42.我儘を言ってみる
「透けて……。すまない、もっとよく見せて欲しい」
「きゃっ!」
いきなり脇を持って立たされたチェルシーは、そのまま膝立ちの姿勢になる。そのことでフレッドの視線の先には、どれほど美味しいのかよく知っている果実が透けて見えて、ゴクリと思わず喉が鳴った。しかし生地の上から口に含むことはしてはならない。フレッドが汚すなんてもってのほかだ。
「なんて美しいのだろう。夢を見ているようだ」
太腿を抓ったら普通に痛かったので、夢などではなく現実だと確信した。痛みのおかげで少しだけ冷静になれたフレッドは、胸元から視線を無理矢理剥がして、身に纏っているものを検分し始めた。
細い肩ひもで支えられているそれは、愛らしい膨らみを少しだけ覆っている程度。透けているから実際に隠せているかどうかは別として。
胸元の縁取りには同じ臙脂色のレースが使用されていて、中心にはそれで作られたリボンが飾られている。これはまるでお誂え向きのプレゼントのようではないか。そしてリボンの中央で輝く宝石は、チェルシーの瞳によく似たエメラルドであった。
指でエメラルドにそっと触れる。それに気付いたチェルシーは小さく「あっ」と零した。
「それ、私の瞳の色みたいですよね?それで……この生地はフレッド様の瞳の色なんですよ……?」
「私の……」
言われるまで気付かなかった。なんせ自分の瞳の色なんて普段は気に留めることなどないものだ。
臙脂色の生地に包まれた小さなエメラルド。フレッドはその素晴らしさに、ただただ感謝した。まるで果てしない愛でチェルシーを包み込んでいるようではないか。
何気なく見上げたフレッドは、エメラルドの瞳とぶつかった。カフスボタンやタイピンなどを全てエメラルドで揃えようかと考えながら、あまりにもじっくりと見つめすぎていたらしい。チェルシーの頬はさらに赤く染まった。
「そんなに見つめちゃ、恥ずかしいです」
「…………ぐっ!」
プイッと顔を逸らす妻のあまりの可愛さに、唇を深く重ねてシーツに縫い止めたい衝動に駆られるが、すんでのところで堪えた。それよりももっとじっくりとこの姿を堪能したい。すぐに脱がせてしまえば一生後悔するだろう。
なんせ今日まで随分と待った。次のチャンスはいつ訪れるか分からないのだから。
見つめすぎると、暴走してむしゃぶりつきそうになる胸元を飛ばして視線を落としていく。
胸下の切り替えからは生地が花弁のように重なっているようだ。一枚、二枚、とそっと捲ってみれば生地そのものは向こうが透けて見えるほどに薄いが、重なっていることで肌が見えるか見えないかの絶妙なラインを保っていることを知る。
「素晴らしい技術だな……」
「ですよね?私、結婚する前からこの店が好きでたまに買いに行ってたんですよ」
「そうだったのか……?それは知らなかった」
なんということだろう。あの店がチェルシー御用達だったなんて。メモリーブックに記載すべき事柄だと、フレッドは一旦脳に刻み付けた。今晩のことは沢山書きこむことが多そうだから、余すことなく覚えておかなければならない。
「…………あ」
フレッドは花弁のような裾を捲っていた手を止めた。先ほどもチラリと見えて理性を崩壊させた、チェルシーの小さな臍とその下履きの生地が見えたからだ。
しかし今は観察モードのフレッドのおかげで、暴走するには至らなかった。
細い腰から続く女性らしい骨盤の辺りにリボンのように紐で結ばれている小さな下着は、フレッドが知らないデザインであった。フレッドはチェルシーが全てであるから、普段から着用している膝上のドロワーズ以外知りようもない。
初夜には真っ白なナイトドレスを着ていたチェルシーだが、その下には何も着けていなかった。それはそれでとても素晴らしかったのだが。
しかし可愛らしいデザインが多いチェルシーのドレスやワンピースの下に、これを着用していると思うと……。
「心配になってしまうな……」
「確かに、普段に着るとスースーして風邪をひいてしまうかもしれませんね」
そうじゃない、と言おうとしたフレッドは言葉を飲み込んだ。チェルシーと結婚したことはフレッドの人生のなかで最大の我儘であったから、それ以上を求めるなんて強欲すぎるのではと躊躇してしまう。
しかし浴室での会話を思い出した。もっと我儘になってもいいと言われたことを。フレッドだってチェルシーに我儘を言われたら嬉しいから、逆に彼女もそうなのかもしれないと思えた。それは偏にチェルシーに愛されている自信がついてきたからだ。
「……では我儘を言ってもいいだろうか?」
それでも慣れないことへの不安から、緊張した声色となった。
「え?もちろんです!我慢なんてなさらないで」
しかし嬉々として返してくれるチェルシーに、選択が間違いでなかったことを知る。
「私以外の前では、絶対にこの姿を見せないで欲しい」
独占欲を素直に表すフレッドにチェルシーは嬉しくなった。今までは何でも堪えてチェルシーの好きなように、と我慢していたフレッドが……。そうやって少しずつ曝け出して欲しい。
「当たり前ですよ。フレッド様のために作ったんですもの。ベッドの上でしか着ません……。だから、もっとよく見てくださいね?」
チェルシーの手がフレッドの髪を撫で、頬に滑らせる。聖母のごとくフレッドを包み込んでくれるチェルシーを思わず抱きしめた。一体彼女はどれほど夢中にさせるつもりなのだろう。
優しくて柔らかな温もりがこの手の中にある奇跡にフレッドが感動しているころ、一方チェルシーは見悶えていた。
(フレッド様が……。可愛すぎる)
なんて可愛いのだろう。見た目とかそういう問題ではなく、仕草とか全てが可愛いのだ。根源にあるのはやはり、好きだという気持ちが大きい。胸がキュンキュンと締め付けられて苦しいほどだ。
ふと、チェルシーの宝箱に大切に入れてある、一枚の紙を思い出した。ああ、そうか。確かにこの状況では、思いの丈を書いて気持ちを静めたくなるかもしれない。
特に寡黙なフレッドであれば尚更。唐突に当時のフレッドの気持ちに共感してしまったチェルシーだった。
チェルシーも腕に力を込めて抱き返し、フレッドの髪に頬擦りをする。想い想われる幸せに浸っていたチェルシーだったが、甘い刺激を感じて身体を震わせた。
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