参話 陰陽師




 その日、文京区にある央苑おうえん女子高等学校での入学式を終えた。

 知らない生徒たち。

 知らない教師たち。

 教室のみんなは笑顔だが、私の表情は変わらない。

 喜怒哀楽とか、そういったものが綺麗さっぱり抜け落ちている。

 彼等は何故、あんなに嬉しそうに笑えるのか。

 この世なんて地獄みたいなものなのに。

 早い子は登校初日から、生徒たちの輪の中に入っていく。

 入学から二週間もすれば私のような”異物”と、そうでない者たちとの溝は深まるだろう。

 教室で下校の準備をしているとき、数人の生徒に話しかけられた。

 相手は私の素っ気ない態度に気まずくなり、そのまま退散した。

 ――それでいい。

 私に友人など必要ないのだから。



 校門を出ると、道路の真ん中に少女が立っていた。

 ここは道幅が狭く、せいぜい学校関係者が車通勤で使うくらい。

 学校にしか繋がっていない通りなので、当然といえば当然である。

 だからといって道路の真ん中で少女が腕組みして立っているというのも変だ。

 もっと変なことがある。

 他の生徒たちに彼女は見えていないらしく、誰もが気にも留めず素通りしていた。

 街路の桜の花弁はなびらがブレザー制服の少女へと雪のように降り注いでいる。

 央苑女子校の指定制服はセーラー服のため、他校の者なのが一目で分かった。

 彼女は、ただの少女ではない。

 その理由は彼女の殺気だ。

 一度でも他者に殺されかけた者なら一生忘れないであろう、衣服越しに肌を焼くようなじりじりとしたあの感覚。

 そういう強烈なものを、彼女は極自然に発している。

 それでいて気配も消すという、矛盾したことをやってのけていた。

『遠見綾乃さん』

 彼女に名を呼ばれ、足を止めた。

 私は彼女を見据える。

 黒髪をまとめたツインテールが特長的で、美人というよりも可愛いと言ったほうが良い外見であった。

 年齢は私とそう違わない。

 新調したブレザー制服からすると、私と同じようにさっき高校の入学式を終えたばかりかも。

「誰ですか」

 私は問いながら、わかっていた。

 彼女も自分と同じ、世間に相容れない異物であるのを。

『あたし、つちかど由奈ゆな。宮内庁のおんみょう内調そっちも今年の春から代替わりって聞いて、こうして挨拶にきたの。あんた大昔の日本人形みたい。すごく綺麗な顔。お世辞じゃないから、素直に喜びなさい』

 彼女は観察するように私のまわりを一周し、そう言った。

『……親を目の前で殺されたとき、どんな気分だったぁ?』

 私の顔色を窺いながら、彼女は厭味ったらしく言う。

『今から四年前。都内の住宅に強盗が押し入り、夫婦が刃物で惨殺された。当時十一歳だった、子供のほうはからだこそ無傷で済んだけど精神には深い傷を負う。その子は事件の心的外傷トラウマによって顔の筋肉を動かせず、表情が消えた。病院に隔離されたその子は、在りもしないモノを見るようになる。強烈な精神的ショックが、遡行者としての能力を発現させたんだわ……そうよね、遠見綾乃さん』

 私は左手に持っている革鞄を振り回し、彼女の横っ面にぶつける。

『意外と過激なのね』

『忘れたい過去を掘り起こされるのは嫌い?』

『あんた警察に発見されたとき、母親の死体を見つめてたらしいじゃない』

 目の前にいた彼女は消えた。

 新たに三人の彼女が私の前に現れて別々のことを喋る。

 状況だけで言えばそうだが、あきらかに非現実的な光景だった。

『鞄で殴られたあたしは偽物。陰陽師からすれば、一人が三人に増えるくらい余裕だわ。簡単な足し算よ』

 私の右横にいる彼女は小学校で習う算数を説明するような口ぶりで言う。

 さっき消えた彼女の位置には人型の小さな紙切れがあったが、風に煽られて近くのフェンスに引っかかる。

「こんなことして、どうしようっていうの?」

『挨拶にきた……なんてのは口実。内調のあんたはアヤカシと交渉、宮内庁のあたしはアヤカシの殲滅。役割は違うけど現場で一緒になったら、足手まといにならないか確かめたい。こっちも伊達に千年以上、この商売やってないわ。あんたみたいなド素人と組むかもしれないなんて、正直いい迷惑』

「言いたい放題ね」

『本物のあたしが何処にいるか、同業ならわかるでしょう。内調の新人さん』

 その声には明らかな嘲笑が含まれていた。

「面白い原理。アヤカシが実体化のため、人の思念を依代よりしろとして使うように陰陽師はこの紙を使うってことかしら」

 私はフェンスの近くにしゃがみ、人の形をした紙きれを拾う。

「人工的に思念の器を作る――まさにこの紙が、そう。ただし思念の器を使うということは、対象の”思い込み”というエネルギーが必要になる。手っ取り早くそ うするには、相手の感情を刺激するのがいい。あなたがさっき私を怒らせたのは、この紙を使って幻を作り出すことを前提にしていたから」

 桜の花弁が舞い散る中、話しを続ける。

「この三人のあなたは私の昂った心に反応した鏡みたいなもの。こちらが心を落ち着かせれば、勝手に元の姿に戻る。人は、夜中に見た枯れ木を幽霊だと思い込む。そういう思い込みを上手く使ったのが、この幻の正体」

 三人の彼女は、ただの小さな紙になっていた。

『へぇ、感覚を理論で裏付けできるタイプなのね』

 声しかしない由香の位置を探っていた。

 すでに彼女の分身は消え、ここには私だけしか立っていなかった。

『で、本物のあたしが何処にいるかわかった?』

 感情を遮断し、思い込みを無くしてさえ、彼女は見えない。

『あたしの分身を消しただけでも優秀だけど、所詮は遡行者として日が浅いわ。ここが限界っぽいわね』

 私はありとあらゆる方法で彼女を探したが見つからなかった。

 声の方向から位置を割り出そうとしても、声そのものが動いている。

 いくつものスピーカーに囲まれ、そのどれかからランダムに発声されているようなものであった。

 ──私は考える。

 彼女が私を怒らせたいのを見抜いたとき自分のほうが優勢だったが、ここにきてそれは逆転している。

 この短時間で彼女の性格はなんとなく掴めていた。

 おそらく、極度の自信家。

 こういう人は一方的な謎かけリドルなど好まない。

 相手に解決策を与え、自分の優位性と自尊心プライドを保ちたいはずだ。

 そして気づいた。

 彼女が私に仕掛けたものの正体を。

「あなたが言っていた簡単な足し算、その次は引き算。さらにその次は、いわば掛け算」

 私は振り向き、真後ろを見た。

 そこには腕組みをした彼女がいた。

『あたしの性格を読んだ上で足し算の言葉に辿り着いた……そんなとこね。あれくらいのハンデはあって然るべきよ。どうにか内調そっち面子めんつは保てたんだから、あたしに感謝しなさい』

 どこまでも高飛車な物言いだが、それは事実である。

 私が術を破ったことに、彼女は一応の充足感を得ているようだった。

「私に三人の幻を見せたとき、あれは感情の加法。三人のあなたを存在させるため、私を煽った。それに対応するため私の取った方法は感情の加法の逆の減法。思い込みという感情を無くした。そして今、あなたが存在すると強く思い込まなければ見えないという、感情の乗法を使って姿を消していた。思い込むことと、思い込まないことは方向が違うだけで表裏一体」

『まぁまぁね、と言いたいけど、あんたは陰陽道の昏い淵の部分を見たに過ぎない』

 彼女は私に向かって、近付いてくる。

『頭の良い子って好きよ。初めてあたしと会って、ここまで術を破る奴なんて滅多にいない。たとえヒントをあげてもね。あんたがアヤカシとの交渉役に選ばれたの、わかる気がする』

 彼女は私を見つめていた。

 その瞳に妖しい輝きが宿っている。

『これはほんの挨拶』

 ――唇を。

 彼女に唇を塞がれた。

 桜の花弁がアスファルトに落ちる中、私は彼女に口付けされた。

『……初めてのキスなのに、やっぱり無表情なのね。美人なのに勿体ない』

 私は笑みを浮かべている彼女の頬を平手で打った。

 すると彼女は消え、地面に人の形の紙切れだけが残る。

『安心なさい。あたしとあなたは他の生徒たちに見えない結界を張っていたから、さっきのキスも見られてないわ。いつか本物のあたしに会えるといいわね、内調の新人さん』

 声はするが、彼女の姿は見えなかった。

 ――からかわれたのだ。

 そう理解しているが、私は人差し指で唇をなぞっていた。

 生々しい感触が、そこにまた蘇る。

 それにしても会話の最初から最後まで、彼女の実体と会っていない。

 本物の彼女は一体、どこにいたのだろうか。

 難解な宿題を出されたような気分だった。



 日が落ちかけた郊外の墓地に私はきていた。

 私は前にある墓に白菊と焚いた線香を添える。

 ここに来る途中、木桶に汲んだ水を墓石の上からしゃくで掛けた。

「二人が亡くなってから、こうして墓前に立つのは初めてね」

 私は一人娘ではあるが両親の葬儀に参加できなかった。

 当時の私は幼いうえに心神喪失状態で親戚が代わりに葬式を取り仕切った。

 それを最後に親戚との交流は絶えた。

 両親が惨殺された不吉な家に関わるなど、二度と御免ということかもしれない。

 ――あの日から、人生の歯車が狂いだした。

 深夜、派手な物音と悲鳴が二階の子供部屋で寝ている私を目覚めさせた。

 急いで階段を降り、電気を点けた一階の廊下で見たのは、うつ伏せになった父の足だった。

 そして真っ赤な血が、私の素足に付着した。

 恐怖で廊下にへたりこんだのを、今でもはっきり覚えている。

 私のすぐ横から、激しい足音がした。

 反射的にリビングの扉を開けたと同時に見たのは、母の首に深々と刺さった包丁。

 事切れた母の前には黒覆面の男が立っていた。

 殺気を纏った男の目は、ぎらついている。

 身の危険を感じ、全力でその男に体当りした。

 私はそのときに倒れ、床に頭を打って気絶してしまう。

 意識が戻ったのは早朝である。

 覆面男はいなくなっていて、リビングには母の死体が窓ガラスからの朝日に照らされていた。

 死んだ母の顔は無表情で真っ白な蝋人形のようだった。

 私の記憶は、ここまでしかない。

 警察を呼んだのは近所に住む主婦だった。

 その主婦は母と仲が良いため、朝のゴミ出しを忘れたのかと思ったそうだ。

 彼女が私の家のインターフォンを押しても無反応なため、玄関を開けると父の遺体を廊下で見つけて大騒ぎになった。

 私はリビングの壁に寄りかかり、無表情のままで母の遺体を見つめていたところを警官に保護されたらしい。

 あれから、四年。

 私は今日から高校生になり、下校中に土御門由奈という陰陽師が私の過去を話した。

「笑顔で高校入学の報告をしたいけど、今の私には無理みたい……ごめんね。父さん、母さん」

 セーラー服の肩に乗っていた桜の花弁を払い、空に向かって伸びる線香の煙を見上げる。

 私の表情は夕闇の中でも、まったく変わらなかった。




 ――了――

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