25.招待状

 フレッドは約束通り従者に言づけて、素早く馬車を店に送ってくれた。フレッドとしては愛妻の様々な下着姿が見たいという下心が含まれていたのだが、チェルシーは夫の心遣いに素直に感謝した。


 馬車を寄越した際に、店主には今後もチェルシーの意向をしっかり聞いて、より良い製品の作成に励んでもらうよう、少なくない投資金を手配したのだ。ランサム家お抱えと言っても過言でないその待遇に店員一同恐縮したが、それはデザインや技術を評価されてのこと。とても誇らしく、創作意欲をさらに掻き立てる結果となった。


 ただでさえ、来店したチェルシーに刺激された店主の熱量により、新たに型紙から起こしたものも少なくない状況だ。ランサム家の応接室は、チェルシーがあの日訪れた店舗さながらである。もしかしたらそれ以上かもしれない。


 それには同席したメイドたちも目を輝かせた。サイズ関係なく着用できるような、キャミソールやガーターストッキングなど色々と持って来てくれたようだ。


「こんなにも大変だったでしょう?」

「いえ!奥様に沢山見ていただけるようにと伯爵様が馬車を貸して下さったので」

「フレッド様が?そうだったのね」


 最愛のチェルシーに関しては、例えそれが下着であろうとも(だからこそ、なのかもしれないが)、全てにおいて最善を尽くす主人にメイドたちは微妙な気持ちになる。しかしそれもいつものこと。


「良かったら、あなたたちも好きな物を選ぶといいわ。サイズがあるものは難しいかもしれないけれど……」

 メイドたちに向かって、そう微笑むチェルシーに歓声が上がる。


 チェルシーとしても自身のオーダーしたものが紛れるようにしたかった、という狙いがあったので若干の申し訳なさはあったものの、おかげでメイドたちの意識は完全に目の前の商品に移っている。


 可愛らしいチェルシーの思惑には気付かないふりをしつつ、使用人にまで気を掛けてくれる優しさにメイドたちは感動していた。

 フレッドが暴走してしまわぬよう、しっかり守らねば……。いや、暴走してしまうだろうから、アフターケアをしっかり努めさせていただこう、とメイドたちは決意を固くした。


 * * *


 一方、フレッドは執務室でソワソワとしていた。

 先ほどからサインをするだけの簡単な作業が、ちっとも進んでいかない。


(一体どんなものを購入したのだろう。今夜、着けてくれるだろうか?いや、しかしチェルシーは恥ずかしがり屋だから、今日の今日では難しいかもしれないな)


 恥ずかしそうにしているチェルシーを思い出して、頬が緩みそうになる。が、外見上では特に変化はない。表情に乏しいフレッドなので、周りからは怖がられがちではあるが、その辺りは実は助かっていることも多い。


(できるならば今すぐチェルシーがいる応接間に行きたい……)


 そしてまだ明るい寝室でじっくりと堪能したい。が、しかし護衛も女性で固めた空間に、当主とはいえ突撃できるはずもなく。周りにはどう思われても構わないが、チェルシーに嫌悪されたら生きていけないから。


(いやいや、ここは我慢だ。チェルシーと結婚できるまで待った何年かを思えば、これくらいのこと……。それにそもそも彼女が買ったのは下着とは限らないじゃないか)


 逸る心を抑えるために、自分自身で宥めすかす。店先のショーウィンドウに飾られたランジェリーの印象が強すぎて、どうしてもあのようなものを購入したと思い込んでしまっているところがある。靴下などかもしれないし……。それはそれで見せてもらいたくはあるが。


 いい加減、停滞してしまった羽ペンを置き、執務机の上に両肘をついて溜息を吐く。一旦落ち着かなくては。


(随分と欲深くなってしまったものだ)

 最近までずっと、いてくれるだけでいいと思っていたのに。チェルシーから向けられる想いが心地よくて嬉しくて、もっともっとと望んでしまう。己がこんなにも堪え性がなかったなんて。


 椅子を鳴らして背凭れに背中を預け、天井を仰ごうとしたところで、執務を手伝っているハリスと目が合った。


「なんだ……?」


 彼の視線は残念なものをみるようで。長年の付き合いとはいえ主人に対する表情とは思えないが、基本真面目とはいえフレッドが妄想に忙しくなるのはよくあること。ハリスのほうもフレッドのことは十分すぎるほどよく分かっている。


「ハリス、言いたいことがあるなら言え」

「え?よろしいのですか?気もそぞろのご様子にお話する機会を窺っておりましたが」

「……そんな言い方くらいで躊躇するとでも?」

「分かりました。実は今朝、夜会の招待状が届きました。王室の……」

 立ち上がったハリスはフレッドの執務机の前まで近付くと、トレーに乗せた王家の紋章で封蝋された手紙を差し出した。


「はぁ?それは本当か?欠席には……」

「しないほうがよろしいでしょう。皇太子夫妻の第一子であられる王子のお披露目ですよね?」

 ハリスの話を聞きながら、フレッドは手紙の封を開けて中身に目を通す。内容は確かにそう書いてあった。

「ああ、確かに少し前に誕生されたのだったな。開催は……二週間後か」

「いいですか?奥様もですよ」

「…………分かっている」


 ハリスの視線が痛い。しかし今回ばかりはチェルシーを参加させたくない、重大な理由がある。


「実はコリンズ家のあの長男がチェルシーに会った」

「え……?」

 懐かしい人物にハリスは驚いた。フレッドと婚約をしたチェルシーに何度も求婚をしていた令息だ。それでも結婚してからは近寄ることもなかったはずなのに。


 ハリスも彼のことはよく覚えている。フレッドは静かながら怒り心頭であったし、当時存命だった先代をも巻き込んでランサム家は大騒ぎとなった。

 母親同士が友人関係にあるため、表だっては何もできず。チェルシーの父である男爵に頼み込んで絶対に会わせないよう、キッパリ断ってくれるよう再三お願いした。にもかかわらず諦めが悪く、男爵家としても伯爵家であるコリンズ家をこれ以上無下にもできないと泣き付かれたので、結局はランサム家と婚約をしているから一切を諦めて欲しいと強く言う他なかった。


 その男がなぜ今更?


「まだあの男は諦めてなんかなかったんだ。あの目は挑発的だった。チェルシーに会えるいい機会となる、このパーティーに必ず出席するはずだ」

 メラメラと青い炎を背に、フレッドが怒りを露わにする。彼の言わんことは分からないでもなかった。結婚しているとはいえ、火遊びや愛人を持つことは珍しい話ではない。それを恐れているのだろう。


「しかし以前だったらまだしも、今のお二人にはあの方が入り込む隙なんてないはずでは?」

「以前……?そうか、あいつは最近のチェルシーとのことを知らないな。なぜかは分からないが、近頃のチェルシーはとても甘えてくれるんだ」

 愛おしい妻とのやり取りを思い出したフレッドの怒りは一瞬で鎮まる。

 チェルシーの頼みであれば殆どの望みは叶えてあげたいフレッドであるが、これまでは周囲から彼女の要望を聞かされて手を回すことが殆どだった。しかし最近はフレッドに直接頼み事をしてくれるようになったチェルシー。


 これは想像以上に嬉しいことだった。

 その際、話始める前の恥じらった様子や、少し不安そうな表情が可愛すぎて、可愛すぎて。どんな無理難題でも叶えてあげたい。それなのに彼女の頼みは些細なことが多く、それもまた可愛くて仕方がなかった。


「そうですね。旦那様の想いが報われてなによりです」


 フレッドとチェルシーは世間では仲が良好とは思われていない。最近でこそ街などで認識を改められつつあるが、貴族の間には浸透していないだろう。


「いっそ見せつけてやろうか。しかし可愛いチェルシーを狼の巣窟に連れていくのは気が引けるな……。いやしかし私が隣でいつものように目を光らせていればいいわけだが。ああ、それでも着飾ったチェルシーを見る権利は私だけのものだ」


 再び自分の世界に入り込みそうになるフレッドを引き戻すため、ハリスは両手を鳴らした。


「旦那様。口を動かすのは結構ですので、どうぞ手も動かして下さい。さっさとやるべきことを終わらせて、仲睦まじい様子をアピールすべく、お揃いの衣装を新調してはいかがです?」

「揃いの衣装……」


 手紙を持つフレッドの手に力が籠る。もう一押しだとハリスは確信を持った。


「奥様と一緒に選ぶのも楽しいでしょうね。でも早く終わらせていただかないと、期間があまりありませんから凝ったものはできないかもしれません」

「……分かっている。すべき分をまとめて持って来てくれ」


 こうやってハリスは今までも彼を陰ながら動か……応援してきたのである。

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