と菊乃のキョトンとした顔が浅野さんに伝染する。
「驚くも何も、聞いたことなかったからな」
「そうですね。誰なんですか?」
「えぇ!? 本当に知らないの!? サクラがあれだけ言ってたのに!」
浅野さんは尚も二人の態度はドッキリだと思っているらしい。
「えぇ。サクラと彩芽は歳が近いですからね。多分私達よりも話しやすいこともあったんだと思いますよ」
少しぎこちない笑みが引っかかるものの、穏やかに浅野さんを諭すように撫子が答える。
「そっか……そうかもね」
浅野さんも神妙な顔を一瞬だけのぞかせる。だが、すぐにニッコリと笑い切り替える。
「じゃあ……この人……豊田広臣はAtoYotでトヨトミPだって言ったら?」
浅野さんの言葉で二人の顔色が変わる。どちらの名義かは知らないが認知はしてもらえているみたいだ。
「あ……彩芽ぇ! 冗談は大概にしとけよな。AtoYotが高校生な訳ないだろ。あんな繊細な曲が高校生に書けるかよ」
菊乃が慌てふためきながらそう言ってくる。中々に失礼な物言いだが、それだけAtoYotが評価されているということの裏返しと捉えるとほくそ笑んでしまう。
「つまりトヨトミPと同一人物ってことですか? トヨトミPの世界観とはまるで違いますね。全曲聴き込んでいる私が言うんだから間違いないです。ありえません。トヨトミPは唯一無二の存在ですから」
撫子もオタク特有の早口でいかに浅野さんが間違っているかをまくしたてる。
「信じてくれないなら仕方ないね。広臣君、AotYotさん、トヨトミPやっておしまいなさい」
「なんで黄門様みたいになってんだよ。しかも結局俺一人じゃねぇか」
「まぁまぁ。いっちょ見せて……聞かせてやってくださいよ」
浅野さんは可愛い顔が崩れるのも構わずに出っ歯にして小物感を演出する。揉み手をしながら案内してきたのは電子ピアノだった。
「なるほどな。任せとけ」
「言わなくても伝わる。尊いねぇ……」
いつものように冗談を言うと浅野さんはさっと離れていき、ソファに腰掛けて俺の方を眺めている。
とりあえずやってみるしかないだろう。既存の曲を弾いたところでコピーだと思われるかもしれないので即興で弾いてみることにした。
鍵盤に手を置いて適当に音を奏でる。
最初はAtoYot名義で出すような王道のJPop風、そこから転調して癖のあるコード進行に切り替え、トヨトミP名義で出すような曲風で鍵盤を叩く。
どちらも今思いついたので未発表の曲だ。
演奏を終えても背後からは物音ひとつしない。
恐る恐る振り向くと、三人共が口をあんぐりと開けてこちらを見ていた。
「すっご……」
「えぇ……これだったら正直、本物じゃなくてもお願いしたいですね」
「いやぁ……うーん……認めるしかねぇか……」
口々に悩ましそうな事を言うが、一応は認めて貰えたらしい。
「一応家に帰ったらSNSにも上げとくよ。本人証明だな」
「お! 私はそこまで考えてたよ! 早くも以心伝心してるね!」
浅野さんがウィンクとサムズアップで全力で共感してくる。既に認めて貰えてしまったが、SNSで本人証明するところまでセットで考えていたので浅野さんとは考え方が似ているみたいだ。照れ隠しに肩をすくめて反応を返す。
俺と浅野さんのアイコンタクトを見つけた菊乃はニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべている。
天然なのか、撫子はポカンと俺たちを交互に見やると「パン!」と手を叩いた。
「豊田さん、作曲の仕事お願いしたいです。受けていただけますか?」
「あ……はい。サクラちゃんのオリジナル曲を作らせてもらえるなら……考えます」
「ありがとうございます! それで……そのぉ……報酬なんですけど……このくらいでどうでしょう?」
そう言って撫子は申し訳無さそうな顔とともにピースサインのように指を二本立てる。
「二百……二十万?」
二百と言いかけると顔色がさっと変わったので慌てて言い直す。
「実は……そのですねぇ……二万円です。予算がなくて……」
「なっ……に、二万!? 冗談はやめてくださいよ。そんなのやるだけ赤字ですって。ボカロの曲を量産したほうがマシっすよ」
「私達、金ねんだわ。悪ぃな」
菊乃はふてくされた様子でそう言う。浅野さんを見ても気まずそうに苦笑いをしているだけ。どうも嘘ではないらしい。
「金がないって……浅野さん……というかアイリスだけでも毎月かなり投げ銭もらってるだろ?」
「いやぁ……そうなんだけどさぁ……このスタジオの家賃とかリフォーム代が結構かかっててね。実はカツカツなんだ。もちろん、バーチャルアイドルとしてそんな一面はみんなには見せてないから気づかなかっただろうけどね!」
俺もその皆の一部だったので、当然vHolicの活動資金がカツカツだなんて知る由もなかった。
「最近は人気も頭打ち。新しいことをやらないといけないんです」
撫子が肩を落としてそう告げる。
「新しいこと?」
「はい。これまでの配信業だけに留まらず、本格的にバーチャルアイドルとして活動をしようかと。そのために目玉となる楽曲が必要なんです」
俺が首を傾げると撫子が続ける。
「早い話が稼ぎの柱を広告収入と投げ銭中心から、ライブや物販に変えていくってことです。ライブをやるのにカバー曲ばかりじゃ限界もありますからね……」
確かにカバー曲ばかりのアイドルグループはぱっとしないだろう。名を上げるためのオリジナル曲がほしい、という願いは理解できた。浅野さんが俺にロックオンしてここに連れてきたのもこれが目的だったのだろう。
だが、一曲二万は安すぎる。お財布事情も聞いたものの、いくらなんでも買い叩きすぎだと思った。vTuberの中では好きなグループなので応援もしたいし、金もぼったくろうとは思わない。
これは、プライドの問題だ。
「撫子さん、理由は分かりました。だけど二万は安すぎます。皆もクリエイター側の人間だから分かりますよね?」
「そっ……それは……どうしても駄目でしょうか?」
「『どうしても駄目か?』で通るなら最初から承諾してます」
俺の言い方が冷たかったのか、撫子は顔を覆って泣き始める。
「あーあ。広臣が委員長を泣かせちまったなぁ」
菊乃はニヤニヤと冗談を言いながら撫子を抱きしめ、頭をさすっている。俺の方を見てくるが、責められているようには見えないので気が楽だ。
そんな気まずい状況の中、浅野さんがツカツカと俺の前までやってきた。
そして、高級ホテルのスタッフの如く、腰を直角に折り曲げて頭を下げる。ポニーテールも首の右側から床に向かって垂れていった。
「広臣君……お願いします。私達を……助けてください。このままだとvHolicは潰れちゃう」
「だから――」
だから拝み倒されて承諾出来る訳がない、と突っぱねようとしたところに浅野さんは更に畳みかけてきた。
「サクラと毎日話させてあげる。一対一で一時間。実は一対一のお話会も今後のイベント企画に出てて、単価は一分で二千円で考えてる。これはお試し価格だから、サクラの人気にあわせたら単価も五千円、一万円ってあがってくよ。一分五千円だと一時間で三十万円。それを毎日やれば一月で九百万円分の価値になる。それと、期限は無し。無期限でその権利をあげる」
「そっ……そんなこと勝手に約束していいのかよ」
「いいよ。サクラは仲間想いだから納得してくれるはず」
サクラちゃんを毎日一時間独占できる。ファン目線ならこれほどの誘惑はないだろう。浅野さんは金の話に置き換えていたが、それだけの金を払ったところで、サクラちゃんが首を縦に振る確率だってわからないのだから。
サクラちゃんの意志、金銭。そのいずれもクリアできるという提案は非常に魅力的だ。自然と首は縦に動く。
「うん。分かった。やるよ」
「っちょ! 彩芽、いいのか!? そんなの勝手に……」
「良いって良いって。後で話しは通しておくから。」
菊乃が食って掛かるも浅野さんは一切気にかけない。
「じゃ、私は配信があるから。後はよろしくぅ」
二本の指で敬礼をすると、気まずい空気を残して浅野さんは軽やかな足取りで部屋から出て行ってしまった。
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