34.複雑な心境

 これまでに参加した数少ないパーティー。いや、ホストと主賓への挨拶を交わして早々に帰ったものもあったから、正式に参加したのは実際には二、三回ほど。ちなみにフレッドとチェルシーの結婚式後のお披露目パーティーもカウントしたとして。

 その途轍もなく少ない全てに於いて、二人の距離は薄く固い壁を隔てていたかのようであった。


 チェルシーの手はフレッドの腕に添えるだけだったし、腰を抱かれることもない。抱きたい気持ちだけはあったが。チェルシーがなんとなく見上げることはあっても、その視線と近すぎる距離にドギマギしすぎたフレッドは、下を見ることなんてできなかった。

「フレッド様……」

 と、話かけるのは用があるときか、彼の歩みが早いときだけだったし、

「ああ……」

 と、素っ気ない返事が返ってくるだけだった。もちろん見向きもされない。


 周りを牽制しているばかりで気の利いた言葉ひとつ伝えない息子に、業を煮やしたサマンサが間に入り、チェルシーと会話を楽しんだ。その辺りで、周りの貴族からは新婚だというのにランサム家の若夫婦は冷めた関係らしい、と印象付けてしまったのである。


 しかし今回はというと、チェルシーが腕に絡ませた手に少し力を込めれば、抱かれた腰が隙間なく引き寄せられる。見上げれば優しい眼差しが返ってくる。

「フレッド様」

 と、用もないのに話しかけても、

「ああ……チェルシー」

 と、優しく返ってくるだけで咎められはしない。むしろ嬉しそうに何かブツブツと言っている。それがおかしくて笑えば、少しだけ恥ずかしそうにしながら額にキスを落とされるのだ。嬉しくてまた腕に抱き付くようにするのだ。


 そんな二人の様子に周りは驚きを隠せない。侍女たちや商人からランサム伯爵夫妻の町の噂を聞いていた者もいたが、だってあの氷伯爵でしょう?と誰もが俄かには信じがたいものだった。

 しかし大きな動きはないので遠目だと分かりづらくとも、伯爵夫妻の様子を間近で見た貴族たちは、その甘やかな雰囲気に噂は本当だったのかと思わざるを得なかった。


 近付く機会をうかがっていた一人の男は、残念ながらフレッドの思惑により離れた位置だったために、二人の雰囲気が分からずにいた。それよりも再び会えた想い人に胸を躍らせていたのだった。


 * * *


 会場に入るや否や、ランサム家伯爵夫妻の出席は、それが珍しいと知る人々からの好奇の視線を一斉に浴びた。


 元騎士にしては細身であるがスラリと長身のフレッドは、相変わらず冷えびえとした無表情で近寄りがたくはあるが、その整った容姿に貴婦人やご令嬢はうっとりと眺めた。彼女らと同伴の紳士たちも、そんなパートナーの様子にムッと顔を顰めるが、フレッドの隣の存在に目を瞬かせる。


 貴族が一堂に会する王家主催のパーティーにしかチェルシーを伴って参加しなかった、ということは逆にいえばフレッドが断れなかったように、その他の貴族たちにとっても強制参加だったので、彼女を一度は見たことがある者ばかりであった。

 だから存在も知っていたし、可愛らしいご令嬢という印象はあったが、あんなに美しかっただろうか?と驚きを隠せない。フレッドに毎晩愛されることにより滲み出るようになった色気と、変わらない少女のような愛らしさとのアンバランスは、一言では言い表せられない妖艶さがあった。


 惚けた顔でチェルシーを見る男たちに、フレッドは苛つき、表情は険しくなる。やっぱり寝室に籠もるべきだったと後悔しても遅い。馬車の中でも何度も言いかけてはサマンサに割り込まれていて、さすがにもう諦めた。さっさと王子とやらの誕生祝いを渡して祝辞を述べて辞するに限る。

 しかし時折話しかけてくれるチェルシーと目が合えば、鬱憤は瞬時に霧散する。シャンデリアの輝きを受けて、チェルシー自体が宝石であるかのようにキラキラと煌めいている。嬉しそうに頬を染めてホールを見渡している姿に、ああ、やっぱり来て良かったとも思う。でも……。


 ――フレッドの心境はとても複雑だった。


 大事に屋敷に囲い込んでおきたいのは、フレッドの我儘だということは分かっている。それにチェルシーもさほど活動的なタイプでもなく、屋敷でのんびりと過ごすことが好きだと言っている。

 けれど以前一緒にデートに出掛けたときや、今回のパーティーでの嬉しそうな表情をみると、さすがに罪悪感が募った。そもそもが婚約からしてフレッドの我儘で突っ走った結果なのだから。


「身体は大丈夫か?ドレスの着心地はどうだろう?」


 王家の登場まで壁際の開いたスペースで待っていると、フレッドが気遣わし気に声をかけた。喉のところまで「これからはもっと社交の場にも出るようにしよう」と言いかけてはいるが、言葉にしたくなくて飲み込んだ。


「フレッド様と一緒に選んだこのドレス、すごく軽くて動きやすいんですよ。靴もとても歩きやすくてちっとも痛くないですわ」

 複雑な思いが顔に出ていたフレッドに対し、着心地を心配しているのだと思ったチェルシーは、彼を安心させるようにそう言った。そうではないのだが、しかし選んだドレスをそう言ってもらえて嬉しくはある。可愛い妻に着心地の悪いものを着せていいはずがない。


「それは良かった……」

「…………?」


 しかしフレッドの表情は晴れない。チェルシーの返事が思ったものではなかったのかと考えたが、とくに変なことを言ってはいないはず。何か他に心配事でもあるのだろうかとチェルシーが口を開いたとき、


「国王陛下のご入場です!」


 玉座に繋がる扉の前で従者が大声をあげたので、慌てて口を噤みカーテシーをとった。

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