5.可愛い旦那様

 それからフレッドが本当の食事をとったのは数刻ほど後のことである。先ほどまでの熱気をそのままに、しどけなく夫婦のベッドに寝そべるチェルシーの胸元を直してやりながら頬張るパンのなんと美味いことか。


 寝室に食堂さながらの食事の準備をさせようとしたフレッドを、事後の気だるさのなか、慌てて先に母と夕食を済ませたと訴え、ならばと軽食を用意されて今に至る。



 時折果物を口に入れられながら、ぼんやりと満足そうにしているフレッドを眺めた。


 知らなかった。彼がこんなにも情熱的だなんて。未だに下腹部は熱を持っていて、愛された名残がある。

 時折フレッド自ら口に運んでくれる果物の水分が火照った身体に心地よい。普段ならば恥ずかしくて遠慮してしまっていただろうが、散々啼かされた身体はあまりにも気怠く、雛のように、ただ口を開けて甘受した。


 フレッドはというと、嬉しそうに世話をしている……気がする。まだチェルシーにはそこまでの理解はできなかった。そういえば、と最中余裕のない表情を思い出して、密かに頬を赤らめた。

 彼は全くの無表情なんかではない。逆に普段乏しい分、少しの変化に気付いた時は嬉しくなる。それがチェルシーに関わっていれば尚更。しかし彼女が関係しなければ、あまり変化がないことは知る由もない。


「今日は何をして過ごしていた?」

 小さな唇から少し溢れた果汁を指で拭いながら、フレッドは尋ねた。その指を自らの口に持っていき、ぺろりと舐めたのは無意識だ。この事後特有の雰囲気は甘く、先ほどまで隙間なく愛し合っていたから、互いに距離が近かった。チェルシーもその仕草を眺めてはいたが、あまりにも自然で羞恥を感じることもない。


「いつも通り執務のお手伝いをしたあと、お義母様と刺繍をしていました」

「無理に執務などしなくていい。君はこの家に存在してくれるだけでいいんだから」

「ふふ、そんなわけにはいきませんわ。私だってランサム家のお役に立ちたいんですもの。だって私フレッド様の妻ですから」


「……っ!!」


「フレッド様?」

 それまでは流れるように甘やかしてくれていたフレッドがいきなり固まってしまったので、チェルシーは首を傾げた。


(何かおかしなことでも言ってしまったかしら?)


 そう自身の発言を思い返してはたと気が付く。もしかして『妻』という発言が気に入らなかったのだろうか。最近は目に見えて打ち解けていたから思い上がってしまったのかもしれない。なんせ彼は少し前まではチェルシーに氷点下の態度を取っていたのだから。


「……すみません。妻だなんて烏滸がましいですね」


 沈んだ言葉に、ハッ!と我に返ったらしいフレッドが、音を立てて皿をテーブルに置いたのでチェルシーは身じろいだ。グラスに残ったワインを飲み干してナプキンで雑に口を拭うと、ベッドに乗り上げる。いつもそつがない動きのフレッドにしてはやけに慌ただしくて、チェルシーは少し気落ちしたことが吹き飛んだ。

「違う!そうじゃなくて!」

「えっ?」

 フレッドの体重を受けてギシリと軋むスプリングの音は、先ほどの情事を思い出させ、僅かに頬を染めたチェルシーに気付くことなく、纏っていたシーツごと強く抱きしめられた。


「烏滸がましいのは私のほうだ!ああ、違うんだ。チェルシーの口からそんな、つ、妻だなんて言われて嬉しくて舞い上がってしまっただけだ」

 何度もその言葉を脳内で噛みしめてはいたが、実際声に出してみると照れくさい。が、それよりも嬉しさが勝った。


 チェルシーはフレッドの妻であるし、フレッドはチェルシーの夫である。


 何という素晴らしい響き。存在だけでもありがたいのに役に立ちたいとまで言ってくれるチェルシーは多分、いや絶対天から遣わされた女神である。空に返すつもりはないが。

「チェルシーがしたいことならばなんでもすればいいが、頑張りすぎて体調を崩してしまわないように」


 女神はというと、さらにフレッドの背中に手を回し、優しく撫でてくれる。

「あら、私ってすごく頑丈なんですよ?子供だって何人でも産んでみせます!」

「……え?子供?」

 抱きしめていたフレッドが肘をついて身体を起こした。瞳が至近距離でぶつかる。未だにこの距離感は照れくさいが、まさかの角度から質問をされてチェルシーは頬を染めるより先に目を瞬かせた。フレッド以外のわけがない。


「そりゃあフレッド様に決まってますよ?」


「!!」


 無表情ではあるが至近距離だからこそわかる、フレッドの目元が微かに赤らんでいる。普段は洗練されて隙がなく、それゆえ冷たく見えるほどなのに。


(私の旦那様、可愛すぎる……)


 相変わらず整っている顔の表情筋は働いてはいないものの、目元だけでなく、サイドの髪から少し覗く耳朶も赤らんでいる。その僅かな変化に胸がきゅんと締め付けられた。愛しさがこみ上げてくる。


「チェルシーは私の子供を産んでくれるのか……」

 眉間に皺をよせ、目を瞑っているフレッドは以前のチェルシーならば怒っているのかと不安になっていただろう。今でも若干その時の気持ちが蘇らないわけでもないが、その変化がチェルシーを勇気づける。


「当たり前です!妻ですもの。それに!あんなことフレッド様以外とは致しません」

「そうだ、そうだな。私もチェルシー以外はあり得ないし、考えたこともない」

 きっぱりと断言するフレッドに嬉しくなる。


「私の大好きなフレッド様は妻だけでなく、母にもしてくれるんですよね?」


「……っ!」

 ついにフレッドは俯いてチェルシーの鎖骨に顔を埋めてしまった。小さく「これは夢か?」と聞こえてくる。

「ね、フレッド様、お顔を上げてくださいな」

 先ほどの表情をもう一度見たかったチェルシーは、首を起こして形の良い旋毛にキスを落とした。

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