2.英傑小村に休み、子龍を見出す事

 あれから三日、キロンは都から遠く離れ、幾つかの村を通過しなお移動し続けていた。三日程度であれば、食事をとらずとも動ける。しかし、流石に疲労は隠せなくなっていた。そんな時に、彼は一つの村に辿り着く。畑は綺麗に整備されており、農民達がそれを見回っている。大きくは無いが、それなりに豊かな村の様だった。疲労も溜まっているし、日も暮れてきた。ここで、宿を求めるのがいいだろうと思った。

 村の中で、一際大きな屋敷にキロンは近づいた。門番に声をかけると、やがて屋敷の中から一人の老人が現れた。温和そうで、どこか世に疲れた様な気配を漂わせている男だった。

「自分は、王都より旅をしているレオパルドと申します。今夜一晩、ここに止めて頂きたいのです。少ないですが、お礼も致しますので」

 一応、自分の名前がここまで伝わっているかもしれない。取り合えず、レオパルドの名前を借りる事にした。

「私はこのファム村の長、カクリコン・ファムと申します。それはそれは、お困りでしょう。礼など結構ですから、どうぞごゆっくりなさって下さい」

「有難う御座います。全く、助かりました」

「いえいえ。困った時は助け合わねば、ですよ。それに私は旅のお方のお話を聞くのが好きでしてな。如何せん、私はこの村からほとんど出た事もございませんし、都のお話などはおとぎ話のように感ぜられるのですよ。それを聞かせて頂ければ、それで十分です」

「私は、それ程話が上手い人間ではありませんが。お話しできる限りの事は、お聞かせしましょう」

 そう言いながら、キロンは胸をなでおろしていた。全く親切な人に出会えたものだ、と思う。都で狭量な者達が所狭しと蠢いている事を思うと、全く別世界にも思えた。

 その日は、キロンにとっては久しぶりに心から楽しい夜だった。都の流行りや今の人々の暮らしを話すと、カクリコン老人は楽しそうにそれを聞いていた。しかし、近頃皇帝の道楽遊びが更に激しくなり、全国からの税の取り立てや財宝狩りの話に話題が移ると眉に憂いの色を浮かべた。

「さようですか。陛下はますます、その様に」

「私は、それ程身分の高い者ではありませんでした。身分のある者は皆、自分の地位を失うのを恐れて何も言おうとしません。正確には、かつてはいましたが、そういう者達は皆、体よく追い払われました」

「私も、心を痛めておるのです。税の取り立てがますます厳しくなってまいりました。このままでは、自分達が食っていく分すら残せなくなりかねません」

 その言葉に、偽りは無いのだろうとキロンは思った。ここだけではない。ここに来るまでに通過した幾つかの村も、決して暮らし向きが良いようには見えなかった。国を揺るがす様な大災害はあの五十年前の疫病以来起こっていないし、外国との戦争もない。それにも関わらず、多くの村が青息吐息で何とか生活しているという様子だった。都は、過去に類を見ない程の繁栄を謳歌しているのにだ。キロンは、政治の事は良く分からない。ひたすら武人として、己を磨く事だけを考えてきたからだ。その彼でさえ、この異常ははっきりと見えた。しかし、都を出てからだ。都にずっと住み続けていれば、おそらくこの事にも気が付かず、死んでいったのだろうと思った。

 翌日、キロンは久しぶりにベッドから目を覚ました。野宿で音を上げる様な軟な鍛え方はしていないが、ベッドの方が良く眠れるに決まっている。カクリコンに挨拶をし、朝食を取った。体はすっかり元気になっている。後二、三日無理をすれば、ローレルに辿り着けるだろうと思った。

 朝食を終え、愛馬に飼い葉をやる。軽く毛並みを整えてやっている時に、不意に背筋に気配を感じた。近くに、闘気を放っている者がいる。それが自分に向けられたものでは無い事は感じていた。これ程の闘気を放てる者がこんな田舎にいるのか、と思い、屋敷の庭に出る。そこには、一人の若者がいた。背はキロンよりも僅かに高く、六フィート(一八〇センチ)は優に超えているだろうと思えた。体には無駄のない、均整の取れた筋肉が張り付き、大理石の彫刻の様な美しさだった。顔立ちは引き締まり整ってはいるが、どこかあどけなさも残っている。その手には六フィートのクォーター・スタッフ(木製の棒)が握られていた。青年はそれを自在に操り、その技のキレはキロンをも唸らせるものだった。何よりも、その身から発せられている闘気は並々ならぬもので、暴れ狂う竜を思わせた。

 青年は、キロンが見ている事にも気が付かず鍛錬を続けていた。棒はまるで意志を持っているかの様に自在に動き、空気を引き裂く。しかしその技はどこか大袈裟でもあった。青年が棒を大地に立て、それを軸に飛びあがり、くるりと回るような動きを見せる。それを見て、キロンの口から思わず声が漏れた。

「勿体ない」

 その時、青年の動きが止まった。彼が振り向き、二人の視線がぶつかり合う。

「貴方は、何者です? 先刻父上が言っていた、旅のお方ですか」

「ええ。レオパルドと申します。御無礼仕った。お若いのに大した腕だ」

「いや。たった今、貴方は勿体ないと仰せになった。貴方は何者です。どうやら武術の心得はあるようだが」

「まあ、少しはやるという程度ですよ」

「ほう。少しはやる、その程度で私の業にケチをつけられるか。勿体ないとはどういう事です」

「貴方の棒術は、成程派手です。しかし、それでは大道芸だ。実戦で役に立つ棒術とは違います。貴方には素晴らしい才能がある。大道芸ではなく、本物の業を身に着ける事もできましょう。そう思っただけです」

 そう聞いて、青年がにやりと攻撃的に笑った。

「面白い。それ程に仰るのです、貴方も相当の遣い手の様だ。一手、御指南願いたい」

「いえ、そんな。私はただの旅の者ですから」

「いいや。俺の業をコケにして、それで終わらす事は出来ん」

 そう言うと、青年はずかずかと武具が立てかけてある棚に近づき、自分が持っているのと同じ位のスタッフを取った。そして、それをキロンに投げつける。キロンはそれを右手で掴んだ。二人の問答が聞こえたのか、奥からカクリコンが出てきた。

「これ、カーロン。お客人に無礼であろう」

「この者が、私の業を嗤ったのです」

 カーロンと呼ばれた青年は、そう言ってスタッフを構えた。カクリコンはため息をつき、キロンに向き直った。

「お客人。これは私の倅ですが、武術狂いで子供の頃から手の付けられない程でして。年を取ってからできた一人息子の可愛さ、何人か先生も付けてやりましたが、そのせいか今では自分に勝てる者などいないと増長しております。もしよろしければ、身の程を思い知らせてやっては下さりませんか」

「……御老公のお頼みとあれば。未熟ではありますが、一手お相手致しましょう」

 そう言って、キロンも静かにスタッフを構える。心が昂ってくるのを感じた。口では断る様な事を言っていたが、心の奥底ではこの素晴らしい才能を持つ青年と手合わせしたいという欲望が沸々と煮えたぎっていたのだ。久しく忘れていた感覚だった。

「では、参られい」

「おお!」

 カーロンが叫び、まずは鋭くスタッフを突き出してくる。キロンはそれを少し下がって躱した。更に三度、四度とカーロンは突き込んで来た。キロンは身を翻してそれを躱す。二人の距離が近づいた。す、とキロンのスタッフが動き、したたかにカーロンの右手の甲を打ち据える。ぐ、と呻いてカーロンがスタッフを落とした。そのこめかみに、キロンのスタッフがピタリと添えられる。

「これで、よろしいですかな」

「う……も、もう一度!」

 そう言うが早いが、カーロンはスタッフを取り直し、間合いを取ってまた構えた。しかし、それ以上動けない。今度は上から振り下ろしてやろうと考えてはいた。しかし、体が全く動けなくなってしまった。静かに構えるキロンのスタッフが、自分を呑みこまんとする大蛇の口の様に感じられた。

「な……何……」

「では、こちらから参ろうか」

 そう言うと、キロンはす、と一歩前に出る。それだけで、まるで巨大な岩に圧し潰されるかのような感覚にカーロンは襲われた。半ば悲鳴の様な喚声を上げて、カーロンは突っ込んだ。スタッフを右肩に背負う様なか前から、相手の左肩目掛けて一気に振り下ろす。しかし、その一撃がキロンの肩を砕くより前に、キロンのスタッフが彼の右肩を打ち抜いていた。それは突き、というよりは、スタッフをそこに「置いた」という様にカクリコンには見えた。スタッフの先端を置いて、そこにカーロンの体が自分から突っ込んできた、そう見えた。カーロンの体が庭を転がり、彼のスタッフがカランと乾いた音を立てた。キロンがカーロンの方に近づき、声をかけた。

「大丈夫ですか。急所は外したつもりですが、骨など砕けていなければ良いが」

 カーロンはそれには答えず、しかし身を起こして姿勢を正すと深々と頭を下げた。

「ま、参りました! 今まで五人の師匠についてきましたが、貴方程のお方には出会った事がありません!」

「今までのお師匠方は、皆スタッフの術を客引きに使う様な武芸者だったのでしょう。その違いです。彼らは人々の耳目を集める為に、派手で見栄えのする技を使います。私の業は実戦を想定した物、身を守り相手を打ち据える為の物ですから」

「その様な事、私は考えた事もありませんでした。先生、何卒、私に武術の何たるかをお教え下さい!」

 そう言われて、キロンは悩んだ。本来ならば、一刻も早くローレルに行きたい。そこに行けば身を立てる術もあるだろうし、何よりいつ何時自分を捕えようとする者達がここに来るかも分からない。そうなればカクリコンにも迷惑がかかる。しかし、同時にカーロンの申し出に強い魅力を感じてもいた。これ程の素質を持った青年に、自分が磨いてきた業の全てを伝授したい。それは、武術に人生を捧げてきたキロンにとって、何物にも代えがたい欲求でもあった。

「私からもお願い致します。貴方のお人柄ならば、安心して倅を預けられます」

 カクリコンもそう言って、頭を下げた。キロンは悩み、そして言った。

「……御老公。私は一つ、貴方に謝らねばなりません」

「と、申されますと」

「私は、名前を偽っておりました。私の本名はキロン・リアード。王都守護軍の武術教官をしておりましたが、長官となったウォルターに恨まれ、都から逃げ出したのです。奴は私に何らかの罪を着せて、追っている可能性が高いでしょう。ここに留まれば、お二人にも迷惑をかけるやもしれませぬ」

「ここにいれば、誓って先生に危害を及ぼさせなど致しません。お願い致します、私に、ご指導を」

「ここは王都からも離れておりますし、貴方のお名前やお顔を知る者もおりますまい。いかがでしょうか」

 二人にそう言われ、キロンも腹を決めた。

「分かりました。お二人のご厚意、心から感謝致します。非才の身ではありますが、お願い致します」

 そう言って、キロンも頭を下げた。こうして、彼は一時旅を中断し、このファム村に留まる事になった。

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