13.恋心と距離
昨晩は執務が忙しかったのか、いつまで経ってもフレッドが寝室に来てくれず、どうやら待っている間に寝てしまっていたらしい。ここ最近毎日のように抱かれていたから、知らずに身体に疲労が溜まっていたようで熟睡していて彼がベッドに入ってきたことに気付かなかった。
早々に寝たおかげか、今朝は久しぶりにフレッドよりも早く目を覚ました。
(あ、遠い……)
以前のように人ひとり分ほど離れたその距離がやけに寂しくて、彼が寝ているのをいい事に、もぞもぞと移動してしがみつく。いつもの気怠さがなく、少し前は日常であったスッキリとした朝はこんなにも爽やかなのに、そんな以前の距離に戻ってしまったらと思うと焦燥感に駆られた。この温もりはもう手放せない。
どこにも行かないで、と希うように抱き付いたまま首元に顔を埋めると、胸がキュッと甘く締め付けられた。口にすると彼を起こしてしまうから、心の中で『好き』と呟く。すると心が喜んだ気がした。
フレッドを好きなことが、こんなにも嬉しい。
結局安堵感から再びウトウトしてしまい、気づいたらいつの間に起きていたのか、フレッドが嬉しそうに髪を梳いていた。
「おはよう」
「あ……、おはようございます。いつから起きていたのですか?」
「チェルシーが抱きついてくれた辺りかな」
どうやらフレッドは最初から気付いていたらしい。恥ずかしくて頬に熱が集まる。
「まぁ!起こして下されば良かったのに」
「夢かと思ったものだから……。まさか君からそんなことをしてくれるなんて。そしたらなんと現実だったなんて。……とにかく幸せを噛み締めていたんだ」
「ああ、もう、好き」
あまりにもフレッドが優しく微笑むものだから、思わずそう零してしまった。目を見開くフレッドの表情で、言葉に出してしまったことに気付いたチェルシーは狼狽えた。
* * *
もちろんチェルシーに対する感度が、常に良好であるフレッドが聞き逃すはずもない。しかしその言葉の意味を理解できなかった。
昨晩は休息している天使のような様子で寝入っているチェルシーを見つめて堪能したあと、抱きしめて眠ろうとした手を止めた。気持ちよさそうに眠っているから、起こしてしまっては可哀想だ、と少し離れて横になる。
以前は当たり前だったこの距離。まさかこれが当たり前じゃなくなるなんて。腕の中が寂しいが同じベッドで寝ているだけでも満足ではある。小さな寝息を聞きながら、フレッドも眠ったのだが。
柔らかな感触に目覚めてみれば、チェルシーがしがみ付いていたのだ。
初めは夢かと思った。が、しかしその温もりはまごうことなく現実であった。状況を整理していると、チェルシーは首元にすり寄ってきたではないか。緊急事態発生である。
フレッドはチェルシーに愛を与えることには惜しみないし、当然だと思っているが、彼女から与えられることには慣れてなかった。片思いが長すぎたのだ。
抱き付いたことで、安心したように再び寝てしまった愛おしい妻。彼女のその行動は、踊り出したいほど嬉しいし、何なら今日を領民の休日に制定したいほどである。
フレッドは喜びを噛みしめながら、起こしてしまわぬよう柔らかな髪でそっと遊んだ。
しばらくしてチェルシーが身じろいで長い睫毛が震え、ゆっくり瞼を上げた。声を掛ければ、舌足らずな返事が返ってきて、思わず掻き抱いてしまいそうになる手を押さえつけるのに必死だった。
しかしそれだけでは終わらなかったのだ。
チェルシーが抱き付いていたことに気付いていたと話すと、白く滑らかな頬が薔薇色に染まった。頬を染めながら、起こしてくれれば良かったのにと話す妻のあまりの可愛さに、つい饒舌になる。
これはフレッドの悪い癖だ。ついハリスの前でしているように、あろうことかチェルシー本人の目の前で語り出してしまった。途中気付いて無理矢理締めくくったが、気持ち悪がられてはいないだろうかと不安になる。
だが、これは一体どういうことだろう。先ほどの緊急事態よりも緊急事態である。
頬を染めたまま、うっとりとした表情で、
「ああ、もう、好き」
と言われて思考が停止した。
* * *
「あ、えっと、いえ……」
チェルシーの心臓は寝起きだというのに忙しくなる。思わず心の声が漏れてしまった。固まっているフレッドはしっかりと耳にしたのだろう。
けれどそれは言い間違いなんかではない。
「いきなりすみません……。でも本当のことなんです。フレッド様を好きな気持ちが抑えられなくて」
チェルシーはフレッドと違って溜め込まない性格である。恥ずかしいけれど、想いは口にしたい。早口で聞き取れないことはよくあるけれど、フレッドなりに伝えてくれる愛の言葉は嬉しいから彼にも返したかった。
日を追うごとに好きになっていく。そうすると今までになかった感情が芽生えてくる。
ずっと好きでいて欲しい。チェルシーだけを見て欲しい。
そんなものは杞憂に過ぎないが、初めて恋を知ったチェルシーには抗えないものであった。
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