第十七話:愚者


 天去市南区は太平洋に面している。

 だが遊泳区というのはあまり存在しない、海岸線付近は工業地帯としての側面が強いからだ。

 火島はその一角である石油コンビナートの区画に忍び込んでいた。


「ああ、そうだ。初めからこうしていればよかった」


 数時間前まで負傷で苦しんでいた人物とは思えない、軽快な動きで火島はずんずんと突き進んでいく。


「お前、こんなところで何を――」


「ああ、失礼。少し通るよ」


 ごきりっ。

 恐らくは警備会社の人間だろう。

 顔に包帯を巻いた不審者が入り込んでいるのに気づき、対応をしようと声をかけたのが運の尽きだった。

 言い終わるより早くに距離を踏みこまれ、そして顎に拳を一発。

 崩れ落ちるのように倒れ伏した。


「……やり過ぎたか? まあ、いい。殺しはしない……私にはそれより先にやらなければならないことがある。そこで眠っているといい」


 そう言い捨てるとさっさと火島は歩きだした。

 自分でもテンションが上がっているという自覚はある。


 だが、どうにも昂る気持ちが収まりそうもない。


 ――酔いたくもなるというものだ。絶好調。傷も治った! 身体も羽のように軽い! 力が湧いてくるようだ!


 今の火島は一種の全能感に近い何かに支配されていた。

 負っていた傷が無くなったのもそうだが、自分という生物ががそれを後押ししていた。

 生来の用心深さや冷静さは影を潜め感情のままに突き進む。


 ――相手がどこに居るかわからない? 勝てるかわからない? なんてどうでもいいことで悩んでいたんだ。



「そんなの――街ごと灰にしてやればいい」



 なんてこんな簡単なことに気付かなかったんだろう。


 火島はそんな自分に疑問すら覚えたが、まあ今はそんなことはいいだろう。

 相手がこの街に居るのは間違いないのなら街ごと全てを燃やしてしまえばどんな力を持っていようが関係ない。

 始末することは出来るはずだ。


「……もうすぐだ。もうすぐだからな」


 包帯の下で嗤いながら軽い足取りで施設の中に入っていく。

 祝福を授けられた自身にただの人間がその歩みを妨げれる道理はない。

 所詮は民間の警備会社の警備員程度ではどうしようもないというのをわかっているからだ。


 火島は出会う警備員を片っ端から相手を打ち倒しながら進んでいき、


 ――その後ろを一つの人影が追っていた。





「……ふむ。まあまあだな」


 作り置きされていたお粥を温めなおしレンゲで咀嚼しながら尊はそう一言呟いた。


 ――いや、普通のお粥のように思えるし……単に空腹すぎるだけか? まっ、腹に溜まるなら何でもいいか。


 負傷を治すため自然治癒力を促進させた代償として尊の肉体はエネルギーを大量に消費し続けた。

 胃の中の物など寝ている間にすっからかんであり身体はとにかくエネルギーを欲していた。


 とにかく空腹でありそのため今なら何を食べても美味しく感じるだろう。

 そう考えながら無心でかき込む。


『整理。狙われた対象は巫城悠那であり、ユーザーはそれを救助した結果あのような状態になったと。その情報を踏まえると巫城悠那の態度にも納得が出来ます』


 もぐもぐ。ごくん。


「まっ、そうだろうな。どうにも俺とアイツの間で齟齬があった気はしたが……。最初に学校でぶつかった時のあの態度……巫城からすれば幽霊を見たようなもんだからな。しかも自分のせいで死んだと思っていた相手……となればそうもなるか」


『同意。現場の状況からすれば論理的な帰結です。その後に肉体の一部の発見もあればそれは確信へと変わる。誤解するのも無理からぬ事かと』


「実際に発見された右腕が俺のなのは事実だからな……。シリウスとアルケオスが居なければそのまま亡くなっていた。そして俺は巫城と覚えていないままに再再会するもボヤ騒ぎのせいで次の日から引き籠ったから……」


『捜索。彼女はユーザーのことを学校に行かずに街で探していた、と』


「…………」


『ユーザー』


「……なんだよ」


『結論。やっぱりあの廊下での接触はフラグだったのでは?』


「言うなよ……。俺も思ったけど」


 それはともかくとして。


「ふん……犯人に自分が狙われていたことを忘れてたんじゃないか? あのバカ。見つからなかったのはただの運だぞ」


『分析。自身がユーザーを犠牲に生き延びてしまったという罪悪感によるものではないかと推測します』


 ――ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


「……っち。――それが馬鹿だって言ってんだ」


 それは寝ている間に判明したある情報の共有として見せられた映像だ。


 よほど疲れていたのか看病の最中、尊の手を握り少しの間だけ転寝をする巫城の姿。

 そしてその口から苦しそうに零れるうわ言。

 あまり見て気分のいいものではない。


 だが、シリウスのやることには必ず意味がある。


「それで……本当なのか? 巫城のやつも異能者かもしれないってのは?」


『論拠。可能性としてですが、この時にCケィオスの反応を微かに感知しましした』


「じゃあ、なんでアイツは異能で《拝火者サラマンドラ》に対抗しなかった?」


『仮説。異能そのものが戦える能力ではない。あるいは才能はあるがまだ発現しきっていないと考えられる。あるいはまだ無自覚なのか。仮説として色々と考えられますが』


「まあ……考えても仕方ないか。それにしてもあのバカ……」


 尊は焼き焦げた自身の携帯端末。

 否、携帯端末だった残骸を摘まみ上げる。


「こんなの持ってたって仕方ないだろうに……知らないやつが助けてくれて儲けた――ぐらいに思っていればいいのに」


 ――まあ、出来るような器用なタイプにも見えなかったけど。


「……呆れるなホント」


 ――それで最後の時の行動がアレか。


 尊は思い出す。


 サラマンドラの最後の一撃が放たれようとした時のこと。

 何ができるわけでもない癖に尊に駆け寄ろうとしていた彼女のことを……。


 罪悪感のためだろうか?

 自身のために誰かが死に自身が生き延びた。

 そんな罪悪感から逃れるために……いや、流石にそれは穿って見過ぎか。

 もっと単純にただ尊を助けようとしたのだろう。


「…………」


 呆れるほどバカである。

 信じられないほどバカだ。


「ほんと嫌になる。好奇心に身を任せて廃ビルに入ったら、明らかにヤバそうなやつに女の子が殺されそうになってるし、見捨てるのも心苦しいからと逃がしたらな戻ってきた犯人はもぬけの殻になってた部屋を見て絶叫したと思ったら炎上して……部屋の隅に隠れていた俺は巻き込まれてあの様だ」


 思い返してみれば完全に余計なことに首を突っ込んだ結果だ。

 それに考えてみれば公園での一件も思えば最初に狙われていたのは巫城だったような気もする。


「あの時は合間に居た巫城ごと俺を狙ったものだと思っていたが……。よくよく思い出してみれば《拝火者サラマンドラ》はビルの中を火の海に変えた後、すぐに逃げて行ったから隠れていた俺に気付いてなかった可能性は十分ある。それを考えると俺はターゲットですらなかったのかもな。公園で襲われたのもあくまで巫城を狙ったものだったとしたら……」


『回答。ユーザーが短期間に二度も死に瀕した全て、巫城悠那の巻き沿いということになる』


「全く……あの女、不幸でも運んでやがるのか?」


 好奇心は猫をも殺す。

 そんな諺もあるがいくらなんでも……と思わなくもない。


 あの日、あのビルに入り込まなければ。

 巫城悠那なんて助けようとせずに見捨てていれば。


 など益体のないことと分かっているのにそんなことを考えてしまう。

 何せ二度も命を救ってこっちは二度も死にかけたのだ、それぐらいちょっと思っても誰も文句は言いはしないだろう。



 ――………ひっぐ、えっぐ……よかった……


 ――うぇえええええぇぇぇん!!よがっだぁぁああ!よがっだよぉおおお!



 とはいえ。


「……今更、そんなことを考えても仕方ないか」


 ふっ、と笑みがこぼれた。


『疑問。……なぜ笑っているのでしょうか?』


「……なんでもない。過ぎたことをグチグチ考えても仕方ない。どのみち、もう二人ともターゲットとして捉えられてるんだろうしな」


 あのぐちゃぐちゃになって泣き喚いていた顔を思い出すと……助けなければよかった、と思うことが出来なかった。


「あー、もういい。それよりもだ。巫城の奴はどのくらいで帰ってくる? 一先ず、今後の予定を話し合う必要がある」


 話を切り替えるために尊はシリウスに尋ねた。


『確認。巫城悠那との情報共有はユーザーの希望によって一時停止中、解除実行で問題ないでしょうか?』


「問題ない。お前に先に話しておきたかったというのもあるけど……なんていうか自分自身の気持ちの整理のためというのが大きかっただけで……それに――」


『疑問。それに?』


「……っ、な、なんでもない。いいからさっさと呼び戻しておいてくれ」


 尊はふと過った考えに少し気恥しくなり、そうシリウスを急かすことにした。

 自分でも子供っぽいと思うがそれは譲れない性分。とはいえ認めるのもやや癪に障るものだ。


『了解。では、端末のシリウスとの情報同期を開始します』


 そんなことを知る由もないシリウスは指示された通りに巫城に渡した端末を介して情報伝達をしようとし、


『報告。緊急事態』


「は?」


 茶碗に残っていた残りのお粥を処理した後、さらに鍋からお代わりをよそうかどうかに思考が移っていた尊が間の抜けた声を上げた。


『内容。巫城悠那が突如端末を放棄し何処かへ走り出しました』


「………………は?」


 情報を整理するのに十数秒ほど要し、寝起きにも関わらず何かが起ころうとしていることを察した。






 十数分後。

 嫌な予感がして尊が急行したのは最後に巫城の姿が確認された地点。

 即ち、端末が捨てられた場所にやってきていた。


「あっ、こんなところに」


『悲哀。シリウスのボディに泥』


「いや、お前にボディなんてないだろ」


 ジョークなのか真面目に言っているのかわからない発言にツッコミを入れつつ尊は辺りを見渡した。

 シリウスがリンクしている時点で端末を回収するのは難しくなかった。

 端末とそして中身の入ったレジ袋は大通りの交差点から少し離れた街路樹の根元に無造作に置かれてあった。中身を確認するとガーゼに薬用軟膏、それに栄養価の高い食品がいくつか……間違いなくシリウスの言っていた通りの巫城が買っていたものだ。


「いったいなにが……」


 わからない。わからないが嫌な予感がする。

 突然、物を放り捨てて行方をくらますなど巫城の性格からして何かあったのは確実だ。

 何せあの様子から見て尊の現状についてよほど心苦しさを感じていたはずなのだ。

 それを放置してでも何処かへ行くなど……。


「それになんでシリウスを置いていった? 何か緊急の事態を察したとして連絡手段はあった方が決まってる。そのために持っていたようななもんだし……巫城は自分の携帯を持っていたんだったか?」


『否定。廃ビルでのゴタゴタの際に紛失してそれっきりであると回答記録あり。端末を貸していた理由の一つ』


「なら、尚更にそれを手放す理由がない。持ってて困る理由なんて……シリウスのサポートだって受けられることを考えたら――」


 あるいは。

 あの少女の無謀とも思える行動を考えれば。


「――……それが理由なのか? シリウスが居るから手放す必要があった?」


『疑問』


「シリウスに知られたくないことがあれば……仮に俺に黙ってろって言われて聞くか?」


『回答。巫城悠那はあくまで協力体制を敷いているだけの関係。ですので、彼女の意思や考えなど関係なく得られた情報はシリウスの判断のもとでユーザーに共有を実行する』


「つまりはそれを忌避した。……それは何故?」


 ――そんなことはわかり切ったことだ。さっきだってそう思った。巫城は俺に対して凄まじく罪悪感を持っていた。


 出来ることなど無いにも関わらず無謀にも向かってきた時のことを思い出す。

 懺悔のように贖罪の言葉を繰り返していた光景を思い出す。


「そんなやつが俺が目覚めたってことも知らないのに放置してでも優先するもの。そして、万が一でも俺に知られたくないもの……《拝火者サラマンドラ》か」


『仮説。対象を発見した?』


「それだけにしては行動が焦り過ぎているようにも感じる。もっと……何というかのっぴきならない急を要した雰囲気を感じる」


『再生。巫城悠那は端末を手放す際――「こんなことが……あと一時間ちょっとで?」。録音された発言記録』


「こんなこと? あと一時間ちょっと? ……どういうことだ?」


『不明。何を指しているか。何故、唐突に言い出したのかも含め。だが巫城悠那には異能者としての疑惑。それを考慮し推測』


「何らかの異能で《拝火者サラマンドラ》が何かを起こすのを察知した? ……いや、異能についての推測は後回しだ。今は重要じゃない。「こんな事」ってのも一先ずは置いておく。重要なのは時間だ。シリウス、巫城がそのセリフを言った時からどれだけ経過して猶予はどれくらいだ?!」


『回答。巫城悠那の発言も曖昧なため正確には推測不明。大まかな概算で猶予は四十分程であると推測』


「四十分……それまでに巫城のヤツを見つけないと。アイツ、きっと自分で解決しようとしているぞ。馬鹿な奴め。ああ、もう!」


『理解。方針を確定。現状、最後の様子から少なくとも現場に一直線に向かっているであろうことは推測可能。だが、端末に残っている情報は精々最後に走っていった道の方角程度。追跡するには情報量が不足。無論、改めて端から近くの監視カメラなどにハッキングを行い情報を集積している最中……だが四十分の間に見つけ、さらに辿り着けるかどうかは厳しいと分析します』


「くそっ、とにかく頼む。……無事でいろよ」


 尊はポツリと呟くもその声は街の喧騒の音に紛れて消えていった。


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