12.小さな恋のその先
「チェルシー嬢とまたお会いしたいです」
その日の夜、両親にチェルシーとのことを聞かれたフレッドは食い気味でそう答えた。二人は驚いたものの、頬を上気させた子供らしいフレッドの表情に頬が緩む。
「なんと!よほど楽しかったようだな。落ち着いたら、改めてお礼とともにブラウン男爵に伝えておくよ」
「いえ、お父様、すぐにでもお願いします」
フレッドの焦ったような物言いはあまりにも珍しく、伯爵夫妻は嬉しくも戸惑いを隠せなかった。
「まぁ、フレッドったら。そんなに焦らなくても」
「お母様、チェルシー嬢はあまりにも可愛らしいので、うかうかしていたら誰かに奪われてしまいます。そんなことになったら、これからどうして生きたらいいのか分かりません。僕は生きがいというものを見つけてしまったのです。もちろんそれはチェルシー嬢です」
「「え!?」」
夫婦同時に声が上がる。夫人のサマンサは少し大きな声を出してしまったことに気付いて、慌てて手に口を当てた。
「しかし……」
言葉はいつも簡潔明瞭。頭で整理してから口にする、飲み込んだ言葉も沢山あるであろう口数の少ない息子が、何やら早口で捲し立てた。欲しいもののおねだりすらしたことがないフレッドが、あからさまに欲したのは玩具などではなく年下の令嬢で。
二人は言葉につまった。けれど普段我儘ひとつ言わない息子の願いは叶えてあげたくもある。そして初めておねだりをされたことが単純に嬉しかった。
「彼女は妖精か天使かと思ったのですが、生きているんです。だからこのままではどこかの家に嫁いでいってしまう。そんなことになったらどうしたらいいのですか!」
「いや、あのお嬢さんは五歳ぐらいだっただろう。まだそんなことにはなるはずもない」
「でもいつかはそうなりますよね?だったら僕が一番仲良くなっていれば安心です。それにブラウン家とは仲良くされているのでしょう。だったら何も問題ないのでは?」
「うーむ……。まぁ、それはそうだが……」
「ちょっとお待ちなさい!」
十歳の息子に丸め込まれそうになっている伯爵に、夫人が慌てて声を挟んだ。
「あの子の意志は聞いたの?チェルシーがフレッドのお嫁さんになりたいというならば反対はしませんが、無理強いはいけません。嫌々連れてきて、あの笑顔が消えたあの子が見たいわけではないでしょう?」
未だかつてない強引さを見せるフレッドは、優秀とはいえまだ子供だ。チェルシーの状況を慮ることができるとはいえない。
「それは……。だったら!」
母親の言葉に気付いたのかフレッドも言葉に詰まる。しかし強い意志の籠った瞳を向けられて、サマンサはたじろいだ。
「チェルシーが僕のお嫁さんになりたいって言ってくれるように、もっと仲良くなりたいです。それには何度も会わなくてはなりません。こんなにも誰かと仲良くなりたいと思ったのは初めてなのです。お願いですから至急男爵家に連絡してください」
「はぁ、分かった。今すぐに手紙を書いて送ろう。だから安心してもう休みなさい。返事が来たら教えてあげるから」
そこまで言われてしまえば頷くほかはない。伯爵はすぐにそう返事をした。サマンサもこれ以上口を挟まなかったのはフレッドの瞳が潤んでいたからだ。最終目的はどうであれ、誰かと仲良くなりたいという最愛の一人息子の一生懸命な姿に絆されてしまった。
何も知らないキラキラと楽しそうな幼女を思い出す。ああ、せめてフレッドのことを好ましく思ってくれればいいのだけれど。
一方そのころ、チェルシーはベッドの中で、昼間に会った王子様みたいな男の子を思い出していた。父からは物静かであまり友達と仲良くするのが好きではないらしいと聞いていたが、そんなことはなく。確かにチェルシーの知る男の子の中では物静かだったが、その表情は柔らかだったし優しかった。
周りの大人と違い、チェルシーの話を真剣に聞いてくれたのだ。
「また遊びたいなぁ」
けれど友達になれたかどうかは曖昧で。
あの子のお家は偉いところだとお父様はおっしゃってたし、なかなか誘ってはもらえないかもしれないな、と思うと寂しくなって、でもどうしたらいいのか分からず固く目を瞑る。そのまま夢の世界に旅立ったチェルシーは、またすぐにランサム家に招かれるなんて思いもよらなかった。
* * *
「しかし二人で行くというのに、私が付いていくのもおかしいだろうか。いっそ代わってもらえたら……」
「フレッド様、明日は商工会の会長との定例会ですよ。そんな暇はございません」
「……分かっている」
ハリスの言葉にフレッドはあからさまに顔を顰める。この素直さをチェルシーの前でも出せばいいのに、と思うがそれができていれば、もっと早くから仲良くなっていただろう。
チェルシーと結婚できて、フレッドの目標は達成されたかのように思われたが、それは新たな目標の始まりでもあった。積年の想いを叶えて妻へと迎えたというのに、フレッドは愛しすぎる存在と共に生活をするという極度の緊張と、それでも消えない執着は斜め上に向かい、何故かチェルシーをあからさまに避けていた。屋敷の全員がどれほど、もどかしい思いをしただろう。
男爵家を説得して早々に婚約し、チェルシーがよその家から求婚されれば全力で潰し、騎士になって屋敷を離れてからは不埒な輩が近づかないよう、ランサム家の使用人を何人か男爵家に置いたというのに。
最近は良い方向に向かっているようだが、フレッドが直接向き合わない以上、周りがどうこう出来るはずもなかった。
ブツブツと呟いているフレッドにハリスは心で溜息を漏らした。主として執務やそれに関わる能力においては尊敬するが、ことチェルシーに関しては弟を思うように心配してしまう。
かの日のフレッド少年はチェルシーへの情熱はそのままに、すっかり大人になってしまった。いきなり騎士になると言ったときは全員が大層驚いたものだが、皆何となくその原因が分かっていたので誰も反対はしなかった。……というよりも、しても無駄だと理解していた。
今となっては、そのおかげで現在伯爵としての業務に騎士団の助けを借りれるし、何かと箔がついたのも事実。少女の言葉に振り回されて、それでいいのかと思わなくもないが、それ以外に彼を動かすものはないだろうとも思う。
結局はフレッドが大切にしているチェルシーを大切することこそが、ランサム家を支えることに繋がるとハリスは考えている。もちろん彼女も一生懸命に伯爵夫人の執務を覚えようとしているし、家だけでなく使用人を大切にしてくれて、皆感謝以上の気持ちがある。
だからハリスとしては気晴らしに外出くらいさせてあげたかった。仲の良い友人もいるようだが、互いに嫁いでしまい会う機会はそれほど多くはない。それはサマンサとて同じ気持ちなので、頻繁にチェルシーを誘うのだ。
しかしフレッド本人は複雑だった。愛しいチェルシーには好きなことをさせてあげたいが、自分の知らないところで誰かに見初められたり、一目惚れしたりしないかが不安なのだ。過去の自分がそうだったように。
夜会でも騎士団でもそんな話は嫌というほど耳にする。結婚するまでは、誰のものでもないチェルシーに焦りを覚えていたが、したからといって大した鎖にはならないということに気づいてしまったのである。それに最近はフレッドに向けられる熱の籠った眼差しを知ってしまった。
「……でしたら定例会のレストランと劇場は近いので、帰りにお迎えにいけばよろしいでしょう。多分時間もいい頃だと思われます」
「なるほど……!」
長い間一緒に過ごして、彼の心情をすぐに察することができるようになったハリスは、あからさまに落ち込んでいるフレッドに助け船を出した。チェルシーという存在は彼の活力になる。言い方は悪いが、業務をこなしてもらう上でうまく利用するととても効率的だ。
「ですから、こちらの決裁を。明日の分までしていただければ自由時間も増えましょう」
「そうだな。ではそこに積んでくれ」
ハリスはついでに明後日のまでの分をも纏めて、執務机にドサリと置いた。
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