27.仕方のないこととはいえ

「まだ顔色が良くないな……もっと毛布が必要だろうか?」

「フ、フレッド様!今回はたまたま酷かっただけで……。ええっと、とにかく大丈夫ですから!それよりも執務のお時間ですわ。ハリスも気にしているでしょう?」

「そうは言っても心配で何も手につかないんだ」


 フレッドは意外と頑固である。それはチェルシーが関わることに限ってではあるが、対チェルシーにもそれは発揮されている。


 そろそろ陽も高くなり始めた。

 チェルシーは食欲がなかったので、いつも一緒に朝食をとっている義母が待っているだろうから、せめてフレッドだけでも、と伝えたが彼はチェルシーにへばりついて離れなかった。


 さっきからずっとこの調子だ。月の障りなど毎月のことだというのに。チェルシーはベッドの上で、毛布をグルグルと巻かれている。


 これでもし、少し厄介な病気にでもなったら彼はどうなってしまうのだろう。もちろん逆だったらチェルシーだって心配だし、フレッドのそばから離れないかもしれない。これからも互いに身体に気を付けて健康で過ごさねば……と心に誓った。

 しかしこれに関しては、様々な不調が出るとはいえ避けて通れるものでもない。次もこんなに辛いならば、まだ先のことなのに憂鬱だった。今は少し気分も落ちているのかもしれない。


 * * *


 早朝、身体の違和感に目が覚めて、思い当たる現象に飛び起きた。慌てて手洗い場へと走っていったチェルシーに、フレッドが深い眠りの中にいたとしても気付かないわけがない。


「チェルシー?一体……」

「フレッド様!開けないで!申し訳ありませんが、メイドを呼んで下さいな」

「どうしたというのだ。呼んでくるから、何があったのかだけ教えてくれ!」


「ええーっと、そ、それは……」


 扉の向こうからフレッドの引かない気配を感じて、チェルシーは逡巡する。しかし子を成すことに関わるこの現象は、夫であるフレッドにも無関係とはいえない。でも……。


(フレッド様は男性だし、こんなことを言われても困るだろうし……。なんていっても恥ずかしいわ)


 月経というものをフレッドが知らなければ、赤色を見てただ驚くだろう。最近になって夫がかなりの心配性であると知ったのだ。いっそ屋敷中を巻き込んだ大事になりかねない。


 ……さすがにそれだけは勘弁してほしかった。

 夫人であるとはいえ、チェルシーはまだ十八歳である。羞恥心の方が強く口籠もってしまう。


「いえ、その……。大したことでは……!」

「それは私が判断する。だからどうか……」

「…………っ!」


 起き抜けに声を上げたこともあり、くらりと眩暈を覚えたチェルシーの身体が傾く。慌てて洗面台に手をつくも石鹸に当たり、落下音を立ててしまった。


「……っ!チェルシー!」

 扉の向こうからは息をのむ音と共に、慌てたようなフレッドの声が聞こえる。しかし血の気の引いた頭はクラクラとして、フレッドに構うことができない。こんなに心配させてしまうならば、さっさと伝えればよかった……。と、思ったときには既に扉が開く音が聞こえていた。


 * * *


 ここ最近は濃厚な日々を送っていたから忘れがちであったが、フレッドと急接近してからまだ二ヶ月も経っていない。

 今の関係があまりにも自然すぎて、そのことにチェルシーは毛布に埋もれながら気付いた。だからといって、それを目の前でオロオロしているフレッドに言うのは憚られたが。


 これまで症状はそれほど重い方でもなかったのだが、やはり毎日抱かれて執拗に愛されたことに身体が急激な変化を起こしたのか、はたまた初めの一歩すら叶わなかった存在があったからかは今となっては誰にも分かりようもないけれど。出血に気づいてから、時間が経つごとに腹痛や腰痛、さらには貧血症状がひどくなっていった。

 幸い今日の予定は特になく、ひと眠りすれば起き上がれるようになっているはずと信じて、今はただベッドの上で時間が過ぎるのを待つだけだ。



 辛そうに目を閉じているチェルシーを、悲痛な眼差しでフレッドは見つめていた。


 洗面所のドアを開けた瞬間、心臓が凍り付いた。真っ青な顔で倒れ込んでいるチェルシーに、自身の血の気もザァッと引いていく。

 チェルシーにもしものことがあれば、生きている意味なんてない。いつも元気に過ごしていたからといって、彼女も生きている人間だ。何が起こるかなんて分からないというのに。事実、フレッドの父だって健康そのものだったのに突然病に倒れ、あっという間に儚くなってしまったのだから。あの時の母の憔悴っぷりを思い出し、今になってその気持ちが痛いほど分かった。

 当時は父を喪った悲しさよりも、母を励ますことや様々な手続きに追われてそれどころではなかったというのもある。


 今回は原因が月経に伴う貧血であると侍医から伝えられるまで、フレッドは生きた心地がしなかった。フレッドにとってチェルシーが唯一の女神であるから、そこまで信心深い方ではなかったが、その女神のために敷地内に礼拝堂を建てようと決意していた。

 絶対にどんな手を使っても救うつもりだが、万が一にはどうにかしてチェルシーを繋ぎ止めるために禁術を探し出さなければ、とすら思考は飛躍している。



 一向に部屋を出る気配のないフレッドに痺れを切らしたのか、メイドのマリーが決意したようにコホンと小さく咳払いをして、主人に近付いた。


「旦那様、それでは奥様が一向にお休みできません。今は静かに休息することが薬です。代われるものでもありませんから、どうかここはご退出を」

「……そうか、そうだな。すまない。チェルシー、ゆっくり休んでくれ」


 後ろ髪がグイグイ引かれているフレッドだが、自覚はあるのだろう。半ばマリーに追い出されるようにして部屋を出て行った。閉じられた扉に向かってマリーが盛大にため息をついたのを見て、チェルシーは苦笑いをする。


「マリーったら、フレッド様は心配なさっているだけよ」

「分かっておりますが、旦那様がここにへばり付いていても何も解決は致しません」


 キッパリとそう注げるマリーは正しい。けれどチェルシーのために二人がそれぞれ心配してくれたことは嬉しくて、それだけで沈みがちな気分も上昇した。


「……それにしても、こんなに酷いのは初めてだわ。マリーも経験ある?」

「子供を産んでからは軽くなりましたが、奥様ぐらいの頃は私も寝込むときもありましたよ」

「まぁ、出産すると軽くなるの?」

「個人差かもしれませんが……。このことは旦那様にお話したら大変なことになるかもしれませんね」

「……もう、マリー!」

 目を丸くするチェルシーの顔色は今朝から随分良くなっている。そのことにマリーは密かに安堵していた。

 今朝駆け付けたときは元々色白なチェルシーの顔が白を超えて青白く、何事かと慌てたものだ。いつも冷静なフレッドが動揺していたからなおさら。チェルシーにもしものことがあっては、フレッド自身のみならず、ランサム家の存続に関わってくる恐れがある。


 慌てて呼び付けた侍医も一通り診察をしたものの、結局は鎮痛剤を処方しただけであった。


「こういう時は何も気にせずゆっくりするのが一番ですから。ひと眠りしたら随分よくなるでしょう。お食事とお薬をご用意しておきますので起きたらお呼びくださいね」


 メイドのマリーはチェルシーが嫁ぐ前よりもランサム家に仕えていたので、いかにフレッドが彼女を妻に迎えるにあたって心を砕いていたかを知っている。それに同僚の何人かはチェルシーの生家であるブラウン男爵家に派遣するよう命じられて、チェルシーの動向をチェックさせていたと聞いて薄ら寒くなったものだ。

 それなのに嫁いで来たら大切にするかと思いきやそんなことはなく。寧ろ誰よりもそっけない態度で、初めの頃は笑顔で話しかけるチェルシーに胸を痛めていた。


 望まれて嫁いだはずなのに……。そうとは知らない様子のチェルシーは時折寂しそうな様子を見せるから。寄り添って仕えていれば、まだ少女のような夫人はマリーを一番慕ってくれるようになった。


(奥様は私が護る……!)


 健気に伯爵夫人として過ごしていたチェルシーを、誰よりも傍で支えてきたマリーがそう決意してしまうのも仕方がないことだった。例えフレッドの態度が急変して、チェルシーにやたらと構うようになったところで、マリーがどちらの肩を持つかなんて明らかなのだ。

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