春の宵 レイチェル=ボートー2
翌日。約束の時間のほぼぴったりに、エマ達が『ファータ・マレッサ』に到着した。
「レイチェル、今回もお招きありがとう!」
「エマ、ようこそ。こちらこそお付き合い、ありがとう。ユーリシアちゃんも元気?お留守番、大丈夫かしら?」
「うん、今日は母も見てくれてるの。2歳児って本当に大変で…可愛いんだけどね!今日は少し羽を伸ばさせてもらいに来ました!」
10年経っても変わらない、太陽のような笑顔。この、お日様の化身のような聖女様と、友人になれた自分はかなりの幸せ者だと思う。
「そうね。ママにもお休みは大切だわ。ぜひ当店で寛ぎ時間をお過ごしください」
「ありがとう、そうさせていただくわ」
「「ふふふっ」」
わざと営業的に話して、二人できゃっきゃする。
「ラインハルト様もようこそ。ご無沙汰しております」
「お邪魔するよ。レイチェル嬢も息災そうで何よりだ」
「ありがとうございます」
エマとのお出掛けに、ご機嫌そうなラインハルト様。エマと一緒の時の幸せオーラは相変わらずだわ。
そして。
「紹介させてくれ。彼はニック=クレイディ伯爵令息だ」
「よろしくお願い致します」
ハルト様も長身な方だけれど、更に少し背の高い、青磁色の瞳で小麦色の髪の青年が、柔らかくお辞儀をする。
「まあ!どなたをお連れにと思っておりましたら、ニック様でしたの!」
つい、ファーストネーム呼びをしてしまった。
「申し訳ありません、学生時代の習慣で、つい」
「私は全く気にしませんよ。寧ろ、そうお呼び頂けたら光栄です」
「ありがとうございます、私もレイチェルと」
「ありがとうございます、レイチェル様」
にこやかに定型通りのような挨拶をしていると、ふいにハルト様が問い掛ける。
「レイチェル嬢は、ニックを知ってるの?」
「ええ、もちろんですわ。同じ伯爵家ですし」
「何だか驚いていたから」
「あ、あら、それは、あれですわ、ラインハルト様とニック様は……ねぇ。あまり集まりに参加をされませんでしたから……こういう場はお好きではないのだろうと、勝手に思っておりまして。失礼いたしました」
迷いながらも本心を話す。ラインハルト様に突っ込まれると厄介なので。
「……エマの友達って、みんな正直でいいよね」
「恐れ入りますわ」
苦笑気味のハルト様に、笑顔で返す。
「ぶ、ふはっ」
「……ニック」
「すまんすまん。話には聞いていたけれど、奥方のご友人にもなかなか形無しなんだな」
「……言うな」
ニック様は、先ほどまでの紳士然はどこへやら、楽しそうにハルト様を揶揄っている。確か、学園でも二人でいらっしゃるのをお見かけすることが多かった。
エマはその様子をニコニコ見ている。
「仲がよろしいのですね」
「……腐れ縁だ。まあ、でもなんだ、信頼を置いている数少ない友人だ。レイチェル嬢も懇意にしてもらえたら嬉しい」
コホ、と、あまり音になっていない咳払いをしながら、ハルト様が言う。ニック様は目を見開いて、驚いているようだ。
「……何だ」
「い、いや、言葉にされると思わなくてな……」
「エマから、常に言葉で伝える大切さは言われているからな」
「……ハルト」
愛おしそうな顔でそう言いながら、エマの頬をそっと撫でるハルト様。エマも嬉しそう……だけれど。
「お二人とも、試食会を始めてもよろしいかしら?」
「「はいっ」」
この二人に付き合ってると先に進まないので、そろそろ本題に入らせていただきます。
ニック様は、拳を口に当てながら笑いを堪えている。
「面白いご令嬢だな」
ボソッと言ったらしい、ニック様の一人言は聞こえなかった。
◇◇◇
「こちらの二品です。召し上がって、ぜひともご感想を聞かせてください」
アンがそつなくセッティングをする。
「いただきます。わあ、いちご大福だ~!嬉しい!」
エマが目をキラキラさせている。
「ふふっ、エマのリクエストだったものね?どうかしら?」
「美味しい!苺の酸味と甘味を邪魔しない、絶妙な餡の甘味……最高です!」
ぽそっと、懐かしい、と聞こえたような。気のせいかしら。
「確かに旨いな。甘さがくどくなくていい。いちご大福と言うのか?」
ハルト様の評価も上々。よしよし。
「名前はまだ……でも、『いちご大福』、そのままですけれど、しっくり来ますわね。……エマ、このまま採用しても構わないかしら?」
「もっ、もちろん!うん、大丈夫、大丈夫!」
エマが少しお茶にむせながら返事をする。今日のお茶は、ほうじ茶だ。
「苺も旨いね。これはどちらの?」
ニック様も感心したように言ってくれる。よしよし。
「セレナの……エレクト領の物ですわ。エレクト領の皆様に我が儘を言って、あづまの国の作物も研究して育てていただいてますの」
「なるほど。かなりの出来ですよね」
「ええ、有り難いことですわ。ニック様も、あづまの国にはお詳しいのですか?」
「詳しいと言える程かどうか……。恥ずかしながら、この歳まで周辺諸国を旅して回っておりまして。その中でも特にあづまの国には惹かれました。実は、つい先日にあづまの国から戻ったのですよ。そして遅ればせながら親友の出産祝いに参りましたところ、ちょうどいい機会だからと声を掛けていただきまして。レイチェル様には急で申し訳ありませんでしたが、こうしてご相伴に」
「そうでしたの!私、もう何年か行けないでおりますの。羨ましいですわ。その、最近のあづまの国のものと比べて、いかがですか?」
思わず、前のめりに聞いてしまう。
「遜色ないと思いますよ。餡も、求肥の柔らかさも、ちょうどいい」
「ありがとうございます!マルク!やったわよ!!」
私は嬉しくなり、満面の笑みでマルクに向かって大声を出してしまう。
「あ、ありがとうございます!でもあの、オーナー……」
私たちから少し離れた場所で控えていたマルクが、嬉しそうにお礼を言いながらも、気遣ったように私を見る。
マルクの隣にいるアンも、苦笑を隠している。……ちょっとやらかしましたわね。
「すみません、はしたない真似を」
正直、エマとハルト様は気にしないだろうけれど、ニック様は初見なので……。
「いえ、お気になさらず。俺も、そちらの公爵夫妻も大概ですからね」
代表するようにニック様が言う。
「私達を引き合いに出すな…と、一応言うが、レイチェル嬢、こいつもこんな奴だ。気楽で構わない」
「そう言って頂けると、有難いですわ。……では、切り替えさせて頂いて、もう一品の抹茶のチョコレートケーキもぜひお召し上がり下さい」
「ローズが喜びそう!」
「そうなの。ローズのリクエストなんだけれど。お店にはなかなか来られないだろうし、今度登城するときにでもお土産にしようと思ってるの」
「うん、喜ぶと思う!ジーク、様も!」
抹茶の甘い苦味もたまらないと、こちらも大好評だ。
あづまの国の話にも、花が咲く。
「最近あちらの国では、意外なものと組み合わせたお菓子も流行っているようですよ」
「そうなのですか?」
「ええ。わさびアイスクリームですとか」
「食べられますの?」
「意外といけました」
「なるほど……」
・
・
・
「あら、もうこんな時間!お暇しないと」
エマが傾きかけた夕日に気づき、ふいに立ち上がる。
「そうだな。楽しい時間はあっという間だ」
ハルト様が答える。
「本当ね。レイチェル、アン、マルク、今日も素敵な時間をありがとう」
「「勿体ないお言葉です」」
エマの言葉に、頭を下げる二人。とても誇らしそうだ。オーナーとしても、鼻が高い。
「春の宵、だな……」
ニック様がぽつりと溢す。
「えっ?」
「春宵一刻値千金。細かく言ったら時間帯は違うのだろうけど。俺にとってはそんな時間でした」
じっと目を見て言われる。
「ニック様、それは……」
どういうおつもりで、とは聞けなかった。
しゅんしょういっこくあたいせんきん。あづまの国の言葉だ。
花は香り、月は朧、春の宵は真に情趣があり、一刻が千金にも値する素晴らしい心地である、という意味らしい。確かに彼の国の春はとても美しかった。
……そして、大切な時や楽しい時、美しい時が、早く過ぎてしまうのを惜しむ気持ちも含まれていたりする。
「……私も、そう思いますわ」
さほど深い意味はないのかもしれない。楽しい時間だったのは間違いないもの。
「……また共に、そのような時間を過ごして頂けますか?レイチェル様」
「は、い?」
「できれば、二人きりで」
「あ、あの……」
「お嫌でしょうか?」
「そんなことはないです!」
はっ、驚きついでに何てことを。……確かに、嫌ではないけれど。
「良かった、ではまた近いうちにご連絡致します」
「……はい」
安心したような笑顔で言われ、畳み込まれてしまった。……けれど、やっばり、嫌ではない自分がいる。
「しゅんしょういっこくあたいせんきん、って、エマ、分かる?」
「知ってるけど!今はちょっと黙ってなさいよ~!でも、やるわね、ニック様」
コソコソ話しているつもりのようだが、静まり返った部屋では思いの外に声が響いた公爵夫妻のお陰で、その日はそれでお開きとなった。
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ニック君は、ラインハルト視点でちらりと出てきます。4/27日現在では、まだ出て来ていないです。
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