《10》
『かんぱぁ————い!!』
形式ばって固っ苦しい
現在夕方六時半。
拝師式の後に片付け云々を終わらせてから、前もって
それから次々と運ばれてくる料理の数々。皿が増えるたびに、『龍霄門』一門のテンションも上がっていく。
「師父ー、ありがとうございま——す!!」
隣のテーブルから、お調子者っぽい若い門弟がハイテンションに感謝を告げてくる。それに対し、
これからもっと料理が運ばれてくることになるが、それらの代金はすべて麗慧持ちであるという。大丈夫なのかと常春が問うと「問題ない。新しい家族ができたのだ、これくらいはしないとな」という自信に満ちた答えが返ってきた。なんとも勇ましいことだ。
常春もお腹が減ったので、「いただきます」と言ってから取り皿を持ち、さあどれにしようかなと思考を巡らしていたその時、取り皿の上に勝手に酢豚少量が乗っけられた。乗っけた犯人は、左隣に座る青年だった。年齢はだいたい二十代半ばくらいか。
「食ってみろよ、美味いぞ」
人の良い笑みを見せてそう勧めたその青年を皮切りに、
「ほら、もっとたくさん食えって!」
「この小籠包美味しいわよ! 中にスープが入ってるの!」
「春巻きもどうぞ!」
「この豚足も食えよ! そんな細っこいナリしてんだから、もうちょい食わんとダメだぞ!」
他の門弟達も次々と大皿片手に集まり、常春の取り皿に嬉々として料理を乗せていく。
「こらこら。あんまり餌付けしてやるなよ」
麗慧も楽しそうに苦笑している。
「……えーっと」
歓迎……されているんだろう。けれど常春は正直、嬉しさよりも戸惑いが強かった。
——思ったよりも、普通の人達なんだな。
常春が一番最初に知り合った武林の人間は、
しかし、常春が拍子抜けするほど、彼らは「普通の人」だった。
まるで、常春が今まで過ごしてきた『日常』の住人みたいな——
「って重っ!?」
左手に乗せられた重量感で我に返った。見ると取り皿には、小ぶりに切られた豚足を頂点に、いくつもの料理による山盛りが形成されていた。
なんてことだ。これじゃあどこからどこまでが酢豚で
「……我慢して欲しい。みんな、新たな「家族」が出来て、嬉しがっている」
右隣にちょこんと座る
「あ、あーん……」
常春はわざとらしくそう言い、春巻を口に入れて咀嚼し、飲み込んだ。随静はその様子をいつもの無表情でじっと見つめていた。相変わらず何を考えているのかよく分からない少女である。
高山茶のグラスを煽ってから、常春は山盛りと化した取り皿上の料理の摂取にとりかかった。
慣れない豚足を食べるのに悪戦苦闘していると、麗慧が柔らかく声をかけてきた。
「どうだい? 我が『龍霄門』は? やっていけそうかな?」
常春は一度豚足食いを中断すると、
「はい。むしろだからこそ、戸惑ってます。血生臭い話の絶えない武林だから、もっと、その……」
「ヤクザみたいに尖っているメンツを想像していた、かな?」
「……はい」
麗慧はふぅ、とため息をついた。
「言っておこうかな常春。我々は別に戦いたいわけじゃあないんだよ。むしろ戦いなどからは遠く身を置いて、先祖代々受け継いできた武功の修練と伝承に打ち込みたいくらいさ。『
「そうですよね……ごめんなさい」
常春は自分の色眼鏡を恥じて謝罪した。
麗慧は頬杖をついて、興味深そうな微笑を交えて常春を見つめてきた。
「いいさ。だが謝罪代わりに、質問していいかな? ……随静から聞いた話だと、君はあの武林最強の男『
「…………実は、僕にも分からないんです。いや、違うか……思い出せないんです。『爺さん』……黎舒聞と過ごした記憶が、ほとんど」
常春は語って聞かせた。
ずっと思い出せなかった『空白の二年間』のこと。思い出そうとすると、酷い頭痛に襲われること。それを最近になって一部思い出せたこと。しかし思い出した記憶以外を掘り起こそうとすると相変わらず頭痛が襲ってくること。——それらの要素が、まるで『空白の二年間』の記憶への接触を拒む「セキュリティ」のように感じること。
「ふんむ……確かに、一種の「作為」のようなものを感じる、奇妙な記憶喪失だねぇ」
「けど、そんなことがあり得るんでしょうか……? 意図的に、人間の記憶を失わせたりなんてことが……」
「不可能ではないさ」
えっ、と常春は目を見開いた。
「武功には『
常春は思わず随静へ視線を向けた。二度目の遭遇の時に自分の口をきけなくして身動きを取れなくしてしまったあの不思議な技術は、『点穴』というものだと今分かったのだ。ゆえに、その技術がどういうものかを身をもって体感している。眉唾だとは思わなかった。
「しかし、いくら技を『封印』できるといっても、ただ「技のやり方を忘れる」だけだ。記憶を封じ込めるだけならまだしも、思い出そうとすると頭痛に襲われ、危機的状況に陥ると技を一つ思い出す…………君のそれらの症状を『封印』だと仮定すると、融通がききすぎる『封印』だ。ここまでドラマチックで面白い『封印』にお目にかかったことは、この私とて一度も無いよ」
「そうですか……仮に、師父のおっしゃる『封印』だったとして、それを何かの方法で解除したりすることはできますか?」
「やめておいた方が良い。『記憶封印』の技術の中には、それをこじ開けようとすると条件反射で「トラップ」が作動するものもある。心臓が止まったり、頭蓋骨が内側から弾けて即死したり、もしくは五体そのものが粉々に爆裂したり、ね」
想像しただけで、常春は鳥肌が立って腕がかゆくなった。せっかくの中華料理も不味くなりそうだ。
麗慧はなおも興味深そうに常春を見つめる。
「それにしても……よく今まで捕獲されずにいてくれたものだ。確かに君は記憶を失っているようだが、それでもその歩き方は『
ずっと東京に住んでいたのに、なんで君は求真門に見つからないでいられたのか——彼女の発言を要約するとこうである。
常春はかぶりを振った。
「いえ、実は東京に住み始めたのは、今年の四月ごろからなんです。それまでは千葉県の
「ほう、千葉県民だったのか。しかも鋸南町とは結構な田舎じゃないか。千葉には武功を使う人間がいないに等しいから、求真門も無関心だったのかもしれないな。田舎というのも侮れないものだ」
なんか、遠回しに千葉をけなされている気がしたが、きっと考え過ぎだろう。
「まあなんにせよ、君は無事に『龍霄門』へ入門し、その『龍霄門』が加盟している『河北派』の庇護下となった。これでネズミのようにこそこそ暮らさずに済むだろう。……少なくとも、求真門とのパワーバランスが拮抗している今はな」
最後の一行が、やや重みをもっていたのは、常春の気のせいではないだろう。
そこで、常春はふと、あることを思い出した。
「あの、そういえば武林の「派閥」って、『河北派』の他にもありますよね?」
そう。この日本の武林に存在する「派閥」は、河北派だけではない。その事実はすでに聞かされている。……自分がこの手で殴り殺した、葛躙(かつりん)に。
『『河北派』『
五月十五日の夕方五時。自分を追い詰めた葛躙の口走った言葉が、脳裏に鮮明に蘇る。
河北派の他に、あと二派閥存在していることは既知であった。しかし、常春はそれを脳裏に住む死人からではなく、目の前の生者の口から聞きたかった。
麗慧は難しい顔をして、常春の問いを肯定した。
「ああ、存在する。あと二派閥——山東省を起源としている武功門派の連合『山東派』と、福建九連山少林寺の流れを汲む門派の連合『南少林聯盟』。彼らも河北派に負けず劣らず、勇猛果敢な武術家達だ」
「そうなんですか……えっと、その三派閥で力を合わせて『求真門』をやっつけよう、って話には……ならないんですかね……」
なんだか言っちゃいけないような気分になりつつも、常春は尻すぼんだ声でおずおず尋ねた。
案の定、地雷を踏んでしまったようだ。麗慧は頭痛に耐えるような渋い顔をしながら言った。
「『三派連合計画』……日本における武林三派閥がさらに連合を組み、求真門を日本から一掃しようという話は確かにあったとも。この三派の総力をもってすれば、少なくとも日本における求真門殲滅は難しくはない、とね。しかしこれがなかなか難しい問題なんだよ」
「とおっしゃいますと?」
その先の説明を、随静が継いだ。
「もともと「武林派閥」という集まりは、「求真門と戦う」という目的ではなく「求真門から身の安全と武功の伝承を守る」という目的で作られた。ゆえに三派ともに最優先されるのは「伝承の維持」。武功門派の中には、あまりに多くの技を持ち過ぎるがゆえに、伝承を別々の門人達で分担している所も少なくない。もし求真門と戦えば、勝っても負けてもこちら側に必ず死者が出る。その死体の中に伝承の担い手が混じっていれば、その人物が担っていた伝承がそこで途絶えてしまう。……それを恐れるがゆえに後手に回っている。おかげで伝承は守れているけれど、状況は五年間ずっと変わっていない」
「変わっていないどころか、こちら側にとっては徐々にだが悪くなる一方だ。こうして飯を食っている間にも、求真門は門人を一人また一人と増やし、武功の研究を進めている。日本だけでなく、世界各地でな。もしも三派が連合を組むとすれば、それは日本の求真門が今よりデカくなって、三派の個々の力よりも強くなった時だろうね」
そう言ってから、麗慧はもう一度ため息をついた。見た目は美女だが、ため息の仕草は妙に年季が入って見えた。——年季?
「そういえば、師父って何歳ですか?」
常春はそう口にしてから「やべっ」と思った。
麗慧はニヤッといたずらっぽい笑みを浮かべる。
「こら。私は気にせんけど、女性に軽々しく歳を尋ねるのは礼を失するというものだよ」
「ご、ごめんなさい。その……師父のお家に飾ってあった写真、ありますよね? その中に写った師父のお顔が、えっと……三十年間、全然歳を重ねていないように見えたので」
「あらあら、そんなに私って若々しい美人かい?」
「……否定しません」
そうボソリと言ってから、ばつの悪さを誤魔化すように料理をかきこむ常春。
麗慧はその豊かな胸を張りながら言った。
「そりゃ、三十年経っても美人なままだろうさ。なにせ私は——『
「『亜仙』……?」
聞いたことがない単語に小首をかしげる常春に、隣の随静が補足説明した。
「武功を修行していると、稀にその人間の肉体を変異させて老化を止めて、死ぬまでずっと若さを保てるようになる。つまり、見た目だけ老いが止まる「不老長寿」。それが『亜仙』」
「え……ってことは、師父の……」
師父の年齢って幾つなんですか、という疑問が口から出そうになるが、今度はどうにか喉元でせき止められた。
けれども本人にはお見通しのようで、麗慧はニンマリ笑う。
「そうさねぇ。大躍進政策の時代が私の青春期だった、とだけ言っておこうかな」
「大躍進?」
「一九五八年に中国で行われた経済政策。師父はその頃の姿を、今に至るまでずっと保っている」
随静の補足に、常春は目ん玉が飛び出そうになる。その頃にこんな二十代前半にしか見えない姿形であったとするなら、スマホが市民生活に深く根差した今の時代での年齢を計算すると……推して知るべしである。
麗慧は大笑い。しばらくして笑いを抑えてから、
「まぁそういうわけさ。だが、やはり「不老長寿」ではあっても「不老不死」ではない。いくら若さを変わらず保てたとしても、少し常人より寿命が長いだけで、やはり死から逃れることはできないんだよ。——だが、その「死」というドデカい壁を乗り越えようと燃えている連中がいる。それが奴ら『求真門』なのさ」
「『求真門』が、不老不死を……?」
そうさ、と前置してから、麗慧は滔々と語る。
「確かに中途半端な『亜仙』であるが、それでも見た目だけは老化を止めることはできた。そんな実績を持った中華武功という体術に、『求真門』は目をつけたのさ。連中は追求している。——正真正銘、本物の不老不死である『
常春はそれを聞いて思い出したのが、またも葛躙の発言だった。
『我々『求真門』は総力を上げて、全ての中華武功を手に入れ、そいつを全て解析する。そしていつの日か必ず手に入れるだろう——『真仙』を。たとえてめぇが中途半端にしか『雷帝』の教えを受けていないとしても、持ち帰って研究材料にする価値は十分にあるってこった』
つまり、あの男が常春の『天鼓拳』を欲しがったのも、『真仙』追求のため。
そんなことのために、市原さん達を……常春の中で、三日前の怒りが再燃しかける。
「『真仙』とは、古今東西の権力者が求めて、ついぞ叶わなかった夢物語だ。史上初めて中華統一を果たした秦の始皇帝も硫化水銀を飲むくらい、欲してやまなかった。それ以降も危険な
麗慧は鷹揚に両手を広げる。
「『
その言葉を耳にした瞬間、常春の脳裏に再び葛躙の言葉が思い起こされた。
『チクればぁ? どうせ無駄だけど。『求真門』はいろんな国にあって、その国の大物と太いパイプがある。この国も例外じゃねぇよ。ナアナアで終わるだけだ。そもそも大事件もナアナアで終わらすのはこの国の得意分野だろぉ?』
「警察に訴える」という常春の発言に、あの男は余裕の態度でそう返してきたのだ。
それを聞いたからこそ分かる。今、麗慧の言ったことは、陰謀論でも何でもないのだと。
そんな馬鹿馬鹿しい陰謀論に登場しそうな巨悪と、自分はこれから戦おうとしているのだ。
ぶるり、と足底から脳天までが震える。
それは武者震いか、あるいは怯えか。
「……怖気づいたかな?」
そんな常春に、麗慧は挑発するような微笑を向けてくる。
常春は全身に力を込めて震えをねじ伏せ、同じような微笑を返した。
「まさか。もう僕は決めましたから。戦うって」
常春は席を立つと、中華円卓を囲う兄弟弟子たちを見渡し、告げた。
「僕は——僕やその大切な人達の『日常』を守りたい。だから、『求真門』と戦います。どうか……こんな僕に、力を貸してください!」
門人達は、互いに顔を見合わせてから、一同『応!!』と頷いてくれた。
宴はまだまだこれからであった。
テーブルの料理はさらに増え、白酒や紹興酒といった酒類まで置かれた。
門人の年長組はそれを飲みだし、酔いによってさらに場が賑わった。
酔う者、それを諫める者、その両者を見守る者。騒がしくも調和が取れた平和な喧騒。
麗慧は白酒の入った酒杯を片手に、そんな弟子達の様子を眩しげに見つめながら、
「——ずっと、こんな日が続けばいいのにね」
弱音のような呟きをこぼしたのだった。
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