3、教師の愚痴

前編

 よう、久しぶりだな。このリア充。相変わらず、ご自慢の嫁さんとはうまくやってのか、ええ? 出世頭の幼馴染さんよ。どうせ元気にしてたろ? 元気でしかいられないほど、お前の人生勝ち組だもんな。でも、俺は最悪。今、人生で最低最悪な気分だ。それなのに、お前は俺のことを二時間も置き去りにしたな。まぁ、しゃあねぇけどさ。お前、出世頭様だし。どうせ後輩の面倒でも見てたんだろう? へぇへぇ、お人好しですね。さすが部長。お優しいことで。


 おん? もう随分酔ってるって? そりゃあそうだろう。誰かさんのせいで、二時間もの間一人だし、気分は最低。これが飲まずにやってられっかっての。今日ここにはメンドくさいPTAやら、煩い教頭やらはいねぇ。いいんだよ。教師だって、人間だ。悪態くらいはつくし、酒に酔って、せっかく仕事とプライベートの合間をぬって来てくれた幼馴染にも迷惑かけたりもするさ。


 とりあえず、お前も座れ。んで、酒呑め。まじ呑まれるくらいに呑め。今日話したいことがあるって言ったろ。これ、割とマジな相談なんだ。正直、この話をすれば、お前に縁切られてもおかしくないと思ってる。少なくとも、俺がお前の立場だったら、絶対殴るな。ボッコボコにする。木っ端微塵にする。


 はぁ。どんな話でも殴らないなんて、そんなこと。話聞いた後で言ってみろ。本当に俺、最低最悪野郎なんだ。こうやって酒呑まなきゃ、お前に話す勇気も湧かないくらいに、今もビビってる。それくらいヤバい話をこれからする。だから、お前も呑んでくれ。お前がいくら呑んでも素面の時と変わらないのはわかってるんだが、それでも俺の気持ちが少し楽になる。ああ、楽になる資格なんてものもないのかもしれないけどな。


 ありがとう。それとさっきは、すまないな。嫌味ばっか言って。折角忙しいところ来てくれたのに。でも、誰かに話さなきゃって。でも、周りには話せる奴がいなくて。お前にしか頼れなかったんだ。お前は自慢の幼馴染だ、相棒。これが最後にならなきゃ、いいな。


 じゃあ、本題に入る。この間な、仕事終わりに体育の田原先生に誘われて、呑みに行ったんだ。ほら、あそこの。西高の近くの繁華街に。正直、俺はキャバクラなんかに興味ないし、お断りしたかったけどさ。如何せんあの先生強引だから。しかも、定年間近なのに、すごいパワフルなわけよ。俺、三十も年下なのに力負けして、引きずられるようにして連れて行かれたんだ。まぁ、そこまではいいんだ。普段も教頭に雑用押し付けられたりしてるし、これくらいは日常茶飯事というか。まぁ、夜の繁華街なんて流石に子供達や周りに知られたらクレームが来るかもっていう危機感はあったけども。それでも、俺も駅に着く頃には諦めてた。とりあえず田原先生が満足したら、適当なところで帰ればいいって。


 でまぁ、実際、一頻り遊ばされたあとは、ちょっと用事思い出したとか適当な事言って逃げ出したんだ。その頃には田原先生も女の子たちに囲まれていい気分になってたから、流石に引き止められなかったよ。で、ようやく逃げ出した訳だけど、小心者の俺はなんならアリバイもしっかり作っておこうと思って。パトロールしてる風に駅まで歩いていたわけよ。そしたらさぁ。


 居たんだよ。見たことのある子がさ。しかも、俺のクラスの子。派手な化粧に服装っていう、普段のおさげ眼鏡からは想像できない格好してたけどさ。


 え? よく気づいたなって? 俺もそう思う。でも、その子は地味な装いに反して、めちゃくちゃ目立つ子なんだ。何ていうかさ、いつも一人でちょっとクラスから浮いてるんだよね。まぁ、男子たちは影で美人だって噂してるから、嫌われてはないんだけど。だからかなぁ。なんとなく注意して見ていたから、気づけたんだと思う。


 でも、やっぱり初めは信じられなかった。彼女は成績優秀だし、内向的な人だと思ってたから。他人の空似だろうって、その日は店に入って行くのをそのまま見送ったんだ。いくらパトロールのふりって言ったって、腕章とかつけてなかったから、こっちも下手に口出しできなかったってのもある。


 そして、翌日学校に行ったら、やっぱり彼女のことが気になってしまって。だって、見れば見るほど似ているんだ。前日に見た彼女に。派手さはなくても、大人っぽいというか、高校生にしてすでに達観したような雰囲気と眼差しが同じだった。


 俺は意を決して、彼女に話を聞いてみることにした。学校だと絶対に頭の回転が早い彼女にははぐらかされてしまうと思って、繁華街で捕まえるべく、今度はちゃんと腕章を借りた。教頭に学生が繁華街をうろついてるという噂を聞いた、とまで言って。けど、大事にはしたくなかった。彼女も俺の大事な生徒。経歴を不用意に傷つけて、将来困ることはさせたくなかったんだ。とはいえ、一人だけでパトロールというのもおかしいから、協力は田原先生に仰いだ。彼なら、キャバクラにばかり注意が向いて、彼女に気がつかないと思ったから。それに、いざ知られても、奴がキャバクラに入り浸っていることをネタに脅せばいいと思ったから。


 なんだよ? 意外か、俺がこんなに熱い人間だったことが。まぁ、今となってはどの口がいうんだという気分だが、俺にも教師のプライドってのはあったんだよ。教師になるのも頭の出来が中の下ってところの俺にとっては、楽な道じゃなかったしな。だからこそ俺なんかとは比べ物にならないくらい優秀なあの子の目前に広がる無限の可能性を潰したくはなかったんだ。


 初めの日は見つけられなかった。次の日も。その次の日も。でも、四日目にようやく俺は彼女を見つけた。見るからに繁華街の店で働いているとわかる真っ赤で大胆なドレスを纏ったあの子が目の前で歩いてた。俺は田原先生を適当に追い払って、彼女の腕を掴んだ。あの子は咄嗟にそれを振り払おうとして、驚いた顔で振り返った。彼女は俺が名前を呼ぶと、「先生?」って恐る恐る聞き返してきたよ。いつもの冷静な彼女には珍しい、状況が飲み込めないって顔をしていた。そんな彼女の表情を見て、俺は厳しい顔をしたよ。俺は彼女の先生だから、今やってる彼女の仕事はやめさせなきゃと正義感に駆られて。でも、その場で話をするのは危険だった。いつ田原先生が戻ってくるとも限らないし、彼女の派手な装いは存外彼女に驚くほど似合っていて、衆目を惹いていた。それくらい、綺麗だったんだ。だから、俺たちは繁華街から少し離れた公園で話をすることにした。


 俺は彼女に缶コーヒーを買ってやった。もうそろそろ晩は冷える季節だ。店の衣装は寒そうだったから、彼女も普段着に着替えて、一緒にベンチに座った。やっぱり何度見ても、眼鏡を外し、髪をほどいた彼女はいつもとは別人のようだったよ。ほんと、なんで普段あんな地味な格好をしてるのか疑問なくらいだ。生徒たちの美醜を気にしたことのない俺でさえ、ふとした瞬間に心奪われそうなくらいだった。


 長い話になりそうな予感はしていた。今まで彼女との会話こそは少ないが、軽々しく小遣い稼ぎに水商売に手を出すような子じゃないことは知っていたから。それに、彼女自身、何かを考え込むかのように、じっと黙りこくっていたから。


 しばらく俺は待った。でも、出来るだけ沈黙の中に緊張が生まれないように振る舞った。俺は決して彼女を責めたいわけではなかったから。それが功を奏したのか、やがて、彼女は震える声で懇願した。


「私のこと、見逃してよ」と。


 俺は最初、そのストレートな要求に、どう反応すればいいのかわからなかった。頷くことも、首を横に振ることも出来ずに、今度は俺が黙り込んでしまった。そこに、あの子は畳み掛けるように呟いた。


「これしかないの。私が生きていくには。もう、これしか」って。


 そこで俺の予感は確信に変わったよ。この子は相当苦しい事情を抱えているんだなって。そうでなきゃ、こんな言葉出てこないだろう? だから俺も覚悟を決めた。彼女の事情に付き合おうって。


 どういうことだ、と俺は彼女に聞いた。彼女は長いまつ毛を伏せて、何かを躊躇っているように見えた。それでも、話さなくてはこの場から逃れられないと悟ったのか、ゆっくりと口を開いてくれた。


 彼女はどうやら、親から酷い扱いを受けているようだった。彼女の母親は満足に食事すら与えず、毎晩男のところへ遊び歩いているんだとさ。時折帰ってくることもあるらしいが、それでも八つ当たりされるだけで、愛情なんて与えてくれもしない。それどころか、奨学金すら持ってかれる。父親はだいぶ昔に離婚をして出て行ったらしい。だから、彼女は自らの食費や学費はもちろん、それ以外にも親の月々の借金返済分のお金も自分で用意しなくてはならなかった。はじめは普通のバイトをしていたものの、高校の勉強もあるし、それだけじゃ足りない。だから、短い間で稼げる水商売に手を出さざるを得なかったんだ。


 俺は話を聞いて、どう言うべきなのか再びわからなくなった。だって、こんな苦しい状況にあるのを知りながら、その仕事をやめろと言うなんて現実的じゃない。もう俺の正義感とか陳腐なものを持ち出していい段階じゃなかった。だって、もしやめようものなら、その時点で彼女の生活は破綻する。


 その一方で、俺は彼女に母親を捨てろなんてことも言えなかった。いくら酷い目にあっていても、親が好きな子供はいる。だから、その言葉がどんな影響を彼女に及ぼすかわからない以上、不用意に彼女と母親を引き離すような言葉を口にすることはできなかった。


 色んな考えが頭の中を駆け巡った。それなのに、何が良くて、何が悪いかがわからない。でも、頭を抱える俺に、彼女はクスリと笑った。「大丈夫ですよ、先生」と言って。


 それは魔性を孕んだ妖しげな色香と幼さからくる危うさが綯い交ぜになった、なんとも不思議な微笑みだった。思わず、心をグッと揺さぶられる表情。一瞬、俺は理性が飛ぶような感覚に襲われた。ぽけっとした顔で彼女を見ていた俺の様子は、誰から見てもさぞ滑稽だっただろうな。


 でも、彼女はそんな俺を馬鹿にすることなく、朗らかに言った。私はちゃんと未来のことを考えた上で、今この仕事をしているのだと。私は絶対に幸せになる、そう決めていると、言い切った。


 普通、絶望の中にいると人間の目ってのは死んでいくもんだと思う。けど、希望を語る彼女の瞳にその昏さはなかった。大人びた横顔を染め上げていたのは苦境を生き抜く覚悟と、幸せになるという決意の色だった。少なくとも、俺にはそう見えた。


 で、俺は彼女の仕事のことは見逃すと決めたよ。俺が彼女を支援してあげるってことも考えたけど、それは彼女自身に固辞されてしまった。俺自身、それほどお金の余裕があった訳でもなかったしな。ただ客として通うことにしたんだ。そしたら、安定して彼女は稼げるだろうし、変な輩に絡まれることも少なくなると思って。彼女の意思は尊重しつつ、俺なりに出来ることがあれば協力すると決めたんだ。


 でもさ、俺のその決意はやっぱり間違っていたんだよ。もっと早く……いや、あの時に俺は彼女を止めておくべきだったんだ。たとえ、それが彼女を悲しませてしまうことだったのだとしても! 俺は!


 ……ああ、悪い。つい取り乱した。でも、俺の決断が彼女を危険に晒したんだ。昨晩、学校に電話があったんだ。彼女が何者かに襲われて、病院に運ばれたって。まだ目が覚めていない。意識不明の重体だ。


 どうやら、犯人は彼女のストーカーらしい。詳しい状況はわからないが、そいつも重症だそうだ。


 でも俺、彼女には毎日のように会ってたのに、そんなことにも気づけなかったんだ。ほんと、何が協力するだ。こんな頼りない大人、頼れなくて当然だよな。呆れるったらありゃしない。


 仕事も辞めてきた。この後のことは考えちゃいないが、これ以上学校にいたら彼女との話がバレて、余計に迷惑をかけるかもしれない。このタイミングで止めるのも変な詮索を招くかもしれないけれど、そうなったらなった時の話だ。彼女に迷惑かけるよりはマシだ。なんにせよ、今はあんまり考えたくない。


 ハハッ、まるで恋人が死んだ時みたいな顔してるって? まさか! 彼女とは教師と生徒の関係だぞ? それに彼女はまだ生きてる。


 ……でも、少し思うんだ。たとえ目が覚めても、男に襲われたこの出来事は一生彼女の心に傷を残すだろうって。だからもう、彼女は「普通に生きること」ができなくなってしまったのではないかって。


 俺は彼女の人生を台無しにしたくなかったはずなのになぁ。神様は意地悪だ。どうしようもなく、彼女の人生をぐちゃぐちゃにした。だから、俺はやるせないんだ。想う資格だってありゃしない。


 なぁ、お前は俺に失望したか? 俺はとんでもなく俺に失望してるぞ? だから……お願いだから。俺のことを一発殴ってくれないか。

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