第十八話(1/2):火島那蛇



 火島那蛇という男にとって人生とは淡々と進むものだった。


 裕福な家庭環境に生まれ勉学や運動など人並み以上に備えて生まれた苦労というのは縁遠い言葉だった。

 無論、勉学にしても運動にしても上を見れば火島以上に出来る人間は存在していた。

 だから自身を何でもできる天才だとまでは驕ってはいなかったが、それでも少し努力をすれば上位を取れる程度には才に溢れている自覚はあった。

 それに自身が頂点を取るというほど、火島は物事に情熱や気概を持てるほど熱くなれる性格ではなかった。


 別に万事物事を冷めて見ているというわけでもない。


 人付き合いは殊更好きでもなかったが嫌いでもなかった。

 友人と呼べる程度の関係性のある人物ならいくらか居た。

 馬鹿をやって楽しんだ経験が無いわけでもないのだ。


 ただ、良くも悪くも感情の揺れ幅小さいのが火島という男だった。


 そんな火島にとって人生の転機が訪れたのは大学生の時だ。

 将来的に司法書士にでもなろうかとふと思いつき入学した法科大学で一人の女性に出会い、そして一目惚れをしたのが正しく転換点だった。


 ――まさか、私が……こんな。


 愛だの恋だのという概念は火島にとって遠い世界の概念だと思っていた。

 だが、なるほど……恋というものは本当に唐突に落ちるもので不意に殴りつけるようにやってくるのだと理解させられた。


 ――えっと、よろしくお願いします。


 それからは今までにない苦労の連続の日々だった。

 これまでの人生においてやろうと思ったことは大抵は出来た。

 失敗らしい失敗もなく生きてきた火島はこれでもそういうプレッシャーには強いという自負もあったのだが、もしかしたら嫌われるかもしれないという一抹の不安は思考を鈍らせに足るものがあり、それこそ普段どんな人種がこんなものを買っているのだろうと本気で不思議がっていた恋愛雑誌にすら手を伸ばし熟読するほどに追い詰められていた。

 後から考えればなるほどバカらしいほどに火島は初めての情熱に振り回されていた。


 だが、それは決して嫌な苦労ではなかったと……そう思う。

 そして、六ヶ月のアプローチの末に交際までこぎつけることが出来た日。

 確かに火島は幸せという言葉の意味を理解した。


 しかし、その幸せは長くは続かなかった。


 交際を始めて一ヶ月。

 四度目のデートの日。今度はキャンプをしようという話になり二人で計画を練って目的の山に向かっている最中……火島たちを乗せた車はトンネルに差し掛かった崩落事故にあった。


 ――流星群! 流星群があるんだって! 一緒に見に行こう! 那蛇くん!


 ――楽しみだね。私こういうの憧れがあって……ありがとう。


 結果だけを述べるなら火島は事故発生から三日後に救助隊によって助け出された。

 自身も重傷負って生死の境を彷徨いながらも腕の中にかつて恋人だったものを抱いた状態で……。

 そして病院に運ばれ三ヶ月の昏睡の果てに目覚めた火島は――。



 ガキィン。



 五年前の出来事。

 忌まわしくも忘れ難き記憶を思い出しながら、火島は背後から音もなく振り下ろされた鉄パイプを見もせずに右手で弾き飛ばした。

 カランカランと襲撃者の手から離れ飛ばされ音を立てて転がっていく鉄パイプに眼もくれず火島は語り掛けた。

 常より鋭敏になっていた火島の五感は自身を尾行している存在について当たり前のように捉えていた。

 だからこそ、それは不意打ちになっていないし何よりも殺意が足りていなかった。


「やあ、キミの方からきてくれるなんて。やはりこれは神の思し召しというやつか?」


 振り向いた先に居る灰色の髪の少女に。

 この街に来て十三番目の贄と決めた少女に火島はそう笑いかけた。






「……っ!?」


 悠那は驚愕した。

 見もせずにその一撃を払われたことに……ではない。


 そもそも悠那という人物は誰かを傷つけるような行動、それどころか考えることすら得意としない質だ。

 男がやろうとしていることの危険性がわかって、ようやく昏倒させようと行動が出来るぐらいに。

 そんな性格である以上、誰かに向かって攻撃するということ自体が初めで不慣れ。

 しかも相手はここに来るまでに何人もの警備員をあっさりと打ちのめし施設の中を進んでいった相手だ。

 何やら巨大なタンクのような場所を見上げぼんやりとし始めていたのでその隙をついた……つもりではあったが、その実そんなに上手くいくとは思ってもいなかったからだ。


 だからこそ悠那が驚愕したのは攻撃に失敗したことではなく――


(今の感触は……なに?)


 腕がジンジンと痺れている感覚。

 まるで硬いものを思いっきり金属で殴ってしまったような衝撃。

 それが腕の中で残響している。


 男は確かに一撃を払った時に鉄パイプを右腕で受けた。

 その時の衝撃なのだろうか?

 少なくとも何か服の中に仕込んでいる様子は見えない。人を鉄パイプで殴ったことが初めての体験なので何とも言えないが……、それだけは悠那にもわかった。


「っ、貴方は一体何のためにこんなことを……今すぐやめるべきです。何をするつもりなのか本当にわかってやっているんですか?!」


「おや? 私が何をやろうとしているのかわかっているのか? ふふっ、通じ合っているのかな?」


「馬鹿なことを……。この施設ごと街を燃やしてしまおうなんて……やめてください! こんなことして一体――」



「ああ、一体……どれだけ死んでくれるかなぁ?」



 ケタケタと調子の外れた笑い声を上げる男に悠那は無意識に一歩後退った。

 止めなければという使命感より、男という存在の得体の知れなさがその行動を起こさせていた。

 確信する。

 包帯の下でどのような表情を浮かべているかはわからない。それでもくぐもった笑い声からこの男は、



 



 人を殺すことに自身が悦びや享楽を感じているわけでもない。ただの手段として男はそれを実行しようとしていた。


「ここは谷津崎化学コンビナート。知ってるか? コンビナートってのは原油を受け入れる施設、製油所、ナフサをさらに細かく成分分けするエチレンプラント、そして分けられた成分を使用してそれぞれにあった製品を作る多くの各種工場等が複合している。効率を考えてそれぞれをパイプで結んで成分を供給している事が多い……ここもそうだ。つまり、一つが爆発炎上すればパイプで繋がってるから連鎖的に……まあ、もちろん。もしもの事故を考えて色々対策はしているんだろうが……」


 薄く笑うように男は右手を上げる。掌を上に向けるように。

 すると当然のように生まれる炎の球。遠目から見ると美しく見えるそれが向けられる相手にとってはどれほど恐ろしいものであるのか悠那は知っていた。


 ……全身に緊張が走った。

 次に瞬間には自身が死んでいるかもしれない。そんな恐怖。


「こんな力は……想定外だろうさ。それに他にも燃やしがいのある中身のガスタンクやら何やらはたくさん。手の付けれらない大火災に育て上げることはそう難しくない」


「だから……っ! なぜ、そんなことを!」



「――神の声を聞いた。だから捧げなくては……供物を」

 


「……は? 何を」


「ずっと不思議だった……何故私だけ生きている? それには何かの意味があるはずだ? 役目があったからこそ、私はこうして生きている」


「な、何を……」


 悠那は気付いた。

 目の前の男は自身と会話していない、ただツラツラと独白を流しているだけなのだと。

 ただ自己の世界に埋没している。

 だが、その独白は意味不明でありながら悠那の心の柔らかい部分を削った。


 ――未来が避けられないなら……せめて一緒に。


 あの日。そんな思いで家族一緒に過ごした。

 だが、悠那だけは生き残った。生き残ってしまった。

 みんな。みんなみんな死んだのに。


 なぜか悠那だけは生き残った。


 ――あそこで私が死ぬ未来は観えなかった。運命じゃなかった。だから死ななかった。


 ――なら……観えてしまったら?


 それが家族を亡くした時からの悠那の絶望。

 巫城悠那はただ死の未来に辿り着くために今という時間を生きている。

 この力に何か意味があったのではないか、なにか役目があるのではと探したこともある。

 

 ――でも私はどこまでいっても観ているだけの……観測者。


 少し先の未来で途轍もない厄災が起こることがわかっても、その時にはすでに死んでいる悠那には何もしようがない。


 ――何も為せない、意味も価値もない人生。


 自身のこれまでの人生をそう定義する悠那にとって男の独白は少しだけ共感してしまうものがあった。

 人が前に進むためには意味、役割、目標……そういうものを求める。

 そのどれもを持てなかった悠那は知っていた。


「……だから供物を捧げるのだ。それが私の役割だから」


 だが、共感できたのはそこまでだった。


「あの事故で彼女は逝ってしまった。崩れていく土砂に押し潰され……目の前で」


 包帯の隙間から見える紅く輝く瞳には狂気が宿っている。


「………」


「だが、私は生き延びた! 選ばれたからだ! あの時! 私は確かに大いなる意思を……感じた!」


 男は陶酔したように叫ぶ。

 それは失った男が再起するためには確かに必要なことだったのかもしれない。


「これは儀式だ。供物をささげることで私は神へと近づくことが出来る。一人、二人、三人……積み重ねること十二を超えて遂に祝福を賜ったのがその証明。だからもっとだ……もっと!」


 だが、その過程において男は恐らく色々なものを捨てたのだろう。

 きっともっと持っていたはずのものを捨て去って男は……何かに成って果てようとしている。

 悠那は止めなければと思った。

 元からそのつもりではあった。だが、それを強く思い直した。


 ――何とか隙を作って……それで。


「十三番目の贄を捧げ、私は更なる高みへと辿り着く。その力を持ってすれば、あの忌まわしき男も今度こそ確実に……祝福を受ける者など私以外には要らない。有ってはいけない」


「祝福……超能力……先輩のことですね。そんなことは……っ!」



「少女よ! 運命だ。宿命であり天命……それに逆らおうとするな」



「……っ」


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