《20-1》
五年前。
すべてを失った日。
大好きだった父と母を笑いながら斬り刻んだ男と、その刀。
自分からすべてを奪ったそれらの要素が、今、目の前でまとめて存在していた。
その男は今、
「葛、升……」
随静がその名をそらんじると、本人がチロリと視線を移してきた。
相手のどこを食おうか値踏みしているような蛇じみた眼差しと、視線がかち合う。……五年前と同じ眼差しだった。
その男は、抑揚の多い、どこか人を食った独特の口調で言った。
「なぁんだぃ、白い嬢ちゃん? 痛くなぃ殺し方でもして欲しぃんかい? んじゃぁ首をぉ、ひとおもいにスッパリとぉ——んぅう?」
葛升は、何かに気がついたように目を丸くし、じろじろ見てくる。
「あんれぇ? おめぇ……どっかで会ったかぁ? なんかぁ、すっげぇ見覚えあるんですけどぉ?」
随静の拳が、万力の握力でギリリと握られる。
極寒の冷気に震えたような声で、低く言った。
「…………お前のその刀で、殺された人間の、娘だ」
「俺様が殺したぁ? 悪りぃなぁ、そんだけじゃぁ情報不足なんだわぁ。この刀でバラした人間の数なんざ、両手足の指使っても勘定できねぇんでねぇ」
「五年前……お前は、ある家を襲った。『
『易筋経』という言葉を聞いて合点がいったのか、葛升が次第に目を見開いていき——やがて遠い昔の笑い話でも思い出したように嬉々と語り出した。
「あ…………ああぁ、あぁ! あぁあぁなぁるほどねぇ! そうかぃそうかぃ、オメェ、あん時のチビガキかぁ! ハハハハ、悪ぃ悪ぃ、んな髪の毛真っ白く染めてるもんだから気づかなかったわぁ! ははっ、そぅかそぅか、俺様がぁ殺してやろうとぉ思ったのにぃ、『
ゲラゲラと笑い続ける外道の声に、随静の内の憎悪と
殺したい。
今すぐあの外道の四肢をへし折って動けなくし、息の根が止まるまで何度も内勁を叩き込んで嬲り殺しにしてやりたい。
それでも死んだ両親の痛みに比べれば犬が噛みついた程度だ。
しかし、随静はありったけの自制心でそれを押しとどめる。
激情に駆られるのは危険だ。冷静さを欠けば『
「やれやれぇ……だぁとしたらとんだ馬鹿ガキだぜぇ。運良く生き延びられたんだから隠れて暮らしてりゃいいものを。『
葛升が舌舐めずりするように最後の一言を言いながら、刀を構える。
だがそこへ、葛升の足元まで這ってきた
「や、やめろ……! 約束、したじゃないか……! 私の、弟子に、手は出さないとっ……!」
「うるせぇよぉ淫売。『
「っ……!」
抑揚の多い口調の中に威圧感を含んだ葛升の言葉を受けた途端、麗慧は嘘のように反抗心を
「弟子を守るためならどんなことでもする」と言って、その通りに動いてきたあの麗慧が、この外道の言葉一つで弟子への加害を看過しようとしている。……その様子に、随静はひどく違和感を覚えた。
そんな随静の心を読んだのだろう。
葛升は得意げに次のごとく言った。
「はははは、おもしれぇだろぉ? こいつがこの尻軽女に施した『処置』の結果さぁ。——今のこいつは、『求真門』の言うことにゃ絶対服従。『求真門』の不利益になることは一切できず、利益になることの邪魔も出来ねぇ。それを自分自身の脳と神経が許しちゃくれねぇ。……『求真門』の仲間入りした奴は、俺を含めてみぃんなこの『処置』を施されてるのさぁ」
——『処置』。
『だって私は、もう『処置』をされてしまったのだから』
その単語で、先刻に麗慧が口にした言葉が想起される。
葛升は自分の左手甲に刻まれた「紋章」と、右手に持った透明のピルケースを見せてきた。ケースに入っているのは——赤い丸薬だった。
「『
そう。つまり「止めない」のではなく「止められない」のだ。
麗慧は、自分で自分の首に輪をつけさせてしまった。戦うことを諦め、敵に恭順する道を選んでしまったのだから。
それが、唯一最良の道であると信じて。
しかしその『処置』は、面従腹背が許されるほど甘くはなかった。
『求真門』に逆らうことも、邪魔をすることも自分に許さない。
立場だけでなく、その魂までも『求真門』に屈服させてしまう、正真正銘の「呪い」だったのだ。
さらには、「恭順すれば『龍霄門』に手出しをしない」という約束さえ、その「呪い」の力で反故にされようとしている。
きっと、麗慧もこうなることは薄々分かっていたはずだ。それがわからないほど愚鈍な人間ではない。
でも、たとえ嘘でも、麗慧はすがるしかなかったのだろう。
自分達の……弟子の未来を守るために。
「この女、
「————————貴様ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
内にくすぶっていた激甚な
突風もかくやという勢いで葛升の懐へ瞬時に入り、内勁を込めた右掌を繰り出す。
葛升はそれを身の捻りだけで回避しつつ、斜め下から刀を斬り上げた。右腕を狙った攻撃だ。
随静は後方へ退歩しつつ、右掌を引っ込める。
そのまま敵の刀が虚空を滑り、上へ振り抜いた瞬間に手元へ一撃し、刀を弾き飛ばす。そこからすかさず連続で掌を叩き込む——という腹づもりだった。
しかし、すぐに「それはできない」と確信。
奴の刀を中心に、奇妙な「空気の流れ」があることを、随静の『識』が教えてくれたからだ。頭に血が登っているが、思ったよりもしっかり働いてくれたようであった。
『識』を介して観るその「空気の流れ」は、瞬く間に、一つの「力ある形」を得る。——刃!
「っ!」
随静は現在の立ち位置から斜め後ろへ飛び退いた。
次の瞬間——直前までの立ち位置から数メートル先までの床に、「空気の刃」が刀傷を一条刻んだ。
そう、数メートル先まで。刀のリーチを遥かに超える遠距離まで。
随静は忌まわしく思いこそするが、驚きはしない。母がこの「空気の刃」によって斬り刻まれるところを実際に見ているから。
『
特殊な内勁を用いて刀を振ることで大気を練って「空気の刃」を作り出し、刀身のリーチを大きく超えた遠距離まで斬撃を届かせることが出来る高度な刀法。
日本でも小規模ながら伝承を繋げていた『
他人から不当に奪い、さらにその奪ったモノを使ってさらに奪う。略奪からさらなる略奪に繋げ、『真仙』などという下らぬモノの結実まで決してその連鎖を止めようとしない盗賊団。それが『求真門』の本質だ。
こんな連中のために、自分は全てを失ったのだ。
そして、またしても奪われようとしている。
二度目などあってたまるか。
——今度はわたしがお前を殺してやる。
「ほらほらぁ! 避けろ避けろぉ!!」
葛升が刀を何度も振り、次々と空気の刃を放ってくる。それらを『識』で読んで回避しつつ、周囲を伺う随静。
逃げ出した看護師が放置したであろう医療用台車に、空気の刃が直撃。ソレに乗っていた医療器具を派手に宙へ舞い散らせた。その中でキラリと鋭利に光った
飛来してくる不可視の斬撃をかいくぐり、葛升の間合いに接触。
右手に握られたメスが疾る。銀閃が描かれる。
「おっとぉ!」
鋭い内勁のこもったメスは、しかし葛升の刃との摩擦で受け流された。
そこから間を作らずに斬り返されるが、随静もまたメスによる摩擦でやり過ごす。
無数の銀閃。
幾度も入れ替わる攻防。
絶え間なく流れる立ち位置。
刃を用いた死の押し付け合いが、病院の廊下で目まぐるしく繰り広げられていた。
「おうおう、やるじゃねぇのぉ! あのちっぽけなクソガキが、たった五年でよくここまで鍛えたもんだぜぇ!」
「うるさいっ! 死んで黙れっ!」
「おおぅ、怖ぇ、怖ぇ!」
強烈な殺意をほとばしらせる随静。それを飄々と受け止める葛升。
その両者の勢いは、拮抗していた。
いや、もしも持つ武器が同じであったなら、随静に軍配が上がったことだろう。
葛升の『玄功刀』は確かに特異な性能を持つが、そこに込められた鍛錬の蓄積はそれほどではない。
『求真門』は、自門独自の武功を持たない門派だ。他所から武功を略奪し、それを自分のものとしている「邪道」。
そんな門派にとって武功とは、『真仙』を追求するための研究材料に過ぎない。ゆえに、熱心に一つの武功を極めようという精神性など持ち得ようがない。
随静は違う。
『龍霄門』の武功のみにテーマを絞り、それを基礎にして堅牢な楼閣を構築するがごとく鍛錬を積んできた「正道」。
どっちつかずなハウツーコレクターの『求真門』とは、積み重ねのクオリティもレベルも違う。
しかし、いかんせん、武器のリーチが違い過ぎた。
葛升の片手刀は刃渡り八十センチほどだが、随静の医療用メスは人差し指程度の刃渡りしかない。
それゆえに攻撃が葛升へ届きにくく、どうしても決定的な一太刀を与えられない。
が、随静とてそれは分かっていた。
だからこそ、
「おぅっ?」
葛升の右手の人差し指に、メスの切っ先を突き刺した。
たとえ急所でなくとも、体のどこかしらに刃物が刺されば痛がらずにはいられない。
痛みを感じて硬直した瞬間、首筋へメスで斬りかかる。そういう算段だった。
指から溢れ出す鮮血とともに、葛升の動きが痛みでわずかながら鈍る——ことはなかった。
「おらよぉ!!」
随静は危険を察知し、先んじて後ろへ転がった。転瞬、葛升の刀が真上に振り抜かれ、さらにその刀身から空気の刃が生じた。その刃は丸まった随静の真上を——より正確には、直前まで随静の腰があった位置を——通過した。もしも少しでも反応が遅れていたら、父と同じ死に様を晒していただろう。
転がる勢いを利用して立ち上がり、メスを正中線の前に構える。
その切っ先の延長線上には、傷ついた人差し指の血をひと舐めする葛升の姿。痛みも不快感も一切見せておらず、ヘビっぽい微笑をニタリと浮かべる。
「悪いねぇ、痛がってやれなくてよぉ。…………生憎だがねぇ、こんなもんよりもぉっとスゲェ苦痛を知ってるもんでねぇ」
だからどうした。痛みに鈍感だというのなら、一瞬で息の根を止めてやればいい。首根っこをカッ切って絶命させてやる。そうすれば痛みなど関係ない。
随静は憎悪を再燃させ、怨敵へ疾駆した。
飛んでくる斬撃を『識』による感知で回避し、再び剣が全てを決める間合いへ到達。
再度の剣戟を繰り広げた。
「いいねいいねぇ! その怒り、その憎しみぃ! そいつが俺様に向かって突き刺さってんだと思うとよぉ、思わず勃起しちまいそうだぜぇ!」
時に近距離、時に遠距離から斬撃を発する葛升。
それを器用にいなし、かいくぐり、付け入る隙を見つけようとする随静。
「いいこと教えてやろぉかぁ!? お前の愛しの愛しのお師匠様はなぁ! 『龍霄門』の身柄の保護を約束させるためになぁ、お前らを救うためになぁ…………俺様と寝たんだよぉぉん!!」
「——————っ!!」
ぶわっ、と、腹の奥で燃える憎悪が肥大化する。
葛升はニヤリ、と
「いやぁ、流石は不老の『
煽るように、嘲るように。
「あの体で散々いい思いさせてもらったけどよぉ…………所詮口約束なんだわぁ。『河北派』をぶっ潰したとしても! その後テメェらも一緒にぶち殺して伝承を奪い取るつもりだったんだよぉ! ははははは! 馬鹿だよなぁあの女さぁ! 頭足りねぇでやーんの! 武術家より娼婦の方が向いてたんじゃねぇのぉ!?」
「黙れええええええええええええ!!」
血を吐くような随静の叫び。
攻防のバランスが取れていた医療用メスの太刀筋が、
それをあしらいながら、葛升はニヤついた顔でなおも弁舌を止めない。
「あと、お前の親が持ってた『易筋経』なぁ……あれニセモンだったわぁ、偽物。確かに他の偽物より内容が違っていたが、所詮は少しそれらしく出来た偽書だったワケ。いやぁ、こりゃ犬死にだなぁ、お前の両親よぉ!」
「貴様ぁっ!!」
喉が潰れたみたいな怒号を発する随静。
許せない。
この外道は、両親を殺しただけでなく、新たな親まで弄んだ。
他人の大切なものを踏みにじり、それを笑いながら武勇伝のごとく言い明かす。
この世で最も生きていてはいけない存在だ。
こんな奴は、早々に死んだ方がいい。
いや、自分が今ここで絶対殺す。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ねぇぇ!」
随静は黒々とした殺意を叫びながら、その太刀筋をさらに猛然と葛升へ殺到させた。
雨あられのごとき斬撃、刺突は、冷静な葛升の太刀筋を飲み込んでいく。
鍛錬で高められた技巧に、憎悪のエネルギーが上乗せされ、武器のリーチ差というハンデを強引に埋めていく。
「おお?」
そして、浅いながらも、葛升の首元をメスの刃が掠めた。刃が撫でたラインから、ぷくりと赤い滴が浮かぶ。
いける。こんなちっぽけな武器でも、この男を殺すことができる。
その力が、自分にはある。
ただ両親が殺されるのを傍観していた五年前とは違うのだ。
だが、それでも葛升は驚愕らしき表情を見せない。
それどころか、さっきより一層邪悪な微笑を浮かべてさえいた。
葛升は大きく飛び退いた。内勁のこもった跳躍は、彼我の距離をふわりと大きく開かせた。
当然、随静はそれを追いかけるべく、歩法を用いて急激に距離を詰めにかかる。
狭まる互いの間。
しかし葛升の間合いへ入る瞬間、一人の老夫がそれを遮った。
「ほぉら、ジジィバリアだ! 遠慮なく来いやぁ!!」
それは、葛升が横から引っ張り込んだ患者の一人だった。
老人は恐怖に駆られた眼差しで、随静の手元にあるメスを凝視していた。
しかし、随静は止まらない。少しも速度を落とさない。
この老人は顔も名も知らぬ赤の他人。攻撃の手を休めるブレーキにはならない。その骨張ったチンケな肉盾ごと吹っ飛ばしてやる。
随静は掌を走らせる。『気』が肉体を動かし、その動きが掌に内勁を宿らせ、真っ直ぐ老人の胴体に直撃——
「だめだぁぁぁ————————っ!!」
——する寸前、横合いからぶち当たった常春のタックルによって、技が中断された。
「っ!?」
味方からの妨害に目と思考を白黒させながら、常春もろともくっつき合った団子のごとく横へ転がり、廊下の壁にしたたかにぶつかった。
痛くはなかったが、その衝撃が引き金となり、妨害に対する強烈な憤りが生まれた。
「何をするっ! 邪魔をするなぁっ!」
常春を突き飛ばして離れようとする随静。
しかし常春は少しも離れず、仰向けの随静の喉元を左腕で押さえつけた。動けなくなる。
「離せぇぇぇ! くそぉぉぉぉっ!」
怒号と悲鳴が混合したような声で叫びながら、随静は四肢をジタバタさせる。
ぱんっ。
そんな乾いた音とともに、左頬に平たい衝撃が叩きつけられた。
「——いい加減にしろ! 狙う相手を間違えるなっ!」
常春の右手が放った平手打ちだ。
「相手が憎いのは分かる! 僕だって、友達を殺した仇をこの拳でメッタ打ちにして殺したから! でも、関係のない人を巻き込んじゃダメだ!」
強烈な憎悪によって歪んでしまっていた「世界観」が、鮮明さを取り戻していく。
「あのお爺さんにだって、僕たちと同じ『日常』があるんだ! そして、あの人を欲してくれる「誰か」の『日常』だってあるんだ! もし、君があの人を打ってしまっていたら……君も『求真門』と同じになってしまったんだぞ!」
随静の口元に落ちた、赤い滴。血。上から落ちている。
その源泉は、常春の頬にある切り傷だった。
自分が暴れたことで、メスでつけてしまった傷に違いない。
「あ、あ……」
随静は唇を震わせながら、その傷にそっと触れる。
頬だが、目元に近い。もし一歩間違えれば、自分の持つメスが目に突き刺さっていたかもしれない。それを考えると、悪寒を覚えた。
けれど常春は、それを読んだようにフルフルとかぶりを振った。
「同、じ……」
『求真門』と同じだ。今の自分は。
自分の中にある黒い欲望を満たすために、周囲を、他人を顧みず暴力を撒き散らし、血溜まりを広げている。
いや、常春は同門だ。「他人」ではない。
であれば『求真門』と同じどころか、それ以下だ。
他人どころか、自分の身内すらもいたずらに傷つけ、自己の妄執を優先させようとしたのだから。
散々憎み、呪詛を吐き散らした相手よりも、己の程度を下げてしまった。
これ以上ない醜態。
「——同じじゃないよ。ギリギリセーフ。僕が止めたから」
しかし、常春はことさらに笑ってそう言ってくれた。
その言葉に、随静は救われた気分になる。
まだ、自分は踏み止まっている。
この愉快な少年と同じ『日常』の中にいる。
「…………申し訳、ない」
「ううん。こっちこそ、叩いてごめんね」
「……ありがとう」
常春が微笑してその感謝に頷くと、
「——あぁぁぁぁぁぁぁあ。クッッッソつまんねぇわぁ」
鼻白むような葛升の声が、落ち着いた雰囲気に水を差した。
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上尸緊箍丹。
元ネタは「秘曲 笑傲江湖」の岳不羣が飲まされたアレ。
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