3.二匹の猛虎邂逅し、その勇を認め合う事

 あれから、二年が経った。エルフェルトとの夫婦仲は、悪くない。しかし戸惑いもあった。彼女はどこまでも、優しい女性だった。厳しさ、苛烈さの世界で生き続けて来た彼には、温か過ぎた。その温かさを持て余していた。


 仕事は、順調とは言えた。相変わらず、ほとんどの騎士はまともに強くなろうとしない。それでも、見どころのある者はいた。そういう者を見出す事は、楽しみと言えた。


「よし。シーパ、一つ手合わせを」

「応!」


 そう吼えて、一人の若い騎士が飛び出してきた。シーパという、特に斧を扱うのが上手い男だった。馬力があり、相手の攻撃を恐れない思い切りの良さもある。技術はまだついてきていないが、今後が楽しみとレオパルドが期待している男ではあった。


 シーパが大斧を振り回し、レオパルドに迫る。刃引きされているとはいえ、当たれば一溜りも無いだろう。他の教官達ならば、仕合での使用を禁止するかもしれなかった。レオパルドは、自分との立ち合いでは一切相手に武器の制限をかけなかった。それだけの自信もあったし、身の危険を感じる事で研ぎ澄まされるものがあると信じていた。


 後ろに下がり、斧を躱す。真っ向から力比べをすれば、シーパに分があると思った。まずは、躱す事に集中する。斧はその形状から、重心が先端になる。それが破壊力の増強という利点にもなれば、制御が難しく隙ができやすいという欠点にもなった。シーパの四度目のスイング、それを躱した直後、彼の体が僅かに斧に振られた。隙と言える程の隙ではない。それでも、レオパルドには十分だった。鋭く突き出された棒が、シーパの脳天を打つ。その先には綿の詰まった玉が付けられているから、死ぬことは無い。それでも、その衝撃は相当なものだった。シーパの体はどうと大地に倒れ、苦し気な呻き声をあげる。レオパルドは彼の元に歩み寄り、起こしてやる。


「大丈夫か、シーパ」

「ええ。クソ、やられた。俺はそんな隙を作ったつもりもなかったんですがね」

「無かったぞ。だから、俺もあれだけ鋭く突き入れるしかなかった。もっと隙が大きければ、多少緩く突けたさ」

「額面通りに受け取って、良いんですか?」

「事実だよ」

 

 その言葉に偽りはない。手加減というのは難しいものだ。実力差があるから、それもできる。


「成程。そういう事もあるのですな」

「斧というものを使う以上、ある程度体が振れるのは仕方ない。あれ以上に隙を小さくしようとすれば、こじんまりとした動きしかできない。それなら斧の強みも消える、槍を使った方が良い」

「では、斧で貴方に勝つにはどうすればいいのです」

「それは、自分で工夫するんだ。ただ、そうだな。斧の利点は破壊力だ。はっきり言って、俺だってお前の斧のスイングは恐ろしい。だから最初は躱す事に専念した。ならば、躱されなければいい。そういう考え方はあるぞ」


 そう聞いて、シーパは深く息を吐くと何か考え込みだした。言っている事は単純な理屈で、ある意味自明の事だ。しかし、それを実行するのは難しい。武術というのはそういうものだ。


シーパとの仕合の後、他の数名と打ち合った所で今日の訓練は終わった。どこかに寄り道をする事もなく、レオパルドは家路につく。誰かと酒を飲む事も、派手な遊びに興じる事も、さして好きでは無かった。歩いていると、不意に強烈な気を感じた。右手側に伸びる道の先から、猛烈な闘気が噴出している。気になった。王都の中で、そんな事は中々起こるものではない。レオパルドがその闘気を頼りに進むと、やがて人の悲鳴が聞こえて来た。見れば、口から血を流した男がフラフラと歩いてくる。ゴロツキだというのは、その見た目からすぐに分かった。男に近寄り、問い糺す。


「おい、どうした。何があった」

「く……っそ……なんだ、あの修道士」

「修道士?」


 そう言いながら、レオパルドはゴロツキの顔を覗き込む。その時、口の血の原因が分かった。前歯のほとんどが折れ、無くなっていたのだ。


「これは……」


 呆然とするレオパルドをよそに、ゴロツキはふらふらと離れていく。一瞬更に問いかけようかとも思ったが、まずは様子を見に行く事にした。闘気はますます強くなり、先程の男と同じ様に打ちのめされた男達も数名見たが、喧騒はやがて止んでいった。


 その闘気は、修道院の管理する畑から巻き起こっていた。畑のあちこちでゴロツキ達が呻き、血を流して倒れている。闘気を放っていたのは、ただ一人そこに立っている大柄な修道士だった。筋肉が盛り上がり、太い眉と鋭い眼光はその強さを雄弁に物語っている。一目で、ただ者でない事は見て取れた。


「これは。一体何があったのだ」


 そう問いかける。修道士はレオパルドの方をじっと見て、にっと笑った。


「おう、騎士殿か。何、ちと盗人が入ったのでな」

「盗人?」

「野菜泥棒だよ。ここの畑の野菜を盗んでいく連中がいてな」

「この転がっている連中がそれか?」

「ああ。ちょっとばかり、痛い目にあってもらった。これでもう懲りたろう。あぁ、心配はいらんぞ、全員死んではおらん。人間、どのくらい殴れば死ぬかは、人より詳しいつもりだ」


 そう言って、その男は豪快に笑う。その迫力に、圧倒されそうになった。ちらりと見渡して、この畑に倒れ伏しているゴロツキの人数は八人。ここに来るまでにすれ違った連中、そして自分の来た道とは違う方向に逃げた連中もいるだろう。それを考えれば、一体何人の男を相手にしたのだと思った。しかも相手は、喧嘩慣れしたゴロツキ達だ。


「相当の凄腕だな。修道士になる前は、何をしていたのだ」

「騎士よ。下っ端だったがな。そういうお前さんも、体に全く隙が無い。一体何者だ」


 そう聞いて、おやと思った。彼は決して大身ではないが、その武名はそれなりに有名であるという自覚はあった。少なくとも目の前の男は相当の武勇の持ち主だろう。この王都に住まう武を修めた者で、自分の顔を知らない人間がそうそういるとは思えなかった。


「これは、失礼した。王都守護軍武術教官、レオパルドという」

「おお! 貴公がかの有名な、成程。いや、無礼をした。拙僧はロータスという、修道士よ。如何せんここに来て、まだ日が経っておらんのだ。名前は聞いておった、いつか顔を見たいと思っていたのよ」

「近頃……ですか。最近修道士になられたのか?」

「まぁ、最近と言えば最近だな。元々西の方にいて、そこで修道院にも入ったのだが、如何せん拙僧はこの通り、ちと血の気が多くて、ちょっと油断するとすぐにこう、喧嘩になってしまう。それで、元々いた修道院を追い出されてしまったのよ」


 そういう事か、と納得する。二人はその後しばし雑談すると、別れた。面白い男に出会えたな、と思う。


「戻ったぞ」


 そう言いながら、家の門をくぐった。すぐに召使の男が出てきて、上着を持って行った。エルフェルトは何をするでもなく、椅子に腰かけていた。レオパルドの顔を見ると、にこりと笑う。


「おかえりなさい。本日も、お疲れ様でした。お怪我はありませんか?」

「ああ、大丈夫だよ」


 結婚してから、ほとんど毎日繰り返されてきたやり取りだった。二人は連れ立って、食卓に着く。しばし後、召使が食事を持ってきた。


「何か、良い事でもありましたか?」

「え?」

「いつもより、声が楽し気です」

「そんな自覚は無かったな。ただ、まぁ、そうだな。面白い事ならあったよ」


 そう言って、今日であった男の事を話す。エルフェルトはそれを聞いて、ニコニコと笑っていた。穏やかな時間だった。彼女と結婚して二年、生活に大きな不満はなかった。彼女は自分に子供ができない事を気にしていたが、レオパルドはそれ程気にならなかった。子供ができる、という事をどこか煩わしく思っていたのかもしれない。二人で生きていて、それで十分幸せだった。


 それから数日、レオパルドはしばしばロータスと会った。彼はまさに豪傑肌で、さっぱりとしたところのある男だった。あの時叩きのめしたゴロツキ達の多くは、今は修道院の農村を手伝う様になっていた。レオパルドがどうしたのだと訊くと、彼は大口を開けて笑って言った。


「何、拙僧が懇々と神の道を説いてやったら、皆深くこれまでの行いを悔い、懺悔をしてな。それで、この様に」


 それは本当では無いだろう、と思った。どちらかと言えば、彼の強さに引き寄せられたという所だろう。


「そもそもお主、一体どうして修道士などに? 騎士の方が向いていると思うがな」

「拙僧もそう思う。思うが、まぁ色々あったのだ。拙僧自身、この性格で何度も失敗してしまってな」

「そうか。まぁ、分かる気がする。お主、酒なんぞ飲んだら手が付けられなくなるのではないか?」

「うむ。……実を言うとな、それで前の修道院は追い出されたのだ。つい酒に手を出してしまって、久しぶりに飲んだもんだからもう理性が飛んでしまった」

「お主が暴れたら、修道院では誰も止められんだろう」

「その時の記憶は無いんだがな。どうも、神像を殴り壊すわ木を引っこ抜いて振り回すわ、まぁ酷いもんだったらしい」


 あり得る話だと思った。立ち会った事は無いが、素手では敵う自信がない。これ程の男、戦士であればどれ程頼もしい男であったろうか。そう思わずにはいられなかった。


 そんな事を思っている時、不意に大声で自分の名前を呼ぶ声がした。声の方を見ると、家の召使だった。


「どうしたんだ、慌てて」

「ご主人様、大変です。奥様が、若い貴族に絡まれて……来て頂けませんか」

「何?」


 エルフェルトが何かトラブルに巻き込まれたのか。とにかく、行かねばなるまい。走り出そうとすると、ロータスが呼び止める。


「おい、大丈夫か? 拙僧も付いていこうか」

「いや、大丈夫だ。すまないが、これで失礼する」


 そう言い残し、レオパルドは身を翻す。妻の性格を考えれば、彼女の側からトラブルを引き起こしたとも思えなかった。召使の男の足の遅さに少し苛立ちながら、彼は走った。

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