第十八話(2/2):火島那蛇
まともな人間ならば狂人の戯言、聞く価値も無いと聞き流す言葉だ。
だが、それは、
「う、運命なんて……」
「あの日あの時に死ぬのが定めであり摂理、神の願い……だというのに。それなのに愚かしくも逃れようなどとは……」
どうしようもなく悠那の心に刺さってしまった。
ずっとずっと思っていたのだ。心の片隅の方に出来るだけ追いやっていたけど。
――もしかしたら、やっぱり、私は……。
「この日、この街は火に包まれる。あの男も私に殺されるだろう。命惜しさに生きたいなどと……運命から逃れようなどと考えたからだ」
無茶苦茶な理論だ。
悠那の冷静な理性の部分はこんな戯言を聞くことなど無いと訴えている。
加害者は男のほうなのだ。
それなのに被害者に対してお前が全ての原因だと詰っている。
おかしな話だ。
だが、他ならぬ悠那自身はその理屈の理の字も無いその言葉をなぜか強く否定できなかった。
思ってはいたのだ。自分がグズで鈍間で何も出来ないだけの観測者……それだけならいい。けど、家族のことそして二度も助けてくれた先輩のこと。二つはともに大切な存在で、でも片方は死に……もう片方は二度も死に瀕して。
――もしそれが私のせいだというのなら……。私は……っ!
悠那がそんな思考に逸れた……その一瞬。
男は気付けば目の前までにまで距離を詰め、
「罰だ」
「っ!?」
遠慮のない蹴りが悠那の腹部へと叩き込まれた。
「がっ……うぐっ!!」
蹴りの衝撃に溜まらずに後方へと飛ばされるも壁にぶつかり、そしてそのままズルズルと壁を背にして悠那は横に倒れた。
「ごほっ、ゴホゴホっ! おえ……っ!」
無防備に食らってしまった腹部への衝撃、悠那の口から溜まらずに逆流してきた胃液がコンクリートの地面を汚した。
食事が喉を通らずに栄養ゼリー飲料で誤魔化してて良かったな……などと思う間もなく男は悠那の再度蹴り上げた。
まるでサッカーボールでも蹴るように腹に向けて放たれた蹴りに咄嗟に身体を丸め、そして転がるように地面を滑っていった。
「あっ、ぐっ……」
身体の全身が痛い。
地面も壁もコンクリート。それに叩きつけられ転がされて、どこが痛いのかもわからない程。
だが、呻き声を上げながらもそれでも動こうと悠那は藻掻く。
――このままだと……私はまた何も。
「無駄」
そんな努力を嘲笑うかのように男は近づき、そして何でもないかのように足を振り上げ、
ぐきゃり。
そのまま垂直に悠那の左足目掛けて振り下ろした。
「っ!? あぁぁああぁああああっ!!」
初めて感じる灼けるような痛みに悠那は絶叫する。
折れた。間違いない。
骨折はしたことはないが何かが折れる感触にこの痛み。
例え折れていないにしてもまともに動くことが出来なくなったというはわかった。わかってしまった。
「二度……いや、三度か。逃がすような真似をすると思うか?」
それは逃げられなくなったということで……。
「ぁぅ……ぐっ」
「私が何度も! 何度も! 繰り返すと思うのか!」
突如、激昂したかのように興奮した男はそのまま蹲って動けない悠那に暴力の雨を降らせる。
蹴りつけ。
「や……めっ、あぐっ!」
踏みつけ。
「うぎっ……がッ!」
踏みにじる。
「あぎ……ッ!」
ただただ、感情を発散するための行為でしかない。
何度も何度も繰り返したかと思うと男は唐突に終わらせ、息も絶え絶えになった悠那の喉を右手で掴むとそのまま持ち上げた。
「か……はっ!! うぐっ……ぁ、離し……」
男の身長は悠那よりも高い。首を掴んだ状態で肩まで上げれば、悠那の身長ではつま先立ちをしてギリギリその位置に首が届くか届かないかといったところ。
――息が……!
首を締め上げられ苦しさに暴れるも腕はびくともしない。意識が少しずつ遠のいてくのが妙に冷静に実感できる。
「や……めっ……!」
意識を失くしたら終わりだ。その時が自身の最後になる、それがわかるからこそ死に物狂いで暴れるも、男はそんな悠那の様子を虫でも眺めるかのように包帯の隙間から見ている。
「………ふむ」
腕の力を一切弱めることもなく、男は心底不思議そうに悠那の顔を覗き込む。
「がっ……あっ……!」
――ダメ……っ! 意識が……
それを気にする余裕もなく、悠那は最後の力を振り絞ろうと――
「キミは何故……そんなに生にしがみつこうとする? 死にたくない理由でもあるのか?」
「……ぁ、あっ……?」
それは悪意や揶揄するものではない、理解できないのでふと聞いてみた……そんな純粋な疑問からの問いかけだ。特に返答を期待しているわけでもない口から零れただけのもの、だがそれは確かに悠那の中の何かに罅を入れた。
――生きたいだなんてそんなの……そんなの当然の……。
本当に?
家族はもう居ない。友達も居ない。
誰も居ない家に帰って、誰にも言えない苦しみを背負って息を殺すように未来に怯えて過ごす日々。それがこれまでの悠那の生。
――それを続けたいの?
身体から力が抜けていくのを感じる。
「キミはこれより神の御座へと至るのだ。それは幸福であり、キミの人生に価値があったという証明……恐れることはない」
先程までの激情など忘れたかのような、優しく労わるような男の声。だが、言っている内容は多くの者をこれから殺すという狂った宣言。
酸欠ぼやけていた思考が少しだけ戻る。
――そうだ……っ! 私が……私が頑張らないと大勢の人が……!
それがわかっているはずなのに裏腹に身体は徐々に鈍くなっていく。
痛めつけられた身体の痛み、呼吸を阻害されて白くなっていく意識、そして何より……男の問いかけに対して答えを窮してしまった自身に気力というものが抜けていくのを悠那は感じた。
「……ぁ……ハ……」
酸欠によって混濁する意識の中、何故だか笑いが込み上げてきた。
最後の最後に今まで目を逸らしていたものを突き付けられてしまったからだろうか。
「では、楽にしてやろう。……それがキミの定められた運命だ」
男の空いた左手の先に真紅の焔が立ち昇った。
どうやらこのまま絞め殺すのではなく焼き殺すつもりのようだ。だが、そうとわかってももはや四肢からは力が抜けきり指一本動かすことすら叶わない。
――運命かー。運命なら……しょーがない……のかな。
「それは困る」
瞬間、衝撃音と共に男は大きく弾き飛ばされた。
突如として飛びかかってきた何者かによる攻撃、問答無用の勢いで放たれたそれに咄嗟に反応することには成功するも諸に受けてしまったためだ。
「けほっ、けほっ……ごほっ……」
襲撃者への対処を優先したため男の手から解放された悠那、状況を掴もうにも身体はせき止められていた呼吸を再開するのに忙しく思考がまとまらない。さらには
「な、にが……っ……ぁ……」
ぐらりと身体がよろめいた。
失神一歩手前まで首を締め上げられていたために脱力していた身体にはろくに力が入らない。ふらつくままに硬いコンクリートの床に倒れ込みそうになり、悠那は咄嗟にその衝撃を覚悟し目を閉じるも――
「き、さま……また邪魔をするかぁ!」
「そりゃするさ、こちとら二度も助けたんだぞ命がけでな。それを無駄にされるなんて真っ平ごめんだね」
ぽすん。
倒れ込むより先に誰かの腕に抱きとめられることによって防がれた。
自身のような華奢な女の腕とは違う、がっしりとした暖かい腕の感触。それは悠那の記憶に新しいもので……そして、ここにあるはずの無いもので。
都合が良すぎる、なんて思いながらも熱いものがこみ上げてしまう。
「彼女が私に殺されるのは運命! 神の意思だ! それを阻もうなどと……許さんぞ!」
「意味の分からないことを喚きやがって……ただ女子を付け回して殺そうとする変態野郎が! 運命だの、神の意思だの……こっちは世界を救う予定が控えてるんだ! その程度――何だってんだ!」
滲みぼやける視界で悠那は顔を上げた。
そこには……。
「せん……ぱ……い……?」
「よう、助けに来たぜ」
緋色尊がそこに居た。
まるで当たり前のように。
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