2.英雄花の色香を知り、惑うもそれを受け入れる事
レオパルドが王国守護軍の教官になって、二年が経った。最初は高邁な理想に燃えていた彼も、ここ最近は倦怠感を覚える事の方が増えた。張り合いが無いのだ。騎士として、武を高めようという気概の者が、余りにも少な過ぎた。太平は結構だが、国家の大事に命を投げ出す事と引き換えに特権を得ているのが騎士では無いのか、とレオパルドは思う。
友人は増えた。キロンとは親しくしているし、あの後間もなく教官になったロックも、今では良い友人だ。彼らと酒を飲みながら、様々な事を語り合った。多くは武芸の事だが、外国との事や各地の山賊の噂の事なども議題に上った。彼らの会話はほとんどそういう内容だったから、キロンがその話を持ってきた時、最初は面食らった。
「……は? 私に見合いですか?」
「おう。俺の盾仲間でな、ベルトランという男がいるのだが。あれの娘が、今年二十歳になる。嫁の貰い手を探していてな。お前、今年で三十になるのにまだ独り身だろう。それで、俺がお前の名前を出した」
「自分は、そういう事は考えておりません」
「もう考えねばならん年さ」
「そうだ、そうするがいい。家庭を持つというのは、良いものだぞ」
ロックが横から口を挟む。彼は二十五歳の時に結婚していた。四歳になる息子もいる。傍から見ていても、仲睦まじい夫婦で、仲の良い家族だった。
「やはり人間、守るものが出来ると張り合いも出る」
「そうは言うがな。俺は自分の業を磨くのに精一杯で、女の事など考えてられん」
「それでは、浅い人間で終わるぞ。騎士は、人間は、ただ武術を極め強くなればいいというものではないさ」
「そう仰るキロン殿は、結婚もなさらず武を極めておいでだ。私は貴方の様にこそなりたい」
「バカを言うな。儂の様な浅い男になってくれるなと言っているのだ」
キロンはそう言うと、立ち上がった。レオパルドは困惑したまま、腕を組んで考え込む。結婚など、考えた事も無かった。トーナメントに出た事もあるが、それも愛を捧げる為でなく、純粋に腕を試す為だった。
「とりあえず、会ってみるだけ会ってみい。悪い娘ではないぞ」
「……分かりました」
会う事も突っぱねてしまえば、キロンの顔を潰す事にもなりかねない。義理は果たそうと思った。
一週間後、レオパルドはベルトランの邸宅を訪れた。名前を告げて、キロンの名前を出して用件を伝えると、すぐに通された。それなりに広い屋敷だった。大貴族という程では無いが、領地の無い騎士としてはかなりのものだと思った。レオパルドは中央の大部屋に通される。
「ご主人様。レオパルド様がお越しです」
使いの者がそう言うと、奥から人のよさそうな壮年の男性が杖を突いて歩いてきた。お互い名乗り合い、向かい合って座る。
「ようこそお出で下された。貴公の事は、よく知って御座る。ここ最近トーナメントを見ていても、貴公の強さには感服するばかり」
「自分など、まだまだです。所詮、多少武術が強いというだけの男に過ぎません」
「いや。聞いて御座るぞ、貴公の鍛錬の凄まじさは。近頃の騎士達は、どうにも軟弱者ばかりと思うていたが、貴公ならばこの王国守護軍の立て直しもできましょう」
「どうでしょう。中々、ついてきては貰えません。ベルトラン殿も、かつては戦場で幾度も手柄を立てられたとか。一手、御指南賜りたいものです」
ローラシア帝国の北方に、ヤーリという大国がある。この国とローラシアは長年敵対関係にあり、特に二十年前には非常に大きな戦争が巻き起こっている。ベルトランはその戦いに参加し、多くの手柄を立てながらも左足に障害を抱え、また息子を失う事になってしまった。
「いやいや。私はもう、引退しておりますから。北の戦で、足をやられましてな。それ程深い傷でも無かったが、杖無しでは歩けなくなりました」
「しかし、理論は御有りのはずです。ベルトラン殿には実戦の経験もお有りだ、まだ本当の戦場を知らない自分とは違います」
レオパルドの言葉は、次第に熱を帯びて来た。ベルトランはその様子を見て、本当にこの男は武術が好きなのだと思う。だからこそ、結婚に興味も無くここまで生きて来たのだろうと。彼自身は、そんなレオパルドを好きになっていた。しかし、娘の結婚相手としてどうか。娘は幸せになるだろうか。引退した騎士と、武術教官。お互い領地を持たぬ騎士、そこに政略的な意味合いは薄かった。もとより、既にベルトランに出世欲など無い。妻に先立たれ、息子も今はおらず、ただ一人残った娘の幸せを考えているだけの男に過ぎなかった。
「この年寄りと話していても、仕方ないでしょう。もうすぐ、娘も来る筈です」
そう言って、少し待っていると、一人の娘が階段を降りて来た。亜麻色の髪をした、ふわりとした雰囲気の女性だった。
「エルフェルト。ご挨拶を」
父に促され、彼女は挨拶を述べる。
「エルフェルトと申します。どうぞ、お見知りおき下さいませ」
春風の様な優しい声色だと、レオパルドは思った。
「レオパルド・アナステアと申します」
「さ、まずは二人とも座って。レオパルド殿、お話の方は、キロンから聞いているとは思うが」
「はい。キロン殿にも、色々と世話を焼いて頂いて、感謝しております」
「それで……単刀直入に伺うが、いかがかな」
ベルトランは、ずばりとそう聞いた。レオパルドはどう返事をしたものかと考えて、とりあえずは正直に言う事にした。
「自分は、まだ結婚という事を、考えた事が無いのです。キロン殿に言われて、面食らっているというのが正直なところでしょうか。自分でも考えてみたのですが、上手くまとまりませなんだ」
「ふーむ。私としては、貴公は信頼に足る男だと思ってござる。私には息子も今はおりません、ただこの一人娘がいるのみで。何とか、娘には幸せになって貰いたい」
「そういう事でしたら、自分は不適格でしょう。私は武術しか取り柄の無い男だ」
「いや。貴公には骨がある。筋がある。必ずや、何か大きな事を成し遂げる」
急に褒め称えられ、レオパルドはたじろいだ。ちらりとエルフェルトの方に目をやる。彼女は口元に微笑を浮かべながら、ジッとこちらを見つめていた。
「その、お嬢様。貴方は、どうお考えか」
「私ですか? 私は……そうですわね。貴方様の事は、一度トーナメントでお目にかかった事がございます。一年前だったかしら」
「ああ。一年前……」
余り、良い思い出とは言い難いトーナメントだった。過去、腕試しの為に出場したトーナメントは全部で四戦。その内、唯一優勝を逃したトーナメントだった。トーナメントには団体戦や、個人の馬上槍試合など多くの種目がある。その中で彼が出るのは個人戦闘部門で、まず馬に乗り馬上槍試合を行い、どちらかが落馬した後には剣などの武器を以て下馬戦闘を行う、という危険なものだった。彼は馬上においては先に落とされた事は無く、また下馬してからも背中に背負ったハーフパイクを自在に使いこなして負け知らずだった。しかしその日は、相手を叩き落とす事には成功したのだが、その後下馬して突きかかった所を得物を巻き上げられて敗北した。相手は、ロックだった。
「手酷く負けた試合でした。相手の男とは何度か戦ってきましたが、初めて敗れましたな」
「そうだったのですね。あの試合、私は試合も素晴らしいと思ったのですが、その後に驚いたのですわ」
「と、仰ると?」
意外な言葉だった。試合の雄々しさに惹かれたという話は幾らも聞いた事があるが、後というのは解せなかった。
「敗れた直後、貴方は負けた、と大声で仰いましたね。そして、勝者を讃え、潔く負けをお認めになった」
「敗れたのは事実です。それに、あの男は強い。敗れて不思議の無い男だった」
「それでも、実際には中々潔くなれないものですわ。口でそれらしい事を言っていても、態度や声色に滲み出るものです」
「こうなるかもしれぬ……と、分かっていた事です。それだけの事ですよ」
それは事実だった。あの日まで負けた事は無かった、とは言っても、紙一重だ。いつか、負ける事もあるだろうと思っていた。そして、負けた。こちらの突きに完璧に合わせ、そして飛び出した鉤でこちらのハーフパイクを搦め取り、巻き上げるように弾き飛ばされた。彼の十八番のパターン、分かっていたつもりだった。しかし、その動きに一呼吸、間に合わなかった。
「しかし、貴方も不思議な方だ。普通、負けた試合の事を話題にはなさるまい」
「でも、私にとっては、一番思い出深いのですもの」
そう言って、彼女はジッとレオパルドを見つめた。とび色の美しい瞳に見つめられて、思わずたじろぐ。彼にとっては、初めての経験だった。
「貴方は、自分の弱さを、他人の素晴らしさを認められる方。私には、それは素晴らしく映ります」
「そう言って頂けるのは、光栄ですが」
「私は、貴方の元に参りたい。今、はっきりそう思っております。……貴方は?」
はっきりと、そう言われた。それで、もう誤魔化せないと思った。それは余りにも、男として情けなく思えた。
「……ええ。お受けいたします。つまらぬ男ですが」
「ありがとうございます。ふつつかな女ですが」
それで、決まった。彼女の事を愛したのかも、レオパルドには分からなかった。ただ、少なくとも嫌いではない。人として、好感は持った。それは、確かだった。
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