春の宵 レイチェル=ボートー3
そして翌日。ニック様からお手紙が届いた。次の定休日にお出掛けしませんか、とのお誘いだ。
定休日は週に一度。諸々と考えると、お声かけは早い方が助かるけれど。
「仕事が早いわ」
今は開店準備中。ホールではスタッフが掃除をしたり、メニューを並べたりしている。私はアンと、つり銭や今日の予定の確認中。
昨日は驚いて、考える間もなく了承してしまった。……考えても、嫌ではないのだけれど。
うーん、と悩む。
「オーナー。何かお悩みですか?」
「アン。悩みと言うか……まあ、悩んでいるわね。ニック様からお出掛けのお誘いが来て」
「ああ!昨日素敵に口説かれていましたよね!いいじゃないですか」
「口説かれっ……」
「口説かれてましたよね?」
いい笑顔で言われる。
「そ、そうねっ?!」
顔に熱が集まるのが分かる。恥ずかしいったら。
「嫌なんです?」
「嫌じゃ……ないわ」
では、なんです?とアンは首を傾げる。
「何というか……今更?かしらとか……」
そう、仕事に夢中でそういう事からは遠ざかっていた。
「恋愛に今更も何もなくないですか?無理にした方がいいとも思いませんが、無理に避けなくてもいいとも思いますが」
ストレートなアンの言葉に、ハッと気づき沈黙してしまう。
「あっ、申し訳ありません、私なんかが烏滸がましく」
沈黙に、慌ててアンが謝罪してくる。
「違うの、確かにそうだわと思って。ありがとう、アン」
「いえ、そんな」
「そうね。まだどうなるか分からない事だもの。一度、お会いしてみるわ」
「それがよろしいかと思います!」
アンが、更に嬉々とした笑顔で答える。
……後日、どんなお誘いも作り笑顔でスルーしていた私が、あの日、口説かれているのを驚いていることに驚いたし、勢いとはいえ拒否しなかったので、これは!!と思ったのだと言われるのだけれど。
まだ、そんな事は露知らず。
「お返事を書くから、配送を頼みに行って貰える?」
「もちろんです」
さて、懸案事項が済んだ所で、今日も大好きなお仕事です。
◇◇◇
「こんにちは、レイチェル様」
「ご機嫌よう、ニック様。お迎えありがとうございます」
あっという間に定休日だ。ニック様が『ファータ・マレッサ』の寮、兼、私の自宅に迎えに来てくれた。
もちろん、王都にボートー家の家はある。あるが、弟が結婚して当主を継いだので、いつまでも小姑がいてもと思い、この二号店と同時に従業員寮を兼ねた自分の家を建てたのだ。門番も雇っているし、女性にも安心と好評だ。お家賃はお給料から天引き。通常の半額くらいで住めるようにしている。エマから教わった、従業員の福利厚生というものの1つだ。
「立派な寮ですね。俺も入居したいくらいです」
「まあ、ありがとうございます。ではぜひ、当店へ就職を」
「採用して頂けますか?」
「アンと私の面接を受けて頂ければ」
「厳しそうですね」
「厳しいですよ?」
ふふふっ、と微笑み合いながらエスコートを受けて馬車に乗り込む。久しぶり過ぎて緊張しているのは内緒だ。
「レイチェル様。どこか行きたい所はありますか?」
向かいの席に座った、ニック様が聞いてくる。
「特に考えておりませんでしたわ、ごめんなさい」
「いえ、では本日はお任せ頂いても?」
「ええ。楽しみにしております」
「……なかなか緊張しますね」
ニック様が微苦笑しながら答える。
「精一杯エスコートします」
「そんな、あまり気にしないでくださいませ。……実は私も、男性と二人で外出するのは久しぶりで。ちょっと緊張していますの。お揃いですわね?」
ニック様の意外な程に力の入った顔を見て、私も正直に話す事にした。
「久しぶり……ですか?こんなに魅力的な貴女が?」
ストレートな誉め言葉に、スッと朱が差すのが分かる。
「からかわないでくださいませ。何せ、仕事が楽しかったものですから……家も自由にさせてくれる家風ですので、婚約者もおりませんでしたし」
「……なるほど。それは、俺にとってはまたとない僥倖です」
ニック様が目を細めて話す。何だか、本当に嬉しそうに見えてしまう。
「あっ、ありがとうございます、ニック様こそ、慣れていらっしゃるのでは?」
動揺しながら、彼に話を振る。
「いえ、恥ずかしながら。……本当に、ハルトと同類だったものですから……」
確かに二人、女性をエスコートしていたイメージはない。
「
「……そういう
「……バレました?」
悪戯が見つかった子どものような笑顔だ。
……ちょっと可愛い。とか。お互い三十路が近いのに。
そして伯爵家嫡男の彼は、後を継ぐ前に視野を広げたいと、猶予をもらって各国巡りをしていたらしい。
あずまの国以外の国の話も、とても興味深かった。
「旅先での出会いも少し期待していたのですが。そのような出会いは皆無で。帰国して、こんなに身近にいたなんて。何かの物語のようです」
笑顔でこんなことをさらっと言われる。
「またからかいますの?」
恥ずかしくて、つい可愛げのないことを言ってしまう。
「本気ですよ。……正直、ハルトが一瞬で唯一を見つけた時は半信半疑でしたが……昨日、ああ、こういうことかと」
そんな優しい笑顔で言わないで欲しい。流されてしまいそう。
「レイチェル様といると、永遠の『春の宵』の中にいる心地がします」
「ニック様……」
その時、目的地に着いたのだろう、馬車が止まる。そして、馬車の窓から私の視線の端に入って来たものが。
「えっ?!あれは彩国の国旗ですよね?あら?あちらはデゼルト国のものまで!」
大好きな異国情緒の溢れる町!!そういえば、王都の南端の町が外国街のようになっている噂は聞いていた。行ってみたかったが、機会を作れずにいたのだ。
すっっっごく嬉しいですわ!!
「……これは確かに、仕事に負けないようにしないとだな……さすが、エマ様のご友人という事か…まあ、望む所だが」
ニック様が横を向いて何かをボソッと呟く。何かしら?
……って、私ったら!!
「す、すみません、ニック様、あの」
さすがに慌てる。我ながら、これは無いわ……。
「構いませんよ。俺も、レイチェル様のお仕事の参考にもなるかもと思ってお連れしたので。喜んでいただけたようで、良かった」
嫌な顔ひとつしない。余計申し訳なさが……。
「まだ、今日の『春の宵』は始まったばかりですから。これから、です。……お覚悟を」
申し訳なくなかった!その妖艶な笑顔は何かしら?!
そういえば、この人はハルト様の親友だったわ!
「せっかくの『価千金』の時間ですもの。私もゆっくりと味わいたいですわ」
負けじと、格好をつけた笑顔で返す。やられっぱなしは何だか悔しい。
ニック様は少し驚いた顔をした後に、ふっと微笑む。
「そうですね、ゆっくり参りましょう。俺たちらしい、ですよね」
「ええ。回り道も寄り道も大切ですわ。新しい発見がありますもの」
そうして二人で馬車を降りて、思い出となる時間を過ごす。
年齢を考え出したら、急いだ方がいいかしら、とか、もし縁が無くなってしまったら、とか考えてしまうけれど。それで自分らしさを無くしてしまうのは、何か違う。と、私は思っている。
せっかくの宝物のような時間。ゆっくり楽しみたい。
「自由に飛び回る貴女が好きです。どんなに回り道をしても絶対離さないですよ?」
「~~~!」
耳元で囁かれる。もうっ、この人は!
「~では、ぶんぶん振り回します!」
「喜んで」
きっと、この笑顔に一生勝てない気がする。でも、やっぱり嫌じゃない。
お互いに呼び捨てで呼ぶようになって、二人で仕事にかこつけて旅をして。
私が伯爵夫人になって、『ファータ・マレッサ』に『春の宵』という名前のお菓子が誕生するのは、もう少し先のお話。
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