森の向こう側

 この日も雨が降っていた。蓮は目覚めてからの数週間で施設内をあらかた歩きつくしていた。人間とは出会ってないし、インターネットにも接続できないままだ。とはいえ、使い方を覚えた後の施設での生活は蓮にとって快適だった。食事も含めた日用品は《アセンブラ》から何でも取り寄せられる。食感が変な「肉」に何回か落胆することはあったが、その後数万種類のメニューの中に好みを見つけ始めていた。清掃も勝手におこなわれているようだが、そもそも空気自体が清浄に保たれているようで、埃が積もることは全くなかった。


 蓮が施設を自分の家のように感じ始めたころ、晴れの日が続くようになっていた。《死の光》についてはあまり記録がない。アーカイブ内で人間の存在を感じられるデータは2050年ごろを境に激減している。蓮が建物の外に出ると、じんわりとした暑さを感じた。敷地内には20mほどの簡素な鉄塔が立っている。はしごを登った先には2mほどの小さなスペースがあり、辺りを見回すことができた。

 一面の緑。山はところどころに岩肌をみせつつ、滑らかな曲面を描いていた。どの方向にも山脈が連なっている。蓮は端末の地図を見ようとするが、GPS衛星もインターネットも圏外のようで、どこにいるのかは分からなかった。


 敷地の内外は積まれたコンクリートブロックで隔てられているが、その一角に出入口があった。自動車用と思われる頑丈なフェンスと回転式の厳重なゲートが据え付けられている。併設されている詰所には誰もおらず、中からゲートのロックを解除することができた。ゲートを抜けても特に道はなく、ひたすら木々が生い茂っていた。施設側を見ると、苔むしているブロックと、新しいブロックが規則的な模様を作っている。数分間歩いてみた蓮だったが、目印の鉄塔が徐々に小さくなり木々に遮られてくると、心細さを感じて引き返した。


 施設の所在地はアーカイブで調べることができた。どうやら建設当時の人の居住地からはかなり離れた山奥を選んで建造されたようで、現在地を調べる術も道もない状態で山越えをするのは無謀なようだった。代わりにドローンを取り寄せた蓮は、敷地内から飛ばし始めた。ドローンのカメラ映像をゴーグルで見られるタイプだ。最初は戸惑っていた蓮だったが、操作に慣れてくると一気に山頂付近まで高度を上げた。山脈の切れる方向に、平野が見える。蓮は平野なのにほぼ一面が森に覆われていることに違和感を抱いたが、よくみると川沿いにいくつか田畑や建物が並んでいる集落のようなものが見える。蓮の朧げな記憶ではグレーをたまにカラフルな建物が彩る印象があったが、実際に見えているのは茶色と緑だけだ。

 集落のほとんどはかなり遠く、ドローンの航続距離の外側にあるようだったが、いくつかは十分近い。農村のような場所に向けて移動し始める。


 農村に近づいて、ズームしたカメラ越しにはっきりと風景が見えている。田んぼの水面に映る青空が鮮やかで、舗装されていない道を鍬らしきものを持った男数人が歩いている。服には汚れとほつれが目立ち、かなりみすぼらしい。蓮の知っているどんな服装とも異なる服。電柱も自動車も、それどころかコンクリートやプラスチック製品ですら一切見当たらない。ドローンが近づいてくるのに気付くと、叫び声をあげて人を呼んでいる。まるで時代劇の中の異物になったようだった。

 そう思っていた蓮だが、住民が石をドローンに投げつけはじめたので、あわてて集落の端の森のほうに逃げ込んだ。その途中、ドローンは木の葉に絡まってプロペラも止まってしまう。カメラは健在で、ちょうど村人の追跡もまけたようだ。プロペラが止まったことで集音もできるようになり、蓮はズームを繰り返しながら光景を眺めていた。


 バッテリー残量表示が10分程になったとき、茂みから突如数台の黒色のロボットが現れた。頑丈さと生物的なしなやかさを備えているように見える。集落の男たちはその姿を見るや否や、怯えだした。すごく訛っているが、辛うじて魔物という言葉が判別できた。女性や子供たちは知らせを聞くや否や、家に隠れていった。男たちは集まり、じりじりと距離をとっている。そんななか鍬で襲い掛かった男がいた。数秒後パシュッとかすかな発射音のようなものがして男は倒れた。その後も一部の人間は抵抗を続けていたが、呆気なく鎮圧された。ロボット達は集落に分け入っていき、ドローンの視界から消えた。倒れた男の様子を細かく見ようとカメラの操作で苦戦しているうちに、バッテリーが切れたのか、ドローンの映像も途絶えた。


 その後、蓮のドローン操縦技術は向上し、別の集落までたどり着けるようになった。ある場所は二階建ての建造物が立ち並び町と呼べる規模だったが、今では木造の建物のほとんどは崩壊し森に飲み込まれている。十年以上前に放棄されたようだった。今でも人が住んでいる村は最初に蓮が見た集落と同じく、蓮の時代の文明の片鱗は皆無だった。ドローンは小さい魔物のように思われるらしく、自分の興味で近づけば近づくほど人々に恐怖や怒りをもたらすことに蓮は罪悪感を感じていた。

 《死の光》が何かは思い出せない蓮だったが、眠っていた数百年の間に相当な変化が起きたことは間違いなかった。あのロボットたちは、暴走しているのか、あるいは敵国の兵器なのだろうか。そして、ロボットという概念すら理解できずに魔物と呼ぶ人々。


 後退した文明と、ロボットの恐怖。それらと蓮を隔てる広大な自然。考えても出ない結論に、蓮はいつしか外界について思いを巡らせるのをやめていた。

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