第五話(1/2):楠木マリア


 そのことにようやく気付いたのは今朝の登校の際、通学路の途中で偶然に耳に入ってきた話が切っ掛けだった。


「楠木マリアって知ってるか?」


 昼休み。昼食を共に過ごしていた尊は佐藤歩に問いかけた。


「そりゃ、現役の総理大臣くらい知ってて当たり前じゃないのかい? どのくらいって言うのは……まあ、個人差はあるんだろうけど」


 それに対し歩はこう答えた。

 実際、恐らくそれは正しいのだろう。

 政治に無関心で嘆かわしいとされる若年層でも何かとニュースで話題になりやすい楠木総理のことは顔も名前も覚えているのが大半だ。

 見目麗しいその容姿に初の女性総理大臣という肩書。

 そして何より、


「あの若さだ。二十代前半……確か二十三歳って話じゃなかったかな? それで総理大臣なんて……歴代初なんだから話題性抜群だよね」


 進む少子高齢化に我が国の選挙での投票率の低下。

 それらを理由に選挙制度の改正がなされたのが十年ほど前のこと。

 被選挙権も改定され、成人した時点で選挙に立候補することが可能となった。

 その結果、誕生したのが最年少女性総理大臣である楠木マリアという存在だった。


「制度上はまあ可能なんだろうが……若すぎるよな。当選した時も大した話題だったが総理大臣に就任した時なんか朝から晩までどの局もそのニュースばっかりで、俺はテレビのスイッチをしばらく切ってた覚えがあるな」


「あはは、懐かしいね。それにしても急にどうしたんだい? 君ってそういうのに興味があるタイプじゃなかったと思うけど」


「まあ、政治とかに興味は特にないしな。というか学生の身でそんな話はしないだろ」


「いや、政治とかそういう話じゃなくて……ほら、楠木総理って有名だろ? 肩書にこの美貌だ」


 そう言って歩が見せた端末の画面に映っているのは――薄く赤みがかった髪を持った女性の姿。楠木マリアの映像。

 アイドルあるいは女優と言われればそのまま信じてしまいそうになるほどの端麗な容姿。

 そしてどこか浮世を離れた雰囲気。


「まあ、な……」


 それは昨夜の尊のの姿。

 確か北欧の血も混じったクォーターという話をニュースか何かで聞いた気がする。

 異名が付くのも納得の容姿だ。


「ファンクラブもあるって話さ」


「総理大臣のファンクラブってのも……いや、後援会的なのならわかるが」


「もっと世俗的なものさ。なにせ付いたあだ名は――アイドル総理だよ?」


「……前から思っていたがその異名って褒めてないよな?」


「さあ? どうだろうね」


 ニュースでも度々出てくる楠木マリアの異名。

 一応はその際立った容姿を称賛する意味にも聞こえなくもないがその裏の嘲笑に近い感情を察せられるのは尊の気のせいではないだろう。

 人気という意味ではその肩書、そして容姿から絶大なものがあるとはいえ口さがないニュースのコメンテーターからは中身のないただの客寄せパンダだと貶されている光景を見た覚えもある。


 実際、中らずといえども遠からずと言えるだろう。

 真っ当な手段でその若さで総理の座に就任できるわけもない。

 つまりは神輿、あるいは傀儡。

 そういう噂話。


 まあ、有名人にはそういうものはつきものだが。


「まあ、色々とあるよな……」


「ああ、ワクワクするよね。初の最年少女性総理就任の謎……っ! 裏ではきっとドロドロとした陰謀渦巻いていたに違いないよ!」


「お、おう」


 ふへへっとどこか恍惚そうに笑みを浮かべた歩に尊は引き気味に答える。

 基本的には目立たなく地味な癖だが刺激を追い求める内面は知ってはいたのだが……。


「趣味が悪いぞ。今更だが……」


「いいじゃないか、別に誰に迷惑をかけるわけでも無く自分だけで楽しむ分はさ。それはともかく、やっぱり意外だね尊くんがそういう話を振ってくるのは……。ああ、もしかして噂を聞いたのかい?」


「ああ、まあな」


「楠木総理がこっちに来るって話か」


 歩のその言葉にうなずいて答えた。

 登校時に聞いたのは確かにそんな噂話だった。偶然耳に入り、楠木マリアの名前から想起された顔と昨日助けた女性の顔が一致してしまったのが不運だったというか何というか。


 ――いや、でも急に関連付きかないだろ? 助けた相手が自分の国のトップとか……ねえ?


 色々と手間が起きた昨夜のことを意識して深く考えないようにしていたのが失敗だった。

 尊は全く気付きもしなかったことに対する言い訳を内心で呟いた。


 ――気付かなくても当然だよな? 俺って常識が無いわけじゃないよな? 自分の国のトップの顔も気付かなかったなんてそんな……うん。


 ちなみにシリウスは気付いていたらしい。


「天去市の開発計画には国も深く関わってるって話。その観点からもうすぐGWというのもあって視察というかイベントに近い形で……っていう風の噂」


「そんな話があったのか」


「まあ、尊くんたちは入院やら何やらで忙しかったからねぇ。それに興味を示すタイプの内容じゃないでしょ? 尊くんにとっては。だから特に言わなかったんだけど」


「それは……まっ、そうだな」


 実際に喋られていたところで聞き流してだろうことは想像に難くない。

 なので尊としては歩に思うことはないのだが……。


「それにここ最近はこの天去市では色々あったしね。福音事件やらなんやら……ああ、昨日なんて八沼川の大橋の方でも結構な事故が起きたんだって。ちょっと最近トラブル続きだよね」


「へえ、そうなのか。知らなかった」


 ――そう言うことになっているのか。まあ、爆弾を仕掛けられた車に乗っていた人物がそうなると迂闊に公表できるものでもない……か。


「色々とトラブル続きでそういう雰囲気を払拭するためにも予定されていた通りに視察のイベントが行われればいいんだけど」


「どうだろうな」


「一国の総理大臣が身近に来ることなんて滅多にないだろうしね。それに何か面白い事件が起きてくれれば……」


「いや、事件なんて期待するなよ」


 もう既に事件が起きていることを知っている尊は呆れながら言った。

 元より爆弾による計画的な殺人未遂事件という重大事件ではあったが、実態は国のトップを殺害しようとしたテロ未遂事件にランクアップだ。

 出来れば知らずに済むなら知りたくもなかった事実だ。

 そんなことを知る由もない友人に対して羨ましくもなる。


「そうかな? 第三者として見るだけなら無責任に期待するのが人の情ってものじゃないかい?」


「そりゃ、第三者としての立場なら――」


 俺だってそう考えていただろうが、そう続く言葉を尊は呑み込んだ。

 言った所で意味は無い。

 自身もあくまで他人事という立場ならば、今月に入っての不可解な事件の連続に非日常の匂い感じ取って楽しんでいたとは思うからだ。


「ボクはね、思うんだ。何かが起ころうと……そして始まろうとしてる。ここ最近の空気を感じてそう思うんだよ」


 尊の様子など気に留めた様子もなく歩は続ける。


「きっとこの街を始点としてとても愉快なことが……いや、あるいはもうすでに。それを考えるだけでワクワクする。最高の娯楽じゃないか、そんなものを遠目にだだ傍観者として鑑賞するなんて」


 歩の紫色の瞳がこちらを見た。


「そう思わないかい?」


「お前……控えめに言って本当に性格悪いな。というか性根か……この場合」


「酷いなぁ。人のエゴに理性に欲、ぶつかり合って混ざりあって混沌になる。その様子を眺める、知る。退屈の対極……とても素晴らしいじゃないか」


「…………」


 真剣な目だ。

 いや、どうなのだろう。

 深いアメジストのような輝きを放つ歩の瞳は時折引き寄せられるような不思議な引力を放つときがある。

 異能の話を聞いた時、真っ先に異能の一種ではないかとも疑ったこともあるくらいだ。


「ふふふっ、愉しみだなぁ」


 一体何を期待しているのか不吉に嗤う一応友人枠。

 尊はため息をつきながら一言。


「……とりあえず、口元にパンくずついてるぞ」


「おっと、これは失礼。今日は焼きそばパンの気分でね」


 手早くハンカチを取り出したかと思うと口元を拭う歩を眺めながら続けた。


「ただ総理大臣が近くに来るってだけでよくもそこまで興奮出来るな……。そりゃレアなイベントではあるだろうが、だからといって事件やなんやらとよく発想が行くな。そういうのばっかり偏って期待しているだけかもしれんが」


「失敬だな。退屈なことが嫌いで刺激になるようなことを好むことは確かだけど、だからといって不幸やら災難事のみを好んでいるわけではないよ?」


「どうだか」


「本当だって。楠木総理に関しては……と微妙な立場だって噂を聞いたんだよ。話題性があってルックスも美貌もあり、人気も知名度もある彼女だけど――案外敵も多いって話」


「敵……ね」


 普通ならばこの手の噂話など真面目に受けとめるのもバカらしい類のものだ。

 順風満帆に進んで斬る人間に対して根も葉もない下世話な噂が流れるのはある意味では必然と言ってもいい。

 なのでこういうのはそれこそ陰謀論者でもなければ端からバカバカしい話の種でしかないという前提に立ってするものだ。


 とはいえ、爆弾によって殺されかけたという尊は事実を知っているわけで……。


「だから、ほら……何かが起こるかもって」


 冗談めかして口にした歩の言葉。

 それにどうにも不吉で嫌な雰囲気を感じたのは錯覚だったのだろうか。


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