3.豪傑二人悪鬼を狩り、老雄再び旅立つ事
キロンがこの村に留まって、半年が経った。その間、毎日のようにカーロンは調練に励んだ。元々溢れる程の才能はあった。また村長という事で、農村の中では裕福だった事もあり、色々な武器を集める事はできていた。スタッフだけでなく、剣、弓、槍、斧など一七の武器の扱い方、更に素手での格闘術を叩き込まれ、また馬の乗り方も教わった。元々この一八の武術は一度は学んだ事があったが、全て一から叩き込まれた。その間、キロンが心配したような事態も起こらず、いたって平穏な日々が続いていた。
その日も、キロンは激しい調練をカーロンに課した。ここ最近は、手取り足取り教えると言うよりもひたすら立ち合い、それによって業を盗めという調練が続いている。その立ち合いも、最近ではキロンが冷や汗をかく様な事も増えてきた。未だ、敗北は喫していない。しかし、その日は近いとも感じていた。
裂帛の気合を発して、カーロンの剣が鋭く斬り込まれる。その斬撃の強さも、かつてとは比べ物にならない。以前ならば躱した後に一撃を打ち込む事も出来たが、今では躱すのがやっとだ。躱し、躱し、僅かに生まれた隙を逃さず、確実に打ち込む。キロンの剣がカーロンの肘を打ち、彼の動きが一瞬止まる、その瞬間を逃さずタックルを仕掛け、引き倒す。カーロンは顔面への打撃を警戒、左腕で攻撃を防ごうとしたが、キロンはその腕をがっちりと掴み、一気に体を倒して極めてしまった。カーロンの顔が苦痛に歪み、軽くキロンの足を叩く。
「ま、参りました……」
「全く、危なかった。全く隙が無くなりつつあるな。都の騎士共でも、お前に敵う奴は数える程だろう」
「いえ。それでも、私はまだ未熟です。先生に一八の武術を教わりましたが、いずれもまだ先生には遠く及びません」
そう言いながら、カーロンは立ち上がる。キロンも立ち上がり、一度休息をとる事とした。二人は上半身を開けたまま、井戸からくみ上げた水を飲む。その時、農夫の一人が走ってきた。見れば、小作農の一人のザックだった。
「大変だ、坊ちゃん」
「どうした、ザック。そんなに慌てて」
「ヴァンター山のゴブリン共が暴れ出して、手が付けられねえんです。猟に行った連中がやられて、二人殺されちまって」
「ゴブリン? あそこにはちゃちな群れが点在しているばかりで、大した事は無かった筈だが」
「それが、どうもレッドキャップが生まれたらしいんですよ」
そう聞いて、カーロンも驚いた表情を浮かべた。
「そうならば、これは捨て置けん」
「村長にお伝えしなければと思いまして、ここに」
「おう。頼むぞ」
ザックは挨拶もそこそこに屋敷の中に入っていく。カーロンは厳しい顔をして、何か考え込んでいた。その彼に、キロンが声をかける。
「ゴブリン、というのは聞いた事がある。私はずっと都にいた故、見た事は無いが」
「山に住む、ちゃちな鬼ですよ。普通はどれだけ大きくても一〇匹少々の群れしか作りませんし、その半分以上は子どもですから、大した脅威にはなりませんが」
「レッドキャップとか、言っていたな」
「極稀に生まれる、ゴブリンの変種ですよ。頭が真っ赤なのでそう言われるそうです、自分もこの目で見た事はありませんが……。どういう理屈かは知りませんが、連中はレッドキャップには従うのです。普段は群れ同士で縄張り争いに明け暮れて殺し合いもしますから、子供が多い割に増えはしないんですがね。レッドキャップが生まれたなら、早急に処理しないと。山中がゴブリンに占拠され、下手をすれば山周辺の村落が襲われる事もあるそうで」
「なるほどな。どうするのだ、領主に頼めば兵を出してくれるだろうか」
「まさか。あの連中、税を搾り取る事しか頭にありゃしませんよ」
「では、山狩りか?」
「父上がお決めになる事ではありますが……そうなるでしょう。先生の元で鍛えたこの力を試す、またとない機会でもありますし」
二人がそんな会話をしていると、カクリコンとザックが屋内から出てきた。カーロンの顔を見て、カクリコンが言う。
「カーロン。村の若い者を集めろ。詳しい状態が分からんが、まだそれ程大きな群れにはなっておるまい。今の内に、叩いてしまえ」
「望むところです!」
「ザック、お前は役場に行って、この事を報告してくれ」
「分かりました。すぐに」
そう言って、ザックは走り出て行った。キロンはカクリコンに向かって言う。
「私も、参りましょう」
「よろしいのですか、キロン殿」
「一人でも人手は欲しいでしょうし、カーロンはともかく他の農夫達では、万が一という事もあります。万全を期すべきでしょう」
「貴方に手伝って頂けるのならば、百人の味方を得た思いです」
カクリコンはそう言ったし、カーロンは元より否である筈はない。カーロンはすぐに村の農民達を二〇人集めた。それにカーロン、キロンを加えた二二人が、直ちにヴァンター山へ出立した。所詮は農民と猟師、大した武器など持っていない。多くの者が普段の衣服に鋤鍬、狩猟用の弓矢を持った程度だ。その中にあって、頑丈な樫棒を背負い、更に剣と強弓を携えたカーロンと、ショートスピアを手に提げ背には手斧を背負い、腰に飛礫を入れた革袋を提げているキロンの二人は、いかにも頼もしく見えた。
カーロン達は山に踏み入ると、辺りを警戒しながら登っていく。ゴブリン達は普段は山のあちこちに点在しているが、レッドキャップによって統率されたゴブリンは、山上に集まり巨大な集落をつくる。そこで組織的に狩りや繁殖を行う為、爆発的に増えていく事になる。その為、探す分には簡単だ。一行は山上を目指し、山道を静かに進んでいった。その途中で、キロンが黒い塊を見つけた。横にいた猟師に聞くと、彼はかがみこんで木の枝を突き刺し、匂いを嗅ぐ。
「まちがいねえ。こりゃゴブリンの糞だぞ」
「じゃ、いよいよ連中のテリトリーか」
一行の緊張感が高まる中、ガサリという音がした。そちらを見ると、暗い緑色をした、小さな人型の生き物が六匹程、こちらを見つめている。紛れもなく、ゴブリンだった。
「いやがった!」
誰かがそう言った。それが合図だった。六匹のゴブリンはギイギイと耳障りな声で叫び、こちらに突っ込んでくる。その手には太い木の棒が握られていた。彼らの知能は高くはない。武器は使うが、大したものは作れない。ああやって落ちている木の棒を棍棒として使うか、石を握って鈍器にするかが基本で、時折人間を殺して奪った短剣を揮う事がある位だ。
「カーロン!」
「はい!」
キロンとカーロンが、弓を構える。猟師達も弓を構え、射た。キロンの矢はゴブリンの額を、カーロンの矢は別のゴブリンの喉を貫き、一撃で絶命させる。猟師達の矢も何本かは突き刺さり、殺せないまでも負傷させた。六匹程度であれば、二十二人もいる人間の集団には何もできず、一方的に殺されるだけだ。しかし、それでは終わらない。あの叫び声に呼応して、山頂付近に集まっていたゴブリン達が、一斉にこちらに向かってきた。何匹いるかは分からない。しかし、一匹一匹は非力でも数と闘争心の強さで、レッドキャップに率いられたゴブリンの群れは脅威となる。
「来やがった!」
カーロンが叫び、更に素早く矢を射た。最初の六匹は全滅させたが、その間に彼方此方からニ十匹程のゴブリンが殺到してくる。野生動物を相手に狩りをしている猟師達はある程度馴れているが、普段は大地を耕している農民達は怯えてしまう。それはある程度、織り込み済みではあった。
「カーロン、気を抜くな!」
キロンはそう叫び、弓を捨てて槍を構える。とびかかってきたゴブリンの喉に鋭く突きを入れ、一撃で絶命させた。カーロンは更に二射を加えると、得意の棒を握り縦横無尽に暴れまわる。農民達も二人の姿に奮い立ち、必死で得物を振るった。しかし次から次に襲ってくるゴブリン達に、農民達は押され始める。実戦というのは体力を急速に奪う。農民達の動きはすぐに鈍くなっていった。辺りにはゴブリンの死体が転がり、それを踏み越えて更に新手のゴブリン達が飛びかかってくる。全くキリが無かった。このままではマズい、と思ったカーロンが、一気に山上目掛けて走り出す。
「カーロン、何処へ行く!?」
「このままではキリがありません! 山上にレッドキャップがいるでしょう、そいつを叩き殺します!」
「分かった! ここは私に任せておけ!」
キロンの言葉を背に、カーロンは一気に駆け上る。やがて山道は無くなり、鬱蒼とした森の中に突っ込んだ。連中の知能が低くて助かった、と思った。山道にいるところを襲って来たから、大分楽に戦える。もし山道の無い、こういった木々の中で襲われたら、槍や棒は使いにくい。そうなれば、更に苦しい戦いになった筈だった。
不意に、横から何かが飛び出してくるのが分かった。剣を抜き、横殴りに叩きつけるとゴブリンが顔を潰され弾き飛ばされていく。更に三匹、飛び出して来た。手に握った石を、こちらの顔に叩きつけようとしてくる。それを躱して、一匹は剣で脳天を割り、一匹は足で蹴り飛ばして大木に叩きつけた。残る一匹も、攻撃を躱して無防備になった背中に剣を叩き込み、絶命させる。その時、一際大きな喚き声が聞こえた。見上げれば、三十匹程のゴブリンに囲まれたゴブリンが見える。
「成程、レッドキャップとは言い得て妙だ」
その見た目はゴブリンとほとんど変わらないが、額から上の部分が真っ赤に染まっている。確かに真っ赤な帽子を被って見えた。周りにいるゴブリン達が、ぎゃあぎゃあと喚いてとびかかってくる。カーロンはそれを剣と体術で捌きながら、ゆっくりと前進していった。三十匹ものゴブリンに一気に襲われれば、常人ならば力尽き、最後にはその攻勢に飲み込まれてしまうだろう。しかし、カーロンは既にゴブリンの動き、その傾向を掴んでいた。彼らに技は無い。得物が木の棒だろうが石だろうが、基本的には振り下ろすだけだ。突きや横に薙ぐ様な攻撃はしてこない。それが分かれば、簡単に捌ける。攻撃を躱しながら一匹一匹を確実に剣と足蹴りで絶命させ、レッドキャップの目前に迫った。既に三十匹いたゴブリン達は全滅している。レッドキャップはぎゃあと喚き、逃げだした。
「逃がすか!」
カーロンが裂帛の気合を込めて剣を投げる。刃がレッドキャップの右足を直撃し完全に砕いた。カーロンとしては頭を狙い、確実に絶命させにいったのだが、流石に疲れが出たのか僅かに狙いが狂ったのだ。しかし、右足を砕かれてはもう逃げられない。レッドキャップは地面に転がり、それでもなお這いずって逃げようとする。
「お前を逃がしては、禍根を残す。村を守るためだ、死んで貰う」
そう言いながら、カーロンは近づく。その時、その後ろからきいきいと言う声がした。振り返ると、小さなゴブリンが何匹も、何処に隠れていたのか飛び出してきていた。彼らは一斉に、先程カーロンが全滅させたゴブリン達に近寄っていく。
「これは……そうか、あれは雌達だったか」
おそらく、母親なのだろう。小さなゴブリン達は死体に近づいて、鳴き声を上げていた。それを見て、キロンの心にむらむらと怒りが湧く。
「貴様は、女を盾にして、それを皆殺しにされて、それでも自らは戦おうともせず、逃げようとしたのか。それが長たる者の態度か!」
ゴブリンは、人間とは違う。人間の道徳やモノの考え方を適用するのはおかしな話だと、分かってはいる。それでも、そう思わずにはいられなかった。
「女だけではない。下で戦ったゴブリン共も、誰一人逃げようとはせなんだぞ。個々の力で叶わぬ人間に、猛然と立ち向かって来たのだぞ。貴様だけだ。逃げようとしたのは」
レッドキャップが、ギイー、と大声で叫んだ。その声も、命乞いの様にカーロンには聞こえた。
「この外道が!」
そう叫んで、カーロンはレッドキャップの顔面を踏み砕いた。その体がびくびくと痙攣し、やがて動かなくなった。カーロンは大きく息を吐くと、木を背に座り込む。疲れが、どっと襲ってきていた。
「なんなのだ、これは。実戦というのは、こういうものなのか」
戦っている最中は、無我夢中だった。高揚感もあった。しかし終わってしまえば、疲れと空しさが残っていた。子ゴブリン達は、まだ母親に縋って鳴いている。或いはその光景のせいかもしれないと思った。彼らは決して人とは相容れない。彼らによって、村の人間が二人殺されているのだ。殺さねば、禍根を残す。それは分かっていた。それでも、何かやりきれない思いがあった。それを、いうなれば八つ当たりするかの様に、レッドキャップに叩きつけたのだと思った。
やがて、人の声が聞こえてきた。声のした方を見ると、キロン達が上ってくるのが見えた。何人かはケガを負っているが、皆揃っている。死人は出ずに済んだのだ、と思うと、ほっと肩の力が抜けた。
「おお、カーロン! 大丈夫だったか」
「ええ。何とか、片付けましたよ」
絞り出すように、そう言った。キロンは周りに転がっているゴブリンの死体を見て、おお、と声を漏らす。
「大したものだ。これ程の数を、一人でやったのか」
「はい。レッドキャップは、コイツです。頭を踏み抜いたんで、赤い頭ってのは分かりにくくなりましたが」
それを聞いて、農民達は大きな声で快哉を叫んだ。これで、山から脅威は去ったのだ。農民の一人が、子ゴブリンを見て行った。
「こいつら、どうします。数は多いし、一々潰してたら大変だ」
「生かしておいても、レッドキャップのいないゴブリンの群れなら大して脅威にはならんが……禍根は絶っておくが良いだろうな」
そう言った別の農民が、近くにいた一匹を踏み殺す。他の農民達も、次々に子ゴブリン達を殺していった。凄惨な光景ではあった。しかし、こうせねばならないのだ。カーロンは立ち上がり、キロンに言った。
「実戦というのは、疲れるのですね。終わった瞬間、体の力が抜けてしまって」
「当然だ。お前は初陣だしな。むしろこれだけの働きができたのだ、誇っていい」
「高揚感もあります。ただ、空しさというか……何といえば良いのか分からないのですが」
「戦いは、体も心も過剰に燃え上がらせる。だから終わった後には、そうやって灰の様な精神が残るのだ。いずれ、元に戻る。慣れてくれば、その回復は早まっていく」
そんな事を言っている間に、農民達は子ゴブリンを全滅させていた。辺りには血の匂いが漂っている。いずれこの匂いに惹かれて、他の動物達がやってくるだろう。そういった動物達と鉢合わせないように、と下山を始めようとしたその時、カーロンは洞穴を見つけた。
「中に生き残りがいるかもしれない。調べよう」
誰かがそう言い、一行は穴の中に入っていく。大して深い穴ではなく、すぐに行き止まりになった。ゴブリンの生き残りはいないが、彼らが運び込んだのであろう物がいくつか見つかった。木の棒、石、血で汚れた布の切れ端。そんなガラクタに埋もれる様にして、藍色の卵が転がっていた。カーロンがそれを拾い上げる。
「これは……?」
「卵、の様に見えますが……さて、何でしょうな」
周りの誰も、それが何かは知らなかった。キロンも、それが何かの卵だろうという事以外、分からなかった。カーロンは興味を抱き、それを持ち返る事にした。一行は意気揚々と山を下り、村に戻って事の顛末を皆に伝える。その日、村は喜びに包まれた。夜には村中の人々が集まり、二十二人の勇敢な男達を称えてのささやかな宴会となった。カクリコンは飼っていた牛をつぶし、また酒を振舞った。その歓喜の輪から少し外れたところで、キロンは静かに酒を飲んでいた。カーロンが近寄ってきて、言った。
「先生。先生のおかげで、一人の死人も出さずに戦いを終えられました。ありがとうございます」
「お前も、よくやった。あれだけのゴブリンを一人で斃し、レッドキャップも討った。間違いなく、勲功第一だ」
そう言った後、キロンは少し黙って、じっとカーロンを見つめる。カーロンは居住まいを正して、訊いた。
「先生? 何か……」
「お前は、もう一人前だ。まだ私はお前に一本は取られていないが、もはや紙一重の所まで来た。合格だ」
「先生、何を」
「もう、お前に教える事はない。後は自ら考え、切り開いていくのだ。そうしなければ、武の道の頂など見えぬ。私は、明日ここを立つ事にする」
そう言われて、カーロンは酷く狼狽した。こんな事を言われるとは、思ってもみなかった。
「そ、そんな! まだ私は、全くの未熟者です、先生の教え無くしては」
「甘えた事を言うな。もう、そんな段階は過ぎた。今日の戦いで、お前はそれを見事に証明してみせたではないか」
そう言って、キロンはにこりと笑った。
「もう一度言う。お前は、もう一人前だ。後は自ら工夫し、高めていけ」
「先生……」
「思えば、私は一晩、ここに宿を借りるだけのつもりだった。それが思いがけずお前という俊英に出会い、気が付けば半年も経った。冬を超え、もう春になっている。出立にちょうどいい季節でもある。どうか、行かせてくれ」
そう諭され、カーロンは俯いた。手を握りしめ、しばし黙り込む。しかし、顔を上げ、キロンの眼をじっと見つめ返して、彼は応えた。
「分かりました。先生の教え、生涯忘れません。ありがとうございました」
「ローレルで、お前の名前が聞こえてくる日を楽しみにしている。お前ならば、国にその名を轟かす龍にもなれるだろう」
「はい。……先生、本当に……ありがとうございました」
そう言って、カーロンは深々と頭を下げた。
翌日早朝、キロンは旅立っていった。カーロンはその背を、彼が消えていった道を、じっと見つめ続けていた。
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