第6話
「うぅ……食べすぎた……ほら、見てみて。お腹すっごいでてる!」
会計を済ませて店を出るなり、浅野さんは上体をそらしてお腹の出っ張りをアピールしてきた。お腹よりもしっかり目にある胸のほうが強調されていて、目が奪われそうになる。
「す……すごいね」
「でしょ!? さすがに頼みすぎちゃったよなぁ……」
妊婦のようにお腹をさすりながら浅野さんはどこかに向かって歩き出す。行き先もわからないし、これで解散かもしれないので、後ろからついていくこともせず、歩く姿を後ろから眺める。
陽キャらしく何度も折った短めのスカートがひらひらと揺れている。短めの靴下も相まって、細い脚を存分に長く見せているみたいだ。
浅野さんは俺がついてきていないことに気づくと、振り返って手を振ってきた。
「おおーい! 早く早くぅ!」
どうもまだ今日の目標は達成していないらしい。浅野さんの呼び込みに応じてついていく。
横に並んでまたどこか行先も分からず歩く。
「それで……俺は信用されたのか?」
「え? 何の事?」
「ここに来る前に言ってたろ」
浅野さんは本当に忘れているらしい。ハッとした顔をするので思い出したようだが、また誤魔化すようにニヘらと笑う。
「うんうん! 信用したよ! うん、間違いないね」
「絶対忘れてたろ……」
「ちっ、違うよぉ! ただお腹が空いてただけとかじゃなくて……ね!」
必死に身振り手振りを織り交ぜながら弁明してくるので、本当にただお腹が空いていただけなのだろう。
「配信、いいのか?」
さっきまでの冗談めかした浅野さんはいなくなり、目つきを変える。
「そっ……そうなんだよ。早く帰らなきゃ! いくよ!」
浅野さんは鞄を背負い直すと、どこかに向かって走っていく。
まだ作曲の件も細かい話は聞けていないので、追いかけるしか選択肢はなかった。
◆
浅野さんは「帰る」と言っていたので、家にでも帰るのだろうと思っていたが小走りで着いたのはファミレスからそう離れていない繁華街。住宅街とは真反対の方向だった。
「あれ……家ってこの辺なのか?」
「家じゃないよ。スタジオ」
手短にそう言うと、繁華街の通りから一本路地に入ったところにある雑居ビルへ向かう。
黒い汚れが目立つ階段を下っていく。薄暗い地下の廊下を進むと、表札も何もなくドアが一つだけ備わっていた。
浅野さんは手慣れた手付きで解錠して中に入っていく。
中は音楽スタジオのような雰囲気。壁に染み付いたタバコの匂いが定番なものだが、ここは一切その匂いがしない。むしろお香のような甘い匂いがロビー中に充満している。
受付に誰もいないので営業はしていないみたいだ。
受付を通り過ぎて廊下を進むと、いくつかの部屋がある。『使用中』と書かれたランプは一つも点灯していない。
ここまでの観察を踏まえると、ただの閉店した音楽スタジオだ。タバコ臭くないし、掃除は行き届いているのか埃っぽくはない。それに電気が届いているのが不思議だ。姿かたちを変えて営業しているのかもしれない。
廊下も終わり、突き当りにはバックヤードに続いているであろう扉がある。浅野さんは迷わずそこを開く。すると中には、家のリビングを思わせる家具一式が置かれていた。
一家団欒の舞台となりそうなL字ソファに高そうなローテーブルとテレビ。冷蔵庫やロボット掃除機なんかの家電も完備されていてここが地下シェルターではないならモデルルームと言われても違和感はない。
だが、そんな整理整頓の行き届いたリビングとは一線を画す一角がある。書類と本はごちゃまぜにされて山積みで、何かのフィギュアなんかも置かれている。
「菊乃? こっちに来るついでにコーラを取ってくれませんか?」
いきなり書類の影から声がしたので体がビクンと反応してしまう。
浅野さんはニヤリと笑うと何てことないように返事をする。
「ベルってレアのこと、結局名前で呼んでるんだねぇ。尊いなぁ」
「なっ……あや……アイリス!?」
書類の陰から飛び出してきたのはメガネをかけた女性。この人の声もなんとなく聞き覚えがある。
浅野さんのように髪を後ろで縛っているが、オシャレというよりはただ邪魔な髪の毛をまとめているだけのようにも見える。
「そうやって普段名前で呼んでると配信の時につい出ちゃうからやめろって言ってルールを作ったのはベルでしょ? 撫子(なでしこ)さん」
撫子と呼ばれた女性は耳まで真っ赤にして反論する。
「わ……私はきちんとしてるから大丈夫なんです!」
「ふぅん……尊いねぇ……」
「そっ……そういうんじゃないですから! もうそのルールもやめましょう! それより……その方は誰――」
質問の意図はわかったのだが、答える前に俺達が入ってきた扉が再度勢いよく開かれる。
「おう! おかえり。今日も女子高生してんなぁ……うん? なんだ? 彼氏か?」
振り返ると、見上げるように背の高い女性がいた。2メートルはありそうな身長。実際はそこまでないだろうが、男子の中では平均よりも高い自分でも顔を見上げてしまうほどに背が高い。
顔と首の境目で切りそろえたショートボブが顔の小ささと見た目の等身を引き上げていて、異世界から来た人のようにも感じてしまうくらいには常人離れしたスタイルの良さだ。
値踏みするように目を細めるだけで、モード系のファッションブランドのモデルのようなアンニュイな雰囲気を醸し出している。
「かっ……彼氏なんかじゃないって! ただの同級生だよぉ」
「んー……おぉ! あいつか! 広臣君広臣君って言ってたもんなあ。お前が広臣だったのか」
背の高い女は何か合点のいったように俺の名前を連呼する。
「やっ……やめてよぉ……それは秘密だって……」
浅野さんはペースを乱されないように無理矢理話をぶった切る。背の高い女は俺の目の前まで来ると、真剣な眼差しで目を合わせてきた。日本人離れした、青みがかった目の色をしている。
「ふぅん……ま、よろしく頼むわ。私は長束菊乃(なつか きくの)。彩芽を泣かせたら承知しねぇぞ」
ヤンキーのように俺の肩をポンポンと叩くと、菊乃は冷蔵庫から瓶のコーラを二本取り出し、書類の山の陰からこちらを見ていた撫子の方へ向かっていく。
「コーラをもってこいと言わずとも通じる……尊いねぇ……」
浅野さんはコーラの受け渡しをしている二人をしみじみと見つめながら声を漏らす。
「あ、広臣君! 二人を紹介しとくね。背の高い方が長束菊乃。七尺(ななしゃく)セントレアの中の人だよ。もうひとりが前田撫子(まえだ なでしこ)。二島(ふたじま)クラベルの中の人ね」
「ブイホリのメンバー全員集合かよ……」
ブイホリことvHolicのメンバーは四人。うち三人がここにいて、サクラちゃんの中の人だけはまだ会えていないことになる。このスタジオもvHolicの活動専用の場所なのだろう。
「なぁ、結局俺ってなんのために連れてこられたんだ?」
浅野さんは「フフ」と笑うと二人から注目を集めるために手をパンパンと鳴らす。
「はぁい! 二人共! 注目ぅ! ここにいる広臣君は私の彼氏じゃないけど、この人なら私達を救ってくれるはずだよ!」
二人は半ば呆れた表情で浅野さんを見る。
「はぁ? お前、イチャイチャするのもいい加減にしろよな……」
菊乃は相変わらず辛辣な言葉を投げかけてきた。
「本当ですよ。今月の広告収入もカツカツなのに……恋愛してる場合じゃないんですって。昨日も言ったじゃないですか」
撫子の方が必死さが伝わる分、心には刺さるものがある。
「ふふふ。二人共、彼のことをナメてるみたいだね。この人が、かの駅前で弾き語りをしていたサクラのお気に入りなの!」
浅野さんのドヤ顔からして、二人にはそれなりの反応を期待していたのだろう。実際には二人共「それは誰だ」と言いたげにポカンとした顔でこちらを見てくるのだった。
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