8.飛竜は力を示して頭となり、英雄はその天命の一端を知る事

 上空で、カーロンは戸惑いながらもしっかりと手綱を握る。ブレイズが勝手に動き出すなど、今まで無かった。


「どうしたんだ、ブレイズ」


 そう問いかけると、彼は心配するな、という様に一声鳴いた。何か本能に突き動かされているのかもしれない、と思い、任せる事にする。ブレイズは西に向かって、一気に飛んでいった。

 合間合間に休みを挟んで二日、やがて彼らの眼下に山地が現れる。国の西端にはライラ山地と呼ばれる山地が広がり、それが隣国との国境になっている。山地は非情に広い上鬱蒼とした森が広がり、多くの動植物が生息している。その中には無論、凶暴なものも多く移動は困難を極めていた。しかし、空を行く彼らには関係のない事だった。彼らは山地の中でも一際高い山、その頂上付近に到着、降り立った。ブレイズは当たりを見渡し、しきりに吼えていた。


「どうしたんだ、ブレイズ。俺をこんなところに連れてきて、何をする気だ」


 そう問いかけながら、辺りを見渡す。山や森の木々が眼下に広がり、雲がすぐ近くに見える気がした。ブレイズの目的は何か、考えようとしたが頭痛がして思考が上手くまとまらない。仕方ないので、少しその付近を歩き回る事にした。緑が生い茂っている低い山と違い、植物は小さいものが少し生えている程度で、ごつごつとした岩肌が広がっている。気温もローレルにいた時と比べて、随分涼しく感じた。生き物の存在もあまり感じない。寂しい所だと思った。


 少し時間が経ち、頭痛が多少マシになってきたと感じ始めた頃、辺りに大きな咆哮が轟いた。何事だと思い、慌ててブレイズの所に戻る。すると、ブレイズはその方向に応えるかの様に吼え返していた。やがて、空の彼方に黒い点が見えたかと思うと、それはこちらに急速に近づいて来る。ブレイズと同じ姿をした、飛竜達だった。驚くカーロンの周りに、十数頭ほどの飛竜が集い、辺りに降り立つ。


「飛竜の群れか。本能でそれを感じたのか、それでここに来たのか、ブレイズ」


 そう問いかけると、ブレイズが小さく頷いたように見えた。群れの内、半分はブレイズと同じ位、そして数頭はブレイズより一回り大きく見えた。おそらく、ブレイズより年上の個体なのだろうと思った。ブレイズより小さい子供の竜も、何頭かいる。


「ブレイズ。お前、この群れに入るのか」


 そうカーロンが問いかける。群れの中でも一際大きい一頭、おそらくは群れの頭であろう個体が一歩踏み出した。カーロンはその個体から、危険な闘気を感じ取る。歓迎されていない。当然だろう。ブレイズは所詮余所者だ。


「ブレイズ、来るぞ」


 そう言った瞬間だった。長が口から炎を吐き出し、攻撃してきた。カーロンとブレイズはそれぞれ飛び退いてそれを躱す。ブレイズが吼え、長も吼え返した。他の個体は、黙ってそれを見ているだけだ。カーロンは竜の群れの構造など分からない。ただ、ブレイズが危険な事は分かった。ブレイズに残されたのは、惨めに逃げ延びるか、この長に勝って群れを手に入れるか、どちらかしかない。まともにやり合えば、勝てる筈は無いと思った。大きさも、経験も、比べ物になるまい。黙って彼がやられるのを、見ている訳には行かなかった。


「助太刀させて貰う!」


 そう吼え、鉄棒を振り強烈な突きを繰り出す。その一撃はその飛竜の右膝、その膝関節を的確に打ち抜いた。その瞬間、カーロンは体全体が痺れた様に感じた。固い。まるで鉄の塊を突いた様だった。長は痛がる素振りも見せない。飛竜とは、これ程に強いものなのかと感じた。長がカーロン目掛け、火の玉を吐き出す。それを間一髪躱し、棒を構えなおした。長がもう一度火を吐き出そうとしたその時、ブレイズがその背に火の玉を叩きつける。長が叫び声をあげ、今度はブレイズに向き直った。二頭の竜は飛び上がり、空中で激しく揉みあう。ブレイズは何度も火の玉を吐きかけ、その前肢の爪で切り裂きに行ったが、長に決定打は与えられない。長の方はまだ余裕綽々という感じで、碌に攻撃の姿勢も取らなかった。ブレイズは素早く後ろに回り込み、その背に尾を叩きつける。長は流石に効いたようで、体をよろめかせた。その眼に危険な光が灯るのを、カーロンは見た。


「来るぞ、ブレイズ!!」


 カーロンは思わず、そう叫んでいた。長が態勢を立て直し、一気に飛び上がると右腕を振り上げ、その爪をブレイズの体に叩きつける。ブレイズはそれを躱し切れず、鱗を引き裂かれてカーロンの近くに落ちて来た。彼は何とか姿勢を立て直し、カーロンの近くに着地する。ブレイズが、ちらりとカーロンをの方を見た。カーロンは頷き、その背に跨る。構わないだろうと思った。長が大声で吼える。邪魔するな、とでもいうのだろうか。しかし、黙って見てもいられなかった。


「来いよ、リーダー」


 カーロンがそう言って、ブレイズの腹を蹴る。ブレイズは羽ばたき、二頭の竜が再び空中で向き合った。長が火の玉を吐き出し、それをブレイズは旋回して躱す。飛竜の武器は主に四つ。鉄の様に頑丈な爪、強靭な咬合力を持つ顎と硬い牙、太く、うなりを上げて敵を打つ尾、そして口中から吐き出す炎。それぞれにも強みがある。爪は鋭いが竜の前肢は体のわりに短く、届く範囲は狭い。後肢は地上の相手を踏みつける様な事は出来るが、人間の様に高く蹴り上げる事は出来ない。相手の首に噛みつく事が出来れば、いかに頑丈な鱗を持つ飛竜でもひとたまりも無いだろうが、相手もそれを分かっているから特に警戒される。また噛みつく為にうかつに首をのばせば、逆に噛みつかれる可能性もある。尾は命中すれば非常に強力な打撃攻撃となるが、体の後ろ側に伸びている関係上正対した状態では使えない。炎は吐き出す為に少し時間がかかり、予備動作も大きい。その為躱される可能性が高いし、先程ブレイズの炎の直撃を受けた長の様子を見る限り、そもそもそれ程有効とも思えない。


「回り込んで、尾の一撃をくれてやるか。或いは羽を噛みちぎるか」


 カーロンはそう呟くと、ブレイズに合図を送って急旋回を開始する。二頭の竜はお互いの背後を取るべく旋回する。このままでは埒が明かないし、長期戦となれば不利なのはカーロンをのせているブレイズだろう。カーロンは棒を握りなおすと、思い切って合図を送る。ブレイズはそれに従い、ためらう事無く長目掛けてまっすぐに突っ込んだ。長は不意を突かれ、一瞬動きが止まる。カーロンは長の顎目掛けて、全力で棒を突き上げた。その一撃が、的確に長の下顎の先端を打ち抜き、長の頭を突き上げる。長の意識が飛んだか、動きが完全に止まった。その瞬間を逃さず、ブレイズが首を伸ばして長の喉に噛みつく。長が来るげな叫び声を上げ、両前肢をブレイズの体に叩きつけた。しかしブレイズは離さず、更に顎の力を強める。カーロンは鐙から足を外すと、サドルを蹴って宙に飛んだ。そして長の顔の角にしがみつき、体勢を立て直す。落ちれば岩肌に叩きつけられるし、場合によっては遥か下に放り出されて死ぬ事になるだろう。


「大人しく、してもらうぜ」


 そう言って、カーロンは長の眼に棒を突き立てる。長の絶叫が空気を震わせた。その翼から力が失われ、二頭と一人は揉み合ったまま大地に落ちる。カーロンは直接岩肌に叩きつけられこそしなかったが、墜落の衝撃が体中を貫いた。それでもまだ両手は棒と角から離さなかった。ブレイズが渾身の力を込めて、その首を噛み砕く。バキバキという嫌な音がして、長の口から血の泡が噴き出した。長の体が大きく震え、そしてその力が急速に抜けていく。やがて、その呼吸が止まった。それを確認した瞬間、カーロンの全身から力が抜けた。手が離れ、長の頭の上から転げ落ちる。強い疲労感に襲われ、体は全く動かなかった。ブレイズも疲れ果てた様子で、長の死体の横でじっと体を休めていた。他の竜達は、ジッと動かない。しかし、やがて一頭の竜が近づいてきた。角の形が、ブレイズや長と少し違う。ブレイズ達の角は目の上から真っすぐ後ろに突き出しているが、この竜の角は目の上から下に緩い弧を描いていた。多分雌なのだろう、とカーロンは思った。その流派ブレイズに近づくと、遠吠えの様な鳴き声を上げた。


「群れの、長になったのか」


 カーロンがそう呟いた時、不意に後ろから声をかけられた。


「そうだ。飛竜は一頭の雄が、二、三頭の雌とその間に出来た子供を束ねる。昔はそんな群れが五十以上あったが、今はすっかり少なくなった。私の知る限り、群れは三つ。そしてその内、最も勇敢で強い竜が、あのお前達が打ち倒した竜だよ」


 カーロンは慌てて起き上がろうとしたが、まだ体に力が入らなかった。何とか首だけ、声のする方に向ける。そこに立っていたのは、全身黒ずくめの中年の魔導士だった。こんなところに人がいる。それが信じられず、カーロンは茫然とする。


「あ、なたは……?」

「私か。そうだな……今は、ロキと名乗っている」

「今、は?」

「それは、今は良い。それより、お前の疲労を取ってやる」


 そう言って、彼はカーロンに向けて手をかざす。その手からモヤの様なものが立ち上り、そしてカーロンの体が不意に軽くなった。疲れを全く感じない。カーロンは驚いて跳ね起きる。


「こ、これは」

「全く、大したものだ。あの竜にこんな若竜と、若者で勝ったのだからな」

「見ていたのですか」

「途中からだが。若い雄竜は成熟すると群れを離れ、他の群れの長を倒して自分が長に成り替わろうとする。そういう時期ならばともかく、今はまだ一年ほど早い。その竜も、まだ完全に成熟した訳では無いように見える。何歳だ」

「大体、一年になりますか」

「飛竜は二年程で成熟する。そうか、たった一歳で長になるとはな。お前の助けがあったとはいえ。だが、やはりまだ若いな。疲れて動けんようだ」


 そう言うと、ロキはカーロンの体をジッと見つめた。


「な、何でしょう」

「……お前、何か綽名を持っちゃいないか。人にこう呼ばれている、というような」


 不意にそんな事を聞かれ、カーロンは面食らった。質問の意図が分からなかった。しかし、隠すような事でも無いので正直に言った。


「村にいた頃は、ファム村の竜と。まだ未熟な自分には、恥ずかしい事ですが」

「竜。ファム村のというのは、村一番という事か?」

「それもあるでしょうが、私があの村の村長の息子だったからでしょう」

「村の……ふむ。もう一つ、つかぬ事を聞く。見事な武芸を使っていたが、誰に教わった」

「色々な師匠につきましたが、一番は元王国守護軍の教官であった、キロン先生に」

「その者に教わった。村でか?」

「はい。先生は中央を追われ、この地に」


 カーロンのその言葉を聞いて、ロキの顔色が変わった。そして、彼は大声で笑いだした。


「そうか。分かったぞ、お前の事が。しかし因果とは実に面白きもの。“天雄”は王国守護軍の教官、“天猛”“天威”も官にあり、“天罡”は北方のステヴィアで財を成している。世界が変わろうと時が移ろおうと、やはり我らは天命を受けた魂か」


 その言葉の意味が、カーロンには全く分からない。カーロンが質問を投げかけようとしたその時、不意にブレイズの叫びが辺りに木霊した。何事かと思ってカーロンがそちらを見ると、ブレイズが三頭ほどの小さい竜に向かって行くのが見えた。


「あれは?」

「長の継承の、儀式のようなものだ。あれは生まれたばかりの、前の長の子供の雄だよ」

「それをどうするのです」

「噛み殺して、食らう。そうしないと、あの子を産んだ雌は交尾をしない。雌の子は生かしておくのだ、二年後には自分の子を産ませる事になるから。大人になれば角の形で見分けがつくが、子供の内は私にも見分けはつかん。しかし、流石に同族だと見分けはつくらしい」


 その三匹の子竜は、怯えた様な声で鳴いていた。ブレイズもすぐに噛み殺そうとはしない。戸惑っている様だった。


「ふうん。普通はためらいもなく行くんだがな。人の手で育てられたからか?」


 ロキがそう呟く。カーロンはブレイズの方に歩み寄っていった。ブレイズはカーロンの方を振り返った。困っている様に、彼には見えた。


「……殺さねば、なりませんか」

「ならん、というか。そうしないと、あの母竜達は交尾を受け入れんぞ。子竜が成長して、父の仇を討とうとするかは、事例がないから、分からんがな」

「まだ、ブレイズは子供なのでしょう。繁殖する気が無いかもしれない。俺にはそう見える」


 そう言って、カーロンはブレイズを見上げる。そして、決めた。


「ブレイズ、殺すな。無駄な殺しは、無益なだけだ」


 そう言って、ブレイズの瞳をじっと見た。ブレイズが、自分の言う事を受け入れてくれたと感じた。カーロンはブレイズの背に跨る。その背にロキが問う。


「どうするのだ、“天微”よ」

「自分はキロン師匠を探していましたが、今は会えんでしょう。少し天下を見聞し、それからヴァンター山に行きます。おさらばです、道士殿」


 そう言って、彼はブレイズの腹を蹴った。ブレイズは飛び上がり、そしてその後ろに大小合わせ十三頭の竜が続いた。少し飛んで、不意にブレイズは気が付いた。


「あの魔導士。俺の事を、妙な呼び方で呼んだな。そして俺は応えた……何故……?」


 その答えは分からなかった。考えても無駄だと思って、考えるのをやめた。


 ロキは、山の上で一人目を閉じていた。自分の目の前に現れたあの男。間違いなく、かつて自分達と刃を交え、そして共に戦った“天微星”の男の生まれ変わりだと思った。彼が動き出したなら、おそらく“天弧”も動き出す。そして、“天雄”が官を追われ行きついた場所こそが、約束の地。自分はそこに行くべきだろうか、と思った。もしあの時と全く同じ役割を果たすべきならば、自分は彼らとは全く異なる砦を興さねばならない。しかし、それではあの時と同じ事になるのではないか、とも思えた。それでは、つまらない。目を見開き、口を開いた。


「敢えて、天命を少し歪めてみるのも面白い、のかもしれぬ。」


 そう呟いて、はっと気が付いた。“天雄”があの地に落ちた時、あの山を治めていたのは天命に無い男だった。そして、その男に替わり山の主となり、多くの英雄が頭とした男も、百八人の魂の兄弟には含まれていない。


「……彼は、ここに来ていない筈だ。私が呼んだのは、あくまで我ら百八の宿星のみの筈……では、天命はどの様に」


 いや待て、と思った。さっき、“天微”は何と言っていた。師匠に会いに行くと。その師匠は中央を追われたと。あの時は、あの青年こそが“天微”と知った事に気を奪われ、そのおかしさに気が付けなかった。彼の師である男が、ここに来ている筈は無い。かつて、“天微”の星を持つ男から直接聞いた事だ。彼の師匠は、一〇八の兄弟の中に含まれてはいない。


「どういう事だ。私は知らぬ間に、彼らの魂も呼び込んでしまったのか。いや……いや、違う!」


 国は乱れていた。今この国を乱している元凶は、皇帝と彼を取り巻く四人だと言われている。その立場は少しずつ違うが、不気味に符合している様に思えた。


「私が彼らを呼び寄せる、それ自体が既にこの世界の天命だったと……そういう事か」


 かつて聞いた事がある。自分達は、百八の魔星の生まれ変わりであると。元々封じられていた魂が、一人の男によって封印を破られた。その男は、国を救うために仙人に会いに来た男だった。


 ロキは座り込み、静かに目を閉じた。一度、考えを整理しなくてはならない。自分が何をしたのか。何をしなくてはならないのか。じっくりと、考える必要がある。そう思った。

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