6.英雄告発により罪を背負い、飛竜怒りて空に舞う事
カーロンがヴァンター山の山賊と親しく付き合っている事は、村の人間達には知られていなかった。彼は良く家を不在にしていたが、元々狩りなども好んでいたからさして怪しまれる事も無い。村長としての仕事は相変わらずキーロフに任せていたから、その点の支障もなかった。
その日、彼は初めて飛竜に乗った。その為の道具は家に眠っていた古い馬具を参考に、革などを用意して自分で作った。問題は、乗り方だった。村に馬は数頭いるが皆農耕馬で、乗れる様な調教などしていない。キロンがいた頃に教わりはしたが、その時は彼の馬に乗っていたのだ。だから乗馬自体、もう一年以上していない事になる。しかし、まずはやってみる事にした。革のベルトで、サドルを胴体に固定する。手綱をつける為のハミとして、薄い金属板を口の奥に差し込む。
「大丈夫か、ブレイズ」
飛竜に優しい声で、そう語りかけた。飛竜は喉を軽く鳴らし、少し気にする素振りは見せたがそれ以上嫌がる様子は無かった。慎重に、カーロンはその背に乗る。胴体は馬より太く感じたが、何とか挟めた。飛竜に乗った人間と言うのは、昔おとぎ話としては聞いた事があった。だからやってみようとも思ったのだが、上手く行く保証はなかった。制御不能になれば、空中で振り落とされて死ぬかもしれない。それならそれが、自分の運命だと思った。
「よし、行くぞ」
そう言って、軽く竜腹を蹴る。しかし、ブレイズは全く動かない。当然だった。細かな動作、伝達の一つ一つから教えねばならないのだ。カーロンは苦笑して、良いぞ、と言った。普段はこう言えば、彼は自由に辺りを飛び回り始める。そして手を挙げて、来いと言えば、彼はすぐにカーロンの横に戻って来るのだった。しかし、それでもブレイズは動かない。喉を鳴らし、振り返ってカーロンの顔をじっと見つめていた。
「重いか? それとも」
心なしか、彼の表情は不安気に見えた。重たいのではない。自分が飛んで、主人を振り落とさないかを心配しているのだろうと思った。カーロンは笑って、軽く頭を撫でた。
「大丈夫だ、お前なら。俺は、お前を信じる」
だから、行け。そう言って、もう一度竜腹を蹴った。ブレイズは一声吼えると、翼を羽ばたかせた。そしてブレイズが力強く大地を蹴ると、その体は空中へと舞い上がる。飛び上がった瞬間は流石に緊張したが、思ったほど揺れは無かった。軽く体を右へ傾けてやると、ブレイズも右に旋回し始める。初めて乗ったし調教自体もほとんどしてこなかったが、驚く程簡単に意思の疎通ができた。二人はしばらく、空を飛んでいた。自分の家や村の畑が眼下に広がるのを眺めるのは、不思議な気分だった。
しかし、ここで一つ問題がある。どう降りるかだ。いつもは呼んでやれば来たが、今回は自分が上に乗っている。どうしたものかと思ったが、ままよと軽く頭を下げて身を屈め、降りろと言った。すると、ブレイズはすうっと高度を下げていく。そして、静かに着地した。カーロンは竜の背から飛び降りると、よくやったと褒めながら撫でてやった。ここまで上手く行くとは思わなかった。キロンは以前、彼に馬術を教えた時に、馬を家来や奴隷と思わず、友と思ってやる事。よく労わってやり、尊重してやる事が大事だと教えていた。キロンはずっと、その言葉に反する様な事をせず、ブレイズを育てて来た。その結果なのだろうと思った。
それから、数日後。カーロンは更にブレイズの調教を勧め、すっかりこの飛竜を乗りこなしていた。そこで、彼はブレイズに乗ってヴァンター山に向かう事を思いつく。三人にこの飛竜を見せたかったし、練習にもうってつけだと思ったのだ。彼は早速ブレイズに飛び乗り、彼らは一路ヴァンター山を目指し飛んでいく。そのスピードは凄まじく、あっという間に山についてしまった。山賊達は飛んでくる飛竜を見て大騒ぎになった様で、ティーガーが興奮した様子で話しかけてきた。
「おお、カーロン様。これがその飛竜ですかい!」
「ああ。ブレイズと名付けている。ここ数日、訓練していてな。すっかり慣れてきたから、一度試しにここまで飛んで来ようと思ったのよ」
「全く、大したもんだ。山の連中、皆たまげちまって大騒ぎしてますぜ」
そんな会話をしながら、二人は山を登っていく。ブレイズはきょろきょろと山の様子を見ていた。元々、彼の卵が産み落とされていたのはこの山の頂上付近だった。しかし生まれてからは常にファム村にいたから、山を見るのは初めてだった。
その日も、楽しい時間が流れた。ブレイズは初めて見るヴァーミリアン達にもすぐ馴れて、貰った干し肉の欠片を美味しそうに平らげた。その様子を見て、ラミアなどはすっかり魅了されてしまった様子だった。
「飛竜を見るのは初めてだけど、可愛いものね」
「生まれた頃から、人里にいたからだろう。この山で熊や兎はよく見たが、飛竜は見かけないな。この子の親は、一体どこに行ったのだろう」
ヴァーミリアンはそう言った。そう言えば、カーロンもブレイズ以外の飛竜を見た事は無い。
「確かに、親がいなけりゃ生まれる筈は無い。産み落としていったのかな」
「この子は人馴れしていますから良いですが、もしどこかに野生の飛竜が潜んでいたら、これはちと脅威だ。友好的とは思えませんし」
「そうだな。気を付けた方が良いかもしれん。とはいえ、これだけの大きさの獣、それも空を飛び回る様な生き物がいれば、気が付くとは思うが」
「もういない事を祈りますよ」
そう言って、ヴァーミリアンは笑った。カーロンも笑い、ぐいと酒を呷る。楽しい時間だった。楽しい日々だった。
そんな日々が、突然終わりを告げた。翌日、屋敷にいたカーロンの耳に、大勢の人間の足音が飛び込んできた。外に出ると、五十人程の兵士が屋敷を取り囲んでいた。遠巻きに、農民達が心配そうな顔をしてこちらを眺めているのが見える。一人馬に乗った男が、進み出て言った。
「貴様が、ファム村の村長、カーロンか」
「おう。一体兵隊さんが、何の用だ」
「貴様を捕縛せよと命令が下っている。大人しく、縄に付け」
「何だと?」
カーロンは眉を吊り上げた。その迫力に、兵達が一瞬気圧される。
「どういう事だ。この村はあのクソ高い税もきっちり納めてる筈だぜ」
「黙れ! 貴様がヴァンター山の盗賊と通じているという情報は既にあるのだ。奴らは憎んでも余りある悪逆の徒、それと親しむとは何事か」
「証拠はあるのか」
「あるとも。この男がな、昨日貴様が竜に乗ってヴァンター山に向かったと告げてくれたのだ。またそれ以前、貴様があの山賊の首領三人を捕えながら、みすみす逃がした事もな」
そう言われ、兵達の間から出てきたのはザックだった。カーロンは驚いて叫んだ。
「貴様、一体!」
「あんたのバカさ加減に、ついていけんってだけですよ。折角山賊の一人を捕まえて、村にもおこぼれがあると思ったのに。その上残りの二人もノコノコ捕まりに来て、こいつら突き出せば山の様な金貨が手に入るってぇのに、アンタ逃がしちまいやがった。何が義侠心だ、ふざけるない」
ザックはそう喚くと、振り返って馬上の男に言った。
「とっとと、あの謀反人召し取っておくんなさい。あんなのは村長でも何でもねえ、ただの悪党だ」
「うむ。貴様にはしかと褒美をやろう。者共、あの者を召し取れ!」
馬上の男が下知し、五十人の兵達がじりじりと包囲を詰める。カーロンはしばし黙っていたが、やがて絞り出すように言った。
「ザック。貴様には、父上が生きていた頃から、良くしてやった筈だ」
「知らねえよ。みすみす金の山逃して、山賊とつるむ奴なんざ」
ザックはそう吐き捨てた。彼は昨日、たまたまカーロンが山の方に飛んでいくのを見たのだ。徒歩であれば近場で狩りでもしているのかと思っただろうが、わざわざ飛竜に乗って飛んでいくとなれば、それなりに距離はある場所だろうと思った。それで、ヴァンター山の山賊に会いに行ったと踏み、役所に駆け込んだのだった。
「許さん。貴様、八つ裂きにしてくれる!」
カーロンは怒り狂ってそう叫んだが、丸腰の彼にはどうする事もできなかった。まさか兵隊が囲んでいるとは思わず、武器など持ってこなかったのだ。それが分かっているから、兵達もにやにやと笑いながら包囲を縮めてくる。カーロンは意を決すると、扉を蹴破って屋敷の中に飛び込んだ。兵達も次々と屋敷の中に突入してくる。カーロンは立てかけてあった総鉄の棒と金の入った袋を手にすると、大急ぎで屋敷の裏、ブレイズが普段いる部屋に向かった。ブレイズは騒がしさに落ち着かない様子だったが、カーロンの顔を見ると静かに彼の眼を見つめてきた。
「ブレイズ。無理をさせるかもしれん」
静かに、そう語りかける。彼はそれを理解したのか、僅かに首を下げた。素早くサドルを装着し、ハミを噛ませる。兵達が踏み込んできた。カーロンが舌打ちし、棒で立ち向かおうとしたその時だった。ブレイズが大口を開けて、赤い火の玉を吐き出した。それは凄まじい速度で兵達に激突し、彼らを焼いた。カーロンは驚き、ブレイズを見る。
「お前、そんな事が」
確かに、昔話では竜は火を吐いていた。しかしブレイズは一切そんな事はしてこなかったから、あくまでお話の中の事なのだろうと思っていた。悲鳴を上げて悶える兵達の体から、火が屋敷に延焼し始める。こうなれば、もう覚悟を決めるしかないと思った。ブレイズの背中に飛び乗り、叫ぶ。
「行くぞ、ブレイズ。頼む」
ブレイズは吼え、部屋の扉に火の玉をぶつける。扉は燃え上がり、穴が開いた。そしてブレイズは一気に扉目掛け突っ込むと、粉々に砕きながら外に出た。その姿を見た馬上の男は悲鳴を上げ、ザックは茫然とし、そして農民達は感嘆の声を漏らす。太陽を背に飛竜に跨り、総鉄の六フィート棒を小脇に抱えたカーロンの姿は、まるで神話の英雄の様だった。
「ブレイズ!」
カーロンが叫び、ブレイズが吼えた。飛竜は大きく羽ばたき、天高く飛び上がる。そして瞬く間に、その姿を消した。
その顛末は、すぐにヴァンター山にも齎された。ヴァーミリアンは自分達と付き合った為に彼が故郷を追われた事を悔やみ、ティーガーは領主の横暴に怒った。
「あの人が何したってんだ。盗みも、殺しも、何一つしちゃいねえんだぞ」
「盗賊を故意に見逃した。そういう事だろうね」
ラミアは冷静にそう言った。確かに、それは罪ではある。
「いずれにしろ、これであの人はお尋ね者か。何とか助けてあげたいけど……」
「……もし、ここにカーロン様が逃れてきたら」
ヴァーミリアンのその言葉を聞いて、二人は彼の方を振り返る。彼は静かに、続けた。
「その時は、俺は頭領の座をあの人に譲る。あの人には、集団を纏めるのに必要な物がある。人を惹きつけ、魅了する力だ。あの村の農民達は、農民としてはまるで実績の無いあの人を尊敬していた。かつて王国守護軍の教官だったあの人の師も、本来なら一刻も早く目的地に向かうべきところを半年も逗留し、彼に武術を伝授した。それは、あの人にそれだけ惹かれたからだと俺は思う。俺も、あの人ならば仕えても良い。いや、ぜひ仕えたいと思う」
「そいつは良い! 俺は大賛成だ」
「私も、カーロン様なら文句は無いよ」
「……まあ、何にしろ、まずは無事を祈るしかない」
ヴァーミリアンはそう言って、空を見上げた。そこに、飛竜に跨る彼の姿がありはしないかと期待したが、ただ抜ける様に青い空があるだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます