第六話:暗殺
そこは真っ黒な空間だった。
まるで宇宙のように果てが無く、闇に包まれたかのように暗い場所。
だが、恐ろしさはない。俗世の喧騒とは切り離された心が落ち着くような静寂に満ちた世界。
その中心で尊は新聞を開いた。
新聞に記載された発行日は――六月七日。
未来の日付。
題名にはこう記されている。
――「アイドル総理大臣、楠木マリア暗殺事件。捜査は未だに進展せず」
20××年の五月五日。
天去市に来訪していた楠木マリア総理が白昼の最中に暗殺されるという、日本の歴史的に見ても前代未聞の大事件についての記事だ。
一国の首相が暗殺されるという事態に国内は当然として国外にも影響を及ぼした。
完全な政治空白が発生し、市民も突如として起こった大事件に混乱。そこに「これは組織的な大規模テロ事件の予兆ではないのか」等という流言飛語が出回り、その影響からなのか円の価値が一時的に低下。それが更なるパニックを引き起こすという事態に。
「結局のところ、組織的な大規模テロ事件などは起こらなかった……。だが、国内の混乱は容易に収まることはなくその影響を引きずったまま――」
『肯定。日本は大厄災の日を迎えたと返答』
「最悪じゃないか……」
尊は溜息をついて新聞紙を折り畳むと放り捨てた。
すると新聞紙は光の粒子に変わるように空間に解けるように消けていった。
「そりゃまともに機能できるわけないし、異能者なんて新人類の登場に対応できないわけだな。社会は荒廃するし、当時の事柄が良くわかない程に動乱も起こる……そもそも大厄災以前に社会としての統制が危なかったわけだからな! ……よくこんなを持っているな?」
『回答。シリウス内に保存されたデータ群の中から検索。国立国会図書館跡から回収されたデータ群から抜きだすことに成功』
「ああ、そう言えば適当にこの時代に関するデータをとにかく乱雑に投入させられたと言ってたっけ……。それでか」
『肯定。仮称「Eデータ」』
「ふむ……見た感じ電子新聞というやつか。国立国会図書館跡からなら確かにそういうのも保存はするだろう。それに事件が事件だ。当時、それに関する記事なんていくらでも出ただろうし運良く残っていてもおかしくはない、か」
運は良かったのだろう。
さっき以外の新聞紙も受け取ったが櫛の歯が欠けたようにバックナンバーは抜けていた。
このことから察するに回収されたデータ群というのは本当に全体の一部というのがわかる。
「それにしても暗殺事件なんて……結局、その犯人は?」
『不明。少なくとも公式に逮捕されたや容疑者が判明したというなどの記録無し』
「犯人は不明のまま、か」
尊は新たな記事に目を落とした。
それは先程の記事よりだいぶ後の記事だ。
当時の日本の社会不安の分析が行われており、中々に気分が下がりそうな内容が続いている。
「未来でも……本来の歴史でも楠木マリアは殺された、か。考えてみればバタフライ・エフェクトが起こるにしても早すぎる気がする。それを考えれば当然と言えば当然なのか?」
バタフライ・エフェクトという言葉がある。
要するに因果関係の話だ。
物事、そして事象というのは複雑に絡み合っている。一見無関係に思える小さな事象も大きな事象へ発展する可能性は否定できない。
それこそ全ての事柄を正確に誤差なく観測出来でもしない限り、長期的な未来の予測は困難を極めるという話だ。
これは未来を改変しようとしている尊たちにとって無視の出来ない概念だ。
歴史はシリウスとアルケオスという異物が来た時点で既に変わっていると言える。
そしてその介入によって変化が起きれば、その変化による影響で尊たちの知らない別の場所で変化が起き、大きな別の事象へと発展する……。
あり得ない話ではないのだ。
「とはいえ、1匹の蝶の羽ばたきが竜巻を引き起こすにも流石に時間は居るはず」
シリウスとアルケオスがこちらに来たのは四月の中旬。
そして、爆弾が仕掛けられたのが四月の最後。
尊たちの行動の結果が巡り巡って引き起こすにはやはり時間的にも短すぎると個人的に考える。
「少なくともそんな短い間に首相の殺害計画が発生して即実行なんてのはいくら何でも……そう考えると元々以前からそういう話で進んでいた。無関係な正史での出来事と考えるべきか。日数がズレているのは気になるがそれこそこの街で色々あった影響で計画を早めたとか、単に正史では気付いた爆弾に偶々気付かなかったとか……そっちの方がシックリくる、か?」
引き起った事象ではなく、元から発生するはずの事象。
それが楠木マリア総理の暗殺であると尊の結論。
『考察。結論としては妥当』
「そう考えるとやっぱり……」
『推奨。ユーザーの提言は非常に重要度の高い命題であると評価。実証が必要』
「だよな」
『要請。速やかなミッションの遂行。これは使命の根幹に関わる事柄であるとユーザーに提起』
「そうなる……か。まあ、俺から言い出したことだけど」
その瞬間。
世界にノイズが奔った。
「ん、ああ、そろそろ戻らないと悠那のやつかな」
『了解。それでは領域の解除実行。……加速終了』
目の前に居た真っ白な少女の姿をしたシリウス。
彼女が何や手元にコンソールのようなものを現出させ操作を行うと途端に尊の意識は遠くなっていき、
「――って先輩、聞いてますか?」
「んっ、ああ……戻って来てたのか」
気が付くと別の場所に居た。
「そーですよ。気づかなかったんですか?」
「ちょっと、ぼんやりとしてな……」
「夜更かしですか? はい、コーヒー。買ってきましたよ」
「おう、サンキュー。昨日も遅かったからな」
「いえいえ」
正確に言えば戻ってきたというのが正しい。
――どうにも慣れない。いや、あんまり慣れるのも人としてどうかとも思うし……別にいいのか?
同一化したアルケオス内に存在する電子脳核内、その中に存在する管理サポートAIシリウスの電子空間。
初めてシリウス対面した空間でもあるそこが今の今まで尊の意識があった場所。
同期させることによって脳で処理する情報処理を高速化、電子空間内に意識を移していたのだ。
融合している以上、常に交信自体は出来るが単純にやり取りできる情報量が違う。
悠那が離れた数分の内に少し整理をするつもりで行ったが、体感としてはその十倍近い時間を圧縮している。その利便性は計り知れない。行っている最中はどうしても意識が集中するので、現実空間における尊の意識が薄くなるのが欠点といえば欠点ではあるが、
「それを補っても余りあるほど便利ではある。とはいえ、便利だからと慣れすぎると大事なものを失う気がするし……」
「ん? 何か言いました?」
「……いや、なんでもない」
悠那からコーヒーを受け取り、プルタブを開けながら尊はそう返した。
現実空間ではほんの数分。
だが、体感時間としてはその十倍近い差。そこにどうにも拭えない違和感が起こる。
――知覚を拡大させるのはこれがどうにも……。
情報処理速度を加速させ体感時間を引き上げるというのは便利ではあるのだが、感覚と実時間の進行のズレが発生する。
だからこそ、あまり多用することは尊は好んでいない。
「それで……」
とはいえ、それはあくまで日常の話。
便利な能力であることには違いなく、使える時には使うのは大事というもの。
「どうだった?」
「えっと、シリウスの言う通り特にそれらしき人は……」
「そうか……」
顎に指を添えて考え込む。
そして周囲の雑踏に意識を向けた。
尊たちがいる場所は天去市の中央区。
最も都市開発の進んでいるその一角、特に高級ホテルの連なっているエリアだ。
ホテル客のために整備されたのか一帯は少々学生には敷居の高そうな店舗が多く見られ、GWというのもあって道行く通行人も賑わっているがそのどれもが富裕層特有のどこか余裕のある雰囲気を纏っている。市内でも少しお高めの歓楽街として有名。そんなところに二人は居た。
親の遺産だけで生活している尊と悠那には普段はあまり縁のない場所……GWだから特別に遊びに来たということでもない。
ある目的があった。
「ええ、対象の――楠木総理の泊まっているホテルの周囲には特別それらしい人影は……」
「まあ、確認はしたが……やっぱ、増えていないのか。どうなってる? あんなことがあったのに……」
悠那の報告に舌打ちを一つ。
――厄介だな。これで本当に楠木マリアの命を守るなんて出来るのか?
それが二人がここに居る理由。
目的だ。
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