《2》

 五月十六日。昼十二時半。


「——何度も言うけどさぁ、「お茶茶茶」二期は、八話が一番神回だと思うんだよねぇ僕的に!」


 昼休みの喧騒ただよう一年二組の教室。窓際後方最後尾の席に座る石蕗常春つわぶきとこはるは、ひときわ騒々しい熱弁をふるっていた。


「全てのキャラの味が一番濃く出てるし、作画も神ってるし、何より主人公の「やぶきた」タンが最高に可愛いんだよぉ! ああ、僕もあの世界の住人だったら、借金してでもやぶきたタンのお茶を毎日飲みに行くのになぁ……」


 常春の席を囲って昼食をとる三人のクラスメイトは、そんな常春を呆れたような目で見つめていた。


「石蕗よぉ、相変わらず視聴ジャンル偏り過ぎだろ。もっと他のやつも見ろよ、『惨劇の巨人』とか、『鬼斬おにぎりの刀』とかよ」


 苦笑しながらそう返してきたのは、三人のうちの一人、村田むらただった。


 鼻筋が通ったイケメンで、ブレザー制服越しでも分かる高身長な良スタイル、何より誰に対しても分け隔てなく接する姿勢が女子に好印象。常春が入学後最初に友人となった男子である。


「というか石蕗さー、そのワイシャツの下にうっすら透けて見えるアニメキャラTシャツ、やめた方がいいよー。せっかくそれなりに顔はまともなのに、女の子にモテないわよ」


 そう指摘したのは、村田と椅子をピッタリくっつけて座る女子。村田の中学時代からの彼女である鈴町すずまちだ。


 ブレザー制服のスカートから伸びる脚は長く美しく、顔もオトナっぽい美人。今の態度もオトナっぽく落ち着いているように見えるが、以前の村田のこそこそ話曰く、めちゃくちゃ嫉妬深く甘えん坊とのこと。また、そのギャップがまた萌えるとのこと。


「わ、私はいいと思いますっ、「お立て町のお目なお屋さん」。作画いいし、キャラも可愛いしっ」


 そうおずおずとフォローを入れてきたのは、かじりかけのアンパンを両手で握りしめた女子生徒、市原いちはらである。


 前髪長めなボブっぽい短髪と黒縁メガネという装備が、おどおどした態度とあいまって地味っぽさを濃く発揮している。

 しかし常春は、彼女が本当は童顔でなかなか可愛らしい顔つきをしているのを知っている。ちょっとおめかしすれば輝くのに、と内心でよく感じている。


 市原は、常春と同じ中学出身であり同郷だ。


 常春は千葉県鋸南町きょなんまちの中学を卒業後、都会に一度住んでみたいという理由で池袋の都立冨刈とみがり高校へ入学し、上り屋敷通り付近の格安ボロアパートに住み始めた。


 そんな常春と同じように、市原もガリ高——冨刈高校の略称——に合格して池袋に住み込んだのだ。理由を尋ねたが「内緒ですっ」と恥ずかしそうな顔ではぐらかされた。


 以上の三人が、入学以来一番仲良くしている大切な友人達であり、楽しく平和な『日常』を共有する仲間である。


「さすが市原さん、分かってるー! 日常系だもんね? 平和な日常系だもんね? あとほら、このシャツから分かるようにキャラも可愛いよ? 神でしょ。うん、神。村田くんもこの神を信仰しない?」


「俺はもっと熱くて殺伐としたのが好きなんだよ。ていうか、なんでお前そんなに日常系ばっか好きなわけ?」


「村田くんこそ相変わらず週刊少年誌発のアニメ至上主義なのねっ。あんなスナック感覚で手足がぶっ飛ぶようなアニメのどこがいいのさ。やっぱ、平和な日常系が一番でしょ」


「せめてアニメの中くらい殺伐としてたいんだよ、俺は」


 そうしてアニメ談議に花を咲かせる男二人を、女性陣二名はそれぞれの反応で評する。


「男っていつまで経っても子供よね」


「わ、私も、アニメは好きだけど……」


「あらぁ? 毎回石蕗の肩持つじゃないのぉ。市原ちゃんが大好きなのは?」


「へぁっ!? べ、別にそういうわけじゃ、ないです……」


 顔を真っ赤にして黙ってしまう市原。ニヤニヤ笑う鈴町。


 常春はそんなやりとりをする二人を脳内に疑問符を浮かべながら眺めていた。耳に入ってきたのは、村田の呆れたようなため息の音。


「あ、そういえば石蕗、あんたこないださーちゃんに裁縫教えてたわよね?」


 ふと、思いだしたようにそう訊いてきた鈴町に、常春は「さーちゃんって誰だっけ」と一瞬考えてから、「裁縫」というキーワードから思い当たりを見つけた。


「あぁ、咲良さくらさんのことだね。うん、なんか、彼氏に何か作ってあげたいらしくてさ」


「そうそう。さーちゃん、ありがとうって言ってたよ。いいの作れそうって」


 その言葉に常春は満面の笑みを浮かべ、「どういたしまして、って言っておいて」と言う。


「はいはい。……ていうか石蕗ってさ、何気に女子力高いわよね。裁縫めちゃくちゃ上手だし、さっき食べてた弁当だってあんたのお手製でしょ?」


「ああ、うん。そうだけど……でも、そんなに上手いほうではないよ? 僕よりすごい人なんていっぱいいるだろうし」


「あんたそれ、手芸部の連中の前で言わない方がいいわよ。血の涙流すから」


 常春は家事全般が得意だった。


 母親はとっくの昔に蒸発してしまっているため、仕事で忙しい父のために家事炊事を自主的に行っていたからだ。


 群を抜いて得意なのは裁縫だ。その腕前を生かして、要らない布地からオリジナルの衣類やバッグを作ってはフリマアプリで売って小遣い稼ぎをしている。そのお金は主にオタ活動のための資金源となっている。


 そんな風に会話に花を咲かせていると、クラスメイトたちが集まってくる。


「なに? 何の話してるの?」「うわー、石蕗、アニメTシャツが透けて見えるぞー。オタクー」「村田くん、ちょっと髪型変わった?」「ねーねー、市原ちゃん、村田とどこまでいったー? Dくらい?」「市原さん、もっとオシャレしてみなよー。絶対可愛いよー」


 誇らしげにシャツを見せる常春、ふふんと得意げに微笑む村田、顔を赤くしながら「いくわけないでしょ、ばか!」と否定する鈴町、急に絡まれてオドオド具合がいつにも増す市原。


 ——これが、常春の『日常』を彩る、尊き装飾達。


 学生としては、さして変わり映えのしない日々。


 この日々が、楽しくて仕方がないのだ。


 まるで、大好きな日常系アニメのような、争い一つ無い日々。


 三日前のように、三つ編みの変態に追いかけ回されるようなことがない『日常』。


 クラスメイトの喧騒をBGMにしながら、常春は開かれた窓の枠に腰掛け、五階からの外の風景を眺めた。外から吹いてくる風が涼しくて心地良い。


 いたって普通の学校敷地内の光景が、そこにはあった。


 校舎の右端には体育館兼運動部室棟が鎮座しており、一階の渡り廊下で校舎とつながっている。


 その体育館に隠れていてよく見えないが、その向こう側にはサッカーグラウンドが広がっている。さらに校舎の左側にはもう一つ、野球用のグラウンドがある。


 その広大な敷地と外を繋ぐのは、石蕗から見て真っ直ぐ先にある校門。今は堅く閉ざされている。


「……えっ」


 堅く閉ざされた校門の向こう側に立つ人物を見て、常春は凍りついた。


 一人の少女がぽつんと立っていた。


 遠くからでもその白さがはっきり分かるその長髪をツインテールにし、上下ともに真っ黒な衣服を身につけている。


 遠くにいるのではっきりした全体像は見えないが、常春の脳裏では人形じみた美貌を誇る黒い中華服の幼女の姿で補正された。


 あのシルエットは間違いない。昨日、僕が助けた白髪の女の子だ。


 ——常春の頭が、否応無しに昨日の出来事を想起しだす。


 あの後、ずっと思い出せずにいた『空白の二年間』の一部とともに思い出された『頂陽針』なる技によって三つ編み男をぶっ飛ばした常春は、しばらく何をしたらいいか分からずじっとしていた。


 しかし、あの白髪少女が「——『雷帝』」という単語を口にした途端、停止していた思考が一気に復活をとげた。——危機感という、強烈なアラートで。


 この白髪少女は、どういう形であれ、あのアブナイ三つ編み男との関わりを持っている。


 常春的に言えば、そんな白髪少女も等しく「アブナイ人」であった。そんな「アブナイ人」は、常春の『日常』にそぐわない人種の最たるものだった。


 なので、少女の脇を抜けて逃走した。


 案の定、彼女は常春を追いかけてきた。


 追手が変わっただけでまた逃走劇を繰り返すハメになったが、今度は幸運にも人混みの中に入ることが出来たため、その中にまぎれながら逃げ続け、上手いこと撒くことに成功した。


 途中で落としたアニメDVDを探したかったが、今はそれよりも我が身の安全の方が大事だ。


 迷路のようだと言われる池袋駅まで見つからずにたどり着ければ、あとはこちらのもの。常春は南口から駅を出て、上り屋敷通り付近にあるボロアパートに駆け込み、どうにか逃げおおせた。


 しかし、それで問題は終わらなかった。


 部屋に帰ってきて、財布を途中で落としていることに気づいたのだ。


 常春はさーっと血の気が引く。財布には学生証が入っているのだ。もしもその財布が見つかって、学校を特定されでもしたら……


 ——あの少女は、自分の財布を拾っている可能性が高い。


 その中の学生証を見て、自分の学校を特定して、今ここに来ているに違いない。


 昨日味わった猛烈な危機感が、再び首筋までざわざわと迫り上がってくる。


 ——落ち着け。学生証には学校の場所は書いてあるが、僕のアパートの場所と部屋番号までは書かれていない。それさえバレなければ、まだなんとかなる。


 内心で計算を行う常春だが、白髪少女はというと、一切動きが無い。


 校門をよじ登って入るでもなければ、諦めて退散するでもなく、ただただ棒立ちしているだけ。そこから次のアクションを起こす気配が見られないのだ。


 だが常春は気付いていなかった。白髪少女のことを気にするあまり、窓の外へ上半身を前傾させていることに。


 さらに言えば、常春は今


「おい石蕗! 危ねぇぞ!? おい!」


 焦りを帯びた村田の叫びでハッと我に返った時には、常春はすでに窓の外に大きく傾いていた。


 時すでに遅し。常春は重力の見えざる手に引っ張られ、五階の高さから落下を開始していた。


 数秒の浮遊感ののち、常春は地面にしたたかに身を叩きつけられた。


 だが、硬い痛みこそ味わったものの、どこかから血が出たわけでも、骨がどこか折れたり砕けたりしたわけでもなかった。意識もまったくもって明瞭。つまり——


「いったたぁ…………何やってんだろ、僕」


 自分のドジさを悔やみながら、常春は背中と後頭部をさする。


 痛みの余韻が小さくなっていくのを自覚しながら、改めて校門を見る。


 いた。


 まだ、あの白髪少女は立っていた。


 しかも、こちらを見ている。


 見つかってしまった。


 だがやはり、何をするでもなく、ただ見ているだけ。


 学校に無断で入っちゃダメだという決まりを律儀に守っているのだとしたら、あの三つ編み男より少しは常識的な人格の持ち主なのかもしれない……などとぼんやり考えているうちに、どたどたと慌ただしい足音がいくつも重複して近づいてきた。


「おい、石蕗! 大丈夫かっ!?」


 クラスメイトが、切羽詰まった表情で近づいてきた。


 常春は元気さを訴えるべく立ち上がろうとしたが、それを止められた。


「動くな! 今救急車呼ぶから! じっとしてろ!」


「え? いや、あの、僕は平気——」


「大丈夫!? 私の顔、いくつに見える!?」


「一つしかないけど……」


「記憶は失くしてないよな!? 思い出せよ! お前、俺に今度百万円くれるっていう約束したんだぞ!」


「してないよ!?」


 結局、常春は流されるまま救急車で搬送されていったのだった……

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