14.危惧していたこと

「今回のお話も素敵だったわね」

「……そうですね。とても、素敵でした」

 サマンサの言葉に、チェルシーは深く頷いた。

 素敵だっただけではない。とても有意義だった。なんせ夫婦生活に彩りをもたらせてくれそうな情報を得たのだ。今まで恋愛がテーマの芝居ではヒロインに感情移入して観ていたけれど、今回は主に恋の駆け引きやテクニックという点で非常に参考になった。


 恋愛初心者のチェルシーは、周りに同じ目線で恋愛相談できるような人物がいない。しいていうならばメイドのマリーではあるが、目下の悩みである、フレッドにこれからも好きでいて欲しいから、そのためにできることは何か?なんて、彼の耳に入ったら恥ずかしいから、なるべく屋敷の者ではないほうが良かった。

 誰かに相談をしないと解決しないかと思っていたが、まさか偶然観に行った舞台で解決するとは。


 ヒロインとの会話でその友人の一人が、

『マンネリ防止にはやっぱり際どい下着で誘惑するといいわ』

 という台詞を言って、これだ!と思ったのだ。メイド任せで毎日似たような下着のチェルシーは衝撃を受けた。危ない……。このままでは、いつしか飽きられてしまうところだった。名前は思い出せないけれど、ありがとうヒロインの友人C。


(これでフレッド様にもっと夢中になってもらえるかも……)


 お芝居とは関係なくポポッと頬を染めたチェルシーだったが、その姿は愛らしく、サマンサの目尻が下がる。


「相手役の俳優、いい男だったわ。若い子たちはやはり、あんな男性が好きかしらね?」


 物語の女主人公の恋人となる男性は、わりと押しの強いタイプのキャラクターであった。

 実際に存在していたら些か疲れそうだと思ってしまうのは、サマンサが年齢を重ねたからだろうか。しかし恋物語ならば、そういう男性は素敵に映るからチェルシーがうっとりするのも仕方のないことだ。

 やはりまだ年若いチェルシーにとって、はっきりと愛を囁いてくる強引な男性が好ましいのかもしれない。


(フレッドに知れたら面倒くさそうね)


 当主として朝からバタバタと出掛けていった息子に対し辛辣に思う。というのもハリスだけでなく、サマンサもまたフレッドのことをよく知る人物に他ならない。フレッドもある意味強引ではあるが、それをチェルシーが知ることはないだろう。


 フレッドは今朝、出掛けに一緒に行く予定だった夫人の護衛や息子など、男性ををくれぐれも同行させないように、と丁寧な物言いながらもしつこく言ってきた。そんなこと言われるまでもなく分かっている。何年彼の母をやっているというのか。


「だったら本人に、よそ見をせず自分だけ見て欲しいと言えばいいじゃない」

 と言えば、あっさりと引き下がった。ハリスのように言いたいことを我慢しなければいけない立場ではないのだ。

 縛り付けておきたいのに、嫌われたくない思いが強すぎて直接言う勇気もない。我が息子ながらなんと情けないことか。チェルシーが本気でフレッドに嫌気が差したら、逃げ道を確保してあげようと思う。それはそれで寂しすぎるから、自分も一緒に逃げて欲しいとわりと本気で思っているサマンサである。


「ヒロインの、ですか?えっと……私が素敵だなって思ったのは……」


 ウンウンと一人頷くサマンサに、チェルシーは少し言葉を詰まらせながら話し出した。おや?とチェルシーに向き直る。どうやら認識に齟齬があるようだ。


「その友人役の背の高い方が、フレッド様に似てる気がしてずっと目で追ってしまったんです」

「え?友人?」

 芝居の内容を思い出す。確かにスラッとした体躯のその俳優は髪型もフレッドによく似ていた。が、しかしサマンサは主役二人に注目していたため、その友人役の印象は弱い。良くも悪くも脇役であった。


「確かに居たわね。あまり覚えてないけど」

「彼が友人に、妻への愛を語っていて……」


 少し治まっていた頬が再び赤くなる。


「フレッド様も、ご友人にそうやって私のことを話して下さってたら……嬉しいなって思って観てました」


「――――っ!」

 モジモジと恥ずかしそうに告げるチェルシーを見たサマンサは、額に手を当て天を仰いだ。可愛い。うちの嫁が可愛すぎてつらい!穴を掘って叫びたくなった。しかしここでは無理だ。そもそもスコップがない。


「お母様?」

「ああ、チェルシー。なんて可愛いの!いえ!可愛らしいのはよく知っているわ。それでもどうしてそれ以上を目指そうとするの?……って、これじゃあフレッドのことを言えないわね。でもね、この愛らしいあなたを前にしたら仕方のないことだわ!」

 正直息子にはもったいない。けれども他所にやるわけにはいかないので、どうか不器用なフレッドに愛想をつかさないで欲しいと願うばかり。

「え?あ、ありがとうございます?」


 早口で捲し立てたサマンサに、確実に遺伝子を感じたチェルシーだったが、褒められていることは分かるからお礼を言った。一応。


「コホン……じゃあこれからお茶でも……」

 チェルシーの戸惑いを感じたサマンサは咳払いひとつ落とし、誤魔化そうとしたその時。


「サマンサ!」


 背後から声が掛かった。振り返るサマンサの横から、チェルシーも顔を傾げて声の主を見た。


「あら!アンじゃないの!」

「今日はご一緒できなくてごめんなさいね。さっき用事が終わったものだから、もしかしたらまだ近くにいるかと思って来てみたのよ。会えて良かったわ」

 サマンサと同じ歳くらいの貴婦人は見覚えがある。屋敷にも遊びに来ているし、もちろん結婚式にも参列してくれていた。アン=コリンズ伯爵夫人だ。


「そうよ。あなたのほうがこのお芝居を楽しみにしていたというのに」

 会話を聞いて合点がいく。アンが来れなくなって、チェルシーが誘われたということか。

「直前になって申し訳ないわ。でもあなたに観てもらえて良かった」

「いいえ、娘に付いてきてもらったから気にしないで」

 振り向いたサマンサと目が合ったチェルシーは、少しだけ前に出て挨拶をした。


「ご無沙汰しております。コリンズ伯爵夫人。チェルシー=ランサムでございます」


「まぁ、まぁ!お久しぶりね、チェルシー。随分と美しくなって……。これじゃあフレッドも心配が尽きないわね。ねぇ、ラルフ」


「ええ、そうですね。彼が羨ましい」


 アンの背後から前に出た青年に、サマンサは内心で今朝の面倒くさいフレッドを思い出していた。

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