《19》

 師弟同士の戦いが始まった。


 最初は少し痛めつけてから点穴で気を失わせようかと考えていた麗慧れいけいだったが、随静ずいせいは思った以上の健闘を見せていた。


 『發雲見日はつうんけんじつ』『濤如雷声とうじょらいせい』『葉裡藏花ようりぞうか』『海底取宝かいていしゅほう』『燕子抄水えんししょうすい』——繰り出されるいくつもの技の中からは、尋常ではない練度が滲み出ていた。


 流麗、かつ途切れの無い動き。

 時に剛。時に柔。高度な剛柔バランス。

 さらに一発一発がよく計算されて放たれている。無意味な動きが、技の流れの中で一つもない。

 まさに『龍霄門りゅうしょうもん』のお手本のような動きがそこにはあった。


 油断していると、麗慧でさえ直撃するだろう。


 技とのやり取りを通じて、随静の浅からぬ鍛錬の成果を読みとれる。


 ——強くなった。


 天外孤独の十五歳の少女が、よくぞここまで育ってくれた。


 麗慧は成長した愛弟子と技を絡ませながら、短いようで遠く感じる過去に思いを馳せる。


 ——五年前。『河北派かほくは』という派閥が成立して間も無い頃。


 『河北派』の門人が、『求真門きゅうしんもん』の門人から助け出したという一人の少女。それが随静だった。


 目の前で家族をバラバラにされ、自分まで殺されそうになったところでちょうど『河北派』の助けが入り、生き延びたのだ。


 しかし、殺されるより、生き残る方が苦しい時もある。死の痛みは一瞬だが、奪われて生き延びた痛みは長く心を蝕む。随静は両親を目の前で殺された精神的ショックで人格が歪み、ちょっとしたことでも激昂して襲いかかってくるようになってしまっていた。


 無論、武功も何も無い動きだったので、飛びかかられても麗慧は容易く押さえ込めた。だが、押さえつけられてもなお獣じみた唸りを上げて暴れるのをやめない随静。


 そんな狂犬じみた有様と、森羅万象三千世界すべてを敵視するようにギラついた瞳を見て、麗慧は強い使命感のようなものを感じた。


 ……この娘を放ってはおけない。今放置すれば、この娘はきっと自分で自分を壊してしまう。


 麗慧は、随静を弟子として、義理の娘として保護した。


 けれども、随静は兄弟弟子とたびたびトラブルを起こした。


 ちょっとしたことに激怒して殴りかかるのはいつものこと。練習場に飾ってある剣や刀で襲いかかることも珍しくなく、あっという間に兄弟弟子から疎んじられた。


 しかし、麗慧だけは諦めなかった。


 どれだけ差し出した手を弾かれようと、どれだけ刃物を向けられても、心の病んだ娘と向き合い続けた。


 もし自分までもがこの娘を見限ったら、この娘はまた独りぼっちになってしまう。そして、今度こそ自分で自分を滅ぼしてしまう。そんな確信があったから。


 何度も手を差し伸べ、何度も拒絶され……紆余曲折の末に、随静は変わった。


 強烈な精神的ショックのせいで、彼女が認知している「世界観」はひどく歪んでいた。この世のすべてが敵だらけで、自分から何かを奪おうと画策しているように見えていたのだろう。——武功を学んだことで、自身の体内という「小さな世界ミクロ」を冷静に理解し、その冷静な理解を「大きな世界マクロ」に転じさせた。


 『しき』を高めることによって、「歪んだ世界観」を整えたのだ。


 随静は憑き物が落ちたように、冷静沈着で、とても熱心な門人へと変化した。


 もともとの類い稀なる才能もあって、数段飛ばしの勢いで上達していった。


 門人達の態度も軟化していき、いつしか尊敬を抱くほどにまで変わっていった。


 武功が、傷ついた少女を救い、兄弟弟子たちと絆を繋げたのだ。


 麗慧は、そんな随静と、そして他の弟子達も、本当の娘息子のように愛していた。

 

 無論、武功門派は一つの擬似家族のような関係だ。麗慧だけではなく、他の『河北派』の門派でも同じような関係性だろう。


 けれど麗慧は自信を持って言える。——自分こそが、自分の弟子を一番強く深く愛している師であると。


 弟子こどもを守るためなら、自分はどんな汚い人間にだってなる。


 信頼も倫理観も踏みにじって利益に変える。


 裏切り者、畜生、売女というそしりも高笑いして受け止める。


 ずっと流れ続けていた互いの足さばきが一度、止まった。


 向かい合う師弟。


 あれだけ荒々しく舞ったというのに、病室はほとんど荒れていなかった。二人とも、無駄な動きを一切せず、その場その場で無駄の無い最善の動きをとり続けていた結果だった。二人の技巧がそうさせたのだ。


「……強くなったね、随静」


 掌を前に出して構えた随静に微笑みかける。愛弟子の顔は、構え手に隠れてよく見えない。


 麗慧は、再び表情を鋭く引き締めた。


「だから——私ももう手加減はできない。君を含む、私の可愛い弟子こども達を守るために、私は君を全力で叩き潰す。死なない程度にな」


「あっ……!」


 叩き潰す、と宣言した次の瞬間には、随静の呻き。


 麗慧は随静の右隣を瞬時に取り、反応が間に合うよりも先に掌底を打ち込んでいたのだ。


 吹っ飛ぶ随静。病室の引き戸をぶち破って廊下へ放り出され、向かい側の壁に激突。


 通りがかったナースの悲鳴が響く。しかしそれに少しも躊躇することなく、麗慧は歩法で瞬時に随静へ詰め寄り、内勁を込めた双掌を繰り出す。


 だが随静も掬い上げるように両手を持ち上げ、内勁を用いて双掌を弾き上げた。そこからすかさず踏みつけるような前蹴りを出す。


 だが麗慧は鋭く身を捻り、蹴りを回避。そのまま回し蹴りへと繋げ、小柄な随静の体を真横へ蹴っ飛ばした。


「っ……!」


 みしり、と『基骨きこつ』が軋む感触とともに転がる随静。しかしすぐに受け身を取り、急速に迫ってくる師へ向かって迎撃をしかけてきた。


 嵐のごとき攻防。先ほどまでとは比べ物にならない勢いで麗慧が猛攻を仕掛けてくるが、それでも随静は必死で食らいつく。


「ほう……?」


 麗慧はまたも誤算を感じた。本気で一気に随静を叩きのめして気絶させようという腹づもりだったが、随静は予想以上に「やる」ようだ。


 それでも、死にものぐるいでどうにか拮抗を保っている感じなので、自分の勝ちは揺るがないだろう。『絶招ぜっしょう』を使えばすぐ終わるのだろうが、必要以上に随静を傷つけるのは気が引ける。


 さらに麗慧は気づいた。


 随静が特に必死に防御を行うタイミング。それは——己の後方に医療関係者や患者がいた時。


 そう、巻き込むまいとして防御を手堅くしていたのだ。


 であれば。


 麗慧は随静を蹴り飛ばし、彼我の距離を開く。


 それから身を捻り——


 歩を鋭く進めた。


「きゃあああああああああああああああああ!?」


 悲鳴を上げるナース。危害を加えんと迫る麗慧。それを防がんと駆け寄ってくる随静。


 


 今の随静は隙だらけだった。ナースを守らんと急いで近づくことばかり考えて、防御がおろそか。


 そんな随静へ、麗慧は風のように近づき、懐へ潜り込んだ。


 確実に当てられる。そんな確信を持てる間合いとタイミングだった。


 内勁のこもった双掌が、随静の胴体へ今まさに触れんとした、


 次の瞬間、






「————弟子こどもの顔、ちゃんと見ろよ」






 石蕗常春つわぶきとこはるが、麗慧の左隣へと急迫した。


「なっ……!?」


 麗慧はこれ以上無いくらい驚愕した。


 馬鹿な。。まだ『爛心掌らんしんしょう』を当てて十分も経っていないぞ——


「『頂陽ちょうよう——」


 随静への攻撃に使うはずだった双掌の内勁を防御に用いようと、慌てて向きを変えた。


 しかし、焼け石に水だった。


「——しん』!!」


 『雷鳴』が耳を衝くと同時に、少年の拳が双掌の内勁を容易くブチ抜き、麗慧本人へ激甚な圧力を食らわせた。


 想像を絶するインパクト。全身バラバラなりそうなほどの圧迫感。痛過ぎてもはや痛く感じない激痛。


 かつて武林を震撼させた最強の剛拳を、麗慧はその身に初めて浴びた。


 瞬間、麗慧の体が、綺麗な直線軌道をとって真横へ跳んだ。


 階段近くの壁に背中から高速で激突。コンクリートの壁を粉砕して深くめり込み、病院の内壁全体にビリリと余韻が響く。


「あ…………かっ……」


 止まった途端、まるで思い出したように激痛が襲ってきた。体の内と外を超重量で圧迫されているような痛みに、麗慧は呼吸がうまくできなくなる。


 ——なんという、おぞましい威力か。


 一発食らっただけで、戦意を削ぎ落とされたみたいに全身が弛緩しかんしていた。


 思い出すだけで、意志とは関係無しに手足が震えだすほどの重々しさ。


 雷神の怒りを人の身で再現したような、規格外の内勁。


 いや、それよりも、それよりも……


(どうして——?)


 『爛心掌』を食らったら、最低でも一週間は『走火入魔そうかにゅうま』が治らず、動けないくらいに苦しむことになる。体内で『気』が流れる生物である以上、これは避けられない。


 殺傷力は無いが、当たれば確実に敵を無力化できる。手前味噌になるが、ある意味「最強」と呼べる『絶招』である。


 しかし、常春はどうだ? 先ほどまでの絶不調など微塵も感じさせないくらいに平然と動き、技まで出してきたではないか。


 ——麗慧の『識』が常春を察知できなかったのは、「『爛心掌』を食らったのだからどうせ動けっこない」と。ああして動きだすなど全くの想定外だったからだ。


 あり得ない。あり得たら、そんなものはもう人間ではない。

 

 しかし、アレに宿るのは『雷帝らいてい』の武功。常識的に考えていたら、きっと理解などできない。


 どういうものかは分からない。だが『爛心掌』から素早く立ち直れる特殊な能力が、『天鼓拳』には存在するのだ……


 麗慧がそう考察の海に浸かっていた時、二つの足音が近づいてきた。


 そのうち一つは、怒っていることが歩調から分かった。


 顔を上げる。やっぱり常春と随静。


「…………聞こえなかったのか? もっとよく見ろって言ってるんだよ! 藩随静はんずいせいの、あんたの弟子こどもの顔をっ!! 今、あんたの娘は、どんなを顔してる!?」


 常春の怒声に反応する形で、麗慧は彼の隣の随静へ目を向けた。


 息を呑む。


 ——


 哀切そうな表情を無理矢理無表情に戻そうとして、かえってさらにいびつになった表情。その黒い瞳からは、大粒の涙をとめどなくこぼしていた。


「あんたと戦ってる最中、姉さんはずっと泣いていたんだ!! それに気がつかなかったのか!?」


 正直に言おう。まったく気がつかなかった。


 両親を目の前で惨殺されて以来一度も泣くことのなかったあの子が、今、自分の前で大粒の涙を流している。


 この子を泣かせたのは、誰だ?


 常春は悲痛さと憤怒が混じったような表情で、随静を泣かせた犯人を告げる。


「あれが守られてる子供の顔か!? 何も守れてないじゃないか!! 心も、体も、今傷つけているのあんたなんだよ!! ——!!」


 麗慧は心臓を杭で打ち抜かれるような、鋭く重いショックを受けた。


「そんなことも分からないで、何が親だ! 何が弟子こどもだ! ふざけんなこの大バカヤロ————ッ!!」


 今までに味わったことのない、罪悪感、劣等感、自己嫌悪、羞恥、喪失感…………


 それを冷静に受け止めきれず、麗慧は子供の癇癪のような返し方しか出来なかった。


「っ……う、うるさいっ!! たかだか十六年しか生きていない糞餓鬼が!! 何かを守る重圧を味わったことすらない半人前が!! 分かったような口を叩くんじゃないぞ!! もう…………私には、こうするしか方法が無いんだよぉっ!!」


 麗慧は、己のを引っかくように掴んだ。


「私は——子供が出来ない体なんだよ!! だから昔、旦那に捨てられた!! その後自棄になって多くの男と慰めに寝たけど、結局このはらに子が宿ることはなかった!! そんな私にとって……弟子というのは、本当の子供と同じなんだ!! 親は子を守るものだ!! お前だって、親から「優先」されたから、今生きていられるんだろう!?」


「ああそうだ! 僕だって、守ってくれる誰かがいたから、導いてくれる誰かがいたから、今ここで生きてるんだ! だけど、僕だって守られてばっかりじゃない! いつか誰かを守って、導いて、そして素晴らしい未来へと誰かを送り出してやりたい! そう思ってる!!」


「はっ! じゃあ何か!? 君が守ってくれるというのか!? 私も、私の弟子も、『河北派』の門派全部も、その『雷帝』譲りの武功で全部まるごと守ってくれるっていうのかっ!?」


 嘲るような、それでいて負け惜しみじみた響きを持った麗慧の言葉が、常春の心身に浴びせられる。できるものならやってみろ、と。


 その時、常春の脳裏に「言葉」が蘇った。






『——小僧。お前は……俺のようにはなるな』


『俺のように、馬鹿みたいに暴れ尽くして、ひとりぼっちになるな』


『お前は……誰かに愛される生き方をしてくれ』


『俺が与えた「最低の技」で、「最高の生き方」をしてみせてくれ』


『俺はその拳を振るって、独りになった』


『お前はその拳を振るって、誰かが集まってくるようになれ』


『お前がそうなってくれたなら……破壊してばかりだった俺の人生にも、良い実りが一つできるというものだ。そうすれば、もう…………この世に思い残すことはない』






 遠い昔…………そう、『爺さん』に、黎舒聞れいじょぶんに聞かされた言葉。


 強烈な後悔と、切なる願いが、一緒に込められた言葉。


「——守ってやるさ」


 気がつけば、常春はそう口にしていた。


「僕が……姉さんも、あんたも、『龍霄門』も、『河北派』も、まとめて守ってやる。誰の為でもない、自分のために。僕自身の『日常』のために」


 麗慧は目を見開く。


「確かに僕は今は弱い。でも、いつか必ず、僕は『雷帝さいきょう』になる。「なれる」じゃない、「なる」んだ」


 常春は、麗慧のすぐ前まで歩み寄り、


「だから——四の五の言わずに黙って信じろ」


 手を差し伸べた。


 麗慧は、その手を見つめたまま、しばし呆然としていた。


 だがやがて、差し伸べられた手へ恐る恐る我が手を伸ばし…………


「————っあ」


 しゃっくりみたいな喘ぎとともに、宙で手を止めた。


「あ、ああああ、ああ、あああああ、ああああ……」


 かと思えば、両腕で頭を抱え、背中を丸めて深く項垂れた。


「ああ、あ………………ああああああああああああああああああ」


 さらに、震えた声で唸りだした。


 苦痛を感じているのとはまた違う。


 まるで、頭の中に浮かび上がるトラウマ的な過去像を必死で振り払おうとしているような、そんな強烈な葛藤と抵抗の意志を帯びた唸り声。


 明らかに様子がおかしかった。


「ど、どうし——」


「あああああっ!!」


 異変を感じた常春が追求しようとすると、麗慧は片腕をめちゃくちゃに振るって接近を拒んだ。


 常春が数歩退くと、またも頭を抱えてブツブツと何か口にし始めた。


「求真門、河北派、龍霄門、恭順、裏切り、救済、平穏、弟子、私の子供、随静、娘、愛してる、随静、弟子、随静、求真門、求真門、求真門求真門求真門求真門随静随静随静随静随静平和平和平和随静随静求真門求真門求真門求真門求真門求真門求真門求真門求真門随静随静随静随静随静随静随静————」


 何か悪いモノに取り憑かれ、ソレに喋らされているかのように。


「師父、しっかりして欲しい。師父っ」


 随静が心配そうに近寄って師の肩を揺さぶるが、またも腕を振るって拒否され、止むを得ず後退した。


 その意味不明な状況に、常春と随静はどうすればいいか分からず、身構えながら見ているしかなかった。


「……んっ?」


 だが常春は、あるものを発見した。


 よく見ると、麗慧の左胸——『求真門』の紋章が刻まれた場所が、


 その光景には、既視感があった。


 そうだ。あれは『求真門』が、学校に侵入してきた日の話。


『クソがっ! もう生け捕りなんざ関係ねぇっ! 殺す!! 殺してやるっ!! 上の連中にはこう説明すりゃいい!! 『ダチを目の前で殺されたショックで自殺しました』ってな!! そうすりゃ失敗しても微罪で済む!! 俺のせいじゃねぇ、てめぇが悪いんだ!! ——っぐっ、あああああああああああっ!!』


 左目に瓦礫の破片が突き刺さった葛躙かつりんは、それをした常春に強烈な殺意を見せていた。その時、左目を押さえている左手の手甲に刻まれた『葛』の紋章が、


 さらに、その時の発言の。あれは、目玉を潰された痛みでも、度を超した憤怒でもなく……今唸っている麗慧とゆえに出たものなのだとしたら?


 常春の考察がそこまで達した瞬間、




「——身内の情でこうまで情緒不安定になるたぁよぉ。やっぱり、まだ『処置』が完全に出来てねぇみてぇだなぁ。こりゃ、念のため付いてきておいて良かったってもんだぁ」




 人を食ったような若い男の声が、横槍を入れてきた。


 その声は、上の階段から降ってきたものだった。


「おいおいおいおい、『河北派』指折りの達人様がよぉ、なんつぅザマだい? そんなクソガキ二匹にさぁ、よぉ」


 まるで存在をアピールするようにわざとらしく足音を立てながら、その「声の主」は降りてきた。


 面長で鋭く整った顔立ちに丸メガネ。顔の肌にうっすら走った木の根っぽい稲妻模様。ノーネクタイの白スーツ。そんな容貌をした、長身の若い男だった。


 派手な格好と顔の稲妻模様が、攻撃的で尖ったイメージをこちらに与えてくるが、それだけではない。


 雰囲気。


 その男の一挙手一投足から、荒事慣れした印象をなぜだか強烈に感じられる。周りにいる人間に比べて、明らかに「何か」が違うと思わせてくる。


 何から何までまだ「未知」なその男。しかし一つだけ「既知」があった。


 足裏が床に吸い付くようなその歩き方は、明らかに『基骨』ある者のソレであった。……つまり、武功使い。


 その男は階段を降りきって麗慧の前まで歩み寄ると、その脇腹を無造作に蹴った。


「ごはっ……!?」


 しかしその蹴りには内勁が込められていたようで、麗慧は横の壁に吸い込まれるように叩きつけられた。


「役立たずの石女うまずめがぁ。テメェはもう引っ込んでろぉ。後は俺様が引き受けてやっからよぉ」


 そう吐き捨てるように告げた男の左手甲には、『葛』の字をモチーフにした紋章が浮かんでいた。


 つまり『求真門』。


 その男はクルリと常春と随静へ向きを変え、おちょくるように高められた声で告げた。


「やぁやぁ悪いねぇ! こっからはこの葛升かつしょう様がお相手つかまつるぜぇ。聞いてオドロクなよぉ? 俺様はなぁ……なんとっ! 『求真門』最高幹部『精忠八侯せいちゅうはちこう』の一人なのさぁ! 光栄に思いたまえよぉ? こんな大物が殺してくださるんだぁ。あの世があったら良い土産話になると思うぜぇ?」


 だがそこで、男はふと何かに気がついたように手を叩き合わせた。


「おっと、そういや男のガキは石蕗常春だったなぁ。『雷帝』の弟子の。危ねぇ危ねぇ、コイツは生け捕りにしろってお達しだからなぁ……その白髪頭の娘にだけ死んでもらおうかねぇ。つーわけで、石蕗常春は退がってていいぞぉ?」


「ふざけるな! いきなり出てきたなんなんだお前はっ!?」


 常春は退くどころか憤慨して、一歩前へ出ようとした。 


 だがそれよりも早く、踏み出す先の床に突然横一線の傷痕が生まれた。


 出端を折られた常春はバランスを崩し、尻餅をついた。


「——うるせぇぞぉ、糞餓鬼ぃ。大人の言うことには従いましょうって、習わなかったんかぁ?」


 先ほどの陽気さとは真逆に、極低温にまで引き下げられたその男——葛升の声。


 どこから出したのか、その右手には一本の刀が握られており、その剣尖を真っ直ぐ常春へ向けていた。


 舶刀カットラスによく似た、片手持ちタイプの中華刀。しいて違う点を挙げるとすれば、柄にナックルガードが無いことくらいか。


 腕ごと真っ直ぐ伸ばされているその刀のリーチは、常春にはやや遠い。


 しかし、常春の足元の床に刻み込まれた横一線の傷。これは明らかに刃物でつけた傷だ。


 この場で刃物を持っている人間は、あの葛升のみ。つまり葛升は——ということになる。


 どうなっている。いったい、どんな武功だ。


 残念ながらまだ武林と武功に明るいとはいえない常春は、隣に立つ姉弟子に尋ねようと視線を移した。


「え……」


 しかし、常春は何も尋ねることができなかった。


 悲しみでも驚愕でもない、これまでとはが、随静の表情を歪めていたからだ。




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 ここからがクライマックスとなります。

 草稿はできていますが、要修正箇所がたくさんあるため、次回まで少し時間がかかります。



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