第十六話(2/2):星を観る者


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


 何時からだろうか?

 巫城悠那がそんな言葉を口癖のように心の中で唱えるようになったのは……。

 初めからでは当然なかった。


 全ては――幼き頃の何時の日に観た夢。

 それが始まりだった。



 それは終わりの光景。

 灼ける夜空。

 降り注ぐ死雹。

 進む巨人。

 夥しい骸が大地を覆う。



 そんな終わりの果ての光景。


 そこでは誰もが苦しんでいる。

 泣いている。

 無慈悲に夥しい数の命が消えていく。


 そしてそれを蒼い宙に浮かぶ悠那はただただまざまざと見せつけられるのだ。


 とびっきりの悪夢。

 それでもどれだけ凄惨でも。恐ろしくても。所詮は夢。

 起きてしまえば泡のように消える……ただの幻でしかない。


 そのはず、だ。

 ……そのはずなのに。


 悠那には何故か……

 理性や知性ではない。

 本能に近い何かが否が応でも教えてくれたのだ。


 これは「未来」。

 あるいはその可能性の一つである……と。


 それからというもの巫城悠那の世界は変わってしまった。

 時たまに自身が蒼い宙に浮かぶ夢を観るようになった。


 どこまでも続く蒼穹の宇宙。

 そこにただ一人だけ浮かぶ夢。

 蒼穹の宇宙には宝石箱のように輝く星々があり、その星の一つに触れると星は輝きその中に内包された世界が流れ込んでくる。


 星の一つ一つは可能性の未来。

 それを観ることが出来る悠那はつまりは未来を識ることが出来る。

 そして「星託せいたく」と名続けたこの力は二つの真実を悠那に突きつけてきた。


 一つはあらゆる可能性世界を観ても必ずあの滅びの未来が訪れるということ。

 もう一つは……その滅びの未来に必ず悠那は存在しないということ。



 巫城悠那は四月十一日に死ぬはずの……いやのだ。



 ――だから……なんだよね。きっと、そんなことを思ってたから……。


『――応答。巫城悠那。予定していた物品は既に収集済み。カウンターへ速やかな移動を推奨』


 その電子音声に悠那はハッと我に返った。

 慌てて周りを見てそして思い出した。

 そこは今泊まっている先輩の自宅からはやや遠い大型のスーパーマーケットだった。

 数日前に大事件が起きても元気に営業中というか、外が怖いので出来るだけでないようにするためか買い物客は中々多い。

 悠那は今も眠っているであろう先輩のために物資の補給任務中だったのだ。


「えっ、えーと後は新しいガーゼと薬用軟膏と……」


『報告。ガーゼに関しては予備も含めて残数あり。薬用軟膏については既に買い物かご内』


「あ、アレ?」


『解析。注意力の低下。原因としてこの二日間での睡眠時間の量が合計三時間を切っているのは問題と提起。人間の睡眠不足によるパフォーマンスの低下は重大。ユーザーの容体は一番の危険域を乗り越えた以上、睡眠時間の増加余地は――』


「大丈夫、大丈夫。丈夫が取り柄だしこれくらい。それに……」


 ――全部、私のせいだから。


 何時からだ。と言われればだいぶ昔からだと答える。

 「星託」の力は主に二つある。


 まず、自身の意思で星の散りばった蒼い宙の世界に行って星を選んでその中の世界みらいを観ることが出来る。

 ただ、これはとてもランダムで観るまではどんな「可能性未来」なのかはわからない。

 情報もとても断片的という。疲れる上に不便な力だ。

 そして、能動的に発動する時以外にも勝手に発動する場合もあるのだが……それは大抵碌なことではない。


 何となく勘のようなものが働いたり、フラッシュバックのように情景のように浮かぶ形で大抵の場合、人の死が関係する事故や事件を予兆してくるのだ。


 ――これによって「家族の死」と「自身の死」を知ったんだっけ……。


 どうにかしないと、とは思った。


 滅びの未来を観せられて、そこではたくさんの人が死に。悲しみと悲痛な叫びがあり、そしてそれらは無意味に踏み潰されていく。


 どうにかしないと、とは思った。


 ――……でも、どうやって? もうすぐ、起きるとしてどうすればいい? ただ、未来を観ているだけしか出来ない女に。そしてその未来にすらたどり着けない女に。


 顔も知らない。名前も知らない。声も知らない。

 けど絶望して死んでいく生命たちの光景。

 それをただ蒼い宙で眺めているだけしか出来ない自分に悠那は酷い罪悪感と自己嫌悪を抱いた。


 どうにかすると決めた。

 「家族の死」の未来……あるいは運命。変えて見せると何度も何度も悠那は力を使った。

 その髪が灰色になるまで力を使い果たしそれでも……未来は変わらなかった。

 

 家族は死んだ。


 ――私は知っていたのに。私は知っていたのに……私だけが。でも、何も出来なかった。


 変えられない未来もある。

 或いはそれは運命と言うのなら……。


 悲劇を観ているだけしか出来ない自分。

 識っていても家族を救えなかった自分。


 そして「自分の死」の予知。


 抗う気力は湧かなかった。

 家族が死んで自分だけ生き残った以上、自ら命を絶つという選択肢はなかったがそれでも無気力に惰性で生きてきた。

 人と関わるのは避けるようになった。

 何せもうすぐ死ぬのだ。無駄に関わらないのが互いのため……。


 ―――違うか……背負いたくだけ。私はなんて罪深い。誰も救えない、悲劇の未来を識っても観てるだけ……何度も何度も何度も観てるだけの――役立たず!


 この苦しみは誰にも共感できない、何せ悠那の観る世界は悠那しか知らない。

 だから理解も苦しみを分かち合うことも出来ない。

 そして何よりも誰も救えなかった悠那は自身の運命に抗うのはやめることにした。

 むしろ、こんな罪深い存在など死ぬべきだとすら思ったのだ。

 

 だから、あの日も。


 ――私が死ぬはずだった日。夜の街を歩いていたら突然拉致されてあの廃ビルに


 見知らぬ男に人気のない場所に拉致された時に思ったのは……。


 ――これで終われる……なんて。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 不出来な私でごめんなさい。

 何も出来ない私でごめんなさい。

 役立たずでごめんなさい。

 ちゃんと死にますから。

 こんな罪深い私は死んで当然……当然で。

 でも……。



 ――死にたくないよぉ。



 結局のところあれが悠那の本心だったのだろう。

 何も出来ない癖に。何も出来なかった癖に。それでも生きたいだなんて笑ってしまう。

 そんな言葉は誰にも届かない。

 身体は拘束されて男は何やら苦しんだ様子で少し部屋を離れたが遠からず戻ってくるだろう。

 そして、悠那は凄惨な死体の一つになる。


 それが未来、運命。決まっていたこと。


 ――おい、大丈夫か? 今、助けてやる。……ったくこんなのを見つけるなんて。


 


 ――よし、上手く拘束は解除できたな。さっさと逃げるぞ。ほら、携帯渡しておくから安全なとこまで逃げたらこれで警察を呼べ。あん? そりゃ面倒事だし正直さっさと逃げたい気分だが……年下の女子学生を置いて先に行けるわけないだろ。


 そのはずだった……のに。


 ――はあ? 足が震えて立てないって……ったく、分かった約束してやる。安心しろ、必ず助けてやるから。


 ……のに。


 ――やべっ、こっち来る足音だな。……さっさと逃げろ。俺はちょっと時間を稼いでから逃げるから。うん? そんなの気にするな。俺はそんなお人好しじゃないっての。やれるだけはやったらさっさと逃げるさ。だから、気にするな。


 …………。


 ――私は……今も生きている。先輩があの日、私を助けてくれたから。けど、先輩はそのせいで……。


 悠那は思い出す、家でまだ寝ているであろう尊のことを。

 酷い怪我だった。シリウスの指示に従って尊の自宅へと連れ込んだ所までは良かったがそこからは戦争に近かった。

 足りない物資の補給に付きっ切りの看病。自身も少なからず負傷しているが全て後回しにし出来ることが全て終わったら、悠那はただただ手を取って握って祈るしか出来なかった。


 ――……先輩の腕、あれってやっぱり偽物だったんだ。本物はやっぱり現場で発見されたもので。


 他の傷口とは違い、あっさりと治った右腕と右脚。

 疑問に思ってシリウスに尋ねた結果、要約すると「緋色尊はあの日、一度死亡しており人為的処置によって一命を取り留めた」……ということらしい。

 イマイチ詳しい所まではわからなったが悠那にとって重要なのはそこではない。


 巫城悠那は緋色尊に二度助けられた。

 一度目は「四月十一日」の廃ビルで悠那が襲われて殺されそうになった時。

 二度目は「四月十七日」に公園で恐らく同じ相手に襲われて殺されそうになった時。


 そして、その両方でどちらでも尊はあれほど傷ついた。

 悠那を助けようとしたばかりに。


 ――……私のせいだ。


 悠那なんて助けようとしたばかりに。


 ――私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ。


 悠那が……助かりたいなんて思ったばかりに。


 ――ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。


「――――………ごめ…な……」


『応答。巫城悠那。信号は青に変化。速やかな移動を推奨』


「えっ、あっ……ごめん、ぼーっとしてた! ありがとうシリウス」


 気づけばそこは大通りの交差点だった。

 信号待っている間にまたぼーっとしていたようだ。


『解析。巫城悠那の疲労度は大であると結論』


「……かもね」


 醜態を晒した手前、否定はできない。

 シリウスの声に気を取り直しビニール袋を片手に歩き始める。


「でも、先輩に恩返ししなくちゃ……早く帰ろっか。シリウスが先輩の状態を常時チェックしてるとはいえまだ目を覚まさないわけだし、何かあった時のために私があまり側を離れてるわけにはいかないだろうし」


 などとシリウスと会話をしながらもふと疑問が湧いた。


 ――結局、シリウスって何なんだろう。


 尊の所有物の携帯情報端末。

 その中の白い髪をした女の子のアバターであるシリウス。

 彼女と普通に会話をしつつそんな疑問が頭を過る。


 ――最近の科学技術の発展ってやつなのかな?


 人生に悲観していた悠那にとって未知や新しいものなど別に興味の対象ではなかった。

 故に全くと言っていいほどそういった最新技術などに疎い。


 ――まあ、いいか。それよりも炎を出したり、凄いスピードで動いたりバリア張ったり。それに腕も生えたりすることに比べれば……。


 そもそも悠那自身も真っ当ではないのであっさり流してしまった。


 ――とにかく、絶対に先輩を助けなきゃ……私なんかのために誰かが苦しむなんて間違ってる。有っちゃいけない。有っていいはずがない。


 だから。


「家に帰ったらとりあえず掃除かな。昨日まではやることが多すぎてそっちまで気が回らなかったし……それと起きた時のために用意していたお粥も作り直しておかないと。有り合わせで用意したものだったからもっと栄養たっぷりな――」


『こちらの忠告を聞く様子皆無。……む、本体の方の情報共有も終了。であるならばこちらも伝達を実行。巫城悠那、伝えたいことが……』


 画面の中の白き少女が悠那に何かを伝えようとした。

 ちょうど、その瞬間。



 



 何の予兆もなく巫城悠那の観る世界がくるりと切り替わた。

 唐突なそれは悠那にとって馴染み深い感覚。

 これは……。


 ――「紅き星」の予知。


 即ち、


「……嘘」


『――巫城悠那。疑問。応答を求む。様子に異常』


 シリウスの声など既に耳に入っていなかった。


「こんなことが……あと一時間ちょっとで?」


 唐突に流れ込んでくるのは膨大な情報の洪水。

 詳しいことはわからない。


 過程も、

 原因も、

 確実なことは何一つ。


 ただ掬い上げられた情報でもわかったことはある。


 一時間十一分後。

 この街には大火災に包まれ……大勢が死ぬ。

 このままいけば確実に。


 ――こんな未来、今まで……何で急に……っ!?


 そこまで考え……そして、察した。

 理屈ではなく理解してしまった。

 悠那の死んだ後の未来においてこのような未来は起きていない。

 それはつまり――


「――私のせい?」


『巫城悠那。応答を求む』


「私のせいで……誰かが?」


 悠那の脳裏に蘇ったのは尊のことだ。

 自身を助けるために戦って……そして傷ついて今も眠っている人。

 あの恐るべき炎の力を持った男とこの未来の光景に関係性がないとは思えない。


 だが、尊には頼れないし頼るべきではない。


 一瞬でも考えてしまった自分に反吐が出そうになる。

 悠那は十分過ぎるほど助けて貰った。これ以上は望み過ぎというものだ。



 ――……止めなくちゃ。私が……私が何とかしなくちゃ。



 何が出来るかなど分からない。

 何もできないかもしれない。

 それでも自身が運命を逃れたために誰かが傷つき死んでしまうなど……耐え切れない。


「……っ! シリウス、ごめんッ!」


 手に持った端末。

 それを渡してくれた人のことを思い出し……そして投げ捨てる。


『疑問。巫城悠那、何を……っ!?』


 焦燥にかられるように何かに突き動かされる衝動のままに悠那は街を駆け出した。

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