《14》
『
主な議題は無論、『
今月はどのように『求真門』と関わったか、『求真門』に何か妙な動きはないか、『求真門』に誰か危害を加えられていないか、などの情報を交換し合い、それらの情報からこれからの方針を話し合って決定する。
『河北派』の門派同士が全員顔を突き合わせる機会は、この『定例会議』を除けばほとんど無い。
けれど、例外も存在する。
『河北派』の存亡に関わる重大事項、もしくは『河北派』の秩序を揺るがす事件が起きた場合などに行われる『緊急会議』である。
この『緊急会議』は、『定例会議』と違い、問題が起きたら即座に集まって話し合う。
——五月二十三日、この『緊急会議』が久方ぶりに開かれることとなった。
理由は言わずもがな。
『
未遂とはいえ、彼らのやろうとしたことは立派な味方殺し。一致団結して『求真門』に当たらねばならない『河北派』の秩序を揺るがしかねない大事件だ。
そんなわけで、常春たちは二十三日の正午、その緊急会議のために『隠れ家』に来ていた。
そこは『
常春の
香辛料や茶の匂いをほのかに含んだ空気に変わる。広い店内のあちこちに設置された中華円卓のうちの一ヶ所に目をつけ、そこへ三人座った。
麗慧が従業員の一人を呼び、何か頼む。
するとしばらくして、三人の前に中国茶器一式が運ばれた。
薄い長方形の箱のような茶盤の上に、
茶器一式の隣に置かれた熱湯入りの小さな薬缶。麗慧はその中の湯を茶海に注ぎ、それを東の方角に置いた。
さらにその西に獅子の茶玩、
さらにその西に三つの茶杯、
さらにその三杯の後ろに蓋碗を置いた。
そのまましばらく待っていると、従業員の一人が歩み寄り、
「こちらへどうぞ」
そう三人へ呼びかけた。
三人は立ち上がり、その従業員についていく。奇妙な配置になっている茶器一式は、他の従業員が即座に片付けていた。
常春は歩きながら、事前に麗慧から教わっておいた単語と、その意味を脳裏でそらんじていた。
——
かつて中国の反体制的秘密結社では、その結社の中でのみ通用する「暗号」を用いてコミュニケーションをとっていた。体制側の人間に存在と計画を悟られぬようにするためである。
先ほどの「茶碗陣」も、そんな暗号の一つ。
茶碗のあらゆる配置に「他勢力との抗争がある。力を貸して欲しい」「この地域の頭に会わせて欲しい」などといった意味を含ませ、口を使うことなく会話を成立させる。
——東に置かれた湯入りの茶海は、遼東半島と山東半島との間にある「
——茶海を向いた獅子の茶玩は、渤海の方角を向いて吠えるようにそびえ立った、河北省
——茶玩の後ろにある茶杯は常春達の人数。
——さらにその後方の蓋碗は、そんな常春達が学ぶ武功の「源流」である「河北省」を意味する。
これらの「茶碗陣」は、『河北派』の人間であることを示す「身分証明」である。
さらに言うと、実はこの『至熙菜館』、河北派の流れを汲む門派の人間が経営している。
一見ちょっと大きなだけの飯店にしか見えないこの建物の地下深くに、河北派の『隠れ家』は存在する。
従業員に案内されるまま、常春達三人は店奥のカウンター裏にある出入り口へ入る。
少し進むと、上下が短く、左右が長い十字路にさしかかった。
上が厨房、下が元来たカウンターに通じている。
左右の通路は長く、なおかつ途中で曲がり角になっているため、先が分からなかった。
従業員を含む四人は、十字路の左へ進む。
曲がり角を曲がり、それからもう一度曲がり角を過ぎると、そこには地下へ続く階段があった。そこで従業員は壁際に寄って、道を開ける。
常春達は階段を下り始める。螺旋状に下へと続いており、なかなかに長い。
しばらくして、ようやく三人の足が床へ付いた。
同時に、大勢の人のざわめきが耳に入ってきた。
そこは、コンクリートで出来た大きな円柱状の空間だった。
円形の床の差し渡しはおよそ三十メートルほど。
さらにその床の中心には、直径十メートルの太極図が塗装されており、他の床より一段高い。
円形の壁面には、あらゆる門派の名前が縦書きで連なっている。——その中には『龍霄門』の名前もあった。
「すっげぇー……」
常春はまるでお上りさんのように、目の前の光景に驚きを示していた。
あの飯店の地下にこのような場所が広がっているなど、まるで漫画の秘密基地のようである。……否、「ような」ではなく、秘密基地そのものなのだ。
その「秘密基地」には、すでに人がぞろぞろと集まっていた。
全員、『河北派』の黒衣を身にまとっており、視界の端から端まで真っ黒であった。
「おーい。『龍霄門』の代表者と被害者、ただいま到着したぞー」
麗慧は馴れ馴れしい口調で、すでに先着していた黒服たちに声をかけた。
じろり。
全員の視線が、麗慧へと注がれる。
むべなるかな。今回の『緊急会議』の渦中にある門派の一つなのだから。
「来たか『龍霄門』……そこの坊主が、かの『
年配くらいの男が、常春へ目を向けながら麗慧にたずねた。隣に年若い青年が付き従っているところを見ると、おそらくは別門派の師匠クラスだろう。
麗慧が「いかにも」とあっさり肯定する。
途端、周囲にいたその他の黒服たちも、常春へ一斉に視線を向けてきた。
好奇の目、驚愕の目、観察する目が半分。残り半分は、大なり小なり敵意のようなものが混じった目であった。
その後者のうちの視線の一つをたどっていくと、常春はある人物二人と目が合った。
ふと、英璘を見る。
相変わらず親の敵を見るような目を向けてくるが、その左頬はうっすら赤みを帯びているように見えた。照れている? いや、赤くなっているのは片頬だけだ……
「おそらく、師に頬を叩かれたから」
常春の疑問を読んだように、随静が小さく耳打ちしてきた。
ああなるほど、と常春は納得する。師に黙って自分の暗殺を行おうとした。それは失敗に終わり、しかもそれによって問題が起きた。そりゃ、あんな厳つい爺さんは怒るかもしれない。
麗慧は、円柱状の空間中央にある太極図に立つ。
「さて、こうしてもう一人の主役が来たことだし、はじめようかね」
彼女がそう告げた瞬間、空気が引き締まった。
それを確認すると、麗慧は先ほどまでの軽やかな口調を一変、真剣な声音に変えた。
「——さて、今回この『緊急会議』を開かせていただくことになったわけだが……大変遺憾なことに、その原因は「外」ではなく「内側」だ。河北派指導者用の共有チャットで説明した通りだが、今回……新しく『龍霄門』の弟子となった石蕗常春が、馮英璘をはじめとする『八極震遥門』の一部門人から不当な暗殺を受けかけた。幸い、駆けつけた
場がざわめく。
槍傑の苦々しい呻きが聞こえた。
麗慧は少しだけ、語気を緩めて『八極震遥門』に問うた。
「……もう一度確認を取りたいのだが、今回の暗殺は、『八極震遥門』の総意ではなく、一部門人の暴走である——そういうことでいいのかな?」
「そうだ! 師父は確かに黎舒聞を憎んでいたが、今回は私の一存でやったことだ! 責を負うのは師父ではなく、この私——」
「お前は黙っていなさい!!」
まくし立てる英璘を、太く鋭い怒声で沈黙させる槍傑。
槍傑は一息つけて落ち着きを取り戻すと、醒めていつつもどこか鋭さが抜けきらない眼差しで麗慧を見た。そして言った。
「……そうだ。今回の案件は、この英璘らが暴走した結果だ。そして、それを止められなかった儂の責任でもある。我が門全体の総意ではないが、責任を負うのは儂を含む一門全員。罰則は甘んじて受けよう……」
槍傑はこの上なく大人しかった。
——この穏当さには、一門の長としての筋を通すことの他に、もうひとつの意味があった。
罪の意識をはっきり見せることで、皆の心証をよくすること。
間違っても『八極震遥門』が、『河北派』から追放されるなどという展開は避けなければならない。
もしそうなれば後ろ盾がなくなり、ただの小規模門派に成り下がってしまうだろう。あっという間に『求真門』の餌食となり、先祖代々から続く尊き技は奪われ、弟子達はみんな死ぬ。
だからこそ、河北派の秩序に異を唱えることはしない。信賞必罰の意思を見せる。そうすることで、派閥内での悪印象を薄れさせ、追放という最悪の事態は避ける。
追放にさえならなければ、後はどうにでもなる。
そんな槍傑の目論見は成功したようで、周囲の反応は穏やかだった。
麗慧もまた、柔らかい返答を返してきた。
「……別に、コレっきりにしてくれるというのなら、私は別に構わないんだ。幸い、常春も無傷だしね。槍傑、君が望むのならば、今回は罰則無しで示談成立ってことでいい。無論、再び同じことが起こったら、君を許すわけにはいかなくなるけど、今回は初犯だから許す。……私の意見は以上だが、みんなはどう思う?」
すると「『八極震遥門』の総意でないならば」とか「被害者が良いというならば」とか、肯定的な答えが返ってくる。
『八極震遥門』は、河北省の数ある門派の中でも群を抜いて屈強である。それは、仮に『求真門』と戦うことになった場合、大きな助けになるだろう。居なくなられたら困るのだ。だから、「追放」の一言を言う者は誰もいなかった。
だが一方で、反対意見を出す者もいた。
「罰則無し、というのは、少々軽すぎはしないだろうか? 師の意思ではないにせよ、その主犯格が対象を本気で殺そうとしたことは事実なのだ。お咎め無しでは後続を作るかもしれない。『八極震遥門』そのものに罰則は与えずとも、その主犯格には師自ら何らかの罰を与えてもらわなければ、不公平というものでは?」
槍傑はそれに対して、唸るような声で返した。
「……それならば、英璘らにはすでに二週間の謹慎処分を与えている」
「そうか、それならそれでいいや。じゃあこの件について、私から言うことは何もない。今回の事件は『八極震遥門』に罰則は無し。無論、次やったら今度こそ許さない。——どうかな、みんな?」
麗慧はそう呼びかける。
今度こそ、反対する者はいなかった。
槍傑は「……かたじけない」とこうべを垂れる一方、心の中で毒づいた。
——女狐が。
麗慧がいちいち全員に意見を問うのは、単に皆の意思を確かめ、程よい処罰を与えるだけではない。
槍傑に「貸し」を作ったことを、河北派全員に知らしめるため。
そうすることで、もしまた『八極震遥門』が秩序に背く行いをした時、「恩を仇で返した」と認識させ、こんどこそ重い罰を逃れられぬようにするため。
そして、その事実を槍傑に突きつけ、余計な行動をできないよう圧力をかけるため。
槍傑は唇の下で歯噛みする。彼女の行いは秩序を正すためだろうが、それでも腹が立つ。
だが幸い、英璘ら門人だけはこちらの随意にできた。
前もって謹慎処分を与えておいたのは、英璘らの処遇の判断を他の門派に握らせないためだ。
不届きな行為こそしたものの、槍傑は自分の門人を家族のように思っていた。その家族の進退を、他門に決めさせたくはなかった。
——認めようではないか。今回の一件、貴様に軍配が上がったのだ、
けれど、槍傑がこの『緊急会議』に出席したのは、ただ罪を問われるためだけではなかった。
もうひとつ、「主張したいこと」があった。
すでに『八極震遥門』に対する処遇は無罪という形で決定した。この決定が出た以上、もう覆りはしないだろう。
派閥員としての筋はこれで通した。
ならば、ここからはこちらが主導権を握る番だ。
「今回のことに関しては、誠に申し訳なく思っている。蘇麗慧の言う通り、確かに味方殺しなど以ての外。それを、こんな寛大な処置で済ませていただいたことを、誠に慈悲深く思っている。——だが、それを認識した上で、儂からも主張したい」
槍傑は、ずっと腹にためていた主張を、とうとう口から発した。
「その小僧……石蕗常春は——この『河北派』に受け入れるべきではない!」
落ち着きつつあった場のざわめきが、再び高く波打った。
我が意を得たり、という気持ちを抱きながら、海千山千の老武術家は続けた。
「石蕗常春は、あの悪名高き『雷帝』
ざわめきがさらに強くなった。
その中で、一人が声高に言った。
「そうだ! 黎舒聞の弟子など、汚らわしい! いくら強くとも、そんな品のない
さらにもう一人。
「いや、貴重な戦力は一人でも多い方がありがたいだろう。何せあの『雷帝』の技を受け継ぐ存在。かなりの戦力になるはずだ。今でこそ『河北派』と『求真門』の力量に大きな差はないが、それもいつまで保つのか分からん。戦力の増強は大切だろう」
さらにもう一人。
「河北派の武人は、強ければいいというわけではない! もちろん強さがあれば心強いが、力など鍛えて後々高めれば良いだけのこと! 力以前に、派閥の規律を重んじ、余計ないさかいを起こさない人間でなければいかん! 強ければいいなどという即物的な考え方は、それこそ己の野心を叶えるための手段を選ばない『求真門』どもと、なんの違いがあろう!?」
さらにもう一人。
「言うに事欠いて、あのカスどもと同類だと!? 貴様の方こそ、もう少しその足りぬ頭を使ったらどうだ! 『雷帝』の技が『求真門』の手に渡ったらどうなる!? 我らと奴らとの彼我の戦力差が、大きく離れることになるかもしれんのだぞ!? 無論、奴らが有利という形でな! 一時の感情で大局を捨てるのか、この阿呆めが!」
「おい貴様、私を侮辱したなっ!? 今の言葉を取り消せ無礼者っ! さもなくば勝負だ!」
「取り消さん! そして勝負もせん! 我々同士が争ってどうする!? 鬱憤晴らしがしたいのなら『求真門』相手にでもするんだな!」
あっという間に、大論戦へと発展していく。
常春の入門に対する「賛成派」と「反対派」は、五分といったところであった。
むべなるかな。「反対派」の門派はすべて、過去に黎舒聞に先師を殺された遺恨を持っているからだ。麗慧の言う通り、先祖代々の遺恨を、武功とともに受け継いでしまっている。
そんな様子を、論争の渦中にある常春は青ざめた顔で見つめていた。
自分一人が入ることで、これほどの論争が起きている。
とんでもない事態になった気がして、怖くなってきた。
自分は、どうすればいいのか。
常春はすがるように、隣に立つ随静へ目を向けた。
彼女はこちらを見ていない。繰り返される論争を、ただただ神妙に見守っているだけだ。
だが、彼女はこちらの視線に気づくと、振り向き、その薄紅色のリップを小さく動かした。
あなたはどうしたいの、と。
僕は…………
僕は、ここにいたい。
いや、この『河北派』にしか、今の自分が頼れる場所はない。
みっともなくても、ここにしがみつかなくてはならないのだ。
けれど、今のこの状況では、この『河北派』に存在しても上手くいくとは思えない。
意見は、真っ二つに割れていた。常春を招くべきか、追い出すべきか。
だが、考えてみよう。
反対派の意見は、確かに正しいのかもしれない。
けれど、彼らは「『雷帝』の悪行」という真っ黒い色眼鏡でしか、常春を見ていない。常春と喋ったことがないから、その人となりを知らないのだ。
無礼だ何だということで揉めていたところを見ると、『武林』というのは礼儀に気をつけなければいけない世界なのだということがなんとなくわかる。
ならば、自分のすべきこと、できることは——
「は、発言っ! いいですかっ!?」
常春が挙手とともに、声を張り上げる。
全員の目が、ぎょろっと常春を向く。
「ぼ、僕は……っ!」
その視線に怯えを覚えるが、気合を入れて自分を保ち、言い放った。
「僕はっ! 確かに『雷帝』の弟子です! でも、いたずらに争いを求めたりは絶対しません! 僕がここに入りたいと思ったのは、『求真門』と戦うためなんです! 僕の『日常』をめちゃくちゃにして、友達まで殺した『求真門』に対抗するため、皆さんのお力が必要だったんです! だからお願いします、どうか、僕と一緒に、戦ってもらえませんかっ!?」
常春はそう発し、深々とおじぎした。
そう。今の自分にできること、すべきことはただ一つ——主張すること。
自分は決していたずらに争いを欲する人格ではないこと。『求真門』と戦う意思をしっかり持っていること。それらを主張しなければならない。
そうすることで、少しでも「石蕗常春」という人間を知ってもらうこと。
相互の理解こそが、相互の和解に近づく第一歩なのだ。思想や文化が違う者同士であれば尚の事。
そんな常春の言葉が功を奏したのかは定かではない。
けれど、多少心を動かすには足りたようだ。ざわめきが、落ち着いてきている。
ずっと沈黙を保っていた麗慧が、ため息をついてからしゃべりだした。
「……というか、そもそもこれは『河北派』以前に、我々『龍霄門』の問題だ。その門内の弟子の進退を、他の門派にとやかく言われるのは困る。そんな事になるのなら、『河北派』を「小規模門派の連合」ではなく、統合して「一つの門派」にしちまうべきだろう。だが、それはここにいる誰もが望むまい?」
当たり前だ! 茶化す気か! と非難が飛ぶ。
だが「静粛に。話はこれからだ」と言って黙らせる。
「確かに、この子の進退を君たちに決められたくはない。だが……反対派の諸君らの意見ももっともである。『雷帝』は武林きっての修羅だ。常春は善良な少年だが、それでも坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって感じの思考を抱く奴がいる事実は認める他ない。そうすると、確かに外側に余計な敵を作ってしまう可能性がある。おまけに河北派の中でも、今みたいな分断が頻発し、やがて内ゲバに発展する可能性もなきにしもあらずだ。そこでだ……私は次のように提案したい」
麗慧は得意げに微笑を浮かべて、次のように持ちかけた。
「石蕗常春を「『雷帝』の弟子である」という点ではなく「戦力として優秀か否か」という視点で見てもらいたい。確かに内憂外患こそ招くかもしれないが、それは現時点では可能性の域を出ない。だが常春が我らの仲間となれば、『河北派』として大きな利益となる。これは可能性ではなく「約束された未来」だ。しかし、そのためには「裏付け」が必要だ。石蕗常春は頼もしい戦力になる、という「裏付け」が。——ゆえに、腕に自信のある反対派の誰か、この常春と一戦交えていただきたい。もし常春が勝ったら、『河北派』入りを許してもらうぞ。もし常春が負けたなら、常春は『河北派』を去る。この条件ならどうかな?」
再び場の喧騒が大きく波打つ。
常春も驚いていた。
何を考えているんですか! 僕は戦いたいわけじゃ——と言いそうになり、渾身の意思力で止めた。
武林の鼻つまみ者の弟子である自分が、上手いこと『河北派』に食い込むには、これしかない。
優秀か否か。有用たるを示さなければならない。
けれど、いきなり戦えと言われても、常春はやはりどうしても尻込みしてしまう。まともに戦った経験など、まだ二回しかないのだから。
だが目の前の現実は、常春の懸念など考慮せずにサクサク進んでいく。
「……貴様」
霍槍傑は渋い顔をするが、内心では好機であると考えていた。
常春は確かに黎舒聞の技を受け継いでいるのだろうが、物腰を見るに、戦い始めてまだ日が浅いと見える。いくら最強の技があっても、使い方が分からないならば敵ではない。銃を持たされた赤ん坊のようなものだ。
それを自分が軽く蹴散らす。そうすれば、気兼ねなく常春に『出て行け』と言い放てる。
ざわめく反対派。槍傑はいの一番に手を挙げようとしたが、麗慧がそれを
「あと、これは言い忘れていたことだが、常春は確かに黎舒聞の教えこそ受け継いでいるものの、何らかの『封印』が施されているせいで、二つの技しか使えない状態だ。『封印』は何らかの方法で解けるらしいが、その方法がまだ不明だ。この子がまだ発展途上だという事実は否めない」
一人が挙手し、反抗心を帯びた声で指摘した。
「その証拠はどこにある?」
「彼が自分の友達をなす術なく殺され、我々を頼りに来ている——それが一番の証拠だと思うがね」
それを言われて、槍傑は歯噛みする。
常春が黎舒聞の技を全て使えるのなら、槍傑ほどの武芸者が出しゃばっても問題はなかっただろう。
だが、常春はまだ発展途上だと聞かされた今、それが出来なくなってしまった。
そんな相手に槍傑ほどの達人が挑むことは、プロボクサーが小学生の素人相手に喧嘩をふっかけるようなものだ。
勝ったとしても、『八極震遥門』の沽券が損なわれかねない。
どこまでも小賢しい女め。槍傑は舌打ちし、次の思考に移る。
「……ならば、「石蕗常春は優秀である」という貴様の論理は破綻しているぞ蘇麗慧。いくら優秀な狩人でも、両手足を縛られていては弓を射てまい?」
「そんなことはないさ。この子はこれからもっと強くなるだろう。それこそ、私や君と同じほどか、あるいはそれ以上に。なにせ、あの『雷帝』のもとで二年も修行したんだからね」
ああ言えばこう言う。槍傑は苦虫を嚙みつぶしたような顔を浮かべる。
だがそこへ、鋭い響きを持った女の声が飛んできた。
「——ならば、私が出ます」
英璘だった。
「私が、石蕗常春を倒します。戦わせてください」
常春を真っ直ぐ射るように視線を向けながら、そう志願した。
「黙っていろと言ったはずだぞ」
槍傑はその意見を封殺しにかかったが、愛弟子はかぶりを振って言った。
「いえ師父。私が戦うことにこそ意味がありましょう。我ら『八極震遥門』は、かつて河北省では実戦名手とうたわれた門派。それは今も変わりありません。私は師父の門弟の中で、実力的に頂点に位置する武芸者であることを自負しています。何より——私は一度、石蕗常春と武を交えている」
老獪な師の瞳に、理解の光が宿った。
英璘の言葉は単なる手前味噌ではない。
彼女は藩随静に並ぶ才能を誇る、武功の才媛だ。
家族の命と家伝の武功を『求真門』に奪われ、『八極震遥門』に流れ着いたのが五年前。それから何かに取り憑かれたように修行を重ね、あっという間に門派の頂点と呼べる実力を得た。さらに、今なお成長を続けている。もしこのまま着実に力をつければ、将来的には槍傑に比肩するか、あるいはそれ以上の達人になるであろう逸材。
それに英璘は、常春と一度戦ったことがある。それはすなわち石蕗常春の……『雷帝』の武功の特性を理解しているということ。
実力的にも、条件的にも、ちょうど良い人材。
「……分かった。許可しよう。抜かるでないぞ」
槍傑の了承を受け、「はっ、ありがとうございます」と抱拳する英璘。
そこへ、言葉を差し入れたのは、ずっと沈黙を守っていた随静であった。
「発言する。今の常春と英璘では、実力差がありすぎるのでは?」
「ふんっ。実力を示すというならば、むしろ英璘にくらい勝ってもらわねばな。でなければ実力の物差しにならんわい」
随静はそれ以上口を挟まず、代わりに常春を見つめた。
その銀色の瞳は相変わらず感情が読めないが、それでも行動だけで、自分の事を気遣ってくれているのだと、常春には理解できた。
そんな姉弟子に、常春は微笑を返した。
「ありがとう、姉さん。でも……僕、やるよ」
「しかし」
「大丈夫。僕は、絶対勝つ。だって僕は『雷帝』の弟子なんだから」
そう言うと、もう随静は引き止めようとしなくなった。代わりに、
「……死なないで、欲しい」
そう告げてきた。
常春はそれに頷きを返しながら、心の中で自覚する。
——ああ、僕はこれから、命がかかった勝負をするんだ。
けれど、そのことに対して、ほとんど気持ちが揺るがない。
生死のかかった状況に慣れてしまったのか。あるいは……自分は死にたがっているのか。
いや、後者では絶対にない。自分は生きて新たな『日常』を見つけ、守るために戦うのだ。それは生に繋がる戦いでなければならないのだ。
きっと、もうこれしか道がないからだ。なおかつ、そんな状況に慣れてしまったからだ。
普通と照らし合わせると、自分はもう狂人の類なのかも知れない。
けれど、「マトモ」では守れないものもあるということは、すでに学習済みだ。
だからこそ、今の揺るぎない心境に感謝する。
常春は、はっきりと宣言した。
「——やります。やらせてください」
場がざわめいた。
英璘の視線が、いっそう強まった。
常春も、それに視線をぶつけた。
二人の間には、闘志のぶつかり合いがあった。
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シェンムーでもお馴染みの茶碗陣。
ちなみに茶器類一つ一つの形や用途を細かく紹介するとクドくなりそうだったので、茶器の名前だけを出しました。
どういう茶器か興味のある人はグーグル先生に聞いてみよう! 先生は何でも知ってるよ!
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