春の宵 レイチェル=ボートー1
「オーナー。明日の準備ができました。ご確認をお願いします」
「はい。今行くわ」
私は閉店後の出納帳の整理をしていた手を止めて、厨房に向かう。ここは『ファータ・マレッサ』。ボートー家が経営する茶寮の二号店だ。私、レイチェル=ボートーが独立してオーナーを務めております。ちなみに、店名は私の造語。旧友たちとのお茶会のイメージと、多くの茶葉を使わせてもらっているので、『妖精の草むら』的な意味合いだ。
お客様には、ゆったりとしながらも開放的で、優雅な時間を過ごしていただく、のをモットーにしております。
エマの事業の一環で、お米の苗の買い付けに、グリーク王国から東にずっと離れた、あずまの国を父と共に私が初めて訪れたのは、六年生の長期休暇の時。その際に緑茶を筆頭とした、グリーク王国では珍しい茶葉を見つけることができた。豆などの珍しい食材も。
それらに惚れ込んだ私は、卒業後に一号店の茶寮で修行の傍ら、足しげくあずまの国にも通った。片道ひと月もかかるので、グリーク王国には半年いたかしら?という年もあるくらいだ。五年はそんな生活だった。
現在、その食材は一号店でも一部取り扱っているが、二号店では、あずまの国の食材をメインにした茶寮になっている。私の夢だったのだ。
思った以上に、抹茶や小豆、きなこなど、珍しい食材の評判も上々。ひととおりのレシピはあずまの国でご教授いただいたが、なぜかそれらの扱いに詳しい(趣味にしても詳しい。王子妃教育でかしら?有り難いけれど)、エマとローズの話も参考にしながら、シェフと共にまだまだ日々研究もしている。学園を卒業して10年、好きな仕事ができて幸せだ。
そして明日は、お店の定休日。毎回ではないが、明日の定休日は新作のお菓子の試食会がある日だ。エマとハルト様と、もうお一人、ご友人がいらっしゃる予定。
「アン、明日もお給仕よろしくね」
厨房に向かいながら、隣を歩く従業員に声をかける。先ほど私を部屋まで迎えに来てくれた、統括マネージャーを任せている女性だ。うちに入って7年目。
「はい、お任せください」
にこやかな返事をしてくれる。
「毎回、定休日にごめんなさいね」
「気になさらないでください!他の日にしっかりお休みをいただいておりますし、公爵様や聖女様をお近くでお目にかかれて、寧ろ役得です」
「ふふ、ありがとう。二人とも、マナーに厳しくはないけれど、やはりお店にいらしてもらう以上は、きちんとしたくて。その点、アンは間違いないから」
「恐縮です」
アンは、聖エミの執事・侍女コースを優秀な成績で卒業している。マナーはバッチリだ。我が茶寮は、接遇にも力を入れているので、そこから採用することが多い。
「……私、このお店で働けて、レイチェル様と共にお仕事ができて、楽しくて、とても幸せです。しかも統括マネージャーまで給わって。…女で、しかも平民に役職がつくなど、無理だろうと思っていたのに」
「アンの気配り、心配り、対応力は素晴らしいもの。下手な護衛より強いしね?」
聖エミのそのコースは、魔法での護衛に秀でている者が多いのも特徴だ。
「そちらもお任せください、丸焦げにしますので!」
なかなかの火魔法持ちのアンに、力強い笑顔で言われると、頼もしいけど少し怖い。
「その時は、ほどほどにお願いするわ」
そうこうするうちに、厨房に到着する。明日の試食予定のお菓子の試食だ。試食の試食。これも大事。
厨房の中テーブルには、新作予定のお菓子が二品。エマご所望の、大福に苺を挟んだものと、ローズご所望の、抹茶のチョコレートケーキ。明日、ローズが来られないのが残念だけど。まあ、王太子妃がちょくちょく城外に出られる訳もなく……今度登城の時にでも届けよう。
「……この試食も、役得です」
「本当にね!マルク、いけるわ!」
「光栄です」
ほっとした笑顔のシェフ、マルクとアンと三人でお茶をしながら、楽しく明日に備えた。
今日もいい一日だったわ。
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