15.友人の息子
まさかこんな出会いがあるなんて露ほども思わず、これは仕方ないことだと言い聞かせるも、些かげんなりしてしまうのは無理もない。
「……あら、ラルフも一緒だったのね」
それでも元伯爵夫人としての仮面を貼り付けて返事をする。
「ご無沙汰しております。ランサム伯爵夫人」
「私は『元』だわ。今はチェルシーが伯爵夫人なの。チェルシー、こちらコリンズ家のご令息のラルフ卿よ」
この状況でチェルシーに紹介しないわけにもいかず、サマンサは渋々と促した。
彼は友人の息子で、たしかフレッドより一歳年下だったか。フレッドとは真逆の、明るく感じの良い好青年だ。ブロンドの緩いクセ毛が人懐っこい表情に似合っている。
「チェルシーと申します。はじめまして、でよろしいでしょうか?」
「そうですね、こうしてご挨拶させていただくのは初めてですが、私は存じ上げておりましたよ」
にこやかに会話をする二人をよそに、ラルフに思惑がないことを祈るばかり。
しかし若い男が皆、フレッドのようにチェルシーを好きになるなんてあり得ないと、客観的に見れば分かるのだが、一緒に暮らしているとどうしても贔屓目で見てしまう。あとはフレッドから外出時の心配事を常々聞かされているのも原因かもしれない。
「まぁ、そうでしたの。それは失礼いたしました」
「こんな愛らしい方を忘れるはずがありません」
「まぁ! ええっと……」
ただの社交辞令だ。そんな台詞は若い女性が相手なら、誰だって挨拶代りに吐くもの。しかしチェルシーといえばフレッドに囲われた純粋培養乙女。彼が握りつぶした社交は少なくない。
そのためラルフの言葉に、社交辞令とは分かっていても、恥ずかしそうに頬を染めてしまうのも仕方がなかった。その初心な仕草は大変可愛らしいものだが、サマンサとしてはフレッドのためにも、この場では耐えて欲しかった。間近で向かい合ったラルフは、まさかそんな反応をされると思わなかったのか、目元を若干赤くしながら、そわそわとしている。纏う空気が些か甘い。
「あら! ラルフったら! チェルシー嬢はもう既にフレッドのお嫁さんなのよ!」
そんな何ともいえない空気を破ってくれたのはアンであった。サマンサが言うよりも角が立たず、心の中で友人に感謝をした。
「わ、分かっておりますよ! ご挨拶しただけじゃないですか。……失礼しました。あまりにも可愛らしくて」
万人受けしそうな笑みに切り替えてチェルシーに向けたラルフだが、サマンサはアンの言葉に引っ掛かりを覚えた。
(……もう既に? ってどういうことかしら……?)
「ねぇサマンサ、今からお茶でもいかが? お芝居の感想を聞かせて欲しいわ」
「え? ええ」
他所事を考えていたサマンサは思わず返事をしてしまってから気付いた。もう帰らなければ、と言えば良かったと思うが後の祭り。
「若い子に私たちのおしゃべりに付き合わせるのも悪いかしら。ラルフはどうする?」
「それもそうだけど今日、うちの侍従は馬車の従者一人だけなのよ。だからチェルシーと離れるわけにはいかないから……」
「では私が伯爵夫人をうちの馬車で屋敷まで送り届けましょう」
先ほどのやり取りから、伯爵夫人とはチェルシーを指すのだろう。ラルフを見れば、案の定チェルシーを見ながら話している。
「私も失礼するわ」と締めようとしたサマンサだったが、ラルフより出遅れてしまった。アンの隣に立っていたラルフはチェルシーに歩み寄った。嫌な予感しかしない。
一方、穏やかに微笑みながらそう言ったラルフの言葉に、チェルシーは笑顔を貼り付けたままで、内心どうしたらいいのか困惑していた。褒められた恥ずかしさなんて、吹き飛んでしまっていた。
一緒に行くはずだった友人に会えたサマンサには、気兼ねなくお茶でもしてきて欲しい。けれど知らない男性(ラルフは知っているようだが)と二人きりは嫌だった。なんせチェルシーにとって男の友人は皆無で、男性と言えば実家の父や弟かフレッド、それに使用人くらいしか身近にいないし、彼ら以外と街を一緒に歩いたことなどない。
確かに男性慣れしていないが善意で送ってくれるというラルフに、それをこの場で言えるはずもなく。伯爵夫人だというのに、世間知らずな自分を恥じていた。
それにチェルシーはこの後、帰りにランジェリーショップに寄るという目的があった。そこは義理とはいえ母と行くのは憚られる。その点で言えばアンがサマンサを誘ってくれたのはラッキーだ。
「お母様、折角なのでゆっくりしていらして。私、寄りたい店もありますから」
「それは駄目よ、チェルシー。危ないわ!」
「まぁまぁ、サマンサったら。いくら可愛らしいとはいえ、未婚でも子供でもあるまいし」
フレッドの面倒くささを知らないアンの言うことは尤もだ。慣れてしまっているが世間一般から見て確かに過保護すぎる。体面がサマンサの言葉をグッと飲み込ませた。
「ラルフ卿、私はランサム家の馬車で帰らせていただきますから、お母様を送ってさしあげて下さいな」
母の同行も恥ずかしいのに、さっき会ったばかりの男性と下着を見るなんてありえない。一人で大丈夫です、と言外に込めて話す。
「それがいいわね! そうしましょう」
アンが同意してくれて、ホッとチェルシーは安堵した。どうやら大好きな母の友人を不快にさせずに済んだようだ。
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