第一幕 群雄編

第一話 龍の戦士

1.王都腐敗爛熟し、英傑難を避ける事

 それから、五十年の時が流れた。あの流行り病はいつの間にか収束し、国は安堵に包まれた。その理由を多くの者が追及したが、結局分からなかった。真相を知っているのはネメール一人、そのネメールはあの一連の出来事を一言も周りに語らなかった。そして、彼は今から二十年前、忽然と姿を消した。

 朝廷は更に乱れる様になっていた。皇帝も代替わりしていたが、今の皇帝は過去の誰よりも遊び好きで、まるで政治を顧みようとしなかった。全国から珍しい財宝を集めさせ、また絵画などの芸術を愛した。費用を賄う為により多くの税が課せられ、王都には多くの芸術家や商人が集い繁栄していたが、一歩外に出れば多くの民が圧政に悲鳴を上げていた。

 そして、今その都で権勢をふるう者達は、皇帝に阿ってその地位を手に入れた俗物達であった。中でも民からの恨みを買った者が四人。宰相のコーネルはかつて派閥争いに敗れた政治家であったが、詩歌や音楽、絵画と言った芸術に強く、それらを好んだ皇帝に気に入られて一気に出世を果たす。元帥のシュッツは元々は皇帝の世話係に過ぎなかったが、皇帝の意を必ず叶えるというので重用され、今では国でも屈指の大貴族、そして軍の統帥権を握る大元帥として権勢をふるっていた。また皇后のローズは皇帝に負けず劣らずの派手好きで、自らを飾り立てる宝飾品を飽く事無く求め続けるのみならず、それによって国の財源がひっ迫すると過酷な税制を自ら提案し皇帝の許しを得、多くの民から血税を搾り取っていた。

 そして残る一人、ウォルターはかつて都で好き放題に振舞っていた遊び人だったが、器用で様々な競技をこなした。当時皇太子であった現皇帝はその頃フットボールにのめり込んでいたが、ウォルターは華麗な技を見せて皇太子に気に入られ、その側近となった。そして皇太子が皇帝となるやその寵愛を一身に受け、遂には王都を守る軍隊、その長官に上り詰めるに至ったのである。その異例の出世は当然妬みや反感を買ったが、皇帝を後ろ盾にした彼に表立って反発できるものなど居よう筈も無かった。

 さて、そのウォルターが王都守護軍長官となり、就任の式典が催された。その際に多くの者が彼の元に挨拶に訪れた。しかし、名簿を眺めていてただ一人、来ぬ者がいるとウォルターは気が付いた。

「おい。このキロンという教官、何故挨拶に来んのだ。無礼であろうが」

 そう言われ、近くにいた騎士が応える。

「は、彼は只今病との事にて、ここ半月ほど休養しておりますので」

「何ィ? 全く、情けない。たかが病で半月も休むなど、それでよくこの王都を守る軍勢の者共を鍛えるなど抜かせるものだ。引っ立ててでも連れてこい」

「は、はい」

 ウォルターにそう言われれば、従うしかない。彼は仕方なく、傍にいた一人の騎士に声をかける。

「レオパルド、すまんがキロンを呼んできてくれぬか」

「え? キロン殿は病にて休養中ですが」

「それは分かっている。私も申し訳ないと思っているが、ウォルター閣下のご命令だ。仲のいいお主なら、何とか連れてこれるのではないかと思ってな」

「分かりました。とりあえず、彼の家に行っては見ますよ」

 そう言って、レオパルドは出立した。眼光鋭く、細面の彼はまさに名前が示す通り、豹のような鋭さを持った男である。キロンと同じく教官をしていて、個人的な付き合いもあった。あらゆる武器に精通するが、中でも槍を扱わせては天下一と称えられている。まだ三一歳になったばかりで、教官としては最年少だった。

 レオパルドはキロンの家に着くと、門の外から開門をと言った。召使が門を開けたので、要件を伝える。

「キロン殿にお会いしたい。病なのは承知の上だ、無礼をお許し願いたいが、ウォルター閣下のご命令があるのでな」

「畏まりました。しばしお待ちを」

 そう言って、召使は一度引っ込む。少しして、また姿を見せた。

「どうぞ、お入りください。貴方様であればと、主人も申しております」

「おう。役目抜きに、一度見舞いにとは思っていたのよ」

 そう言ってレオパルドは家の中を歩き、やがてキロンのいる部屋に着いた。キロンはベッドの中で、上半身を起こして待っていた。中年だががっしりとした体つきは若々しく、四角い顔は凛とした迫力を湛えている。若い頃は王都守護軍の警備隊長として都の治安を守り、四十を過ぎてからは武術の腕を買われ教官として後進の育成に当たっている筋金入りの武人だった。今でも都でも屈指の豪傑と謳われ、その武名は国中に轟いている。

「おお、久しいな、レオパルド。よく来てくれた」

「こちらこそ、いきなりお邪魔して申し訳ございません」

 レオパルドは一礼して、腰かける。役職は同じだが、キロンはレオパルドより二二歳年上だったし、その実力を尊敬もしていた。

「実は、ウォルター閣下が、貴方に挨拶に来るように、との仰せで」

「病人の、私にか。まぁ、近頃はようやく良くなってきたが」

「どの様な病なのです」

「何、風邪のようなものよ。ただ咳が時々酷くてな。周りに移してはマズいし、それで静養していた」

 そう言って、キロンは立ち上がる。体はしっかりとしていた。

「ただ、寝ておられていた訳でも無いですね」

「おう。無理のない範囲で、鍛錬は毎日続けておったわ。閣下の言葉となれば仕方ない、お前の顔も、立てねばならんしな」

「申し訳ありません」

「お前が謝る事では無いさ。しかし、ウォルター閣下とはどの様なお方なのだ。私は顔も良く知らんのでな」

 それまで、彼は軍に関連する部署には一度も来なかった。キロンもまた、軍以外の部署に顔を出す事はほぼ無かった。

「自分も、良く分かりませぬ。軍に碌に関わってこなかった、素人だとは知っていますが」

「軍を知らぬ者が、王都守護軍の総帥とはなぁ」

「それも、元はフットボールが得意なだけの遊び人です。はっきり言って、無能だ。それでも長官は長官、しかも陛下のご寵愛麗しいと来ている。皆、ご機嫌取りに必死ですよ。まぁ、私もか。こうして病人の貴方を急き立てている」

「仕方ないさ」

 そう言いながら、二人は屋敷を出て王都の軍令部に向かう。調練を行う者達を横目に見ながら、キロンは嘆息した。

「騎士も従者も、練度はまだこんなものか」

「王都の騎士共は、全員ここでぬくぬく育ったお坊ちゃんですから。これと見込める人間がいない訳でも無いのですがね。そもそも強くなろうという気概がある者が少な過ぎる。地方軍の方が、余程強い」

「私の復帰を望まぬ連中が大半だろうな。あの頑固なクソジジイ、そのまま引退してしまえと思っているだろう」

「それは困ります。教練に関して、貴方に勝る方はいませんよ。ビシビシやって頂かねば」

 そうレオパルドが言って、扉を開ける。二人はまっすぐに広間を抜け、奥の集会場に入った。騎士達が歩き回る部屋の最奥に、ウォルターはいた。狐の様な細面で、細い目をし細長い顎髭を垂らしている。身はすっかり肥えていて、かつての様なフットボールの妙技はもうできまいと思えた。今の彼は、おべっかの上手さと必ず任務を果たすまめまめしさで今の地位を得ている。彼の地位を支える為に、多くの人間が恐怖と罰則によって働かされていた。

「王都守護軍、武術教官キロン、参りました。病の為臥せっておりまして、挨拶が遅れました事、平にご容赦の程を」

 キロンがそう言って、深々と頭を下げる。ウォルターは居丈高に叫んだ。

「貴様、ワシが赴任したというのにすぐに挨拶に来んとは、どういう了見だ」

「病で臥せっておりました。幸い、今日は具合も良くなってきましたので、レオパルド殿に連れられて参った次第にございます」

「フン。貴様の魂胆が分からぬワシでは無いわ。どうせ仮病でも使って、責務も果たさず給金だけ掠め取ろうという魂胆であろうが」

「その様な事はございません」

 貴様ではあるまいし、という言葉は、呑み込んだ。

「全く、陛下をお守りする王都守護軍の教頭が、たかが病で休むなど考えられん事だ。そんな事でどうやって陛下のお心を安んずる……」

 そこまで言って、ウォルターは不意に黙った。そして細い目を更に細めて、訝し気に言った。

「貴様、教頭の前は何をやっていた?」

「警備兵を束ねる隊長として、職務に当たっておりました」

「……そうか。そうか、そうか! 成程思い出した、それで貴様はワシを舐めて、仮病なぞ使いおったな!」

 不意に、ウォルターは叫び出した。キロンもレオパルドも呆気に取られて、返す言葉も出ない。近くにいた側近達がウォルターのそばに走り寄り、宥めつつどうなされたのです、と訊いた。

「こ奴、こ奴はかつて、ワシを打ちのめした事がある!」

「は……? それは、何を仰せ……!」

 キロンはその時に、記憶の奥底からウォルターの顔が浮き上がった。今から二十年近く前になるだろうか。当時警備隊を率いていた彼は、法の下に厳しく犯罪者達の取り締まりを行っていた。特にその頃は警備隊長になりたてで、張り切っていた事もある。王都の彼方此方に目を光らせ、盗みや恐喝、暴行や殺人などあらゆる罪を見つけだしては逮捕していた。そしてある時、賭場に出入りしていたゴロツキ達が遊ぶ金欲しさに商店に押し入り、店の売上金を強奪して逃げているのに出くわし、全員を叩きのめして逮捕した事がある。その中の一人が、ウォルターだった。

「ま、まさか、あの時の」

「貴様、貴様の為に俺は鞭打ち刑を受けたのだぞ。背中の肉がこそげ落ちて、数日起き上がれん程であったわ!」

 それは、彼が盗みを働いた事に加えて調べた結果、他にも浮浪者への遊び半分の暴行など、明るみになっていなかった余罪が次々に出てきた為で、全く法の下では妥当な判決であった。しかし彼の逆恨みは強かった。鞭打ちというのは過酷な刑だ。この国で刑罰に使われる鞭は革紐ででき、また結び目には鉛玉が埋め込まれているという代物で、一発で皮膚が裂ける。二十回も打てば肋骨が折れて肺や心臓を傷つけ死んでしまう事も珍しくないというもので、彼はそれを五発も受けた。その恨みがずっと心根の奥にあったが、キロンの顔を見て一気に爆発してしまったのだった。

「とっとと出ていけ! 貴様の顔なぞ見たくも無いわ!」

「は……それでは、これで失礼致します」

 キロンはそう言うと、そそくさと退出した。レオパルドもすぐ後に続いた。何かお心当たりでも、と訊いたレオパルドに、キロンは手短に過去の事を話す。それを聞いて、レオパルドはバカな、と吐き捨てた。

「ふざけている。自分の罪が招いた事だ。それを逆恨みなどと」

「参ったな。あの様子では、恨みは相当深いだろう。別に出世欲など無いし、左遷位で済めばいいが」

 そうキロンは言ったが、その心配は的中した。ウォルターはすぐに側近達に、何かキロンが罪を犯していないかと問い質した。こうなればどんな些細な罪科でも咎めたて、罰を加えてやろうと思ったのである。しかし、彼らにも何も思い当らなかった。彼らにしても大半は、キロンの事を嫌っていた。上の人間に賄賂を渡す事も無く、また彼の元で調練を受けた者の多くは、その激し過ぎる内容に悲鳴を上げ、それを逆恨みしていたのだ。キロンにしてみれば騎士として当たり前の調練を課しただけだが、もはや平和な世が長く続き、生まれついての騎士の家でぬくぬくと育ってきた彼らには耐えがたいものだった。そんな逆恨みが骨髄まで染み入っている彼らが必死に考えて、それでも彼の罪科など出てこなかった。

 そして、数日が過ぎた。キロンは完全に体も癒え、教官としての仕事に復帰していた。ウォルターとその側近達は彼の行動に目を光らせていたが、やはり何も責め立てられる様な行動は起こさない。その日も、彼は何人かの騎士の卵達を相手に調練を行っていた。

「よし、ではこれから試合稽古に入る。誰でも良い、私に打ちかかってこい」

 そうキロンが声をかけるが、ほとんどの者は目を逸らしてしまう。行った所で酷く棒で打たれるだけだ。痛いのはごめん被る、という訳だった。何でこんな事をしなくてはいけない、さっさとこんなくだらない事止めて、町で酒と女に興じたいというのが彼らの偽らざる本音だった。その中にただ一人、違う者がいた。

「誰も行かれぬのであれば、某が参ります」

 そう言って、一人の青年が進み出る。マットという青年で、人並み外れた武勇の持ち主という訳ではないものの、真面目に調練に打ち込みキロンを深く敬愛していた。キロンもその人柄を愛し、特に目をかけていた一人だった。

「おう、マットか。良いぞ、来い!」

「いざ!」

 そう言って威勢よく、マットは剣で打ちかかる。しかしキロンは剣と盾て自在に攻撃を防ぎ、全く隙を見せない。マットはならば、と自らの盾でキロンの盾を押し込み、体勢を崩そうとした。しかしあっさりと躱され、逆に体のバランスを崩したところを背中に一撃を貰い、大地に叩きつけられる。

「発想は悪くない。しかしその戦法は、危険だな。体全体で行くのでなく、小さな動きで軽く押すくらいで良いのだ。肝心なのは僅かでも相手の体を崩す事」

「は、はい」

「次!」

 キロンはそう言ったが、しかし誰も向かってこない。キロンは舌打ちすると、解散を宣言する。それを聞くが早いか、皆調練用の木剣も盾も放り捨てて練兵場から出ていってしまった。後にはキロンとマットだけが残される。

「大丈夫か」

「は、はい。先生はやはり凄い、自分は、貴方の様になれるとは到底思えません」

「お前には未来がある。それに、真面目だし頭も良い。私の様に、武芸だけの男になってくれるな。いずれ私など、足元にも及ばぬ大人物になれる」

 そう言って、マットを助け起こした。マットは一礼すると、自分のものだけでなく他の者が放り捨てていった剣や盾も片付けていく。その様子を見ていたキロンに、レオパルドが歩み寄って声をかけてきた。

「おお、キロン殿も調練は終えられましたか」

「ああ。その様子では、お前もその様だな」

「終わったというより、やる気が無くなって投げ出した、という方が正しいですかね。全く、連中と来たら遊ぶ事しか考えていない。教えがいも何も、あったものじゃありません」

「私も、似たようなものだな。ここにいるマットだけだ、モノになりそうなのは」

 そう言われて、マットは顔を赤くした。褒められるのに慣れていないのだ。そこも、キロンが彼を好きな理由の一つだった。騎士達の大半は、ロクな成果も無いのに褒められないと拗ねてしまう。

「キロン殿が羨ましいですよ。私の所にはそう思える人間が一人もいない」

「まあ、ここの教官連中では特に厳しいからな、私達は」

「そうでなければ、戦場に出た時にすぐ死ぬ奴しか育てられません。……キロン殿、少し、お時間を戴いて宜しいか。できれば、二人きりになりたい」

「うん? 私は構わんが」

「では、某もこれで失礼いたします。また明日も、宜しくお願い致します」

 マットはそう言って、一礼すると出ていった。二人は連れ立ってキロンの教頭室に入る。ここには基本的に、キロンしか入らない。誰かに聞かれる心配はなかった。

「それで? どうしたのだ」

「ハッキリとした事は言えませんが、すぐに王都を出られた方が良い」

 いきなり、レオパルドがそう言った。キロンは驚いて言い返す。

「どういう事だ」

「ここ数日、貴方の周りを嗅ぎまわっている連中に気が付かれませんか。あれはウォルターの私兵です」

「それは、私も薄々は感付いていた。しかし、私には何も後ろ暗い事は無いのだ」

「無論、私もそう思っています。しかし、連中はそんな事お構いなしだ。罪をでっち上げる位の事はするでしょう」

「何故、そこまで言える」

「聞いたからです。ウォルターの取り巻き共が、そんな事を言っていました。こうなれば無理やりにでも、と」

 そう聞いて、キロンは怒りを抑えきれなかった。

「バカな。逆恨みで、罪状をでっち上げるというのか、あの狗めは」

「大いにあり得る話です。どうか、お逃げ下さい」

 そう言い残して、レオパルドは部屋を出た。キロンはしばし悩みに悩んだ。レオパルドの事は信頼している。心の底から、自分の身を案じてくれているのだろう。しかし、もしそこまでの害意がウォルター達に無いのに、その様な行動をとればどうなるか。却って因縁を付けられるのではないか。そうも思えた。

「良い考えは浮かばぬな。……奴に、相談するか」

 そう言って、キロンは立ち上がった。練兵場を出て、少し離れた所に立つある屋敷の前で立ち止まる。戸を叩くと声がしたので、名乗りながら入った。

「キロンだ。お前に一つ、相談したい事があってな」

「お前がか。珍しい事もあるものだな」

 そう言ったのは、キロンとほぼ同じ位の年齢の男だった。鋭い目つき、服の上からでも分かる鍛え上げられた体。かつてキロンと同じ教官を務めていた、プローメという男だった。キロンとは同い年で、親友と言って良い付き合いをしている。武術の腕ならばキロンが勝るが、頭がよく理論だった思考ができるので、教官としての才能は自分に勝っていた、とキロンは思っていた。

「どうした。指導に迷う様な男ではあるまい、お前は」

「その事ではないのだ。少し、困った事になったかもしれなくてな」

 そう言って、キロンは手短に訳を話す。プローメは溜息をついた。

「全く、下らん……あのウォルターという男、大したタマじゃないとは思っていたが、そこまでとはな」

「どうすべきかな、俺は。王都を捨てて逃亡すれば、却って奴らを利するかもしれぬと思ってしまうのだが」

「それはあり得る、というより間違いないだろうな。しかし、手を拱いていてもやはり連中は何かしてくるだろうよ。レオパルドの奴がわざわざ言ってきた、って事は、それだけ連中にその気がある様に見えたって事だ」

 レオパルドは若い頃、プローメの元で武術を習っていた。プローメは彼の武術の才だけでなく、正義感の強い所や鋭い直感力も買っていた。レオパルドが若くして教官となったのは、プローメが引退した際に後継者の候補として彼を推薦していた事が大きかった。

「ただのおべっかや軽口程度なら、わざわざ伝えては来んと思う。手を打った方が良い。お前は独身で、お袋さんも半年前に亡くして今は完全に独り身だ。どうとでも動けるんじゃないか」

「うむ……そうだな。しかし、ここを出るとしても何処に行ったものかな」

「遠いが、北西のローレルに向かったらどうだ。あの地を治めている辺境伯コーネリアスは、公平で仁徳に優れた人間だと言うぞ。それにあそこまで行けば、ここよりはウォルター達の悪だくみも届きにくいだろうしな」

 そう言われ、キロンは少し考えこんだ。生まれ育ったこの都を出るのは、寂しさもある。前途に不安もある。しかし、やるしかないと腹をくくった。

「そうだな、そうするとしよう。助言感謝する。すぐに立つとするか、俺は身軽だからな」

「おう。どうか、達者でな。お前はこの国に必要な男だ。今、この王都は栄えているかもしれんが、この国全体で見ればそうとは言い切れん。俺も直接見聞きした訳では無いから憶測だが、都にモノが溢れすぎている。貴族共は贅沢な遊興に耽っているし、そもそも皇帝がそれを率先している。これが自然とは思えんのだ。どこかで無理をして、しわ寄せを喰らっている人達がいるんじゃないかと思う」

「あり得る話だ。ついでに、その辺を見聞する事にもするさ」

 そう言って、キロンは部屋を出る。最後にもう一度礼を言って、キロンは帰路に着いた。屋敷で働く何人かの召使には、金を配って今日中に家に戻る様に伝える。今日を限りに解雇する、という通知書を書き、金と共に渡した。これで、彼らとは縁が切れる。キロンが何かしらの罪に問われても、連座する事はない。

「皆には迷惑をかけるが、済まぬ。どうか、平穏に暮らしてくれ。今までありがとう」

「ご主人様、私らこそ感謝しております。ここで働いて、一度も辛いと思った事はありませんでした」

 そう言いながら、召使達は涙ながらに屋敷を出ていった。一人残ったキロンは、愛用の剣とスタッフを背負い、持てるだけの路銀と食料を荷袋に詰め込む。そして愛馬に跨ると、敢えて堂々と大通りを進み、門まで来た。門番達はキロンの顔を知っている。何か役目なのだろうと、咎める事も無かった。温さが出ている、とキロンは溜息を吐く。そのおかげで楽に外に出られたのではあるが、それにしても、と思わずにはいられなかった。

「さて、ローレルか。遠いが……お前なら、すぐ着けるだろう。久しぶりに走らせてやれるな」

 そう愛馬に語り掛け、馬腹を蹴る。そうして、キロンの姿は王都から消えた。

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