第九話(2/3):暗躍する影


 天去市中央区。

 高級ホテル街とはそれなりに離れた地区にあるビジネスホテルの一室。

 その一室にて――。


 バギリッ!!


 裏社会においてサイファーの通り名で呼ばれるその存在は、目前のノートパソコンの画面に自身の拳を叩き込んだ。


「…………」


 そんなことをすれば本体ごと衝撃で飛んでいきそうなものだが、その放たれた一撃はあまりにも鋭い一撃だったためか画面に見事な孔のみを穿った。


「…………」


 だが、それでも憤りが収まらなかったサイファーはノートパソコンを地面に叩きつけると、そのまま二度三度と踏みつけた。


「……っ!」


 ――予備として確保しているハッキング用のサーバーがこれで五つ目も……。


 サイファーは殺し屋だ。

 ある一族に生まれてありとあらゆる暗殺用の技術が学習させられ、その全てを吸収し完成した闇に生きるプロの暗殺者アサシン

 力を実績で証明し、サイファーは闇の社会で生き続けてきた。


 今回の案件も無数にある一つの仕事でしかない。

 仮に相手が日本国総理大臣であろうとも、サイファーにとってはこれまでの標的との差は依頼料のアタッシュケースの中の重さの差ぐらいでしかない。

 

 サイファーはプロ殺し屋、依頼人に依頼された人物を暗殺する者。


 それが誰かなどはさほど重要なことではない。

 そして、興味もわかない。

 殺す相手など覚えておいても無駄なだけ、淡々と計画を練り実行に移し、そして処理する。

 それだけ、


 そのはず……だった。


 だが、


 楠木マリアは死ななかった。


 車に仕掛けられた爆弾に気付く様子もなく、走行中に爆破したにもかかわらず彼女は生きていた。

 それどころか同乗者であったSPすらも怪我一つもなく。


 計画は完璧だったはずだ。

 車に乗って走行を始めた時点で楠木マリアの死は確定だった。

 そのはずなのに……。


 ――いや、それはいい。……いや、良くは無いが。私とて人間だ。これまでも失敗することが無かったわけではない。その都度、反省をおこない切り替え……最終的には全ての依頼は成功させてきた。


 プロというのは常に失敗した時のための準備や計画だって練っているもの。

 それはサイファーとて同じだ。

 最初の爆殺だけの準備しかしていなかったなんてわけもなく、速やかに次の機会のための準備を始めることにした。


 再度の暗殺準備をする際に、重要視したのは情報だ。


 最初の計画が失敗した理由。

 あるいは因子。

 運や偶然でどうにか出来る状況ではなかった。


 ならば何かがあるはずなのだ。サイファーの気づいていなかった何かが。


 だからこそ計画を立てる一方で標的とその周辺に関する情報を集めようとあの手この手を弄するも……。


「くっ……」


 その全てが失敗した。


 ドローンの潜入、ホテル自体のネットワークへのハッキング、宿泊客の携帯端末の遠隔操作。

 標的の周囲を刺激するために金をばら撒き人を動かして騒ぎを起こさせたり、偽の事件を近隣で起こさせたりと……とにかく色々だ。


「…………」


 問題はそれらが失敗に終わったことでは無い。

 相手側への情報収集のために打った手の全ては防がれただならばまだしも、証拠も情報も一切残さずに処理されたというのが問題であった。


 ――私とて腕には自信があるとはいえ、自身より上など居ないというほど自惚れてはない。ハッキング技術とて、そうだ。日本中や世界中を探せば、あくまで殺し屋という仕事の一スキルでしかない私の技術より、上のスキルを持った人物の存在は否めない。


 ……だが、


 サイファーは思った。

 全くと言って抵抗や反撃が意味を持たない程の高みがそこにはあった。


 ドローンはあっという間に奪われ、無線を辿って電子ウィルスを送り込まれ、

 ホテルのネットワークにはあっさりと気付かれ、電子ウィルスを送り込まれ、

 宿泊客の携帯端末を遠隔操作して、ホテル内の様子を勝手に撮影しようとしたら奪われて、電子ウィルスを送り込まれ、


 こちらの収穫はゼロ。

 何かあった時のために用意していた通信回線にサーバーを五つも手放す羽目になった。


「何者なんだ……? 間違いなく相手には私を超えるハッカーが……」


 完敗だ。

 こちらからのアクションは華麗に対処され、そしてあちらはその正体を影も踏ませない。

 互いの腹の探り合いという意味で完敗以上の言葉はないだろう。


 ――いったい誰が……政府にこんな切り札が? それにしたって……。


 それでもやり合えばいくらか相手について分かるものはあるというものだが、今回の一件はそれすらない。

 それほどに互いのハッキング能力に差があったということだ


「……あり得ない」


 ハッキリ言ってそれは異常だ。


 サイファーの自尊心が敗北を認めないというわけではない。

 客観視的に評価した自身の能力から、そんな存在があり得るのか……と。


 認めたくない。

 認めたくはない……が。サイファーは現実主義者だ。

 常に現実を受け入れる。


 自身を上回る電子技術を持った相手が敵に居る……と。

 こちらのハッキングをあっさりと察知し、逆にハッキングを返すどころか電子ウィルスとついでに、


 ――「ばーか!」


 の一言を合わせて送りつけてくる相手に敗北したのだと。


 バキリッ。


 思い出したムカついたので更にもう一度地面に散らばった破片をサイファーは踏んづけた。


 仮にもサイファーはプロの暗殺者アサシン

 本来ならばあんな幼稚な言葉程度に心を乱されるわけはないのだが、地味に送られてくる度に「ー」が増える罵倒一単語はそんな鉄の精神力をも揺らがした。

 何が一番ムカつくといえば、そんな幼稚な罵倒を飛ばしてくる相手に負けたという現実だ。


 らしくもなく感情的な行動を発露させたのは、ここ数年で真面目に久しぶりかもしれない。


「……ふふっ。荒れているようですね」


「……っち」


 そんなサイファーに話しかけてくる人影が一人。

 恰幅のいい男だ。

 肥満というほどに緩んでいるわけではないが、身長はおよそ百八十センチ後半の上背を考慮に入れれば中々に威圧感がある。


 男の名は道成寺どうじょうじ

 道成寺どうじょうじ竜童りゅうどう

 勇ましい姓と名に似合わない何処かヘラヘラとした笑みを常に張り付かせた気味の悪い男だった。


「道成寺……帰ったか」


「少し……ね。ええ、上の方と話してまして」


「…………」


「依頼の進捗状態を気にされているようでして……」


「まだ期限内のはずだが?」


「ええ、勿論。ですが、どうにも苦戦している様子を心配為されたようで」


 道成寺竜童。

 いや、正確に言えば道成寺竜童を名乗る男。

 彼はサイファーに今回の依頼をした依頼人との連絡係。

 当然、その名前も偽名でしかない。

 とはいえ、他に呼ぶ名前もないのでサイファーは道成寺と呼ぶ。


「苦戦か……。まあ、想定外の事態があったのは認める。だが、期限内の行動に茶々を入れられるつもりはない」


「茶々などそのような……」


 くっくっくっと道成寺は声を低く笑い声を上げた。

 いや、嗤い声か。


「――なぜ、さっさと車を爆発させなかった? あの日、警察署で首尾よく爆弾を仕掛けた車に標的が乗った時点で爆発させればそれで済んでいたのに」


「……あの状況で爆破させれば無関係な人間が大勢巻き込まれた。私はテロ屋じゃない。結果さえ得られれば、どんな被害がでようがお構いなし……などというのは趣味じゃない。不必要な殺しはしない主義でね」


「はっはっはっ、信念というやつですかな? いやー、素晴らしい。とても博愛精神にあふれた殺し屋であらせられる」


 道成寺は小ばかにした笑みを浮かべ続けた。


「だが、そのせいで博愛精神のお陰で殺せる時を逸し……今もなお、標的が生きているのは明らかな失態でしょう?」


「…………」


 サイファーにとって殺しとは仕事。

 それ以上でも以下でもない。


 故に必要ならば犠牲として人命が巻き込まれることは許容するし不必要であるならばあえて巻き込むことはしない。

 それが線引き。

 別段、人の命を奪うことに楽しみを覚えて殺し屋をやっているわけではないのだ。


 あの時も標的が車に搭乗した時点で暗殺は成功したも同然の状況だった。

 急いで爆発させる理由もなく、だから被害を抑えるために橋の上で爆発させる手法を取った。


 あくまで暗殺を成功という前提の結果の中での調整。


 必殺の状況。

 何の影響も与えることはないという判断の元の行為だった……はず、なのに。


「…………」


「まあ、そこまでこちらとしても問い詰めませんよ。貴方の計画は完璧な手順で進んだ。いったい誰が爆弾の仕掛けられた走行中の車内から脱出できると思うか……」


「……逃れることは出来なかったはずだった。車が動き出した時点で既に爆弾は起動状態に入っていた。仮に搭乗してから気付いても遅い。ドアの再度の開閉にも反応して起爆する設定だった以上、逃げることなんて不可能。それも無傷で三人ともなんて」


「あり得ない……ですよねェ? 現実的に考えれば……でも、現実的な力があればあるいはどうでしょう?」


「……なに?」




「わかりやすく言えば……超能力、ESP、そんなオカルト染みた力があったとしたら――あるいはそんな不可能も可能に出来てしまう。そうは思いませんか?」



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