第二話 野に放たれた豹

1.俊英武勇を天下に知らしめ、また生涯の友を得る事

 大国、ローラシア王国。近隣諸国と比較しても他を圧倒する国力を有し、人口は一億人に達するという。その一億人の中で、最も強い者は誰かと問いかければ、様々な答えが帰って来るだろう。その中でも、特に多くの者に支持されるだろう男がいる。


 その日、王都の練兵場は異様な熱気に包まれていた。四人の男達による、トーナメント戦。いずれも、国中にその名を轟かせている豪傑だった。事の発端は一か月前、王国守護軍の教官の一人、プローメが年齢から来た衰えを理由に引退を申し出、それが受理された。その教官の開いた枠を争い、貴族達の間で推薦を受けた四人の騎士が名乗りを上げ、彼ら四人によるトーナメント戦が行われる事になったのだ。試合形式は、プローメが下馬状態での武術を教導する教官であった為、下馬戦闘術に限られる事になった。それ以外の制限はない。あくまで武術教官を決める為の大会であるから、観客はいない。それでも、王国守護軍の将兵らが皆四方を固め、固唾を呑んで見守っていた。


 四人の内、二人はまだ二八歳。もし武術教官となれば、史上最年少となる。その二人が、最初に戦う事になった。引退を決めたプローメの推薦を受けた、“その身のこなし豹の如し、その槍先は毒蛇の如し”レオパルド・アナステア。対するはネイサー領主、ゴットリープの推薦を受けた“黄金の腕、鋼の精神”ロック・ゴールドスタイン。共にまだ若い騎士だが、実力は十分だった。


 二人は真っ正面に向かい合う。レオパルドは最も得意とする得物であるハーフパイクを頭上で回す。対して、ロックが持つのは一風変わった武器だ。ハーフパイクを基本とし、その穂先の横から一本の鉤が伸びている。彼の父が考案し、フックスピアーと名付け、工夫を重ねていた武器だった。彼の父は騎士ではあったが学者肌の男で、効果的な訓練法や統率法などを多く考案していたが、それを体現できるほどの力は無かった。父が机上で編み出したものを、現世に再現してみせたのが、他ならぬ彼であった。


 二人は慎重に間合いを詰めていく。最初に仕掛けたのは、レオパルドだった。気合を込めてハーフパイクを突き出し、彼の胸元を狙う。二人の武器は、どちらも刃引きをしてはあるものの、一撃を喰らえばただでは済まない。一応治癒師は控えているが、身体回復の魔術は肉体そのものの治癒能力を高める程度で、たちどころに折れた骨が繋がったり、致命傷が治ったりするようなものではないのだ。まして、レオパルド程の使い手の突きともなれば、直撃すれば鎧越しでも息が詰まる。


 ロックも、それは重々承知していた。体を翻して穂先をよけ、逆に自らの手にあるフックスピアーを横薙ぎに払う。レオパルドはハーフパイクを立ててそれを防いだ。お互い、まだ一撃ずつしか攻撃していない。しかし、二人の実力を周囲に示す事はできた。


「やる」

「お前もな」


 二人は短く、そう言葉を交わした。知らぬ仲ではない。しかし、不必要に仲良くもしてこなかった。同い年の、豪傑。若い二人にとっては、友とすべきという意識より、負けじ魂が勝った。


 ロックが、踏み込んだ。自在にフックスピアーを繰り出し、レオパルドに打ちかかる。ハーフパイクは刺突が最も基本的な攻撃だ。しかし、それだけではない。払う、叩く、柄で打つ、様々な使い方が出来る。そして、フックスピアーはその特性上、更に面白い使い方もできる。レオパルドが反撃に転じようと、自らのハーフパイクを突き出した。その彼のハーフパイクに、ロックのフックスピアーの鉤が絡みつく。ロックがニヤリと笑い、右手を捻った。レオパルドの体勢が崩れる。ロックはその隙を突き、素早くフックスピアーの石突を横殴りにレオパルドの右肩に叩きつけた。この程度では致命傷とはならないが、レオパルドは痛みに顔をしかめる。ロックも驚いて、言った。


「普通なら、槍を完全に弾き飛ばせるんだがな。大した握力だ、放さんとは」

「これを放すときは、死ぬ時だ」


 そう言って、レオパルドは再度構える。ロックのあの動きは、鉤で相手の武器を搦めとり、腕の捻りの力でそのまま武器を弾き飛ばすというものだった。ロックの力なら、大概の相手はなすすべなく武器を飛ばされてしまう。しかしレオパルドは、体勢を崩されながらも堪えた。ロックは、自信のある技で勝負を決せられなかった事に少なからず衝撃を受けていた。


 レオパルドは雄叫びを挙げると、攻勢に出る。三度、四度と鋭い打ち込みが来て、ロックは何とかそれを躱していく。突きの鋭さに関しては、レオパルドの方が上だと認めるしかなかった。それでも、ロックにも意地がある。そして、このフックスピアーのポテンシャルは、この程度ではない。ロックは一度大きく後ろに下がり、間合いを開く。レオパルドは踏み込み、止めを狙いハーフパイクを突き出す。しかし、同時にロックの攻撃も放たれていた。フックスピアーのフックの一撃がレオパルドの脳天を襲う。石突ギリギリまで後ろを右手で握り、右腕一本の力で頭上より振り下ろす。通常のスピアーにはないフックという部品が付いている分、その重量は増している。そしてこの様な使い方をする時、そのフックは「鉤」ではなく「錐」となる。ロックの膂力があって初めて可能になる技で、レオパルドも予想だにしなかった。一瞬の後、ロックの体は宙を舞い、レオパルドの体は大地に叩きつけられる。勝負は、終わった。この場のほとんどの者は、両者相討ちと見た。二人はともに、何とか立ち上がる。


 レオパルドは、ロックの攻撃の速さに衝撃を受けていた。自分の突きの速さなら、あの一撃が体にぶつかる前に相手を突き倒せると思った。しかし、彼の攻撃は自分の肩を強かに打っていた。


 ロックもまた、茫然としていた。あのタイミングであれば、あの突きが自分の胸板を打つ前に相手を叩きのめせた筈だったのだ。しかし、一瞬間に合わなかった。振り下ろした一瞬、レオパルドのハーフパイクが伸びた気がした。はっきりと、負けたと思った。


「俺の、負けだ」


 そう言って、ロックは兜を脱いだ。レオパルドは立ち上がり、ロックに歩み寄る。


「いや、引分けだろう。勝ったとは思えん」

「俺は、所詮肩を打っただけだ。もし刃引きされていない武器を使ったとして、それでもお前を殺せてはいなかった。お前は俺の胸を打った。刃引きされていなければ、死んでいる」

「そうだな。それに、レオパルドの攻撃の方が僅かに……僅かにだが、早かった」


 不意に、低い声が響いた。二人が声のする方を見る。そこに立っていたのは、王国守護軍教官にして、この国でも最強の男の一人と名高い豪傑、キロンだった。その言葉で、決着はついた。レオパルドが勝ち上がり、決勝にコマを進める事になった。


 レオパルドは静かに、用意された椅子に腰かける。簡単な手当てを受けながら、闘場を見つめる。第二試合、リード出身の騎士ノーティウスと、王都南方の砦の警備長を務めているクロード。二人とも、レオパルドはよく知らない男だった。二人は共に剣と盾を持ち、殺気をみなぎらせて向かい合う。そして、同時に踏み込むと激しく盾同士をぶつけ合った。クロードは相手の盾を弾き、剣を揮う。ノーティウスはそれを後ろに下がって躱す。二人とも、実力で言えば並の騎士を凌ぐものは持っていた。しかし、レベルは違っていた。五度、六度と剣と盾で打ちかかられる内、ノーティウスの防御は乱れていく。やがて、クロードが盾でノーティウスを横殴りに打ち、彼の体は闘場の砂の上に転がった。その首筋にクロードは剣を振り下ろし、当たる直前で止める。勝負ありだった。


「強いな」


 レオパルドはそれだけ呟くと、目を閉じる。決勝は、正午の鐘がなった直後だった。それまで、時はある。しばしの間、目を閉じてじっとしていた。体の痛みが、和らいでいく。決勝戦までに、十分戦える状態には持っていけるだろうと思った。


 やがて、鐘がなった。レオパルドは目を開けると、ハーフパイクを手に立ち上がる。クロードも準備万端という様子で、闘場に立っていた。


「これより、決勝戦を開始する」


 高らかに宣言が告げられ、そして、笛が吹かれた。その笛を合図に、二人は動き出す。ゆっくりと間合いを詰め、最初に動いたのはレオパルドだった。鋭い突きを、クロードは落ち着いて盾で捌いていく。工夫の無い突きでは、勝てそうにない相手だった。ならば、とレオパルドは間合いを詰め、ハーフパイクをスタッフの様に振り回し、素早く叩きつけていく。クロードはこれは受け止めきれず、何発かの打撃を体で受けた。しかし、これでは勝利までは奪えない。この攻撃で相手の体を痛めつけ、その動きを鈍くし、最後に致命の一撃を浴びせる為の攻撃だった。


「小癪な」


 クロードは吼えると、盾の一撃で反撃に来る。横殴りに振られたカイトシールドを飛び退きながら躱し、レオパルドは石突での突きを繰り出した。クロードはそれも躱し、連続で剣を叩きつけに来る。この反撃に、レオパルドは後退りながら対応する。三度、四度と剣が飛び、レオパルドは次第に追い詰められる。攻撃は、彼の想像以上に鋭かった。反撃に転じたいが、その隙が無い。

 

 クロードの口元が、緩んだ。このままいけば勝てると踏んだのか。しかしその一瞬の緩みが、隙になった。剣撃の切れ味が、僅かに鈍る。その隙を逃さず、ハーフパイクを回して剣を弾いた。クロードの体勢が僅かに崩れる。それで十分だった。下から掬い上げるようにハーフパイクを突き出し、その槍先はクロードの右肩を捉える。レオパルドは満身の力を込めて突き込み、クロードの体は宙を舞った。彼は強かに大地に叩きつけられ、そのまま意識を失った。


「勝負あり!」


 キロンが、叫んだ。何人かの男達が、慌てた様子でクロードの介抱に向かう。レオパルドはガクリと膝を付き、大きく息を吐いた。強かった。あの一瞬、相手が気を緩めなければ、勝機は無かったかもしれなかった。キロンがゆっくりと、彼の方に近づいて来る。


「見事だった。流石、プローメの弟子だ」

「紙一重ですよ。クロード殿が、一瞬油断した。あの瞬間、攻撃のキレが鈍った。それで、返せたのです」

「それも含めて、実力よ。奴は……誰の推薦だったかな。儂も良く知らない男だったが、確かに強かった。だが、技に隙が無くとも、心に隙があり過ぎたな」


 そう言い、キロンはレオパルドの腕を引いて、立ち上がらせた。


「よくやったぞ。お前が、新たな武術教官だ。後々沙汰はあるだろうが、まずはめでたい」


 そう言われて、初めてレオパルドの心中にも実感が湧いた。優勝したのだ。そして、武術教官の座を掴み取った。


「これで、プローメ様の顔を潰さずに済みました」

「後出しのようだが、儂はお前を買っておったのよ。プローメの事はよく知っているからな。奴が推薦する男なら、生半可な男ではあるまいと思った」

「キロン殿にそこまで仰っていただけるとは、光栄です」


 そう言うレオパルドの後ろから、ロックが声をかけた。


「レオパルド。次は、負けん。俺もすぐに、教官になってやる」

「なってやる、というが。ポストが空かねばどうにもなるまい」


 レオパルドはそう言ったが、キロンが笑いながら言った。


「いや、分からんぞ。教官達は大体年だからな。衰えというのは不意に来るし、怪我や事故もある。儂は、くたばるまで続けるつもりだがな」

「次だ。次には、俺が勝つ」

「お前なら、すぐだろうさ」


 レオパルドはそう言って、笑った。それは本心からだった。

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