第十四話:公園での死闘・Ⅳ


 それは咄嗟の判断だったのか。

 あるいはシリウスの指示だったのか

 それともただの生存本能だったのか……。


 だが、その行動が尊の命を致命から避け延命させたのは間違いない。


 ――ジュッ。


 「西ノ池庭園」という名称に相応しい大きな池。

 そこに自身の身体を投げ入れた行為は全身に纏わりついた炎を見事に消化することに成功した。


「……ァ……ァァ……!」


 無論、すぐさまに飛び込んだとはいえ全身を炎に包まれ無傷で居られるはずもなく、その身体の至る所は既に重度火傷を負っている。

 そしてその状態で炎を消すためとはいえ水の中に突っ込んだのだ。激痛のショックが全身を貫き、そのまま意識を失ってもおかしくはなかった。


『(要請。ユーザー! 応答を願う! 疑似神経については既に接続を切断。冷静に……っ!)』


 それでも尊が意識を保っていられたのは幸か不幸か。


 ……いや、幸運ではあったのだろう。


「……ァァァァアァアアッ!!」


 必殺致命の攻撃を受け、右腕を犠牲にして回避することに成功したのだ。

 その結果は幸運と呼ぶしかない。


 迫りくる炎球を認識して咄嗟に右腕を出せたのはただの無意識の行動だ。

 所謂、防御反射の一つというやつで考えてのものではない。


 だが、高次元マテリアルで構成された右腕はその損壊と引き換えに尊の命を即死という未来から逃れさせたのだ。


 無論、代償は安くはない。

 右腕はドロドロに融解し半ばまで消し飛ぶ羽目になったし、全ての熱量を受け止めれたわけでなく尊の全身を灼き身体の至る所に火傷を負っているという様だ。

 それでも呻くだけの元気はあり、何より大部分の被害である右腕は人工物であるアルケオスの腕だ。

 高次元マテリアルで構成されているアルケオスは多少の損傷ならば炉心が稼働していれば時間さえあればある程度の修復は可能、触覚痛覚は疑似神経で出来ていたため、それをカットしてしまえば痛みすらない。


 総合して状況を評価すれば「修復可能な腕を犠牲に致命の一撃を回避した」と考えれば正しく幸運に他ならない。


 だが……。

 緋色尊にとって全身を火で炙られ。

 そして、その腕が吹き飛ぶという光景こそが――


「アァアアァァアァアアッ!!」


『(要請。ユーザー、応答を願う! 今ある痛みは幻痛覚。ただの記憶。あるいは過去の情報を基にした錯覚。痛覚情報は完全に遮断。意識を――)』


 であった。


 ――痛い痛いイタイいたいイタイ熱いアツイ熱いあつい燃えるモエル燃える燃える腕がアシが眼がゆかが天井がカベがあかあか赤アカアカ……っ!!


 フラッシュバック。

 尊が記憶の底に封印したもの。あるいは見て見ぬふりをしていたもの。

 それら一切が頭の中に吹き出てきた。


 暗闇の中に佇む男。狂気の嗤い声。

 憤怒の叫び。

 衝撃。熱。

 悲鳴。

 肉の焼ける音、臭い。

 飛び散った肉片、赤い血。


 無秩序に溢れ出る記憶の洪水にただただ彼は錯乱することしかできない。

 感じないはずの右腕の痛みが脳髄を搔き乱す。


「……ガッ、ァァアァアアッ?! オェ……ッ!」


『(――緊急。敵対象を確認。こちらに接近中。ユーザー、逃走の用意を)』


 シリウスの声もどこか遠くに聞こえる。

 それでもノロノロと促された方向に視線を向けると一つの姿があった。


「……お前はなんなんだ」


 問いかけてきた声は酷く濁っていた。半ば壊れているとはいえヘルメットは被ったままである以上、こもってしまうのは仕方ないのだろうが……。


 それにしても酷い姿だ。


 ライダースーツの至る所は破け、そこから見える地肌は赤黒く痛々しく火傷を負っていた。

 ヘルメットもバイザーの部分が砕け、隠されていた爬虫類のようなその眼光が露わになっている。細かな負傷の具合は違えども、一見してその場にいる両者の様子は同じぐらいの怪我の度合いに見えただろう。

 軽度とはとてもいえない怪我を全身に負い、さらに無理をした身体への負荷が集中が途切れたことによって表に出来てしまった尊。


 対する《拝火者サラマンドラ》もまた異能の連続使用によるガス欠も近いのか、それとも怪我のせいか足元がおぼつかない。


 外も内も両者ともに余裕のない状態。


 だが、決定的に精神という面において今のその両者の間には差があった。


「まあ、いい。お前が何であろうと……関係ない。この一撃で終わらせる」


 《拝火者サラマンドラ》は尊の融解した腕を一瞥するもそう言って切って捨てると掌を向けた。

 その掌の先に小さい火の球が出現させたかと思えばそれを徐々に巨大化させていく。最初はピンボール玉の大きさから始まり直径は二十、三十センチと大きくなっていく。

 今までの無茶の分が押し寄せてきたのか《拝火者サラマンドラ》が想定した以上に炎の集まりが悪い。

 それほどまでに消耗していたということを表していた。


 感覚を信じれば恐らくはあと一撃が限度。

 だが十分だ。


 偏に目の前の逃れ続けて苛立たせた獲物にようやく止めを刺せるという歓喜が《拝火者サラマンドラ》の力を振り絞らせてくれる。


 対して尊の方は完全に逆だった。


 この場において唐突に蘇ってしまった記憶のせいでは判断力を決定的に喪失していた。過去の記憶のフラッシュバックと現実の煉獄のように一帯が燃え盛る庭園の様子が重なり、あるいは幻ではないかと現実感すら曖昧だ。

 頭の中で響くシリウスの声がなければ目線の先で行われている《拝火者サラマンドラ》の行為を正しく認識することすら……。


(――逃げなければ)


 グチャグチャに攪拌された思考の中でそう判断をしたのは生物としての本能だった。

 ただただ逃げなければ。

 危険から逃げなくては……ただそれだけが頭を埋め尽くす。


 だが、身体は動かない。


 正確に言えばついていかない――というべきか。

 今の尊はただ本能だけの頭を支配されていた。

 今まで持っていた立ち向かう意思も思考もなくし、恐怖という感情に突き動かされたが故に。

 感情が思考を上回ってしまったが故に「どう逃げるのか」という単純な疑問に身体は停止してしまったのだ。


「……ぅ……ァ……」


 逃げなければ、という感情。

 反して動かない身体。

 それに焦りが加わり、さらに思考がまとまらなくなるという悪循環。


 気づいた時には《拝火者サラマンドラ》の掌の先に生まれた紅蓮の塊は二メートルほどの大きさへと変貌遂げていた。


『(――Cケィオス反応量……単位計測量の最大を計測。対象は今まで同時に使っていたCケィオスを一撃に費やしている模様。最大規模の行使を確認)』


 ああ、これはダメだな。

 尊はその光景を見て単純にそう思った。

 今までの攻撃とはわけが違う。アレを受ければ今度は偶然の余地などなく死ぬだろうと理解してしまったのだ。


『(AEXプログラムの再起動。最大機動力で撤退を提言。シリウスもユーザもまだ使命を果たせていない――)』


 シリウスの声が遠くに聞こえる。

 再度起動されたプログラムによって色彩を世界が失っていくのをどこか他人事のように尊は感じていた。

 知覚が引き延ばされ全身に力が漲るが……それは先ほどよりもどこか弱々しいものだった。

 単純に先程よりも全身にダメージを負っているという事実もあるのだろう。


 だが、一番の大きな問題は尊の内面の問題だった。


 先程も内面に恐怖を抱えての戦闘でありそれが身体へのパフォーマンスに影響を及ぼしていたが、今の尊の心の内は悲嘆、諦念、怯え、悔しさなど無数の感情が浮かんでは弾けてを繰り返していた。


(……ああ、クソ。こんなところで終わるのかよ。逃げて背を向けてやられちゃうなんて情けねー)


 尊が逃げようとノロノロと動きたしたのを察したのだろう。

 《拝火者サラマンドラ》はその紅蓮の塊を引き絞るように動き始めた。


 今までの力の規模から計算して今度の攻撃の被害範囲の大きさを考えれば、そこまで狙いを絞る必要も無いだろうに。

 そう思わず苦笑してしまった。何せ今の速度で範囲外に逃走するのは不可能であるという身も蓋も無い演算結果は既に算出されてしまっていた。


(まあ、俺にしてはよくやった方だよな?)


 などという自己満足に近い慰めが諦めが脚を重くする。

 無駄だというなら足搔くことに何の意味がある。


 そんな思いが頭を過るもそれでも脚を止めなかったのは……シリウスの使命という言葉。それで思い出した。


(そう言えばそれがあったな……助けられた恩もある。対価としての責務は些か大きすぎる気がしないでもないがそれでも約束は約束だ。真面目にする気はあったんだっぜ?)


 シリウスが必死になって自身の生存方法を模索し演算を続けている。

 だからこそ自分から放棄する気にはなれなかった。

 僅かに残った気力を身体を前に進ませる燃料に変えて生きるために動かす。


 結果は変わらないかもしれないがそれでも投げ出すには残っているものがあった。

 自分の命だけならあるいは投げ出していかもしれないが……だから、それを察知できたのはきっと偶然ではなかったのだ。





「―――ダメェ!!」





 引き延ばされた知覚はそんな声を確かに捉えた。

 自身の声でもちろんなく。シリウスの声でもその暴力的な力を今にも解き放とうとしている《拝火者サラマンドラ》でもない……少女の声だ。


 ――……はぁ?


 二人以外に誰も居ないはずのこの場。

 あってはならない三人目の存在の声。

 思わず声の方へと顔を向け、必死な顔でやってくるその少女を見た時……尊の思考は完全に真っ白になった。


(いやいや、だってもう逃げるはずだろ? そんな……)


 驚愕する彼の気持ちなど知ったことかと言わんばかりに、灰色の髪をたなびかせるその姿は正しく道中で別れたはずの巫城悠那だ。

 燃え盛る庭園の中を突っ切ってきたのだろう煤に汚れた顔を歪めながらこっちに向かってきている。


(なんでアイツがここに……)


 引き延ばされ知覚の中でシリウスから答えが返ってきた。

 子機として分割したシリウスからの情報からすると尊と別れてすぐにナビゲートを無視してこちらを追ってきたのだという。


(ふざけんなお前までこっちに来たら……)


 案の定、《拝火者サラマンドラ》も巫城に気付いたらしく攻撃の軌道を修正している。

 何せ逃げたと思った獲物が帰ってきたのだ。

 二人まとめて葬り去るチャンス、力の規模を考えればさほど手間ではない。


 巫城も《拝火者サラマンドラ》の掌の先で燃え盛る力の塊が見えないわけではないはずだ。

 それなのに見え過ぎる今の眼はハッキリと見て取れてしまう。

 恐怖に顔を歪みそうになるのを耐え、それでも何が出来るわけでもない癖に尊の方へと向かってきている。


(……何やってんだよ。お前が来たところで何が出来るって言うんだ。さっさと逃げちまえよ)


 およそ摂氏三千度を超える煉獄の塊。それが解き放たれようとしている。

 そんなものを相手に一体何をしようというのだ。

 よくある創作物のシーンよろしく両手を広げて目の前に立って庇おうとでもいうのだろうか。


(そんなことしても壁にすらないし、そもそも間に合いすらしないけどな……ほんと)


 すでに演算は終了してしまっている。

 巫城が尊の場所に辿り着くより先に二人を呑み込むように炎は放たれ、そして跡形すらなく消失して終わるのだろう。


 消し炭すら残らずに全ては焼き尽くされて――終わる。


 ああ……なんて。


(――!!)


 最悪に尽きる。

 こんな状況になって死ねない理由が二つに増えてしまった。

 それに何より……どんなにバカげた無意味な行動だとしても。


(ビビってる癖に。眼に涙を浮かべている癖に。歯を食いしばって耐えて俺を助けようなんてしている姿を見せられたら……情けなくは終われないじゃないか!)


 恐怖も痛みも悲嘆も諦念も。

 そしてただ逃避しようとする本能も。

 ただの意地というプライドを原材料にした怒りの感情で


 ここでは終われない。

 そんなただ一つの意思の元に尊は動き出した。


 回避するには――時間が足りない。

 防ぐには――力が足りない。


 ならばどうやれば生き残れる。

 すでにシリウスは機体のデータ上のあらゆる可能性を手当たり次第に模索したはずだ。


 だが、それでも今からでは遅すぎるという演算を弾き出してしまった。



 だとするなら――賭けるとすれば、それはシリウスでも未知の可能性しかない。



「――シリウス!」


『(ユーザー!? いえ、了解。術式発動――)』




「――我が憤怒。万象を焼き尽くさん」




 その数瞬後。夜の街を響き渡る轟音と共に「西ノ池消失事件」……後にそう言われる事件の最後の幕引かれた。


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