第十三話(3/3):公園での死闘・Ⅲ


 にたり。


 フルフェイスのヘルメットの中、見えないはずの《拝火者サラマンドラ》の顔がそう歪んだような気がした。


 ドロドロとした得体の知れない……だが、害意だけはハッキリと伝わる視線が尊に向けられる。


 ゆらり。


 《拝火者サラマンドラ》が立ち上がった。

 そして尊に向かい合うように相対し、距離を置いて脚を止める。


「…………」


「…………」


 互いの存在を認識し静止……そして、一瞬の間。


 二人の間に何か言葉が交差することはない。

 互いに視線と意志だけが交差した。

 

 


 ゴウゴウっと辺りは燃え、煤が舞い火の粉が飛び散っている。

 本来なら消火活動をしているだろう園内の管理ドローンはシリウスの手によって制御され、園内に入ってこようとする者の時間稼ぎへと回されている。

 園内のことは色々諦めて貰って下手に誰かが入ってこないようにする方が被害は少ないと尊は判断した。


 とはいえ、流石に妨害にも限界があり遠くにサイレンの音が微かに聞こえた。

 あまり時間をかけている暇がない。



 そしてそれはその場にいた存在の全員の共通認識だったろう。



 だからこそ――。


 タンッ。


 動き始めはどちらからだっただろうか。


 尊が大地を蹴ったのが先か、

 《拝火者サラマンドラ》が腕を向けるのが先か、


 あるいは同時だったかもしれない。


 無数の火球がサラマンドラの周囲の空に浮かび現れ、そして自身へと向かって突っ込んでいく尊にめがけて掃射された。

 引き延ばされた知覚はその光景を嫌が応でも正確に捉えてしまう。


 それは正しく炎の壁だ。


 圧倒的な全てを呑み込まんとする迫力に怯えが走る。動悸が激しくなる。本当に突破できるのかと弱気の虫が出てくる――が。


「ァァアアアァッ!!」


 それら全てを叫び声へと変え吐き出すと、尊は紅蓮の中に飛び込んだ。


 現実時間にしては一瞬。

 延長された知覚としては永遠にも感じた刹那。

 纏った防護膜に無数の火球がぶつかり、弾け、その度に削っていくことを尊はリアルタイムで認識していた。


 だが、それでも……。


(――!)


 炎の壁に自ら特攻し数歩進んだ頃、時間にしては一秒に満たない時間の経過。

 その間に一つの確信が出来た。


 それは勝利への確信。


(範囲は広いが……そのせいで密度が薄い)


 まるで大きな壁がそのまま迫ってくるかの大迫力。

 だが、その迫力に比して尊に対する攻撃の密度は下がっていた。

 それは必然、一回に出せる炎の量に限界が存在する以上攻撃の面を増やせば密度が下がるのは当然の道理だ。


 火球は確かに防護膜を削り、揺らし、罅を入れるもそれでも限界を迎えるより先に尊が懐に飛び込む方が早い。

 シリウスは演算の末にそう弾き出した。


 それは数秒後の決定的な未来演算。


 あと十歩。


 ミシリミシリと不可視の防護膜に軋むような音がする。

 耐え切れなくなって砕けて散った一部の盾が残花のように解けていく。


 あと八歩。


 だが、それでも十分に防護膜に力は残っている。

 飛んでくる火炎の塊を押しのけながら、その予測された演算の通りになるように決死に距離を潰す。


 あと五歩。


 相手は今何を考えているのだろう。

 ふとそんなことを頭に過った。


 相手の攻撃スピードからして次が最後の掃射。

 それを認識ながら、それでも彼を止めるに能わないという演算結果を弾き出し……それでもどこか嫌な何かを思考の隅で感じ取った。


 あと三歩。


 最後の掃射が放たれた。

 これまでの攻撃速度から計算するに、次の攻撃を放つより先に尊は懐に飛び込むことに成功できる。


 そして、そこからは反撃の暇を与えずに制圧する。


 それで終わり……のはずだ。


(なのに……なぜ、コイツは?)


 《拝火者サラマンドラ》はここまで近づかれているというのに、逃げる素振りも焦った素振りも見せない。

 不気味なバイザーの奥の表情は掴むことが出来ないが……。



 ふと、言い知れぬ悪寒が過った。



『(――ユーザー!)』


(―――ッ!!)


 逡巡は刹那の間。

 尊はシリウスの声に押されるようにさらに足を踏み出した。




 

 まるで早送りのような速度でこちらに突っ込んでくる男を見ながら。

 自身の祝福の火を無視するようにその中を掻き分けてくる男を見ながら。


 火島はそれでも冷静に思考を働かせていた。


 ――そう来るとは思った。何故なら……それがだ。


 仮に火島が男の立場でもそうするだろうという手段。


 ――強引でシンプルだが、それ故に非常に強い。


 既に見ている男の動き。

 それも今度はお荷物になる存在がいない相手だ。

 懐に飛び込まれて対応できる自信は……火島にはなかった。


 故にそれはそれを許した時点で王手になる、きっと何も出来ずに終わってしまうだろう。


 ――認められない。それだけは許してはいけないし、何としても防がなくてはならない……。


 だからこそ――この状況はだった。


 一手を間違えればそれはみすぼらしい敗北に繋がる。

 正真正銘の危機的状況。


 その段階に至って絶対の力を得て酔っていた火島は本来の冷静さを、冷徹さを

 窮地の時こそ大胆になれるのが大事であるということを知っていた。


 怯え竦んで得られるチャンスなどことも。


 相手は堅い盾で身を纏っている。


 だが、削れてはいる、壊れてもいる。

 故に破壊することはきっと不可能ではない。


 あれは

 

 だが、火球では削り切れない。


 やるとすればどうにか火力最大の炎球を当てる必要がある。

 だが、それは当然相手も警戒している。

 あの回避能力でそれだけは避けるだろう。


 ――ならばどうするか……。


 火島は最後の掃射を放ち……そして、その答えを実行した。




 シリウスはこの時代において。いや、未来の時代においても最高の演算処理能力を持っている。

 それは純然たる事実だ。

 現状、想定外の事態に多く遭遇しているとはいえそのスペックにおいて陰りはない。


 アルケオス内のセンサーから随時得られるリアルタイムの情報を分析解析し、相手の行動を予測し攻撃方法を解析し、戦術パターンを模索し、並列してユーザーの戦闘行動を補助して動きの補正を行い、適宜に術式プログラムの起動と制御を行う。

 凄まじいまでの密度の情報演算処理だ。


 だからこそ、それほどの処理速度を持つシリウスは「正しい情報があれば正しく可能性を予測できる」と期待されてアルケオスに搭載された。


 そのスペックに間違いはない。

 ただし、それはまだスペック上の話でしかない。


 シリウスの実稼働時間は実際のところそれほどない。

 人間に例えるならば「経験が足りない」という段階だ。


 故に

 あるいは

 そう言ったもの曖昧で不確定なものに対する理解というのは未だに未知の領域であった。


 だからこそ……シリウスはその《拝火者サラマンドラ》の行動に対して演算は奪われた。


 その意味を――演算を行った。

 もっと別の意図があるのではないかと――その処理速度が故に無意味に演算を行った。


 アルケオスのセンサー類が捕捉した現象。

 それは尊の周辺を浮かぶ全ての火球に同時に起こったもの。

 遠隔の操作ではない。


 《拝火者サラマンドラ》にそんな力はない、あくまで力の塊として火炎を撃ちだすことに特化している。


 つまりは時限式。

 仕組まれていたということだ。


 何が起きたか端的言えば掃射された火球で防護膜に接触しなかったが故に残っていたモノが、空中で一斉にのだ。

 それこそサイズでいえばに。


 不可解な反応。

 だが、センサーから送られてきた情報を解析し、シリウスはそれが実行される前段階で結果の演算を終了させた。


 これから起こるのは圧縮されたエネルギーの開放。

 収縮した速度より早く、今度は火球はし――そして


 圧縮された熱エネルギーを無差別にまき散らす。


 つまりは


 その演算結果を弾き出したシリウスは咄嗟にその意味についての演算を開始した……してしまった。

 少なくともシリウスにとってそれは非合理的過ぎる行動だったからだ。


 確かに今のタイミングでそれを行えば尊を確実に捉えることが出来る。

 何せ敢えて火球の雨の中を突き破っているのだから、前後左右全て囲まれている状態だ。

 面どころか空間ごと焼き払われれば避けようはない。

 現に今からの回避は不能という演算結果をシリウスも弾き出していた。


 だが、重要なのはではない。


 それを実行した《拝火者サラマンドラ》も尊と後数歩という距離に居るという事実。

 当然、そんな距離で行えば《拝火者サラマンドラ》自身も無事ではいれられない。

 収縮し今に膨張しそうな火球のエネルギーは無秩序に暴れ狂うのは間違いないはず。


 故にこれは自爆としかいいようもない行為。

 逃れる素振りを微塵も見せぬ様子からそれを自らの意志で実行したのは間違いない。


 使命を持つAIとして自己保存の思考ルーティンを上位にプログラムされているシリウスからすればそれは理解不可能。

 生物にとって痛みや死などは忌避し厭うものであるというのことユーザーである尊の行動から学習している。


 だからこそ、シリウスはその理解不可能な行動の意味を無意味に演算し――


『(術式展開。――アルギオスの盾。全方位最大展開)』


 それでも管理サポートAIとしての役割を思い出し、その場においての最適な行動を叩き出した。

 全ての演算処理を術式プログラムに回し全力を持って防御を固め……そして、思考加速状態が一時に解除され色と音が戻った世界。


 それと同時に閃光。

 そして衝撃が尊とシリウスを襲った。




 肉の焼ける臭いがする。

 鼻の奥にこびり付くような不愉快な刺激臭。

 あの日から一度たりとも頭の隅から消えないおぞましき臭いの記憶。

 それを思い出しながら自身の炎に焼かれながら既に次の行動に移っていた。


 ――ああ、神よ。やはり私を選んでくれたのですね。


 火島にとって儀式は神聖なものだった。

 全てと言ってもいい。

 それが果たせないのであれば命もこれからの人生にも意味はない。


 だからこそ、必要とあらば自身を巻き込む形でこうして自爆まがいの攻撃をすることに躊躇はなかった。

 死や怪我を恐れていないというのとは……少し違う。

 これからも儀式は続けたいし供物も捧げたい。

 死ねば出来なくなるし怪我をすれば以降は当然し辛くもなるからそれは勘弁だ。


 だから単純に火島は


 ――私は神から与えられた祝福。そして、これまでの信仰を。


 それは果たして届いたからなのか。

 あるいは偶然か。


 現実として全くと言っていいほどコントロールもせず、ただ一瞬相手の脚を止めるため。

 それだけのために自身を巻き込んだ自爆戦法は正しくほんの一瞬……防御を固めるため止めることに成功したのを爆発に飲み込まれながら火島は認識していた。

 自身の身体を炎が舐めて焼き、爆風の圧力にヘルメットのバイザーは砕け、その破片に鋭い痛みが顔に刺す。


 ――構うものか。


 むしろ、その痛みが逆に意識をハッキリさせて有難かったくらいだ。

 火島は速やかに炎を練り上げる。


 炎に焼かれながら新たな炎を生み出す。

 ありとあらゆるものを焼き滅ぼさんと。

 目の前の敵を必ず焼き尽くすと。


 そう心に決め……そして放つ。

 放つのは――炎球。

 一度として当たらなかった。


 だが、今なら確実に当てられる。


 閃光と爆風によって視界も音も見えぬその一瞬の世界の中。

 火島はそう直感し、そしてその方角の方へただ声にならない絶叫を上げながら――解き放った。


 ……これは火島の知る由もないこと。


 尊と融合しているアルケオスには複数のセンサーがある。

 それはCケィオスの反応を観測するためのものが大半であり、対異能者を想定しているアルケオスのそれは未来においても最高峰のものだ。

 常に周囲の反応を収集しCケィオスの反応を拾い上げることが可能だ。そして、本来ならばこれほどの近距離において防護術式すら貫通しかねない程の濃密な異能の発動を観測できないということは有り得ない。


 だが……それは偶然によるものが大きかった。


 全方位で爆発した火球の残滓……Cケィオスの反応が図らずもチャフに近いセンサーの感度の撹乱をしたこと、

 シリウスが防護術式の全方位構築を開始するのがほんの一瞬だけ遅れたこと、

 そしてそもそも自ら死にかねない行為を実行し、

 あまつさえ焼かれながらも更なるに攻撃を仕掛けてくるという可能性に演算が及ばなかったこと、


 それらが積み重なった結果。

 その一撃は回避不能の不意打ちになった。



 その日。

 庭園に紅蓮の華が咲き誇った。



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