26.気付いたときには既に

 ランサム家にランジェリーショップの店員たちが荷物を抱えてやってきてた、その晩。時間が経つにつれチェルシーはやっぱり、どうにも恥ずかしくなって、明日こそはと一旦自分の部屋にしまっておくことにした。

「明日こそは、湯浴みを終えたら着るわ!」

 と、こっそりとメイドのマリーにだけ意志を表明して。


 しかしその翌日、朝食時にフレッドから夜会の話を聞かされ、揃いの衣装を作りたいと言われて浮かれてしまった。義母のサマンサやメイドたちと、デザイン画を見てあれこれ話したり、夜に執務を終えたフレッドからチェルシーの衣装に関する熱い思いに感動したりして、ハッと気付いたときには既にフレッドに隅々まで愛されている最中で。もちろんもう何も身に纏ってはいなかった。



 饒舌モードのフレッドは早口だから、のんびりしたチェルシーには衣装への情熱の全てを聞き取ることはできなかった。それでも理解できた言葉で判断するに、チェルシーをとても褒めてくれていて如何に可愛いくて愛しているか、という内容で。

 ソファーでピッタリ寄り添いながら、夜の一時を甘く過ごしていた時だったため、嬉しくなったチェルシーは雰囲気に後押しされて、フレッドに抱き着いてキスを強請った。一瞬だけ固まったフレッドだったが、優しくキスが落とされる。


「フレッド様、私、お隣に立っても恥ずかしくないよう頑張りますね。だからもっと私を必要として下さい」

 何度も優しく啄むようなキスのあと、鋭いけれど綺麗なフレッドの瞳を覗き込みながら、そう言うと、

「……うぅ、ぐっ。はぁ、チェルシー」

 フレッドは声にならない声を発したあと、感嘆の溜め息とともに愛しい妻の名を辛うじて呼んだ。


 チェルシーの願いにフレッドは内心複雑だった。


 愛おしさと執着が極まって、囲い込んでおきたい気持ちが先走り、結果チェルシーの役目を払い除けていたことは否めない。フレッドとしては、この屋敷にいて寝食を共にしてくれるだけでよかったから、チェルシーの負担になるような社交をさせるつもりもなかった。もちろん人目につかせたくない思いは大いにあったのだが。

 しかしそれは結果として、フレッドにとって恥ずかしくない妻でありたいというチェルシーの願いを潰してしまうことで。


 腕の中に閉じ込めていつまでもフレッドしか視界に入れないでいて欲しい気持ちと、望みを叶えてあげたい気持ちが秤にかけられる。本音を言えば閉じ込める一択なのだが、チェルシーから笑顔を向けられることの喜びを知ってしまった以上、彼女に理解のある良い夫だと思われたくもあり……。

 逐一動向を確認して、怪しい動きがあればその都度早急に対処していかなくては。


 ――なんせ不安要因があるのだから。


 そして現在その筆頭要因であるラルフは確実に今度の王城のパーティーに出席するだろう。あの男が着飾ったチェルシーを見て何と思うかは想像に易い。

 想像するだけで胸をかきむしりたくなるのに、実際目の当たりにしたらどうなってしまうのか?さらにチェルシーがラルフに好感を覚えたら……?


 そんな言葉に表せられない憂慮を振り払うように、目の前の愛しい存在に意識を向ける。キラキラと期待に輝く表情に、黒い感情が霧散する。要はフレッドが手を離さなければいいだけのこと。


「もちろん、今でも私の妻として充分すぎるほどだが、それでもそう言ってくれて嬉しい。チェルシー、君は私の人生になくてはならない存在だ。必要だなんて、寧ろ私を必要として欲しい」


「まぁ!フレッド様ったら!そんな大袈裟な」


 もちろん大袈裟なわけではない。心からの本音であり、屋敷中で周知の事実でもあるのだが。妖精が戯れるように、時折唇を啄みながら嬉しそうに微笑むチェルシーは分かっているようで分かっていない。もどかしさはあるけれど、そのままでいて欲しいとも思う。

 それが愛しくもあり、不安でもあり。


「大袈裟なんかじゃない。本心だ」

「フレッド様……」

 惚れ惚れするほど端正なフレッドの顔は、間近で見ると素敵すぎてドキドキと胸が高鳴ってしまう。格好いいと思っていたけれど、好きだと気付いてからは尚更だ。切れ長の臙脂色の瞳に見つめられると恥ずかしいけど嬉しくて。


(あら……?)


 いつものようにうっとりと眺めていたが、今はその瞳が不安そうに揺らめいているように見える。優秀なフレッドにとって、箱入りでまともに社交をしてきていないチェルシーが心配なのも頷ける。それでもずっと彼の隣にいたいから。


(どうかフレッド様の期待に応えられますように)


 決意を表すように、唇を深く重ねてフレッドの口内に舌を差し込み、いつもしてもらっているように彼の舌を撫で擦る。見開いた臙脂色がトロリと蕩けたことに満足して、チェルシーも瞳を閉じた。下腹部が甘く重く疼くのを感じながら。


 本来であれば、夕食後の一段落したこれから、湯浴みを済ませるためメイドが部屋を訪れるのだが、フレッドが明日の朝まで世話は不要といつの間にか伝えていたらしい。そのままなし崩しに一緒に入浴して、そのまま下着を着ける暇もなくベッドへと移動したのだった。


 それから一瞬だけ、チェルシーはタンスにしまったままの存在に気付いたが、それどころではなくなってしまったのである。

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